自分以外の人のことを
気にすることが嫌いだ
面倒だ
気にすることをしなければいいのだが
そこに
自分以外の人がいるのが
すでに気になっているのだ
そして
住居を共有していて
主婦である自分が
人が散らかしたりしたものを
人が使ったものを
きれいにする環境になっている
それはずっと当然のこととして
暮らしてきたのだが
いつの頃か
都合悪いと家族から他人扱い
都合いい時だけ「家族だから」と
人のことを扱うのだなと思ってしまい
人といると
自由ではないんだなと思うようになった
気にしなければいいことだ
気にする自分がイヤなだけだ
自由に生きたいだけだ
ひとりでいることが一番の自由だ
誰かと関わると
連絡がないとか、感じ悪いとか
なにか言われたとか、どう思われたとか
いちいち、自分の時間を使うことが
面倒だ
だから誰とも関わらないようにする
「家族」という言葉で関わる人がいるなら
小さな部屋では、共同生活はできないだろうと思う
「誰かの妻」「どこそこの嫁」「誰ちゃんのママ」
そういう立ち位置から自由になりたかった
「私には、私の名前がある」
ずっと、そう思い20年も30年も過ぎた
もう、いいでしょ
自由になってもいいでしょ
自分の名前を
取り戻していいでしょ
姓で呼ばれたくもないし
誰も自分の名前すら憶えてもいなんじゃないのかと思う
だって
他人のことなんか、興味ないもの
もう自由になる
人と関わらずに
自由に生きる
誰にも自分のことについて
知ったようなこと言われたくもないから
自由に生きる
自由に、今を、生きる
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