2018年04月06日
鉄道(2)
「駅」って良いですね。
高倉健さん主演の映画、「駅 STATION」や「鉄道員(ぽっぽや)」が有名でしょう。
昨日は廃止される無人駅について、動画をリンクしました。
その中でも語られていた「廃線」。
以前に私は中学校へ入学と同時に、とんでもない田舎へ引っ越したと書きました。
そこは本当に田舎町で、鉄道はあったものの1987年4月1日、日本国有鉄道がJRとして分割民営化される直前の3月30日に廃止されました。
私は鉄道は日本国中、どこにでもあると考えていました。
沖縄にはないというのも考えたことがなかったと思います。
これは私が引っ越して間もなく、まだ廃止される10年ほど前の駅です。
今、大きな駅はみなショッピングセンター化され、かつて駅の持つ風情というのはなくなってしまいました。
こんな写真のような駅はもう、非常に数少ないものになっているのでしょう。
この非電化の赤字ローカル線は単線でした。
単線というのは、駅と駅を結ぶ鉄道が1本しかなく、列車がすれ違うときはどちらかの列車が駅に止まって他方の通過を待っていなければなりませんでした。
でも上の写真では単線には見えないですね。
写真には収まっていない手前から線路が分岐しているのです。
この分岐は駅の中でも行われて、写真を見ると最終的には5本になっていますね。
駅の特徴としてこの「分岐」に情緒があると思います。
分岐が行われるたびに用地は広くなり、駅の構内というのは非常に広くなります。
跡地は今、代替えバスのバスステーションや公園として使われています。昔の面影もありません。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」は、高倉健さんが定年を迎えるとともに廃止されることになった架空のローカル線、幌舞線の終着駅である幌舞駅長の人生を全うする物語でした。
その映画の中で高倉健さんと広末涼子さんが話すシーンがあります。
広:幌舞線なくなっちゃうんですね。なくなるとどうなるの?
高:なくなるのさ。
広:駅や線路は?この建物も?
高:なくなるさ。
広:なくなるって?
高:あっという間に原野に戻るさ。
広:原野?
高:鉄道ができる前の原野に戻って、鉄道があったことも忘れられちまうべな。
広:さみしい。
高:さみしい? 後悔はしてねぇよ
はぁ〜
どうすることもできねぇだけだ。
広:思い出が残る。楽しかった思い出が。
「さみしい?」と広末さんに聞いた高倉さんの、さらに寂しそうな顔。
そして「後悔はしてねぇよ、はぁ〜」とため息をついて、まるで自分に言い聞かせる高倉さん。
携帯がなかった時代、壁に伝言板があったのは主に駅でした。
駅は出発点であり、終着点であり、思いでも重なります。人が集う場所なのです。
合理化の陰に、大切なものが失われていくのは悲しいことです。
高倉健さん主演の映画、「駅 STATION」や「鉄道員(ぽっぽや)」が有名でしょう。
昨日は廃止される無人駅について、動画をリンクしました。
その中でも語られていた「廃線」。
以前に私は中学校へ入学と同時に、とんでもない田舎へ引っ越したと書きました。
そこは本当に田舎町で、鉄道はあったものの1987年4月1日、日本国有鉄道がJRとして分割民営化される直前の3月30日に廃止されました。
私は鉄道は日本国中、どこにでもあると考えていました。
沖縄にはないというのも考えたことがなかったと思います。
これは私が引っ越して間もなく、まだ廃止される10年ほど前の駅です。
今、大きな駅はみなショッピングセンター化され、かつて駅の持つ風情というのはなくなってしまいました。
こんな写真のような駅はもう、非常に数少ないものになっているのでしょう。
この非電化の赤字ローカル線は単線でした。
単線というのは、駅と駅を結ぶ鉄道が1本しかなく、列車がすれ違うときはどちらかの列車が駅に止まって他方の通過を待っていなければなりませんでした。
でも上の写真では単線には見えないですね。
写真には収まっていない手前から線路が分岐しているのです。
この分岐は駅の中でも行われて、写真を見ると最終的には5本になっていますね。
駅の特徴としてこの「分岐」に情緒があると思います。
分岐が行われるたびに用地は広くなり、駅の構内というのは非常に広くなります。
跡地は今、代替えバスのバスステーションや公園として使われています。昔の面影もありません。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」は、高倉健さんが定年を迎えるとともに廃止されることになった架空のローカル線、幌舞線の終着駅である幌舞駅長の人生を全うする物語でした。
その映画の中で高倉健さんと広末涼子さんが話すシーンがあります。
広:幌舞線なくなっちゃうんですね。なくなるとどうなるの?
高:なくなるのさ。
広:駅や線路は?この建物も?
高:なくなるさ。
広:なくなるって?
高:あっという間に原野に戻るさ。
広:原野?
高:鉄道ができる前の原野に戻って、鉄道があったことも忘れられちまうべな。
広:さみしい。
高:さみしい? 後悔はしてねぇよ
はぁ〜
どうすることもできねぇだけだ。
広:思い出が残る。楽しかった思い出が。
「さみしい?」と広末さんに聞いた高倉さんの、さらに寂しそうな顔。
そして「後悔はしてねぇよ、はぁ〜」とため息をついて、まるで自分に言い聞かせる高倉さん。
携帯がなかった時代、壁に伝言板があったのは主に駅でした。
駅は出発点であり、終着点であり、思いでも重なります。人が集う場所なのです。
合理化の陰に、大切なものが失われていくのは悲しいことです。
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