2020年02月06日
無用の長物
先日、仕事で若者と席が隣り合ったときでした。
ふと、この若者はきっと、三方六両損(さんぼうろくりょうぞん)とか白河夜船(しらかわよふね)を知らないだろうと、聞いてみました。やはり知らない。
良いんです。それは。私だって白河夜船を知ったのは、いい歳になってからなのですから。
2017/12/27「三方一両損」
2017/12/19「白河夜船」
ただ、知らないよりは知っていた方が良い。
これからきっと、いろいろな人と出逢うであろう若者が、会話の幅を広げられるならそれは良いこと。
もちろん、三方六両損と白河夜船だけ知っていても、よほどの偶然でない限り、会話の幅は広がりません。
そのことを話したのですが、若者は頭の片隅に留めておきますと言います。
できれば、それをきっかけに何かそういった知識に興味を持って欲しかったのです。
しかし若者には響かないようでした。
ついでに若者に、テネシーワルツを知っているか?ラデッキー行進曲を知っているか?
と聞きましたが、もちろん知りません。同時に興味すらないようでした。知らなくて当然。
言えるのは、昔の常識は今の常識ではないということ。
私が若者に言ったことは、若者からすれば余計なお世話だったでしょう。
でも、私は違うと思うんです。
例えばテネシーワルツは映画「鉄道員(ぽっぽや)」で大竹しのぶさんが口ずさむシーンがあります。
もちろん映画ですから、テネシーワルツとエンドロールに流れていきます。
もし若者がそれすら興味がないというのなら、主演の高倉健を語れるのでしょうか。
たとえ興味がないとしても、同じ時代を生きた一大俳優なら、知っておくべきだと思います。
同時に、大俳優だった志村喬、加藤嘉、勝新太郎も知っておけとは言いません。
でも高倉健さんくらいなら。
また、若者にテネシーワルツを聞かせたら、きっと
「聞いたことある。」
そういうに違いありません。
子供の頃、校庭をラデッキー行進曲で行進したはずです。
それを、口で説明できるかできないか。その違いはとても大きいと思うんです。
例えば、映画「鉄道員(ぽっぽや)」の話題になり、大竹しのぶさんがテネシーワルツを鼻歌で歌っていたね。という会話から、それぞれ頭の中に同じメロディーが流れれば、それは素敵なことだと思います。
そして、それこそが“教養”だと思うんです。
若者はベートヴェンの第九も知らないと言いました。
聞けばわかるはずなのに。
世代間での常識は違えども、クラシック音楽くらい共通で良いじゃないですか。
ベートヴェンの第九は「喜びの歌」、第五は「運命」、
ドヴォルザークの第九は「新世界」。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一を若者に覚えておけとは言いません。
だけど聞いたら知っているはずなんです。
ハチャトゥリアンの「剣の舞(つるぎのまい)」だってそう。オッフェンバックの「天国と地獄」だって。
知らないことを知って知識にするのって素晴らしいことなのに、興味がなければ知らんぷり。
物事や曲を知っていても、それの名前が何かを知ろうとしない。
もったいないのか、歯がゆいのか。
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