2018年03月13日
【N3か月目の異変:自殺未遂に至るまで】
前回復職を涙ながら喜んでくれた先輩の話をしました。
そんな嬉しいこともあり、更に仕事は順調にいっていました
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ただ一方でもともと重要な担当先を任せてもらっていた関係で出張や土日勤務もいきなりやらざるを得ず、自身かなりオーバーペースであると感じていました。。
それでも「もっと結果を出して周りを安心させたい」との一心で頑張りすぎていました。
6月中旬
突如異変が起きました。
強烈な肩こりや首の痛みを感じます。
明らかに疲れがでていて、上司にも「少し飛ばしすぎたので、調整させてほしい」と言いました。
ただ、更に症状が出てきて得意先と話していて「手が震えてきたり、汗がとまらなくなってきたり」しました
社内的にもかなりストレスのかかる時期であった事も要因だったかもしれません。
そこから止まらない症状。もともとあまりない有給休暇を使うもなかなか治りません。
自分自身、あれだけ時間をかけて体調を整えたつもりだったのにこんなに一瞬で症状が再発したことが悔しくてたまりませんでした。
先輩の涙に応えたいのに、身体が思うようについてこなかったのです。
またそれと同時に徐々に絶望感も襲ってきました。
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【7月:自殺未遂に至るまで】
かなり限界に到達していました。
上司や周囲も当然心配してくれました。
その際、上司に「再度休職は自分の中では絶対にない。このまま退職したほうがいいと思っている」と話しました。⇒上司からは慰留されました。
7月に入ると自殺する夢を連日のように観るようになりました。
関西の自殺名所をふと携帯で検索していました。(大阪市内に住んでいました)
毎日、もうダメだと絶望感に浸っていました。
そして7月の末
和歌山県の三段壁に向かっていました。
お酒を飲みながら電車に乗って。
記憶は曖昧ですが、崖から飛び降りました。
ただ、設置されていたロープにひっかかりクッションのような形になったかと思われ、気付いたら大分下の岩にいました。
足が痛くて、自分では歩けませんでした。
ふと上を観ると警察の方がライトを照らしていました。
私は波の近くの岩で、ここから落ちたら死ぬんだなと感じ改めて死の恐怖を実感しました。
涙が止まらなかった。
上からの救助は不可能な場所だったようで、救急ヘリコプターで救助・病院へ搬送されました。
その後病院で東京に暮らす両親に連絡をいれたこと・これから東京から和歌山に来てくれるということを聞きました。
警察署に移動し、事情聴取
東京から両親が来てくれるまでそこにずっといました。
両親が来てくれたのですが、申し訳ない気持ちでとても顔をみることは出来ませんでした。
足を怪我していたため父に車いすを押してもらった時「本当に親不孝をしてしまった」と心から後悔しました。
病院にも連絡が当然入っており、「そんなにつらかったんだね。退職はいましたら更に社会復帰が難しくなる。ここは休職にしなさい」と言われました。
上司に「申し訳ないが、再び休職にして欲しい」と伝え両親としばらく過ごすことにしました。
【現在だから思うこと】
・あの時、焦らずにゆっくり仕事をしていればよかった
・一大事を起こすまえに家族に相談すればよかった
・死ぬことより休職のほうが迷惑をかけない。
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