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2014年04月17日

韓国社会の一日i

韓国のTVドラマでもうひとつ、奴隷として中華に送られた女性が後に中華の皇帝の
奥さんになると言うドラマがヒットしているようですね。
韓国社会は毎日楽しいのでしょう。
                シンシア・リーさんのブログより

何故「高麗」から「朝鮮」という国名になったのか?
2014-04-16 11:25:13

鄭道傳(チョン・ドジョン)という人がいます。

高麗末期の人で、明の方に付くべきだと主張し、当時の高麗の権力層から相当
嫌われていました。

最近、彼のドラマが放送中です。「世の歪みに負けない清廉潔白な人」として
描かれていますが、さて、どうでしょう。

ご存知、李成桂(イ・ソンゲ)が軍事クーデターで高麗を倒し、
朝鮮を建立しましたが、チョンドジョンもその功臣の一人でした。1394年、
それからの朝鮮の法典において基礎になったと言われている「朝鮮經國典」を
書いた人でもあります。

その朝鮮經國典の「国号」の章に、次のような記述があります。

高麗を倒した後、イ・ソンゲは国の名前をどうすればいいのか、と悩みました。
その際に、チョンドジョンが次のような意見を出しました。

「前にあった国(百済、新羅、高句麗、高麗など)の国号は、(中国)皇帝の許可を
得たものではない。そのような国号を受け継ぐわけにはいかない。
箕子(ギザ)の朝鮮だけが周(昔の中国)の皇帝の命で諸侯国になった。だから
朝鮮という国号だけが皇帝の許可を得たものである」

これは箕氏朝鮮(箕子朝鮮)のことです。箕氏の朝鮮だけが中国の諸侯国として
「国号(国名)」を許可してもらった。だから私たちも国の名前を朝鮮にしないと
いけない・・・そういう内容です。

ここで、面白いことが分かります。

所詮は事大主義者でしかなかった・・ということ そして、

韓国が檀君がどうとか5000年がどうとか10000年がどうとか日帝が抹殺したとか、
そう自慢している古朝鮮の話は出てこなかったことです。韓国では、箕子朝鮮を
古朝鮮の一部だと主張していますが、それならチョンドジョンは檀君の話から先に
持ちだしたはずです。また、5000年前から(古)朝鮮があったとすると、
「朝鮮」というのが周による諸侯国の名前だったというのも、時系列的に
成立できません。

しかも、その箕子朝鮮が「諸侯国だった」と認めています。

さらに、イ・ソンゲは「朝鮮」だけでなく、もう一つの候補を持ち出します。それは
「ファリョン」です。
ファリョンはハムフン(咸興)のことで、彼の故郷だと言われています。

二つの候補の中から明の皇帝に選んでもらった国号、それが「朝鮮」です。

どうやら、当時の指導者がもっとも欲しがっていたのは、
中国に対する事大(朝鮮)の強化か、自分の縄張り(ファリョン)の強化かの
どちらかだったようですね。

チョン・ドジョンは、後で王家の人たちと仲が悪くなり、イ・ソンゲの息子に
よって殺されることになります。

昔も今も、韓国は中国という呪縛から自由になれないでいる気がします。

余談ですが、韓国の韓は「三韓 」の韓です。
タグ:日本、韓国
posted by 豊後国主 at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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