2018年04月06日
鉄道(3)
春というと新年度が始まり学校では進学、進級。仕事では就職や転勤が多い季節だと思います。
同時に、卒業や退職もこの季節です。新しい出遭いの時期であると同時に、別れのシーズンだと思います。
出遭いというのは何げなく、親しくなった人とは後になって出遭いを振り返ったりするもので、出遭いそのものに感動はないと思います。あるとすれば子供の誕生でしょうか。
その点、別れというのはそれまでのつながりを断つものです。別れそのものに寂しさがついてきます。
付け加えるならば、別れは去っていく者より送る立場の側が辛いと思います。
去っていく者には赴く次の環境があります。別れの辛さもあると思いますが、新地での心構えや準備など別れの辛さも半々になるかと思います。送る者には失う辛さだけです。
さて、駅はよく玄関口と云われます。東京駅は西の玄関口、上野駅は北の玄関口と云うように。
確かに家の玄関をまたぐ前に、駅の玄関をまたぐ必要がありますね。
私に駅の思い出といえば、鉄ちゃんだった小学生当時に写真を撮りによく行った上野駅やその他の駅。
中学生になるとローカル線の地域に引っ越したため、撮影する車両が二種類くらいしかなくつまらなかったこと。また部活動が忙しく鉄ちゃんではなくなってしまいました。
それでも親戚・家族を迎えに行ったり、自分が見送られたりと玄関口としての存在感がありました。
また高校入試のとき、親から離れることになり試験の際、家に受験票を忘れてきたことに気付きました。発車に間に合わなくなり列車をあきらめ、タクシーで50キロ先の駅まで追いかけたことがあります。
その日は吹雪で、タクシーの運転手はフロントガラスに顔を近づけ、額の汗を拭きながら運転してくれました。これも駅の思い出になっています。
また昔は切符を窓口で買いましたね。販売機ではなく。特に田舎では。
昭和50年頃です。
首都圏では近距離切符はすでに販売機になっていて、窓口は特急の指定券をみどりの窓口で買うくらいになっていましたが。
あの厚紙でできた固い切符が懐かしく思います。確か固い切符を硬券、販売機で買う柔らかい切符を軟券といいましたっけ。硬券は窓口にある出札機に行き先ごとに分けて装填されており、駅員は出札機から抜き出した硬券を刻印機(?)に通して発行した日付をスタンプしていました。
(イメージ)
改札機なんてありません。駅員がハサミを入れます。
ベテランになると、ハサミを入れる間も休むことなくリズミカルにハサミを鳴らしていました。
ハサミを入れた切り口というのは駅ごとに全部形が違っていましたね。
また、切符をコレクションしている人もいました。
改札を出るとき、駅員に乗り終えた切符を渡して出るのですが、コレクションしている人は駅員に、この切符を下さいと言って持ち帰ります。
小学生だった私がそれをすると、駅員にダメと言われることが多々あったため、切符を持ち帰れるのが大人だと思っていました。(笑)
今から三十数年前、この季節です。
約一年間、付き合った女子がいました。
いま考えても、とても一年とは思えないくらい色々なことをしました。
高校生だったその子にとって、社会人の私は大人に見えたのかも知れません。
でも、何かあるとすぐ、私が怒っていました。私が未熟だったんです。
私を擁護するなら、こんな私と付き合っていては不幸にすると思っていました。
でも私自身、怒ってしまう姿に飽き飽きして逃げ出したかったのでしょう。
別に他に好きな人ができたとか、そういうことはありませんでした。
お付き合いしたのはあの子が高校三年生のとき。
春ですから卒業です。
クラス担任はその子が私と付き合っていることを知っていて、あまり好ましく思っていないようでした。
それも手伝って、田舎町から離れるよう就職を勧めていたのも聞いていました。
しかし、遠い温泉町に就職活動しているのを止める熱も醒めていました。
一応、別れようと伝えた後です。
4月になり、その子が温泉町に向けて出発の日。
その子を連れて駅まで見送りに行きました。
複雑な家庭環境の子だったので、家族の見送りはなく、私と二人だけ。
赤字ローカル線なので、ホームには数人しかいなかったと思います。
ホームに列車が入ってきてその子が乗り込みます。
余裕で座れる空いた列車。ホーム側の座席に座り窓を開けます。
未来のない二人には交わす言葉も限られます。
私はその子が泣いていないことに安堵していました。
そうしたら雪が降ってきたのです。もう4月だというのに。
やがてベルが鳴り、ドアが閉まります。
ゆっくり動き出した列車を、追いかけるように歩き出す私。
やがて列車との距離が離れていきます。
すると
その子が突然、窓から上半身をのり出し大きく手を振ります。
そして涙が、とめどなく、あふれるようにその子の頬を濡らしていきます。
手には白いポーチを持っていました。
「バイバ〜イ!」って言っていたと思います。
そんなに大きく身をのり出したら危ないのに。
見えなくなるまで手を振ってくれました。
ひとりホームに残った私。
ただ、レールに落ちては解けていく雪を見ていました。
ひと言でいうなら、「喪失感」というのはまさにこのことだと思いました。
そこへ知り合いの国鉄職員が通りかかりました。
「どうしたの?」
私は
「いや、別に・・」
先輩に対して失礼だとは思いながら、それしか言えなかった。
春になるとテレビでは出会いと別れの歌特集とかやっているようですね。
ある曲が流れると私は、この出来事を思い出します。
同時に、卒業や退職もこの季節です。新しい出遭いの時期であると同時に、別れのシーズンだと思います。
出遭いというのは何げなく、親しくなった人とは後になって出遭いを振り返ったりするもので、出遭いそのものに感動はないと思います。あるとすれば子供の誕生でしょうか。
その点、別れというのはそれまでのつながりを断つものです。別れそのものに寂しさがついてきます。
付け加えるならば、別れは去っていく者より送る立場の側が辛いと思います。
去っていく者には赴く次の環境があります。別れの辛さもあると思いますが、新地での心構えや準備など別れの辛さも半々になるかと思います。送る者には失う辛さだけです。
さて、駅はよく玄関口と云われます。東京駅は西の玄関口、上野駅は北の玄関口と云うように。
確かに家の玄関をまたぐ前に、駅の玄関をまたぐ必要がありますね。
私に駅の思い出といえば、鉄ちゃんだった小学生当時に写真を撮りによく行った上野駅やその他の駅。
中学生になるとローカル線の地域に引っ越したため、撮影する車両が二種類くらいしかなくつまらなかったこと。また部活動が忙しく鉄ちゃんではなくなってしまいました。
それでも親戚・家族を迎えに行ったり、自分が見送られたりと玄関口としての存在感がありました。
また高校入試のとき、親から離れることになり試験の際、家に受験票を忘れてきたことに気付きました。発車に間に合わなくなり列車をあきらめ、タクシーで50キロ先の駅まで追いかけたことがあります。
その日は吹雪で、タクシーの運転手はフロントガラスに顔を近づけ、額の汗を拭きながら運転してくれました。これも駅の思い出になっています。
また昔は切符を窓口で買いましたね。販売機ではなく。特に田舎では。
昭和50年頃です。
首都圏では近距離切符はすでに販売機になっていて、窓口は特急の指定券をみどりの窓口で買うくらいになっていましたが。
あの厚紙でできた固い切符が懐かしく思います。確か固い切符を硬券、販売機で買う柔らかい切符を軟券といいましたっけ。硬券は窓口にある出札機に行き先ごとに分けて装填されており、駅員は出札機から抜き出した硬券を刻印機(?)に通して発行した日付をスタンプしていました。
(イメージ)
改札機なんてありません。駅員がハサミを入れます。
ベテランになると、ハサミを入れる間も休むことなくリズミカルにハサミを鳴らしていました。
ハサミを入れた切り口というのは駅ごとに全部形が違っていましたね。
また、切符をコレクションしている人もいました。
改札を出るとき、駅員に乗り終えた切符を渡して出るのですが、コレクションしている人は駅員に、この切符を下さいと言って持ち帰ります。
小学生だった私がそれをすると、駅員にダメと言われることが多々あったため、切符を持ち帰れるのが大人だと思っていました。(笑)
今から三十数年前、この季節です。
約一年間、付き合った女子がいました。
いま考えても、とても一年とは思えないくらい色々なことをしました。
高校生だったその子にとって、社会人の私は大人に見えたのかも知れません。
でも、何かあるとすぐ、私が怒っていました。私が未熟だったんです。
私を擁護するなら、こんな私と付き合っていては不幸にすると思っていました。
でも私自身、怒ってしまう姿に飽き飽きして逃げ出したかったのでしょう。
別に他に好きな人ができたとか、そういうことはありませんでした。
お付き合いしたのはあの子が高校三年生のとき。
春ですから卒業です。
クラス担任はその子が私と付き合っていることを知っていて、あまり好ましく思っていないようでした。
それも手伝って、田舎町から離れるよう就職を勧めていたのも聞いていました。
しかし、遠い温泉町に就職活動しているのを止める熱も醒めていました。
一応、別れようと伝えた後です。
4月になり、その子が温泉町に向けて出発の日。
その子を連れて駅まで見送りに行きました。
複雑な家庭環境の子だったので、家族の見送りはなく、私と二人だけ。
赤字ローカル線なので、ホームには数人しかいなかったと思います。
ホームに列車が入ってきてその子が乗り込みます。
余裕で座れる空いた列車。ホーム側の座席に座り窓を開けます。
未来のない二人には交わす言葉も限られます。
私はその子が泣いていないことに安堵していました。
そうしたら雪が降ってきたのです。もう4月だというのに。
やがてベルが鳴り、ドアが閉まります。
ゆっくり動き出した列車を、追いかけるように歩き出す私。
やがて列車との距離が離れていきます。
すると
その子が突然、窓から上半身をのり出し大きく手を振ります。
そして涙が、とめどなく、あふれるようにその子の頬を濡らしていきます。
手には白いポーチを持っていました。
「バイバ〜イ!」って言っていたと思います。
そんなに大きく身をのり出したら危ないのに。
見えなくなるまで手を振ってくれました。
ひとりホームに残った私。
ただ、レールに落ちては解けていく雪を見ていました。
ひと言でいうなら、「喪失感」というのはまさにこのことだと思いました。
そこへ知り合いの国鉄職員が通りかかりました。
「どうしたの?」
私は
「いや、別に・・」
先輩に対して失礼だとは思いながら、それしか言えなかった。
春になるとテレビでは出会いと別れの歌特集とかやっているようですね。
ある曲が流れると私は、この出来事を思い出します。
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