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木村次郎右衛門さん安らかに・・・

木村次郎右衛門さんが2013年6月12日午前2時8分、老衰のため地元の病院で逝去した。
世界最高齢で、男性の長寿記録を更新していた。
京都府京丹後市丹後町在住

昨年12月に体調を崩し、入退院を繰り返していた。
今年春には自宅に戻り、116回目の誕生日を迎え、ヘルパーの介護を受けながら、孫の妻と生活をしていた。

116歳と55日

この世に生を受けてから、42423日目での旅立ちだった。

安らかに・・・

木村 次郎右衛門

次の世界一は?
今度は日本の女性です。

世界のご長寿ランキング(今現在)



木村 次郎右衛門

日本人が長寿No1に返り咲いた


木村 次郎右衛門


2012年(平成24年)12月17日、ギネスは木村 次郎右衛門を、世界一の長生きとして認定した。

木村 次郎右衛門は、この日まで、115年と242日間をこの世で生き続けている。
米アイオワ州の115歳のディナ・マンフレディニが亡くなり、
彼はこの日、世界で一番の長生きさんとして存在することになった。

ちなみに、2位、3位も日本人、5位も日本人だ。
世界のご長寿ランキング(今現在)

アメリカのクリスチャン・モーテンセン(1882年8月16日〜1998年4月25日)が
115歳252日で男性の記録保持者だが、今度のお正月を迎えることが出来れば
次郎右衛門が、男性の歴代トップに躍り出ることになる。

注: 泉 重千代は今はギネスの記録から消されてしまってます


19世紀から生きている男性


木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん)=1897年(明治30年)4月19日生まれ

次郎衛門でもなく、二郎衛門でもなく、次朗衛門でもない。
次郎右衛門だ。
『じろううえもん』とは読まず『じろうえもん』と読む。
右衛門は百官名(ひゃっかんな)の一種である。

木村次郎右衞門の略歴


・明治36年4月1日:上宇川尋常高等小学校 入学
・大正3年4月1日: 京都郵便局通信生養成所 入所
・大正3年12月4日:中浜郵便局 勤務
・大正9年5月31日: 朝鮮総督府逓信局 採用
・大正12年12月1日: 平郵便局 採用
・昭和37年6月30日: 平郵便局に38年間勤務、65歳で退職
・平成21年6月19日: 宮崎県都城市 田鍋友時氏 逝去により男性長寿日本一に
・平成23年4月14日: 米国 ウォルター・ブルーニング氏 逝去により、男性長寿世界一と、米国「老人学研究団体=GRG」が発表
・平成23年4月19日: 114歳の誕生日に、男性長寿世界一とギネスワールドレコーズ社が認定
・平成23年9月19日:敬老の日に、彼の為に制定されたとも言える、「京丹後市市民栄誉賞」を贈呈される


☆ ちなみに、やはり、同市出身の野村克也氏は、名誉市民として顕彰されている。

木村次郎右衞門のプロフィール



・京都府京丹後市丹後町中野に在住
・現在は長男の妻・木村泰子さん(82)、孫の妻・木村栄子さん(58)との3人暮らし
・子供:7人(うち5人が生存)、孫:14人、ひ孫:25人(孫の子供)、玄孫(やしゃご=ひ孫の子供)13人
・午前7時に朝食、11時半に昼食、18時に夕食と少量ずつではあるが、1日3食欠かさずに食べ、規則正しい生活をしている。
・好き嫌いなく何でも食べるが、おはぎ、小豆、赤飯が好物
・食生活も朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としている
・愛読紙は”赤旗”、好きなTVは”国会中継”と”大相撲”
・ベッドから起き上がるのは、家族の介助を必要とするものの、食卓までは歩行器を使って歩く。

・長寿の秘訣として「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」
・お酒に関しては「飲まないことも、長生きにつながっているのでしょうね」とのこと
・座右の銘は「苦にするな嵐のあとに日和あり」


120歳以上生きた人類は、地球上で、ジャンヌ・カルマンただ一人だ。
カルマンを抜くまで、あと、たった7年。
生き抜け!次郎右衛門!!

木村さんへのお祝いメッセージ


京丹後市は、100歳以上の人口比率が京都府内で一番高い(64名・2008年)。
「健康大長寿のまち」を謳う、京丹後市では、次郎右衞門氏へのお祝いメッセージを募集している。

京丹後市ホームページと京丹後市公式facebookから受け付け中だ。

京丹後市


あまり知られていないが、京丹後市は、西日本では有数の米どころだ。
丹後産コシヒカリは、平成19,20,21,23年と、日本穀物検定協会が実施する、”食味ランキング”で、最高の評価にあたる「特A」を獲得している。
「特A」とは、有名な「新潟魚沼産コシヒカリ」「山形庄内産はえぬき」「福島会津産コシヒカリ」などと同等の評価である。

「丹後産コシヒカリ」

京丹後・長寿商店

また、海と山に囲まれ、初日の出の名所としても、実は有名である。
京丹後・夕日ヶ浦温泉





京丹後市を大きな地図で見る

参考資料
Wikipedia~長寿
Wikipedia~木村次郎衛門

右衛門とは〜百官名(ひゃっかんな)

百官名(ひゃっかんな)


明治時代以前、日本にまだお侍さんがいた頃には、家系や親の持つ官職を名乗るという風習があって、男性の通称名として広く用いられたそうです。

百官名(ひゃっかんな)と言うそうです。

・宮本武蔵 - 巌流島で佐々木小次郎と決闘を行った剣豪
・田中玄蕃 - ヒゲタ醤油創始者
・大石内蔵助 - 赤穂藩浅野家家老、元禄赤穂事件の中心人
・大内兵衛 - 東京大学教授、マルクス経済学者
・堀口大学 - 詩人、フランス文学者
・小松左京 - 小説家(ペンネーム)
・片山右京 - 自動車レーサー
・真木蔵人 - 俳優


どれも、百官名(ひゃっかんな)です。

右衛門


右衛門は左衛門と並び、宮城諸門の警衛などをつかさどった役所の『衛門府』に由来します。
『衛門府』には左右の二つがありました。

頭に文字を付けた場合「右衛門」の部分は「〜うえもん」ではなく「〜えもん」と読む場合が多く、
木村 次郎右衛門さんも、『きむら じろうえもん』と読みます。

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長寿世界一を継いだ人〜サラ・ナウス

サラ・ナウス(クナウス)=Sarah Knauss


1880年9月24日、アメリカ合衆国のハリウッドで生まれ、
ペンシルベニア州のアレンタウンで生涯を過ごした。

1999年12月30日、老衰のため逝去。

あと、一日と数時間頑張れば2000年を迎えていたのだが。残念。
(ちなみに、21世紀は2001年からですよ)

119歳と97日。死去した時、96歳の娘がいたという。

彼女は、ジャンヌ・カルマンに次ぐ人類史上2番目の長寿者だ。
アメリカを含む、西半球だけなら、人類の最長寿者ということになる。

1998年4月から1999年12月まで長寿世界一として、ギネスブックに認定・掲載されていた。

当然、生粋のスーパーセントナリアン=Supercentenariansだ。

彼女は一生の間に、7つの戦争を経験し、23人の大統領を見てきたという。
ちなみに、彼女の夫の名前は、
エイブラハム・リンカーン・クナウス=Abraham Lincoln Knauss、(1878–1965)
と言うそうだ。

大統領が24人ではないようだが・・・

晩年、長寿の秘訣を聞かれ、
「年齢を気にしないことと、嫌いな野菜を無理に食べないこと」と答えていたという。

サラの好物は、チョコレートとカシューナッツと
ポテトチップスとバタースコッチキャンディーだった。

大好きなゴルフをテレビで見ながら、また、
得意の洋裁をしながら、
Chocolate Turtle(チョコレートタートル)を
食べていたらしい。

泉 重千代とジャンヌ・カルマン〜長寿の共通項

泉 重千代(いずみ しげちよ)

鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身
つい先日、兄の戸籍と混同されていたとして、ギネスが認定を取りやめるまで、
1865年6月29生まれとされていた。

現在は、1880年生まれとの説が主流となっている。
それでも105才ですけど・・・

今でも、伊仙町の生家の前の記念プレートにはその生年月日が書かれているし、
記念の銅像にも同様に書かれている。

泉 重千代の年齢の変遷

・1976年、111歳で日本人最年長となる。

・1979年、114回目の誕生日を迎え、ギネスブックで世界最長寿と認定された。

・1986年、2月21日、120歳185日で逝去される。

・1995年10月17日、生まれてから120歳と238日経過したジャンヌが、ギネス公認の最年長者の座を泉から奪うまでの、16年間、王座に君臨した。

・2009年、ギネスは泉の年齢の掲載にあたって、生年の信憑性に多少の疑問があると注釈をつけた。

・2012年、ギネスは最も長生きした男性の記録として、泉重千代ではなく、115歳のアメリカ人・クリスチャン・モーテンセン(Christian Mortensen)を掲載した。


泉の名前はギネスから消えたが、1979年からの33年間、男性長寿世界一として存在した。

煙草を愛した泉は、セブンスターを1日に3〜4本程度吸っていた。
体調を崩した際、主治医から煙草は健康に害があると聞かされ、116歳で止めた。

健康に害があるって、今頃か?

銘柄は不明だが、ジャンヌ・カルマンは、火をつけてくれる介護者に気を使い、117歳で禁煙した。

カルマンの口癖は「どうにもならないことで、くよくよしないこと」
泉の口癖は「万事、くよくよしないがいい」

健康の秘訣を聞かれたジャンヌは「病気をしないこと」と答えた。
好みの女性のタイプを聞かれた泉は「年上の女」と答えた。

ジャンヌは赤ワインを、泉 重千代は黒糖焼酎を死ぬまで欠かさなかった。

赤ワインに含まれるポリフェノールは、
心筋梗塞や脳梗塞の原因となる、血栓の予防効果で有名だ。
黒糖焼酎は血栓を溶かしてくれる、ウロキナーゼという酵素をたくさん増やしてくれる。

1979年、114歳で長寿世界一になった泉は、
無断で「泉 重千代・長寿の酒」を販売していた酒造会社を訴えた。
和解で決着したが、和解の条件は、看板料として、
1980年に一升瓶を2000本と現金80万円、
1981年には一升瓶1500本と現金29万円を支払うというものだった。

なんて中途半端な金額・・・

泉は毎日、約0.7合(126ml)の黒糖焼酎を水で3倍にしたものを、燗をつけて(温めて)晩酌にしていた。
一升は1800mlだから、約14日分になる。
3500本だと49000日分〜つまり134年分に相当する。


何年生きる気だったんだ!!

和解から、7年後

泉重千代、1986年2月21日、逝去。

ジャンヌ・カルマン、1875年2月21日生まれ

泉が亡くなった日は、ジャンヌの111回目の誕生日だったのだ。






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ジャンヌ・カルマンの動画と写真

ジャンヌ・カルマンの動画

121歳の誕生日






ジャンヌ・カルマンの動画リスト

ジャンヌ・カルマンの写真集

ジャンヌ・カルマンの写真集

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ヴィアジェのお話A〜長生きは90万フランの得

ヴィアジェ=(Le Viager)のギネス記録?

1965年ジャンヌが90歳の時、彼女の親族は皆天国に召され、相続人はいなかった。
彼女はヴィアジェの契約を結んだ。
相手は当時47歳の公証人フランソワ・ラフレー(François Raffray)。

彼女はコンドミニウム・アパートメントを売り、
ラフレーは彼女に毎月一定金額(2500フラン)を支払うという内容だった。

契約をした90歳の時、彼女のアパートメントは10年分の支払いの価値があったという。
ジャンヌが100歳まで生きて、やっと元が取れるという取引・・・
普通なら、完全に買主のお買い得物件となるところだろう。

競馬ならガチガチの本命、オッズ1.1とかだ。
負けるはずが無い勝負なのに・・・

1975年、ジャンヌは100歳になったが、自転車に乗っていたという。
アンビリーバボー・・・


1985年、110才。
ジャンヌは煙草を吸い、赤ワインを飲み、1週間に約1kgのチョコレートを食べていた。
確かにチョコレートは”神の食べ物”と呼ばれた、カカオから作られてはいますよ。
実は、とても健康に良い食べ物ですよ。
赤ワインの数倍ものポリフェノールが含まれているし、
テオブロミンと言う、脳を穏やかに刺激してくれる栄養素もあるし・・・

ある意味、チョコレートは立派な健康食品ですよ

楠田枝里子はチョコレートがダイエットに良いと言ってたし・・・。

それにしても、アンビリーバボー・・・


1995年、ジャンヌ・カルマン、120歳。

ジャンヌは120歳のお祝いに
、『Mistress of Time』〜『Time's Mistress(時の女王)』と言う、ラップのCDを発売した。
"World's Oldest Rapper"=世界最高齢のラッパーとして・・・
アンフォゲッタボー!!

1995年、フランソワ・ラフレー、77才。
12月、彼は力尽き天国に旅立った。
残された妻に、ジャンヌへの年金の支払いを托して。

すでに、ヴィアジェの契約は30年を経過していたことになる。
2500フランx12カ月x30年=90万フラン。

ヴィアジェ契約当時の1965年の為替レートは1フラン=72円なので、円換算では6480万円になる。
( 2012年の為替レートは、1フラン=82円 )
アンビリーバボー・・・


ジャンヌ・カルマン、恐るべし

ヴィアジェ、恐るべし

フランスでヴィアジェを試したいなら
お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人




検索ボックスに探したい言葉を入れて”GO”ボタンを押してください。



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ヴィアジェのお話@〜長生きは90万フランの得

ヴィアジェ=(Le Viager)

ジャンヌ・カルマン、享年122歳
彼女の長生きにまつわる逸話で代表的なのは、ヴィアジェに関する話だ。

ヴィアジェとは、フランスに根付いている、終身年金の制度だ。
ただし、日本での年金とは全く内容が違う。

簡単にいえば、老人が所有の家やアパートを売るのだが、生きている間は、毎月毎月、ずーっと売買代金が入って来るという仕組みだ。

システムで言うと、買主は年金を終身、売り主に支払い続け、
売り主の死と同時に、買主は無償でその物件を相続することになるらしい。

だから、長生きするほど、結果的にその不動産の売却価格は高くなることになる。
買主からすれば、売り主が早死にすれば、大儲け
長生きされれば、高い買い物で大損ということになる。

人の寿命で購入した物件の値段が変わって来る、日本人にとっては不思議な不動産売買。

しかも、売り主は死ぬまでその建物に住み続けて良いのだそうだ。

投資?、一種のギャンブルとも言える?
でも、れっきとしたフランスのシステムなので、そうした賃貸物件はたくさんあるらしい。
老人付きの代わりに、相場より賃料が安いアパートだ。

ただ、よくよく考えてみると、お国柄と言うか、非常に合理的なシステムとも言える。
つまり、
売主は、毎年決まった金額を、死ぬまで受け取ることが出来、しかも、住まいにも困らない。
しかも、定期的に安否を確認しに、人が出入りするから、高齢者の独り暮らしの不安も減るだろうし。
もっとも、死にそうな時に、買主が第一発見者だったら、助けてもらえなかったりして・・・

買主は無理のない月々の支払いで物件を購入でき、運が良ければ=売主が早死にすれば、格安の費用で、固定資産を手に入れることが出来ることになるからだ。

お互いうらみっこなしよ?

でも、ジャンヌの場合はやりすぎでしょ・・・(°д°lll)

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ジャンヌ・カルマンの関連書籍

ジャンヌ・カルマンに関するお奨め本


ジャンヌ・カルマン=フランス・プロヴァンス地方のアルルに生まれた世界最高齢の女性。
プロヴァンスの自然や風習、フランスの歴史も織りまぜながら、
魅力的でたくましい122年の人生を描いています。
神様が忘れた娘―ジャンヌ・カルマン120年の人生


”長寿”と書かれている検索ボックスに探したい言葉を入れて”GO”ボタンを押してください。
複数の単語を入れる場合は間にスペース(空白)を入れてください。
探している本が見つかりますよ。
例:<長生き 野菜 レシピ本>





世界一の長生き〜ジャンヌ・カルマン

ジャンヌ・ルイーズ・カルマン



ジャンヌ・ルイーズ・カルマン(Jeanne-Louise Calment)は,人類の歴史上、最も長生きをした人物である。

フランス・プロバンス地方のアルルで生まれ、1875年2月21日〜1997年8月4日の122年と164日間という、世界最長の人生を過ごした。

ジャンヌ・カルマンの家族の多くは、比較的高齢まで生きた。
兄は97歳、父は99歳、母は86歳まで生きたという。

1896年、21才で、はとこのフェルナン・カルマンと結婚した。

1985年、110歳で、アルルにある、ジョゼフ・アンベール中央病院に併設されていた、『ナーシングホーム』という介護施設に移り、余生を送った。

85歳でフェンシングを始め、100歳まで自転車に乗っていたという。

カルマンの口癖は「どうにもならないことで、くよくよしないこと」

赤ワインとチョコレートと煙草とオリーブオイルをこよなく愛したそうだ。

一週間に2ポンド(900グラム)以上のチョコレートを食べ、オリーブオイルで肌を磨き、117歳まで煙草を吸っていた。
板チョコ1枚が60gとすると、毎日2枚以上の板チョコを食べていたことになる。

実はチョコレートと健康には密接な関連があったのだ

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