2024年11月18日
オランダで会社(B.V.)設立した
オランダに非公開株式会社(B.V.)を設立して、半年が経過した。
これからオランダでB.V.を設立しようと考えている方のために、役に立つ情報をお伝えしたいと思う。
と、偉そうに言ってしまったが、今回は私自身が日本にいながらオランダ法人を設立したため、現地の代行会社に依頼をした。
日本の株式会社を2社設立し、そして2社倒産させた過去がある私にとっては、設立することよりも、どのように会社を継続して成長させていくかに考えを集中しなければならない。
それでも設立のために、色々な書類を作成したり、必要書類を取り寄せたり、書類のリーガリゼーションとアポスティーユ取得をしたり・・・とバタバタと動いていたが。
そもそも、なぜオランダで法人を設立しようと思ったか?
私が日本では破産者としてブラックだったから、というのもあるかもしれないが、それだけではない。
一番の理由は、このまま日本円だけで収入を得ることに、非常にリスクを感じたからだ。
このところの日本の異常なまでの円安は、日頃経済ニュースや為替に興味が無い私であっても、危機感を持つのにじゅうぶんであった。
私は現在、湘南エリアを本拠地としているのだが、湘南・鎌倉などの観光地の外国人の数はコロナ前と比較しても、異常とも思えるくらい増えている。
つい最近まで日本人が物価の安い東南アジアへこぞって出かけて豪遊していた、今まさにその逆の現象が日本で起こっているという感覚だ。
一刻も早く、円だけではなく、グローバルな通貨で収入を得る必要がある。
アメリカも混沌としている状況のなか、ヨーロッパ圏内でチャンスは無いかと考えた。
そして、ヨーロッパの中でもオランダを選んだ理由は、
日本人にとってオランダで生活や事業をするのに非常に恵まれた措置がとられていたからだ。だがこれも年々規制が厳しきなってきているようで、やるなら今しかない!
と思ったのがきっかけである。
日本にいれば、なんとなくでも最低限の生活水準で、特別に贅沢することをしなければ不自由することはなく死ぬまで生活していけるかもしれない。
しかし世界規模で将来に目をむけると、日本は確実に衰退にむかっている。それに気づいているならアクションを起こすしかない。
マルちゃん正麺 担々麺の袋麺をつくる
今日のランチは何にしよう?
・・・そうだ昨夜作りすぎて余った餃子を食べよう。
主食はどうしよう?
・・・餃子といったら、チャーハンかな?
でも、お米炊いてないから、ラーメンにしよう。
という脳内会議がありまして、マルちゃん正麺の袋麺に決まりました。
袋麺の醍醐味は何といっても自分でアレンジできるところ。
お水と豆乳を半量ずついれて沸騰したら麺をいれてゆでる。
豚ひき肉、ネギ、ニンニクと唐辛子をたっぷりのごま油でいためる。
麺がゆであがったら、器に移し大量のすりごまをかける。
いためたひき肉を上にのせ、ラー油をたらして完成。
ひと手間加えるだけで、袋麺がこんなに愛おしい料理に変わる。
この愛おしい感情そのままに、袋麺アレンジレシピを検索してみる。
オーソドックスなアレンジから、原型を留めていないアレンジまで。
袋麺は奥が深い!
そして気づいたら、ランチタイムの時間がいつしかおやつタイムに。
さあ、おやつは何にしよう。(脳内会議)
やらなければいけない作業をほっぽり出して。。。
「このままじゃだめだ・・・」
銀座 篝
昨日のランチは鎌倉店へ行ってきた。
銀座篝といえば言わずと知れたビブグルマン選出の鶏白湯sobaのお店。
これまで鎌倉店には2回訪れていたが、最後に食べにいってからもう2〜3年訪れていない。
なぜ改めて行ったのかというと、前日にカップ麺で登場した篝の鶏白湯sobaを食べたからだ。
確かにお酒を飲んでほろ酔いではあったのだが、
「あれ?こんな味だっけ?」となり、
どうしてもお店の味を確かめたくなったからである。
昨夜とおなじ条件にするために、ビールを飲んで検証スタート
カップ麺には失礼ですが、やっぱりお店とは全然ちがう!
そうそうこの味!
記憶にあった味のままで安心しました
鶏肉をはじめとした野菜のトッピングや、
途中で生姜、フライドオニオン、玄米酢、黒七味をそれぞれ好みの量を追加していき、味変を楽しみながら食べられるのはお店ならでは。
ただ1つお店にお願いしたいことは、玄米酢のボトルをもっと小さいものか、注ぎ口がもっと小さいものに変更していただくことはできませんでしょうか・・
勢いあまってじょぼじょぼと酢をそそいでしまいました。
それを見ていたお隣の席の外国の方も、じょぼじょぼと酢を注いでいました。
まあ、すっぱいのが好きだからいいけど・・・とつよがってみる。
はぁー、おいしいものを食べたら眠くなってきたなー。
やらなければいけない作業がまだ終わってないけど。
「このままじゃだめだ・・・」
アメリカ留学<きっかけ編>
プロフィールでも少し触れているが、私はアメリカの大学を卒業している。
英語が教科の中で一番苦手で大嫌いであったにもかかわらず。
いま英語が苦手で大嫌いな人でも、「アメリカの大学を卒業できるんだ」という希望をお届けしましょう!
<きっかけ編>
保育園の遠足で空港へ行って展望デッキから飛行機の絵を描いた。
緑と赤の今はなきアリタリア航空の飛行機を描いたことを今でも鮮明に覚えている。 それ以来、飛行機の虜になり、ごく自然にパイロットになりたいと思うようになった。
小学校6年生頃から視力が悪くなりはじめたが、たいして気にも留めていなかった。当時はむしろメガネかけることに憧れていた。メガネかけてる方が大人に見えるお年頃だった。
中学生になり将来のことを真剣に考え始めた時に、今の視力では日本のパイロット採用基準を満たさないことを知った。
それから焦って視力を回復することをいろいろやってみた。
視力回復3Dの本をみたり、通販で変な穴あきメガネを買って試したり、近くと遠くを交互に見たり、ブルーベリーを大量に食べたり、家のベランダでブルーベリーを栽培したり・・・
いっこうに視力は回復しなかったし、大人になったいまも回復はしていない。
なにはともあれ パイロットがだめなら、すこしでも飛行機の運行に関わる仕事をしたいと思い、航空管制官を目指した。
高校2年生の時の進路相談では、航空管制官になるための学校である航空保安大学校への進学を希望した。
そんなおり、留学斡旋エージェントがら1通のDMが届いた。
全米各地の大学100校ほどの入学レベルや特色が記載されており、何気なく見ていたその中の1つの大学の紹介文に目がとまった。
「君も大空を自由に飛んでみよう!』
通常の総合大学の学部としてパイロットになるための学部があり、アメリカでは視力の基準が日本よりも厳しくなく、車を乗るかのごとく誰もが気軽に飛行機の免許を取得して空を楽しんでいる。とのこと。
この大学に行って飛行機の免許を取りたい!
一瞬で自分のやりたいことの全てがここにあると感じた。
意を決して親に相談する。 けっこうな費用がかかるらしい、絶対反対されるにちがいない。 冗談ぽく、「ここ行きたいな〜飛行機にも乗れそうだし」と伝える。 親からは予想に反して二つ返事で「いいんじゃない?チャレンジしてみれば?」という言葉が。(あとでわかったことだが親は試験には受からないと思っていたそうだ)
高校3年生の春に留学エージェントを通して、数学、国語などの基本学力の試験を受け、基礎学力テストと推薦状(内申書)をパスし、あこがれのその大学への内定をもらう。
ただし翌年の9月の入学までに英語のTOEFLスコア550点以上獲得を条件に。
(その当時主流のPaper baseのTOEFL PBTのスコアです、いまはTOEFL PBTはなくなってしまったそうです)
それから英語の勉強漬けの毎日が始まった・・・
<英語特訓の日々>編に続く
はじまり
40歳を過ぎ、昔思い描いていた理想の姿とは程遠い自分に、毎日嫌気がさして、苛立ちを感じて、ただ何も変化を起こすことができず、毎日を過ごしている。 このまま、日々の自分に満足いかないまま、ただ時間だけが経過していく。
「何かを変えなければ、何かをはじめなければ、何かをやめなければ、、、」
毎朝そんなことを思うのに、何も変わらないまま、また夜が来て1日が終わる。 そしてこの歳になっても、周りの誰かに迷惑をかけてばかりいる。
「このままじゃだめだ・・・」
これまでの自分の40年を本気で棚卸ししようと思う。 そしてこれからの残りの人生をかけて自分が成し遂げなければいけないことは何なのか?を見つける、人生の旅のはじまりとしていきたい。
これまで経験したことや、日々感じたこと、考えたことを、ゆるく綴っていく。
誰かにとって少しでもポジティブな影響になることを願って。