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2010年04月14日
2010年03月28日
2010年03月26日
2010年03月24日
落書き退治
道路施設の落書き退治 米粉とアルコール混合液で
岡大・武藤准教授ら新除去剤 安くて安全性アップ
米粉を使った除去剤を開発した武藤准教授と、塗料を半分消した鉄板(右) 歩道橋やガードレールなど道路施設へのスプレーによる落書きの除去に、食品にも使われている米粉と、工業用アルコールの一種の混合液が効果があることを、岡山大工学部の武藤明徳准教授(化学工学)らのグループが突き止めた。落書き除去剤は既製の製品もあるが、研究に協力した国土交通省中国地方整備局も「コストや安全性、作業時間が早いという点でも有効なのでは」とし、製品化に期待している。
同整備局は、道路施設への落書きがなくならないことに困り、2007年に同大学と包括的連携・協力協定を結び、安価で手軽に使え、効果のある除去剤の開発を持ちかけた。これに応え、武藤准教授らは安全性や短時間で除去できるという面からも材料を検討。工業用溶剤としてよく使われ、においも強くない、アルコールのイソプロパノールに注目した。
これに何らかの粒子を混ぜることで、施設の塗装面に吹き付けられたスプレーの溶解が進むと考え、小麦粉やアルミニウムなどの化合物など約10種類を試した。その結果、米粉とイソプロパノールを2対3の割合で混ぜた時に、最もよく消えることを突き止めた。
さらに、米粉をイソプロパノールに混ぜることで粘り気が出ることから、垂直な面でも使いやすいという利点も判明した。
研究グループと同整備局は、岡山市北区の交差点で、歩道橋や信号機の金属製の柱への落書き除去を実験。塗った後に、蒸発を防ぐためにラップを張って10分おき、ぬらしたペーパータオルで数回ふき取るだけで、元の塗装を傷めずに消すことができた。除去のメカニズムについては「緻密(ちみつ)に塗られた元の塗装には、除去剤が浸透せず、落書きだけを浮き上がらせているのでは」と推測している。
武藤准教授は、この除去剤と、除去方法の特許を出願しており、企業に製品化をアピールする。同整備局の野津善英・品質調査課長は「道路の維持作業の合間に、手早く除去できそう」と期待。武藤准教授は「落書きの放置は防犯上も良くない。この除去剤で、きれいで安全なまちづくりに貢献したい」と話している。
(2010年3月24日 読売新聞)
2010年03月19日
大家族
支え合い 統合ケア
乳児とふれあい、目を細めるお年寄り(赤磐市のたけのこの家で) 赤磐市の大規模ニュータウン・岡山ネオポリスの一角にある「たけのこの家」は、赤ちゃんからお年寄りまでが集い、まるで大家族だ。積み木やボールで子どもと遊ぶお年寄り、「ばあちゃん、けるよ」と弾む声――。ひとしきり遊んだ子どもがお年寄り一人ひとりに手を振り、握手をして別れを言うと、お年寄りは「またね、さよならね」と目尻を下げ、しわしわの手でぎゅっと握り返す。
運営するのはNPO法人元気交流クラブ。デイサービスを受けるお年寄りと乳幼児、その親が交流する「統合ケア」の場として2004年に開設した。現在、要介護度が軽いお年寄り46人と親子22組が通う。「日ごろから幅広い世代と接し、褒められることで、子どもは、自分が必要とされていると感じることができる。そして、大人も、子どもから良い影響を受けている」と理事長の沢健さん(55)は話す。
■ □
沢さんの父と祖父は、官僚だった。沢さんも当然のように東大を出て旧国鉄に入社、エリートコースを突き進んできた。そんな時、出向先で、後に妻となる陽子さん(47)と出会った。陽子さんに誘われて入った混声合唱団の活動が沢さんの人生を変えた。
団員30人は、空気の良い練習場所を求めて、岡山ネオポリスに共同出資で家を購入、大阪から毎週末に通い、寝食をともにしながら声を合わせた。「組織の人間関係はヒエラルキー(序列)が基本。合唱団はフラット(対等)で、そこにいる人が何をしたいかが重要になる」と沢さん。団員は、意見を対立させながらも妥協点を模索、調和を目指す。「今まで社会的価値観(肩書)を基準に生きてきた」という沢さんは、地位や名誉とは無縁のコーラスの世界で意見を戦わせている時、自分が本当にやりたいと思っていることを、主張していると気付いた。新たな自分を知り、35歳の時、“国鉄官僚”を辞めた。
沢さん夫妻は03年に岡山ネオポリスに移り住んだ。住民約1万5000人は、県内外から集まり、核家族が多かった。地域のつながりは希薄で、子育て世代の親たちも、高齢者世帯も、閉じこもりがちに感じられた。合唱を通じて知った、互いを支え合う大切さを地域に広げていきたい、それが、たけのこの家の出発点になった。
■ □
いつもは親子で遊ぶ様子をほほ笑みながら見守るお年寄りだが、時に、ちょっとした変化が起きる。
子どもとボール遊びをしていた小山利志恵さん(79)は「わが家よりここの方が楽しいわあ」とけらけら笑い、不自由な左足が動くのではと思わせるほど、勢い良く右足でボールをけった。家に閉じこもりがちのため、スタッフが来るように誘ったある母親は、笑顔にあふれたお年寄りを見ているうちに「ほとんど訪ねていなかった夫の両親の近くで暮らしたい」と転居していった。60〜70代後半で、1日1000円の有償ボランティアも大活躍。夫を24年前に亡くしてから一人暮らしの対梨(ついなし)すみさん(73)は「みなさんの『ありがとう』が生きがいなんです」と笑う。
ある日、自転車に乗った高齢の女性が沢さんに声をかけた。「私も、たけのこの家に行きたい。でも要介護の認定がないから無理だって、嫁に言われたの」。「要介護ではないお年寄りが集う場も必要。多様なコミュニティーが出来たらいいと思う」と沢さんは言う。
「高校生の時、ろくに口も利かなかった父から『お前は、国のために尽くすつもりがあるのか』と尋ねられたことがありました。今になって、国のため、地域のために尽くそうという父のDNAを、遺産としてもらったような気がします」。晴れやかな顔で、沢さんは話した。(黒田聡子)
2010年03月17日
造山古墳
岡山の造山古墳で周濠確認、大王クラス裏付け
周濠跡が確認された造山古墳=岡山市北区 岡山市にある前方後円墳で、全国4番目の墳丘規模の造山古墳(5世紀前半、全長約350メートル)で周濠跡が確認され、17日、岡山大が発表した。
吉備地方を支配した王の墓とされる造山古墳が近畿の天皇陵と同じように築造され、大王家と肩を並べる力を持っていたことを示す発見として注目されそうだ。
岡山大によると、後円部付近の調査区で、山の土を盛り上げた堤を確認。堤の高さは0・35メートルだったが、築造時はもっと高かった可能性が高いという。墳丘と堤との距離から周濠の幅は約20メートルあったと推測される。
周濠の有無をめぐっては約半世紀にわたり意見が分かれていた。
現地説明会は20日午後1時から。
周濠跡が確認された造山古墳=岡山市北区 岡山市にある前方後円墳で、全国4番目の墳丘規模の造山古墳(5世紀前半、全長約350メートル)で周濠跡が確認され、17日、岡山大が発表した。
吉備地方を支配した王の墓とされる造山古墳が近畿の天皇陵と同じように築造され、大王家と肩を並べる力を持っていたことを示す発見として注目されそうだ。
岡山大によると、後円部付近の調査区で、山の土を盛り上げた堤を確認。堤の高さは0・35メートルだったが、築造時はもっと高かった可能性が高いという。墳丘と堤との距離から周濠の幅は約20メートルあったと推測される。
周濠の有無をめぐっては約半世紀にわたり意見が分かれていた。
現地説明会は20日午後1時から。
2010年03月15日
冷たい心一人暮らし
網野菊著:「冷たい心」「一人暮らし」
「変わりはありませんか?やはり一人ですか?」
戸籍簿をくりながら訊ねる若い巡査に、よし子は「ええ」と答えた。よし子は、一人で暮らしていることを、あまり、他人に知られたくないのだが、相手が戸籍調べの巡査では、ごまかすことも、不安がることも不要だった。
この小説にたいして群よう子が「子供なんか要らない」のタイトルで独自の文を書いている。
原作者と同様に一人身の群よう子は、淋しさをまぎらすために動物を飼っていると思われたくない。子猫を甘やかすことは自分を甘やかす事。同じ立場の私は、それほどの意地をもって暮らそうとする彼女の姿にある意味で頭が下がる思いがする。
淋しさの先に見えてくるものがあるのだ。
幸い、小手を振って歩けるようになった私に比べ、当時の女性たちはほとんど意地で暮らしてきたのではないのだろうか。
私は、「冷たい心」「ひとり暮らし」を読んで、「淋しい」と思うほど恵まれている。
それなのに他の人からは「淋しい」といわれる。つまり、みんな他人の姿を眺め比較して、現在の生活を納得させているだけにすぎない。
そいう意味で誰もが「幸せ」で、「淋しい」のである。
わが身に置き換えれて、子もあり孫もあり幸せそのものであれど、やはり「幸せ」そして「淋しい」が同居している。
老いてゆく自分、老後の不安など永遠の幸せはありえない。
今を幸せと未来に夢を、漠然とした夢を抱いて生きることにかかっているのだ。
「変わりはありませんか?やはり一人ですか?」
戸籍簿をくりながら訊ねる若い巡査に、よし子は「ええ」と答えた。よし子は、一人で暮らしていることを、あまり、他人に知られたくないのだが、相手が戸籍調べの巡査では、ごまかすことも、不安がることも不要だった。
この小説にたいして群よう子が「子供なんか要らない」のタイトルで独自の文を書いている。
原作者と同様に一人身の群よう子は、淋しさをまぎらすために動物を飼っていると思われたくない。子猫を甘やかすことは自分を甘やかす事。同じ立場の私は、それほどの意地をもって暮らそうとする彼女の姿にある意味で頭が下がる思いがする。
淋しさの先に見えてくるものがあるのだ。
幸い、小手を振って歩けるようになった私に比べ、当時の女性たちはほとんど意地で暮らしてきたのではないのだろうか。
私は、「冷たい心」「ひとり暮らし」を読んで、「淋しい」と思うほど恵まれている。
それなのに他の人からは「淋しい」といわれる。つまり、みんな他人の姿を眺め比較して、現在の生活を納得させているだけにすぎない。
そいう意味で誰もが「幸せ」で、「淋しい」のである。
わが身に置き換えれて、子もあり孫もあり幸せそのものであれど、やはり「幸せ」そして「淋しい」が同居している。
老いてゆく自分、老後の不安など永遠の幸せはありえない。
今を幸せと未来に夢を、漠然とした夢を抱いて生きることにかかっているのだ。