あっ。。。森沢ベルもにとって。。明日、正午までに迎える運命の日。そのままの運命だと、短命な友人の純ちゃんの命をを救うため。。。明日の正午までにうちの本堂のご本尊様に、純ちゃんの本当のお父さんはどちらか。。。俊さんなのか、五朗太さんなのか。。伝えて、その前に、それを予想して予想した本当の父親の方に純ちゃんに嫌がらせをしてくれと頼むというわけのわからない儀式を。。。嫌がらせをしてくれ、だなんて世界平和と生命の共栄共存を願い生命の健やかな成長と発展を願ううちのご本尊様が。。。なぜ。そんな事をさせようとしているのかそれはよくわからないだけど。木蓮寺のご本尊様は当然ながら邪神ではないし。。皆んなから愛されて尊敬されている。。。正真正銘の正義の味方。。だから、ベルモは、木蓮寺のご本尊様の与えてくれたチャンスに従って明日の正午までに、本当の純ちゃんの父親だと思う方にそんな変な用事を頼むんだけど。。それで明日は、ベルモの久しぶりの休みであって。木蓮寺の娘であり、木蓮寺幼稚園の教論であり、僧侶でもある森沢ベルモはなにも、無理矢理休み無しで働かされているわけではなく。一応は、公休日の木曜日となってはいるものの人生最高の遊びと聞かれたら仕事と答えるほど仕事を愛していてよっぽどの用事でも無い限りまるで止まると死ぬ魚のように働くのが呼吸をするかのように当たり前のようにして、楽しく毎日毎日ほとんど働いているけれど。大事な日を控えつつ。。いつものような、おだやかな時間の流れではなく。。。誰かの命の存亡がかかる運命的な日。前日の今日は昼下がり。。。刻一刻と、時間は過ぎ去り、まるで。。。命の残りを刻む砂時計がサラサラと浮かんでは消えていくように。。ああ。。苦手なものは、なにかと問われると真っ先に。。。ベルモは、時を刻む秒針の音とサラサラと堕ちる砂時計の砂が浮かんでは消えていく。。そう。。。ベルモはまわりにスイープ式の時計しか置かないのだ。カチコチカチコチ。。音がうるさいのが嫌でスイープ式の時計しか置かないよりも。あの、カチコチという音をきくと、どうも、時間に追われている気がしてならないのと過ぎた時がもう戻ってこないのを1秒、1秒とあらためて責められるような気がしてならない。生命は誕生してからどんどん死へと向かっていくのだ。それは、当たり前の事だが死は突然やってくるかもしれないのは、明日は我が身だし。時計の秒針が聞こえると過ぎた今はもう過去のものだという感覚が確認されるかのように嫌がらせのごとく襲ってくる。。それは。。。ある意味でいつ来るかわからない死へのカウントダウン。。高いところが苦手な人や、集合体が苦手な人や、閉所恐怖症や、目玉模様がだめとか生理的に受け付けない恐怖症はいろいろあるけど自分同様に時間が過ぎゆく速さを確認されるようで。。秒針の音が生理的にダメだ苦手だという人も世の中けっこういるだろうなとつくづく考えてしまう。
ベルモは、もうすぐ亡くなる人がわかる時が時としてある濃い黒いオーラに包まれて見えたり一瞬の錯覚で亡くなった時の姿や死に顔が本人と重なって浮かびあがったりそれから。。違うパターンでは姿が透けたように見えたり死が近いのに、亡くなるというのが。。特になにも見えない人もいるけれど。。。自分自身の亡くなる。。いまのところ、多分自分の死期はわからないとは思うけどそれはいいとしても。。森沢家にもらわれてきて。父親も母親も木蓮和尚夫妻は世間の平均的な祖父母以上の年齢差で70歳を過ぎているし。木蓮和尚の母親である祖母の濃紫婆さんは100歳を過ぎているのだ。幾ら健康であっても自然に身近な人の死は近いし。。。年齢的にいつなんどきなにかあるかわからないし平和で幸せな毎日も、いざ、肉親が高齢者だと我にかえるとどうもいつ、お別れの日が来てしまうのかとヒヤヒヤするご縁があって祖母や両親と家族になって。。だいたいの子どもは、若いお母さんやお父さんがいい若くて綺麗なお母さんが羨ましいという感覚の子どもがおそらくは圧倒的に多いだろうけど、大概の事においては渋好みのベルモは幼稚園の園児の若いお母さん、特にギャルママについていけないなと少し苦手意識を持つ事があるし産みの母親は若くて綺麗だしまだハタチの葉月だが、離れて暮らしているし悪い人じゃないけど一緒に暮らした事はないがつくづく一緒に暮らせる性格じゃないだろうなと思う産んでくださった事に恩があるが、手放してくださった事にも恩があるし、感謝してるけどやっぱり、両親と言えば木蓮寺の和尚夫妻だし木蓮和尚も奥様の紫子さんもともに70歳を過ぎて。。。今の時代はお年寄りが長生きになったと言われても例えば、70代の有名著名人の訃報を聞いたとすれば誰もが知ってるような世の中に影響力の大きい有名著名人が亡くなった一つの社会観念の区切りや歴史の移り変わり世代交代などを感じるとともに、それ以上に。。年齢近くの親を持つ人がいれば、ハッと、うちの親はもうそんな年齢だが。。大丈夫だろうかもうすぐじゃないだろうか、と、明日は我が身に思う人もたくさんいるんだろう時おり、時間の流れの中で時間の流れを実感すれば得体の知れない恐ろしさに包まれるあまり。。。やっぱり。。木蓮寺に人生相談に来る人達の中でも時々このまま年齢を重ねるのが歳をとるのが怖くてたまらないと相談する人が時々いるベルモは修行の身でまだ相談に答える立場ではなく木蓮和尚と相談者のやり取りを隣でジッと傾聴するだけだが。木蓮和尚は今、生きてるのが奇跡です。歳を重ねて、ここまで無事で健康でやってこれた事がありがたいとか、大変な事故や病気に遭われた方々もそれなのにきちんと乗り越えられる力や周りのありがたい協力や支えのお陰様で今日を迎えて今生きている事は大変ありがたい事です。そんな自分をどんどん好きになれます。残念ながら、望まずして
若くしてお亡くなりになったり、不慮の事故で亡くなる方々もいる、あなたがいま生きている事は、当たり前ではないんですよ。そう感じたり考えると、本当に自分の周りは感謝する事でいっぱいな事があると気づいていくし、自分にも人にも優しくなれます。なにがあるかわからない世の中ですが何があっても後悔しない、そうやって貴重に感謝の日々を楽しみましょう。みたいなニュアンスの事を言うなるほどなるほど。。確かに年齢を重ねるは。。今、自分が生きているという証拠だ。。。なんて、人の言葉は宝の山だったりする、とふと、ベルモは考えていたり。。
木蓮寺幼稚園の、給食が終わり掃除も終わりただいまの時間、園児のお昼寝時間ももうすぐ終わり。。
幼稚園児とあまり年齢が変わらないものの、ひよこ組の副担任の
森沢ベルモは。。
あっ、そうそうそうだ、今日は、夕方の5時半から傾聴解禁だった
傾聴解禁とは木蓮寺の木蓮和尚についていき木蓮寺で人生相談にきたゲストの悩みを木蓮寺の和尚が解決をするために相談に乗るが、ベルモは木蓮和尚の隣に鎮座して黙って相談者の悩みを傾聴するのみで一切口を出してはいけないけっこうツラい修行だけれどそれとは反対にベルモもいつかメインに立って人生相談を受ける立場になるしそのためにも、時々木蓮和尚の友人知人や親しい檀家さんや、近所さんや教え子など親しい間柄の関係者がベルモの独立も踏まえて木蓮和尚とともにベルモも人生相談に答える事ができるのであり純ちゃんの。。。目の前の重大な事で。。
すっかり忘れていたが
そうそう。。。さらに夜はおもてなしや料理好きの木蓮和尚が、ヴィーナス達を食事に招待しているけど。そうだったその前に、5時半ごろ、檀家さんで木蓮和尚の教え子の漁師の網元のお孫さんが差し入れと、お寺への寄付として。。取り立ての魚をたくさん持って相談。。。というか、ベルモも参加する傾聴解禁にやってくるんだっけ。だから、海鮮がたくさんやってくるので、さばいて刺身にする料理好きな木蓮和尚はヴィーナス達をディナーに招待したのだ。
プルメリア島の網元八王子家の。。彼は漁師は継がずにまだまだ新入社員か、社会人になって間もない確かビジネスマンだった。。。だけど。。なんらかの深刻な悩みがありわざわざ自分の家の家業の魚を持ってきて人生相談にくるのだ。。。
ハァ。。申し訳ないぐらいに、すっかり忘れていたけど自分は。。いま、純ちゃんの事でいっぱいいっぱい過ぎて。。。でも、常日頃、今のところ、じゅうぶんな自分は深刻な悩みがなく幸せにやってこれてる他の若い人達がなにか悩みに振り回されて悩みぬく日々が。。それもいつか成長の痛みでのちのちの宝になるだろうとは言え。。今現実は、その前に恐ろしい死神でも本気で倒さないと、宝箱は手に入らないがごとく。。。
綺麗事無しでにっちもさっちもいかず死ぬ程思い詰める人もいて痛ましいのだ
2024年05月24日
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