2020年11月10日
新日本紀行
今日はブログの引っ越しをしていたといいながら、YouTubeも見ていました。
おすすめ動画にあったのは『新日本紀行「葛飾 〜東京〜」1968年放送』。
私が青森から葛飾区に引っ越したのは確か1969年。昭和44年です。
ほぼ近いので、懐かしい風景が見られるかと思いました。
残念ながら、住んでいた地区は映っていませんでした。
けど、とても懐かしい気持ちになりました。
ほとんどの人は引っ越した経験があって、生まれてからずっと一か所で人生を終える人は少ないと思います。
私は生まれてから何度、住処を変えたのでしょうか。
子供の頃は親と一緒に暮らすしかありません。
親が引っ越すのと同じく引っ越します。
私も世帯を持つようになってから何度か引っ越しました。
初めは公団住宅で子供を設け、古い古い一軒家に引っ越し、札幌へ。
一軒家に住んでいたとき、単身赴任したこともありました。
また札幌へ来て初めに住んだマンションも、単身赴任のようなものでした。
早い人は2年ごとに引っ越し、あるいはもっと頻繁に引っ越しする人もおられるでしょう。
その点、私は比較的、一つのところに長く住む傾向にあるのかも知れません。
札幌へ来てすでに13年ですが、まだやっと3軒目の家です。
昔を思い出すとき、どこに住んでいたか、
というのが大きいと思います。
引っ越しをたくさんした方が、思い出の引き出しは多くて良いのかも知れません。
私は小学校を4校、通いました。6年間で3回、転校しました。
小学校時代の思い出も数々あります。
それらが、あそこに住んでいたとき、、というようにリンクしているのです。
大人になって結婚して、子供ができると今度は子供だって思い出を作るでしょう。
どんな思い出があったでしょうか。もちろん、辛い思い出もあるでしょう。
昔、「人に歴史あり」というテレビ番組がありました。
誰もが生きてきてどんなことがあった。どこに住んでいた。それも歴史だと思います。
私が住んだときの葛飾区は、居間の窓から田んぼが見えていました。
江東区に住んだときは、都営団地の8階から写した写真に隣の錦糸町駅が写っています。
それだけ、まだ高い建物がなかった時代です。そしてまだ都営新宿線を掘っていた時代だったのです。
写真中央の照明は都営新宿線の工事現場
高度経済成長
都会は特に、その容貌を変えていった時代。
高度経済成長時代の世の中を作るように、家族を養いながら生きていた両親。
新日本紀行、初めは自分視線で見ていた動画でした。
しかし本当の主役は、両親だったんじゃないかと思います。
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