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2023年03月24日

伯母の介護とまたやらかした坊ちゃん。


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日中は暑い日々が続いていたのですが、夜間から夜通し雨が降り午前中もずっと雨でひんやりとした1日でした。うんうん、暑いよりは良い!と個人的には喜んでおりますが、足元がぬかるんで泥だらけになるのでその点は雨降りも困りますね。でもこの雨降りこそが私には3月、4月というイメージです。「桜を見に行くと雨降り」というのが桜の時期の印象なんです。

先日、東京の花見の風景がテレビに出ていたのですが、チラッと見たら桜が濃いピンク色で可愛らしいこと!
桜の種類にもよるでしょうが、私の中では桜の花は淡い淡い白に近い(白にしか見えないとも言う)色という感じなんです。遠目で見ると淡い淡いピンク。落ちた花びらを手に取ると白いというのが桜のイメージ。私が住むここらへんの桜がそうなんでしょうね。学校に植わっている桜の木もそんな感じです。だから桜より桃の花の方がピンクで可愛いと思っていました。
それがテレビに映し出された都会のお花見での桜があまりに濃い可愛らしいピンクで、きっと皆様はこの可愛いピンクが桜の印象なのかもしれないな〜と思うと、見てきた桜が違っていれば印象も全く違うんだと面白く感じました。

私の中では桜は白と言って良いくらい淡い淡いピンクです。ピンクと言うのさえおこがましいくらいの白に近い花の色なんです。梅が白、赤、朱色とかの印象で桃の花は可愛い濃いピンク、桜は白に近い色という感覚ですね。どちらにしても見る分にはどの花もとても美しいです。

先日、出かけた先ではピンク色の梅の花を見て「ピンク色もあるの?」と楽しく眺めていたのですが、桜の花も可愛らしいピンク色があり目の保養になりました。
近所では桜は白っぽいのでピンクの桜は可愛かったです〜。

そして例年の楽しみですが、伯母の家に咲く「木蓮」の濃い紫色も私を楽しませてくれます。4月から5月くらいに開花するのを毎年楽しみにしています。枯れ木の様な木蓮に、蕾が出だしました!じっと見ないと分からないくらいですが、ちゃんと芽吹いていました。母と蕾を見ながら「よく見たら蕾があるね!」と言い合い開花を楽しみに待っています。咲いたらまたブログにてアップさせて頂きますね。

伯母はお花が好きで、私自身も学生時代はアルバイト代で球根や花の種を買っては伯母に渡していました。「ムスカリ」や特に毎年のように球根を渡していた「チューリップ」とかですね。そうそう、奮発して買った「ブルーベリーの木」は枯らされてしまいましたが(笑)

チューリップは以前、車で1時間(往復2時間)くらいの所に毎年小さな「チューリップ祭」があったんです。そこで十数年くらいは毎年通って様々な種類のチューリップの球根を毎回15個〜20個買っては伯母に渡し、伯母が植えて上手に咲かせてくれていました。「チューリップ祭」がなくなってからは、ホームセンターで球根を買って伯母にプレゼントしていました。
今では5秒前の事さえ覚えていられない伯母ですが、チャキチャキした人で体を動かす事を厭わない人でしたから、庭の草むしりも畑で野菜を育てたりするのもお手の物でした。
どくだみ草も庭で育てて、奇麗に洗って干して夏になると汗疹(あせも)が出来やすくなるので、伯母がよく煎じて飲んでいたのを思い出します。

野菜と果物が好きで、肉はあまり食べない人でしたが、認知症になってからは「天ぷら」「ソーセージ」「肉」が大好きに(笑)82歳までは伯母は散歩も庭の草むしりをしていたんですよ(笑)83歳くらいからあまり外での事はしなくなり、84歳から言動も以前とは変わって来ました。そして一昨年の12月は裸でセーター1枚を着たり、言っている事がめちゃくちゃで水風呂に入ったりするようになり、私と母で今まで1日1回伯母の家に行っていたのを、日に4〜5回行くようになりました。車で5分以内の距離だからこそ出来ました。

伯母がしっかりしていた70代前半の頃は週に2日〜3日通っていて、70代後半の頃は1日おきに通いながら体調が悪い日は日に2回など頻繁に通っていました。病院受診は私が毎週送迎をしていました。病院の方から送迎をして頂けるようになって5年くらい経ちますがそれまでは私の仕事でしたね。

買い物も週に2回付き添いしつつ伯母の楽しみだったので行っていましたが、84歳くらいから認知症も一気にかなり進み計算が出来ないけれど凄い食欲で見る物を手当たり次第にスーパーのカゴに入れまくって、1度の買い物で25000円くらいになるので「これは食べたい?じゃあ、こっちは今日はやめておこう?」と伯母に確認を取りつつカゴから商品を戻していたのを思い出します。

計算は出来ないけど食欲が凄かった時期ですから「見る物全てが食べたい!」という感じでした。そして1s入りのソーセージを1日で食べていました(汗)84歳の頃は時々フライパンで焼いて食べていたんです。たまに火を点けっぱなしで怖かった事もありましたが、今のコンロは自動的に消えてくれるので本当に助かったと思う事もありました。

好きならソーセージも食べさせたい、でも体にバランス良くと考えて毎日食事を届ける事にしました。学生時代から色々作ってはケーキもお料理もいつも持って行っていましたが、毎日食事を届けるという事にしたのはその頃からです。だから食事を届けだしてもう9年が経ちます。

伯母が85歳の認知症の時に介護認定を受ける為に市役所に申請しました。でも国は要介護どころか要支援さえ出してもくれなかったんですね。だから一昨年までの数年間、私と母の2人で伯母を看てきました。
でも一昨年は真冬の水に近い超ぬるま湯に2時間入浴し、浴槽から上がると当たり前ですが寒いのでまた浴槽に浸かるを繰り返して私や母の言う事は聞かなくなりました。その少し前に母に「今度こそ介護認定の申請をしないといけないね」という話をした矢先に、裸にセーターを着たり「触ってはいけないよ」と張り紙もしてあるガスコンロの火が点けたままだったり、水を出しても蛇口を止めなかったりというのが続きました。

12月26日、27日くらいから認知症が一層激しくなったのですが、もう年末で市役所への申請も市役所がお正月休みに入るので年明けてから1月5日とか6日に申請をしました。それからスムーズに申請も出来てデイサービスを利用する運びとなりました。前年は要介護2、今年は要介護3になりました。ただし、5秒前の事も分からないし本人も「さっぱり分からん」と繰り返すので、病院やデイサービスがある週に4回は私が先に行って着替えの介助や声掛けをし内服させて送り出すので忙しさは変わりません(笑)
伯母を見送ったら戸締りし、裏の猫部屋に坊ちゃんの世話に行くという仕事が増えたくらいです。
でも坊ちゃんが可愛くて伯母の世話も坊ちゃんの世話も大変でも苦にならないのは「好きだから」以外にありません。

本当に、妹である母より私の方がずっと伯母と関わってきましたから。尼崎から伯母がこちら九州に来て、それが私が13歳くらいの時でしょうか?勿論、幼い頃には数回会っていました。それからの付き合いですから、本当に長い付き合いです。学生だった私は大人になりオバサンになり、チャキチャキした伯母は年老いて認知症に。学生時代はアルバイトをしては「マクドナルドのビッグマック」「パン屋さんのベーコン・チーズ・オニオンブレッド」当時にあった「小僧寿しの海老のお寿司とイカのお寿司」などを買って行っては、伯母と2人で食事を月に2回〜3回していました。母もいつもそれを見ていました。私ほど親戚の中で伯母に深く関わった人はいないと自負しています。それは波長があったのもあるでしょうが「好きだから」しか理由がありません。

今では5秒前に言った事さえ覚えていられず、声掛けや誘導をしないと行動がままなりません。トイレ、食事、横になる以外の行動は自分で行うのは難しいです。時折、タンスや押し入れの中をメチャクチャにして床に散らかす事もありますが(笑)

私は太っていますが健康的に見えるようですが、幼い時から喘息やアレルギーで体が丈夫ではないので体調が悪い日もあります。そんな時に朝から伯母の世話をする時、伯母は時には素直に聞いてくれない事もあります。布団から出てくれず、着替えがなかなか出来ずお迎え直前になったり、間に合わず5分程待って頂く事も多々あります。体調不良の時はしんどいです(笑)だけどそんな時にイライラすると、伯母の方も意固地になりますから笑って優しく声掛けをします。すると、渋々でも行動してくれるのです(笑)

認知症になり変わってしまった伯母ですが、私の記憶の中は認知症になった伯母より「しっかりしていて面白くてスーパー霊感の強い伯母」の時間の方がずっと長い事に気が付きました。どちらにしても好きな伯母なんです。だから介護も出来るんだと思うんです。一昨年と比べて、今年はもっと変わりました。
一昨年は私の母の体の心配も口にしていました。でも今では「ふ〜ん」という感じです(笑)家族や周りに興味を持てなくなったせいもあり、また母が病気を抱えている事さえも覚えていられないからなんですけれど。

このブログを読んで下さっている中で介護をされている方がいらっしゃったら、確かに介護は終わりがありません。終わる時はその対象の方が亡くなられる時です。1人では決して出来ません。伯母には子供がいませんから妹である高齢な母と私で看ています。でもデイサービスも利用しつつ、やっていけてます。必ず周りを行政を頼って下さいね。地域包括支援センターに行かれて相談されて下さい。ムリをしない介護こそ、続けられるコツですから。

いずれ私と母の手を離れる時が来るかもしれません。いえ、そうなる日が必ず来ます。その時に少しでも後悔しない為に今出来る事を積み重ねていってる状態です。施設にまたは病院に入る事になる日が1日でも遅いと良いなと思いながら、この2年間は特に頑張っています。さらにその前からずっと1日に1回は伯母を見に行ってましたから20年間くらいでしょうか。でもその頃は伯母も今の母と変わらないくらいの年齢でしたし元気でしたけれど。まぁ、母はケアマネさんともデイサービスや病院の対応も全て「娘に聞いて下さい」と私に投げっぱなしですけど(笑)

母と私で伯母と別れる時には少しでも後悔が少ないようにしよう!って言っています。伯母の子が生きていたら妹である母と同い年だったそうです。伯母が2人の子を死産したのは、最初の旦那さんが異常に女遊びをする人で性病をうつされてしまったからです。最近よく思い出すのか、75年も前の事を毎日朝の内服時に私に話してきます。

「可哀想な事をしたよ。病院の先生がロクロク(性病予防の薬?)をうって、次の日生まれたら死んじゃった。知らんかったからね、その注射したら子供が死ぬとか。」これを週に3回は私に話してきます。だから私は「悪いのは先生じゃないの?妊娠中にうってもいいかどうか判断するのは先生でしょう?お腹が大きいのに妊娠してるって分かってるじゃない?だから自分を責めないでよ?」と話しています。

話した事を覚えていないので、毎回同じ事を言い、私も同じ事を返しています。生きていてくれたら私にとっても大切な親戚になったのかもしれませんが、言っても詮無き事です。私はとにかく、「伯母のせいでは無いんだよ」と言う事を毎回伝えて、話題を変えるようにしています。じゃないと、話している事を忘れて延々と同じ話をループしますから。だからこそ、伯母の気持ちが少しでも楽になればと伯母のせいじゃないと言い話題を変えています。

母は姉である伯母が認知症で子供のようになってしまいましたが「可愛いし、愛しい」と言っています。私にさえ「愛しい」なんて言った事ありませんよ?(笑)あ、口答えばかりで「憎らしい」は言われたかも(笑)
伯母と母は20歳近く年が離れているから、母が小さい頃に「大好きで仕方なかった」という事を思い出して私にも話してくれました。

私が伯母の最初のロクデナシの旦那さんを知っているか母に聞きました。

私「最初の旦那さん、南さんの顔って知ってる?」

母「小さい頃だけど何となく覚えちょうよ。肌の色が真っ白で奇麗な顔だったってくらいと、紙芝居で売る水飴を家の柱に回して練ってるのも覚えてる。」

私「え?柱に水飴?」

母「うん。こう、ぐるぐると(身振り手振りで私に伝えてくれている)」

私「うわ〜。家の木の柱って……今だったら衛生的に問題あるね(笑)」

母「昔やからね〜(笑)でも色白の男前やった記憶やけど、お母さんが小さかったからそれ以上はイマイチ覚えてないね。」


そんな感じで話しました。その南さんの妹さんが「アサコさん」というらしく、伯母は「アサコが学校で編み物の宿題を出されて代わりに編んでやったよ。」とか伯母が結婚した当時は「アサコが13歳やったき、布団に入って来て一緒に寝たりしてたよ。髪が多くていつも三つ編みをしてやったりしたけど、アサコは本当に美人やったよ。結婚した相手は4つくらい年上やったけど、アサコと結婚出来て良かっちょうよね。美人やったきね!」と私は会った事も無いアサコさんの話を数十年聞き続けています(笑)

南さんは伯母曰く「どまぐれ」です。意味が何となくしか分からないので調べたら「九州の方言でモラルに反する・道を外した」的な意味だそうです。伯母の時代は使った言葉でしょうが、今では使う事は無いので聞き慣れません。

とにかく、女遊びが激しい人で「俺が誘ったんじゃない、相手がしつこく誘って来るし付いて来るんだ。」と言っていたそうです。どこまでが本当か分かりませんが、伯母は南さんと南さんの両親、アサコさんと暮らしたそうです。両親でもお母さんは義理の母らしく優しい人だったのに、アサコさんは全く懐こうともしなかったそうです。きっと亡くなったお母さんが好き過ぎて、再婚した事が許せなかったのかもしれませんね。

私が伯母に「そんな女遊びばかりする息子を父親は何も注意しないの?」と聞けば、「その父親もずっと遊び人だったらしいから、親父は俺に言える訳ないって南が言ってた。」と伯母から聞きました。
結局、別れようとしても祖母(伯母と私の母の母)が許さず、結婚を勝手に決めて無理に結婚させた挙句に伯母は苦労し子供も産めなくなってしまったので祖母との折り合いはとても悪かったです。

そして祖母も確かにメチャクチャだったと思うのですが、今も伯母はその祖母との折り合いの悪さから祖母が亡くなって30年が経っても今も毎日のように「ウチのおかちゃん(お母ちゃん)鬼ババやったきね!おかちゃんのせいで人生狂わされた!」と言い続けています。私は祖母の生前から伯母から聞き続けています。そう、中学生の頃から(笑)

「もう、言うの止めたら?あれから長い時が流れたよ?」と伝えるのですが「親やきね、おかちゃんを憎くはないんよ。本当にはね。でもされてきた事を考えたら悔しいし情けないきね。小学校も行かせてくれず、近所の子の子守りの為に学校に行かせてくれんやったんよ?小学校くらい出させてくれても良かったろうに。なんで弟や妹じゃなく、近所の赤子の為に10歳の子が(自分の事)子守りとかせないかんのね。人前で格好付けておかちゃんがウチに苦労ばっかりさせたんよ!」と止めるどころか、言葉が溢れ出てきます(汗)

話を聞いても怒りは増すし、だからこそ私が出来る事はある程度聞いてから話題を明るい事に変える事くらいですね。内服をさせた後に話を聞きつつ、私が持ってきた1日1個だけ渡す飴を1つ舐めて貰いながら明るい話題を振っています。まぁ、認知症はあれど、体の痛みはあれど、口は達者な伯母ですね。

とりあえず、介護をされていらっしゃる方は介護は1人で抱えない事です。身内が協力的じゃない場合も多いと思います。だったら行政やサービスを使うべきです。1人で抱え込まない事が大切なのです。

こんな感じで介護に終わりは無いからこそ、私も毎日休みもありません。だって伯母も坊ちゃんもいますし。
でも時間を上手に使い、母と協力すれば時間も作れます。だから母には母の、私には私のストレス発散をして日々ご機嫌にいられるようにしています。

先日、母の友人が私に電話をくれました。「ちょっと遠出したいから話し相手になって!ランチを奢るから日田に行こう!」と誘われました。昨年の7月か8月以来です。
なぜか母の友人は母より私を誘うんですよね(笑)ちなみにランチは前回と同じバイキングです。ビュッフェとも言うのかな?地元の野菜を一杯使った手作りのビュッフエです。私のように偏食なタイプはビュッフェが有難い!食べれないのを選ばなければ良いのですから。決められた定食だったり懐石料理だったりフランス料理だったりは食べれないのが必ずあるので(刺身やレアやミディアムのお肉・子羊とか鴨とかラム肉とか色々)ビュッフェスタイル・バンザイ!です。

そのSさんと言うオバサマは母より2歳上です。元気な方です。遠出する先はお野菜も特に椎茸も有名で、前回行った時に「肉厚で美味しかったからまた買いたくて」と言われていました。レトルトの椎茸カレーも購入したそうで美味しかったらしく、Sさんは1人っ子でお母さんから愛情いっぱいに育てられたそうです。そしてお料理には椎茸をよく使っていて、カレーにも椎茸を入れていたそうです。珍しいですよね。
だからレトルトカレーで椎茸入りというのを見つけてお母さんを思い出し懐かしく、そして美味しかったそうで売っていたらまたそのカレーも買いたいとの事でした。保護猫を2匹育てている方で、私が坊ちゃんを育てているのを好意的に応援してくれます。

なので来週はSさんとちょっとドライブ&おしゃべり&お食事&お買い物に行って来ます。
勿論、朝は伯母を病院へ送り出し坊ちゃんの世話をしてからなのでそれが終わってから午前11時に出かける予定です。夕方4時から4時半くらいに戻って来れれば良いですから楽しみです。でも往復だけで3時間をちょっと超えるんですよね(笑)Sさんからお出かけのお誘いを坊ちゃんを理由に半年くらい断っていたので、私もそろそろ外出を楽しんでも良いかとお受けしました。出掛けた際に購入予定のお野菜などの戦利品もまた写真でご紹介出来たらと思っています。テーマパークやオシャレなとこじゃないのは田舎だからですね(笑)道の駅系なら得意です。

お話は変わりまして、坊ちゃんが去勢手術してから粗相やマーキングが止まったと言っておりましたが……いやいや、またまたやらかしまくっています。またキャットタワーのハンモックの中にオシッコをマーキングの量を超えてしっかりしておりました。下ののクッションマットに水溜りが出来ており、真っ黄色に染まったハンモック。上から水をかけて下には洗面器を置いて手で洗いましたがニオイがあるので、ここ数日繰り返しています。
ホームセンターにはペット用に消臭剤が色々出ています。メーカー名は伏せますが、裏を見ると超危険な物ばかりで購入しませんでした。え?こんな危険なのが「ペット用・安心」とか書かれています。舐めたらどうするのさ?という物ばかり(汗)数種類全てがアウト〜!です。ニオイも嗅がせられない、舐めさせられない毒ばかりでハンモック使用には至りませんでした。これはちょっとお値段はかかりますがネットで調べて購入しかありませんね(涙)

坊っちゃんとワンコが、私のお財布に大きな穴を開けてくれるので私はもう半年以上美容院へ行っておりません。前髪は自分で切ってガタガタです。←どうしてこうも下手なのか?(笑)せめて上手であれ!
まぁ、必要な物は揃えるしかありませんが坊ちゃんのマーキングは暇でイタズラしたいのかもしれませんし、また様子見しつつご報告させて下さいね。きっと寂しいんですよね。


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↑コタツの中に入って遊ぶ坊ちゃん。

なかなかきちんと写真を撮らせて貰えません。撮っていたら突進してきて噛まれます(笑)
1枚目の写真は突進前にパチリ。ハンモックに粗相したのに堂々とした態度です(笑)流石です。


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↑この猫部屋の戸を開けてすぐ左の窓にウインドクーラーを設置予定です。サッシも高さがあり、頑張って高くても購入したものの設置出来るのかしら?昔過ぎて現在の標準の規格サイズじゃないからこんなに悩んでいます(汗)とりあえず梅雨が過ぎたら設置頑張ってみますね。

しかし、坊ちゃんの体型がどうなってるやら(笑)ずん胴のお腹ですね。立派なタヌキです。私の手からおもちゃを引っ張って持って行きました。そんな時は歯が折れないようにサッと手を放し、後でまた取って一緒に遊びます。

雨が降ったり暖かくなったり寒暖差もありますが、皆様どうぞ体調にご注意下さり一杯食べて一杯笑ってご機嫌にお過ごし頂けたら幸いです。


長いブログとなりました。本日もお読み頂き有難うございます感謝致します。


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