アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2014年03月11日

三年前のあの日〜 [産経抄]

                    三年前のあの日〜 [産経抄]
三年前のあの日、日本の政局が混沌としていた時分におきた、未曾有の天災だった。
あの、防災無線の町職員、米国から英語教師として来日したテイラーさん、
親を失った子供、子を失った両親、多くの人々の夢を奪った天災であった。
学校の窓から助けに来た父親の車が津波に飲まれるのを見たと言う
Tシャツの体操着で炊き出しの行列にならんでいた少年母親にあえましたか!。
あれから三年、この日が近づいてくるたびに脳裏に焼きついてはなれないのが、
関東大震災の記録フイルムと先の大戦のサイパンか、テニアンの記録フイルムで
震災のフイルムには米の配給を受ける少年少女たち、そこには震災が
なかったかのような笑顔があった。そして
大戦のフイルムは米国の記録フイルムで、戦闘をさけ非難していた日本の民間人が
米軍の前に投降する折に、米兵が差し出すチョコレートを母親の右手につかまっていた
少年が母親を見上げ、両手で受け取り深々と頭を下げるのを見たとき、私は
日本人は素晴らしいと、日本人でよかったと思う瞬間でもある。
多くの日本人を打ちのめした震災ではあったが大和民族は強靭である、きっと
乗り越える日がくると信じている。

追悼の意味 3月11日
2014.3.11 03:07 (1/2ページ)[産経抄]

「奇跡のピアノ」によるコンサートが、東京都内のデパートで開かれている。
3年前のきょう、福島県いわき市の中学の卒業式で役目を果たした後、津波にのまれ、地元の調律師の修復によってよみがえったものだ。

 ▼このピアノについては、1912年のタイタニック号沈没現場近くで見つかった
バイオリンとからめて昨年、コラムで触れた。
パニックに陥った乗客を落ち着かせるために、楽団員たちが最後まで演奏したと
いわれるバイオリンである。

 ▼すると、読者から指摘をいただいた。バイオリンのエピソードはむしろ、
防災放送で津波の来襲と高台への避難を呼びかけ続けた、町役場の女性職員にこそ
ふさわしいというのだ。おっしゃる通りである。宮城県南三陸町の防災担当職員、
遠藤未希さんは、多くの町民の命を救った後、津波の犠牲となった。

 ▼当時24歳、半年後に結婚式を控えていた遠藤さんを含めて、東日本大震災の
死者、行方不明者は、1万8千人を超える。地震が起きた午後2時46分には、
亡き人々に黙祷(もくとう)をささげる姿が全国各地で見られるはずだ。

2014.3.11 03:07 (2/2ページ)[産経抄]

 ▼先日、「夢を生きる〜テイラー・アンダーソン物語〜」という
ドキュメンタリー映画を見る機会があった。
米国の小学生時代から日本にあこがれていたテイラーさんは、6年前に来日を
果たす。石巻市の小中学校で英語を教えていたところ、
津波に遭って亡くなった。24歳だった。

 ▼「娘が望んでいることをやっているだけ」。
「テイラー・アンダーソン記念基金」を設立して、石巻市の学校に本と本棚を
贈る活動を始めた父親のアンディさんの言葉が心に残った。
復興が果たして、亡くなった人たちの望む方向に進んでいるのか。
きょうは、それを確認する日でもある。
posted by 豊後国主 at 08:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前: 必須項目

メールアドレス: 必須項目


ホームページアドレス:

コメント: 必須項目

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/2288152

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
リンク集
最新記事

プロフィール
豊後国主さんの画像
豊後国主
初参加 2010年 7月30日
プロフィール
写真ギャラリー
カテゴリアーカイブ
わーい(嬉しい顔)"カチィ・・” と 応援宜しくわーい(嬉しい顔)
にほんブログ村 通販ブログへ
にほんブログ村
最新トラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。