2018年11月24日
歩く
歩くって良いと思いませんか。
行きたくもない面倒な仕事で会社まで歩いていくのは別です。
気の置けない仲間と、歩いたことのない道を、または旅行でも良い。
家族でも良い。話題なんて何でも良いんです。
とりとめのない話をしながら時間に追われることなく歩くのって好きです。
思えばはるか昔から、相手を変え場所を変え、歩いてきた気がします。
なぜか、そういう思い出って心に残ります。
そして多分、初めから歩くことが目的でないところが思い出になるんです。
飲み会が遅くまで続き、終電もなくなって仕方なく歩いて帰るとか、
パチンコで金を使い果たし、タクシーに乗ることもできず仲間と歩いて帰る。
友達同士、集まったがすることも見つからず、いつの間にか隣町まで歩いているとか。
これは小学校の思い出です。
帰りにはいつも3人で歩いて帰っていました。
途中、川がありました。
川といっても昭和50年代。
高度経済成長時代の副産物、“公害”がまだありました。
公害
化学工場からの廃棄物に含まれる毒性の強い物質が体内に入り、発病します。
古くは昭和30年代のイタイイタイ病、水俣病。昭和40年代の六価クロム。
光化学スモッグもありました。
昭和40年代から日本でも確認された公害です。
工場や車の排ガスが紫外線で化学変化を起こし有害物質に変質。
天気が良い暑い日、学校から帰るときに空気が重く感じられ頭痛がします。
「ああ、今日は光化学スモッグだ。」
そう思いながら帰宅しました。
そんな時代。
さっきの川、川岸はなく、コンクリート製の法面に挟まれています。
法面の途中には直径5〜60センチのパイプが顔を出しており、鉄製がフタがされています。
毎週土曜日の放課後はその鉄製のフタが突然開き、真っ黒い工場廃液を川に流し込んでいました。
その川に透明度はありませんでした。
話は戻ります。
放課後に3人でその川に沿って歩きながら、いつもその辺に落ちている小枝を拾い、川に投げこみます。
川は3人の家方向にゆっくり流れていました。
川の流れは徒歩より遅いので、3人は小枝に合わせてゆっくり歩いて帰ります。
途中、小石を拾っては小枝めがけて投げ、時間を潰します。
そしてそれぞれの家が近づくと解散。
きっと10分くらいの遊びでした。
しかし毎日、時間を潰すその10分が、友情をかみしめる大切な時間だった気がします。
あのドブ川、今では親水公園と名を変え、埋め立てられた川は公園になり、人工的な小川が流れています。
もちろん、透明できれいな水が流れる小川です。
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