高行健の執筆の履歴は、文学が根本的に自身に対する価値の確認になり、書く際にすでに肯定がある。文学は、まず作者自身が満足を要求し、社会の効果の有り無しは、作品完成後のことであり、作者側が決めることではない。
言語は、人類の文明による結実であり、精微であり、難を持って理解し、利用できる機会を使い、感知を貫通し、感知の主体に対し世界の認識を同封しリンクを張る。書き留めた文字を通過するとまた奇妙になり、孤立した個人に任せ、異なる民族や異なる時代の人でも橋渡しをする。文学の執筆や閲覧の現実性が他と同様に恒久の精神価値を有し、こうしたリンクがともに起こる。
花村嘉英(2021)「高行健の『朋友」』で執筆脳を考える」より
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