先日のことです。朝バスに乗ると、周りの席に数人の男の子たちが乗っていました。
それが実に騒々しい。
バスは空いていたので、後方に乗らず、前方の席に座れば良かったと後悔しました。
その男の子たちは途中のバス停で揃って降りていきました。
下りたバス停は「東高校前」。
確かに、ゴールデンウイークの部活へ行くように見えました。
でも、初めバスの車内で見たときは中学生だと思ったんです。
最近の子供たちは見た目が若くなったと思いませんか?
でもそれは今の若い人たちに限らず、私たちの世代にはもう始まっていたんだと思います。
というのは、例えば自分たちが学校へ行っていたときのクラス集合写真と、数年年上の人たちの集合写真とでは先輩たちの方が同じ学年であっても大人びていた。
そう感じたことはありませんか?
そこで考えたのは、人生の尺を考えたとき、今は平均寿命が伸びています。
昔は60歳と聞けば、相当な爺ちゃん、婆ちゃんだと思いました。
でも今の60歳ってどうですか?
まだまだ人生これからのように見えますよね。
一生の尺が60年であれば、今でいう中学3年生は15歳として、もうすでに人生の4分の1を生きたことになります。でも、80年なら、まだ5分の1にも満たないんです。
だったら、さっきの中学生に見えた少年たちが、老後を迎える頃の平均寿命は100歳かも知れません。
そう考えると、彼らは人生のまだ6分の1しか生きてないことになるんです。
若く見えて当然なのかもしれないですね。
でも、私も親として考えるんです。
しっかり子供を育てられたのだろうかって。
昔の先輩たちはもっと大人で、子育てもしっかりしていたろうと思います。
何度も“通勤”カテゴリに書いた記事の中に、私からすると常識を逸したような若者たちがいて、それは親の躾に原因があるのだと、立派なことも書きました。
でも、私には非がないかというと、自身がありません。
また、自分の育てられ方はどうだったのか、考えると自分の親にまで責任はあると思います。
またその親、祖父祖母もに。さらには・・・
世界から見て礼儀正しく、相手を思いやる日本人です。
しかし、いつの間にか後世に「伝える」ことが苦手になってきているんじゃないかと思います。
共稼ぎなど当たり前。忙しくて子育てする時間もない人たちが増えていることも原因でしょう。
そんな忙しい親に育てられた子供もやがて親になるでしょう。
どうしようもないとは言いたくありません。
それでも心配な将来は間違いなくやって来るのです。
2018年05月05日
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