2017年12月24日
「ウケる〜!」ー 変わっていく日本語 -
今の若い人たち、また中にはそうでない人も、
「ウケる〜!」
って言いますね。
もちろん皆とは言いません。
前には「おかし〜!」とか「面白い〜!」だったのが、「ウケる〜!」が追加されました。
私が初めてそれを聞いたのは2003年と記憶しています。
ただ、そのときにどうも不自然さを感じました。
何が不自然かというと、もともと「うける」という言葉は第三者的な言葉だからです。
例えば
「Aさんの言動は、皆にうけるよね」とか「一般うけする行動だね」というように、決して面白い発言をした人に向けていう言葉ではなかったはずです。
「うける」「面白い」「おかしい」が楽しいこととして良い評価だとすれば、「うける」だけ遠回しに褒められている気がします。
でも今となっては「ウケる〜!」が、当たり前の日本語として定着しています。「ウケる〜!」と聞いて不自然に感じる人がどれくらいいるのでしょう。
また、
「私的には」
というのも昔はなかった言葉です。
確か、タモリさん・・・が前に言っていました。
「的」というのは、それなりに権威を持つものに使う言葉だと。
「国際的」「情緒的」「平和的」「人間的」「季節的」「感情的」、、、
う〜ん、確かにいえています。
ただ、「個人的には」なら許される気がします。「個人」は人全般を指すので権威があります。
そしてこんな言い方をする人もいます。
「私は面倒くさがりな人なので」
わざわざ「人」を付けなくても
「私は面倒くさがりなので」や「私は面倒くさがり屋なので」
で良いでしょう。
当人はふざけているつもりでしょうから良いのですが、もし面接の場で
「私は実直さに自信がある人なので」
と言おうものなら、ハッキリ言います。それは「バカ」です。
私も含め、もし現代人が100年前にタイムスリップしたら、当時の人たちの言葉は理解しがたいでしょう。
逆に昔の人が現代に来たら同じことが言えると思います。
思うには、きっと昔の人は現代の言葉を聞いて、残念に思うのではないかと。
昔の人に比べると、現代はボキャブラリーが足りないのではないかと思います。
外来語は増えました。でも、失われた日本語の方が多いと思います。
昔のドラマなど見ていると、
「言わずもがな」
とか平気で使っています。
また、現代人に「ゆかしい」という言葉を使う人が果たしてどれだけ残っているのか。
以前、飲み明かした先輩は「よしんば」とよく言っていました。が、少し変わり者だったかな?(笑)
また現代人にボキャブラリーが足りないのは親、先輩たちが伝えきれなかったという事実があると思います。
昔の人は例えが上手かったと思いませんか?
「しのぎを削る」
お互いに激しく戦うことですね。
しのぎ = 鎬。
日本刀の「刃」の部分と「背」の部分、その境目が少し高くなっているというか、「刃」は薄くなっていくため、境い目に角度が付いています。稜線といえばいいのでしょうか。
刀で競り合うとき、日本刀を交え、鎬と鎬が当たり、こすれ合い、まるで削り取るような様です。
まさに死闘を指しています。
現代人がこの「死闘」を言い表すのに、どんな例えを使えるのでしょうか。
連歌(れんが)ってあります。
和歌は普通、5-7-5-7-7 で詠みます。
短歌も5-7-5-7-7、俳句や川柳は5-7-5ですね。
連歌は複数人で詠みます。
まず、5-7-5の上の句を詠むと、他の人が下の句7-7を続けて和歌を完成させます。
NHKの大河ドラマ、昭和62年に「独眼竜政宗」が放映されました。
伊達政宗の正室、愛姫(めごひめ)が伊達家に輿入れする道中、家臣たちは愛姫、田村家の一行を出迎えます。
すると田村家の家臣が数珠(じゅず)を振りながら
「水晶の珠のようなる子をもちて」
と上の句を詠みます。
すると伊達家の家臣は
「おお、これは風流な、連歌でござるな。」
と、
「末繁盛と願うこの数珠」
下の句を返します。
この「独眼竜政宗」は山岡荘八さん原作で、どこまで事実に基づいているかはわかりません。
しかし、連歌という文化。
昔は言葉に情緒があふれていた気がします。
昔が良いと偏るつもりはありません。でも失うには悲しい文化。
「ウケる〜!」
って言いますね。
もちろん皆とは言いません。
前には「おかし〜!」とか「面白い〜!」だったのが、「ウケる〜!」が追加されました。
私が初めてそれを聞いたのは2003年と記憶しています。
ただ、そのときにどうも不自然さを感じました。
何が不自然かというと、もともと「うける」という言葉は第三者的な言葉だからです。
例えば
「Aさんの言動は、皆にうけるよね」とか「一般うけする行動だね」というように、決して面白い発言をした人に向けていう言葉ではなかったはずです。
「うける」「面白い」「おかしい」が楽しいこととして良い評価だとすれば、「うける」だけ遠回しに褒められている気がします。
でも今となっては「ウケる〜!」が、当たり前の日本語として定着しています。「ウケる〜!」と聞いて不自然に感じる人がどれくらいいるのでしょう。
また、
「私的には」
というのも昔はなかった言葉です。
確か、タモリさん・・・が前に言っていました。
「的」というのは、それなりに権威を持つものに使う言葉だと。
「国際的」「情緒的」「平和的」「人間的」「季節的」「感情的」、、、
う〜ん、確かにいえています。
ただ、「個人的には」なら許される気がします。「個人」は人全般を指すので権威があります。
そしてこんな言い方をする人もいます。
「私は面倒くさがりな人なので」
わざわざ「人」を付けなくても
「私は面倒くさがりなので」や「私は面倒くさがり屋なので」
で良いでしょう。
当人はふざけているつもりでしょうから良いのですが、もし面接の場で
「私は実直さに自信がある人なので」
と言おうものなら、ハッキリ言います。それは「バカ」です。
私も含め、もし現代人が100年前にタイムスリップしたら、当時の人たちの言葉は理解しがたいでしょう。
逆に昔の人が現代に来たら同じことが言えると思います。
思うには、きっと昔の人は現代の言葉を聞いて、残念に思うのではないかと。
昔の人に比べると、現代はボキャブラリーが足りないのではないかと思います。
外来語は増えました。でも、失われた日本語の方が多いと思います。
昔のドラマなど見ていると、
「言わずもがな」
とか平気で使っています。
また、現代人に「ゆかしい」という言葉を使う人が果たしてどれだけ残っているのか。
以前、飲み明かした先輩は「よしんば」とよく言っていました。が、少し変わり者だったかな?(笑)
また現代人にボキャブラリーが足りないのは親、先輩たちが伝えきれなかったという事実があると思います。
昔の人は例えが上手かったと思いませんか?
「しのぎを削る」
お互いに激しく戦うことですね。
しのぎ = 鎬。
日本刀の「刃」の部分と「背」の部分、その境目が少し高くなっているというか、「刃」は薄くなっていくため、境い目に角度が付いています。稜線といえばいいのでしょうか。
刀で競り合うとき、日本刀を交え、鎬と鎬が当たり、こすれ合い、まるで削り取るような様です。
まさに死闘を指しています。
現代人がこの「死闘」を言い表すのに、どんな例えを使えるのでしょうか。
連歌(れんが)ってあります。
和歌は普通、5-7-5-7-7 で詠みます。
短歌も5-7-5-7-7、俳句や川柳は5-7-5ですね。
連歌は複数人で詠みます。
まず、5-7-5の上の句を詠むと、他の人が下の句7-7を続けて和歌を完成させます。
NHKの大河ドラマ、昭和62年に「独眼竜政宗」が放映されました。
伊達政宗の正室、愛姫(めごひめ)が伊達家に輿入れする道中、家臣たちは愛姫、田村家の一行を出迎えます。
すると田村家の家臣が数珠(じゅず)を振りながら
「水晶の珠のようなる子をもちて」
と上の句を詠みます。
すると伊達家の家臣は
「おお、これは風流な、連歌でござるな。」
と、
「末繁盛と願うこの数珠」
下の句を返します。
この「独眼竜政宗」は山岡荘八さん原作で、どこまで事実に基づいているかはわかりません。
しかし、連歌という文化。
昔は言葉に情緒があふれていた気がします。
昔が良いと偏るつもりはありません。でも失うには悲しい文化。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7123123
この記事へのトラックバック