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2023年08月06日

ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』で病跡学を考える2

2 人間サルトル

 ジャン・ポール・サルトル(1905−1980)は、幼少時に父親が死に、母方の祖父の下で育った。3歳で右目を失明し、強度の斜視になる。
 1933年から1934年までベルリンに留学し、気象学を学んだ。1935年、想像力の実験のため、友人の医師ラガシュによりフェネチルアミン系の幻覚剤メスカリンを注射してもらう。甲殻類が身体を這いまわる幻覚に襲われ、鬱症状が続いた。甲殻類は嫌いであった。ベルリンに留学し執筆を始めた「嘔吐」は、フランスに戻ってル・アーブルやパリで教鞭をとる傍ら、1938年に出版される。
 戦中戦後にフッサールの現象学やハイデッカーの存在論、そしてソビエトの諸外国への信仰を擁護する立場からマルクス主義に傾倒していく。そこには、カミュやポンティとの決別もあった。ソビエト寄りの共産党には加入せず、次第に反スターリン主義の毛沢東のグループを支持するようになる。
 その後、マルクス主義は、発見学として捉えられ、その中で個人の意識の縦は、精神分析学の成果を、社会の横の統合は、アメリカ社会学の成果を取り入れた。これにより、20世紀の知恵をまとめるべく構造的、歴史的人間学を基礎づけた。
 公的な賞に関してすべて辞退している。ノーベル賞は、辞退の書簡の到着が遅れたため、ノーベル文学賞決定後の辞退となる。1964年のことである。
 1973年、激しい発作に襲われる。右目の失明に加え、左目の眼底出血により両目を失明する。そのため、内妻のヴォ―ヴォワールとの対話を録音し、自力での執筆ができなくなったことを共同作業で補うとした。主体重視の実存主義からユダヤ教への思想の転換もあり、サガンと交流するようになった。
 1980年肺水腫で亡くなり、モンパルナス墓地に埋葬された。養女のエル・カイムらの編集により、死後、多数の著作が出版されている。

花村嘉英(2022)「ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』で病跡学を考える」より
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花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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