2020年04月24日
略歴
私は親の仕事都合で小学校を3回転校、4校へ通いました。
転校もだんだん慣れていきます。
イヤなのは、初めて入る教室で自分の席がどこかわかりません。
先生が入ってくる頃には皆、席に着いていますけどそれまではまだ皆、席を立って遊んでいます。
私は必然的に教室の後ろでひとり、黙って突っ立っているしかありません。
中には「転校生だ!」と物珍しそうに見てくるヤツもいます。
でもなぜか、二日目は孤独な思いをした記憶がないんです。
どの学校でも一人、親友と呼べる友人ができました。
子供はすぐに打ち解けられるからでしょうね。
中学の頃は部活が忙しくて、我を振り返る時間がなかったように思います。
それが高校入試で部活から解放された中三の秋ごろから我を見るようになりました。
そしてこう、自分のファッションというか、スタイルを作るようになってきました。
中学のときは部活で気の合う仲間と友人関係を構築していましたけど、高校は親元を離れ寮生活です。
今度は自分から友達を選ぼうと考えました。
選んでみたら、なぜか悪いヤツらが集まってしまいました。
中学のとき学力テストで学年2番。いち学年180人くらいでした。
これは東京の小学校から田舎の中学校へ行ったのが大きいと思っています。
一度だけ1番になったことがあります。それは常に1番だった女の子が病欠したときです。
2・3年の担任は体育教師でバリバリの若い先生。
まだ体罰アリアリの時代。クラスで担任に叩かれなかったのは私ともう一人だけ。
いまにして思うと、いち学年で5クラスあったクラス担任の間で、私は秘蔵っ子だったからなのだ思います。
同時に、クラスの違う子からあとから聞いた話だと、中学時代の私は、両手を合わせて拝む存在だったといいます。なんとな〜く、それには気づいていて、そんな自分の立場から逃げたくて、親元を離れ進学しました。
願いが叶って気付いたら悪いヤツらと親しくなって、成績が今度はクラスの下から1〜2番。
私はとてもいい経験をしたと思っています。(笑)
そして今、新たな人間関係は私から近づいていくことはまずありません。
いつの間にか近くにいた人間と親しくなっています。
合う人間同士って、きっと磁石で引き寄せ合うんだと思います。
ただ私の場合、ふるいですくった砂が落ちたとき、落ちずに残ったハミ出し者同士くっつく気がします。
2020/01/31「シバく」に書いた若い管理者と、とてもいい人間関係を築きました。もう仲良しです。
きっと周りの皆は管理者と私はまったく違う色をした人間だと思うでしょう。
でも話の落としどころが一緒なんですね。
共通して私と仲が良いのは、キカない人間です。大人しくない。
違う言い方をすると、敵に回したら面倒くさいヤツらです。(笑)
古い記憶にある私は、いじめっ子でした。
幼い頃、まだ幼稚園に入る前だから年上の女の子とか年下の男の子とか、よく関係がわからない子供たちと遊んでいました。きっと遊びに行く公園でいつも一緒に遊んだ仲間だったのでしょう。
ある日、落とし穴を作りました。
そこへ知らない子供が差し掛かりますが落ちれくれない。
私は業を煮やし、強引に手を引っ張って落とし穴へ引きずり込み泣かせました。
落とし穴にはザリガニを入れておきました。
痛いというより、むしろ汚い。(笑)
私より年上の男の子でした。
忘れないのは幼稚園の友人、そんなに仲の良い友人ではない。
ミニカーを貸して欲しいといわれ、貸してあげました。
確か、買ってもらったばかりの新しいものを。
なかなか返してくれないので催促しました。
すると家まで返しに来たその子が持ってきたのは傷だらけになったミニカー。
よくここまでボロボロにできたもんだというくらい、色は剥げまくり傷だらけになったミニカーでした。
「このヤロウ!」
そう思いましたが、後ろには兄を連れていました。
当時私は5歳だったか6歳だったか。
兄はきっと7〜8歳だったでしょう。
私より体が一回りも二回りも大きい。しかもデブ。
今ならデブはカモだと思います。
でも子供だったら目方で負けます。
迷いました。
抗議してケンカするかどうか。
二人にケンカを仕掛けても絶対に勝てるわけありません。
私は黙って傷だらけのミニカーを受け取りました。
もし、あのとき負けてでもケンカをしていたら、また違った人生を歩んだろうと思います。
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