「また遊びに行きますよ」と言われたとき
「また誘いますよ」と言われたとき
良い言葉を並べたてながら
結局はぽつんと取り残されたとき
なんだよ、またウソだよ
社交辞令とかうっとおしいわ
良いことばかり並べれば並べるだけ
薄っぺらな気持ちがどんどん見えてきて
そんな上辺のものなんか要らないんだよ
言ったことを本当に実行してみせてから
人に言葉をかけろっつーの
相手が気持ちよくなるためじゃなくて
自分のため
全部、自己満足
そのために、人に裏切られることに敏感で
簡単に人を信じることができない人の心を
巻き込むんじゃねえよ
と、思う
だから
何かの節々の人の集まりに恐怖を覚える
さらっと聞き流せない理由がある
本当に心を配っている奴なんか
100人に一人くらいだ
話し相手がいないのも
信用できないからだ
楽しいことを共用しても
最終的に省かれるようなことがあれば
そこに関わった奴らのことは
二度と信じない
誰かに声をかけられることなんかないからこそ
上辺だけの人を見抜いて
気を許せるか
信じられるかを、一瞬で判断する力を養っていく
最初は
「また誘うね」という言葉を素直に信じた
信じて、楽しみに待っていた
でも、誘いは来ない
誘ってみれば、たまに会えた
でも、こちらから何も言わなければ
1年でも2年でも過ぎた
そこに拘ることはないのかもしれないが
素直に信じていた自分は
けっして悪くないと思う
純粋に素直に信じただけだ
でも、それは、必ず裏切られるということ
それを体得したから
友達と言える人も、知り合いも、誰もいなくなった
自分から声をかけなければ
みんな、二度と会うことはない
そんな相手は、初めから要らない
素直に信じて楽しみに思っていた自分が
かわいそうだった
だから
信じてはいけない
自分が傷つくのは無駄な時間
自分のことを大事にしなきゃ生きてる意味はない
誰かに邪魔されるなら
誰も要らない
だから
社交辞令が飛び交う、つまらない場所には
二度と行かない
自分が大事だから
悲しい思いをさせたくないから
寂しい気持ちにさせたくないから
自分のこと、守りたいから
自分のこと、楽しく生きてほしいから
だから
信じなくていい、無理に関わらなくていい
そういうことです
感想(3件)
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