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2014年07月15日

中韓合作ドラマ、秀吉の朝鮮出兵

500年前も、今も半島国家は向上心、自主独立の概念はない。
孫文、蒋介石も始めは日本の協力を利用していたけれど、ロシアに共産主義革命が
おきて、次第に共産主義に傾倒していった。
今度中韓共同で秀吉の朝鮮出兵の5部作のドラマを作るらしいが、中華の抗日ドラマと
同じく史実は無視されたドラマになるにちがいない。

【コラム】夷を以て夷を制す

中国の近代を切り開いた革命家・孫文が1924年、日本で行った演説にこのような
文言が登場する。
「中国は王道によって彼らを感化し、感動した彼らは(中国に)朝貢した」。この
「彼ら」という単語は、韓国を含む周辺国を指す。「彼ら」が自ら中国を崇拝し、
中国の属国になろうとしたというのだ。このとき、日本の植民地になっていた韓国の
ある新聞社の特派員は「なぜ韓国の独立には言及しないのか」と尋ねた。
それに対し孫文は「日本でその問題を取り上げたくはない」と冷たくあしらった。
日本は当時「大アジア主義」を主張する孫文の後援者の役割を果たしていた。

それから90年後、中国の指導者の歴史認識は大きく変わったようだ。
中国の習近平国家主席は「壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)が
起こったとき、
(中国と朝鮮の)両国民は敵がい心を抱き、肩を並べて戦場に向かった」と演説した。

「肩を並べ」という文言が印象的だ。
孫文の演説は韓国人を怒らせた一方、習主席の演説は韓国人を喜ばせたが、
歴史をひも解けばまた違った気分になる。

習主席が「肩を並べて戦場に向かった」と表現した壬辰倭乱の当時、
朝鮮国王の中国観を象徴する事件が「乞内附波動」だ。「内附」とは、
ある国がほかの国の中にすがりついているという意味だ。国民と国土を見捨て、
中国に服属することを要請したのだ
。それでも中国は、開戦当初には日本と朝鮮が
結託しているのではないかと疑った。
朝鮮国王は誠意を尽くして懇願したが、中国は朝鮮を日本と同じ「夷(野蛮人)」の
一部と見なしていたのだ。明の派兵は朝鮮のためではなく、
戦場が遼東半島にまで拡大するのを懸念し、苦肉の策として決断したものだった。
中国は琉球王国(現在の沖縄)を通じ、
日本の目標が中国の侵略であることを、朝鮮よりも先に把握していた。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)国際部長 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:日本、韓国
posted by 豊後国主 at 13:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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