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2014年02月07日
餓鬼
餓鬼(がき、Skt:Preta、音写:薜茘多=へいれいた)は、仏教において、亡者のうち餓鬼道に生まれ変わったものをいう。Preta とは元来、死者を意味する言葉であったが、後に強欲な死者を指すようになった。六道また十界の1つである。十界のうちでは迷界、三悪道(趣)に分類される。
目次 [非表示]
1 概要
2 餓鬼の種類
3 餓鬼への供養
4 民間信仰における餓鬼
5 俗語の転用
6 脚注
7 関連項目
概要[編集]
俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされている。ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。しかし大乗仏教では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも指して言われるようになった。
餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる。極端な飢餓状態の人間と同じように、痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上がった姿で描かれることが多い。
「正法念処経」巻16には、餓鬼の住処は2つある。
1.人中の餓鬼。この餓鬼はその業因によって行くべき道の故に、これを餓鬼道(界)という。夜に起きて昼に寝るといった、人間と正反対の行動をとる。
2.薜茘多(餓鬼)世界(Preta-loka)の餓鬼。閻浮提の下、500由旬にあり、長さ広さは36000由旬といわれる。しかして人間で最初に死んだとされる閻魔王(えんまおう)は、劫初に冥土の道を開き、その世界を閻魔王界といい、餓鬼の本住所とし、あるいは餓鬼所住の世界の意で、薜茘多世界といい、閻魔をその主とする。余の餓鬼、悪道眷属として、その数は無量で悪業は甚だ多い。
餓鬼の種類[編集]
餓鬼の種類はいくつかある。
「阿毘達磨順正理論」31は、3種×3種で計9種の餓鬼がいると説く。
1.無財餓鬼、一切の飲食ができない餓鬼。飲食しようとするも炎となり、常に貪欲に飢えている。唯一、施餓鬼供養されたものだけは食することができる。
2.少財餓鬼、ごく僅かな飲食だけができる餓鬼。人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄なものを飲食することができるといわれる。
3.多財餓鬼、多くの飲食ができる餓鬼。天部にも行くことが出来る。富裕餓鬼ともいう。ただしどんなに贅沢はできても満足しない。
「一に無財鬼、二に少財鬼、三に多財鬼なり。この三(種)にまた各々三(種)あり。無財鬼の三は、一に炬口鬼、二に鍼口鬼、三に臭口鬼なり。少財鬼の三は、一に鍼毛鬼(その毛は針の如く以て自ら制し他を刺すなり)、二に臭毛鬼、三に癭鬼なり。多財鬼の三は、一に希祠鬼(常に社祠の中にありその食物を希うなり)、二に希棄鬼(常に人の棄つるを希うて之を食すなり)、三に大勢鬼(大勢大福、天の如きなり)」
「正法念処経」では36種類の餓鬼がいると説かれている。
1.鑊身(かくしん)、私利私欲で動物を殺し、少しも悔いなかった者がなる。眼と口がなく、身体は人間の二倍ほども大きい。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれている。
2.針口(しんこう)、貪欲や物惜しみの心から、布施をすることもなく、困っている人に衣食を施すこともなく、仏法を信じることもなかった者がなる。口は針穴の如くであるが腹は大山のように膨れている。食べたものが炎になって吹き出す。蚊や蜂などの毒虫にたかられ、常に火で焼かれている。
3.食吐(じきと)、自らは美食を楽しみながら、子や配偶者などには与えなかった者がなる。荒野に住み、食べても必ず吐いてしまう、または獄卒などに無理矢理吐かされる。身長が半由旬もある。
4.食糞(じきふん)、僧に対して不浄の食べ物を与えたものがなる。糞尿の池で蛆虫や糞尿を飲食するが、それすら満足に手に入らず苦しむ。次に転生してもほとんど人間には転生できない。
5.無食(むじき)、自分の権力を笠に着て、善人を牢につないで餓死させ、少しも悔いなかった者がなる。全身が飢渇の火に包まれて、どんなものも飲食できない。池や川に近づくと一瞬で干上がる、または鬼たちが見張っていて近づけない。
6.食気(じっけ)、自分だけご馳走を食べ、妻子には匂いしか嗅がせなかった者がなる。供物の香気だけを食すことができる。
7.食法(じきほう)、名声や金儲けのために、人々を悪に走らせるような間違った説法を行った者がなる。飲食の代りに説法を食べる。身体は大きく、体色は黒く、長い爪を持つ。人の入らぬ険しい土地で、悪虫にたかられ、いつも泣いている。
8.食水(じきすい)、水で薄めた酒を売った者、酒に蛾やミミズを混ぜて無知な人を惑わした者がなる。水を求めても飲めない。水に入って上がってきた人から滴り落ちるしずく、または亡き父母に子が供えた水のわずかな部分だけを飲める。
9.悕望(けもう)、貪欲や嫉妬から善人をねたみ、彼らが苦労して手に入れた物を詐術的な手段で奪い取った者がなる。亡き父母のために供養されたものしか食せない。顔はしわだらけで黒く、手足はぼろぼろ、頭髪が顔を覆っている。苦しみながら前世を悔いて泣き、「施すことがなければ報いもない」と叫びながら走り回る。
10.食唾(じきた)、僧侶や出家者に、不浄な食物を清浄だと偽って施した者がなる。人が吐いた唾しか食べられない。
11.食鬘(じきまん)、仏や族長などの華鬘(花で作った装身具)を盗み出して自らを飾った者がなる。華鬘のみを食べる。
12.食血(じきけつ)、肉食を好んで殺生し、妻子には分け与えなかった者がなる。生物から出た血だけを食べられる。
13.食肉(じきにく)、重さをごまかして肉を売った者がなる。肉だけを食べられる。四辻や繁華街に出現する。
14.食香烟(じきかえん)、質の悪い香を販売した者がなる。供えられた香の香りだけを食べられる。
15.疾行(しっこう)、僧の身で遊興に浸り、病者に与えるべき飲食物を自分で喰ってしまった者がなる。墓地を荒らし屍を食べる。疫病などで大量の死者が出た場所に、一瞬で駆けつける。
16.伺便(しべん)、人々を騙して財産を奪ったり、村や町を襲撃、略奪した者がなる。人が排便したものを食し、その人の気力を奪う。体中の毛穴から発する炎で焼かれている。
17.地下(じげ)、悪事で他人の財産を手に入れた上、人を縛って暗黒の牢獄に閉じ込めた者がなる。暗黒の闇である地下に住み、鬼たちから責め苦を受ける。
18.神通(じんつう)、他人から騙し取った財産を、悪い友人に分け与えたものがなる。涸渇した他の餓鬼に嫉妬され囲まれる。神通力を持ち、苦痛を受けることがないが、他の餓鬼の苦痛の表情をいつまでも見ていなければならない。
19.熾燃(しねん)、城郭を破壊、人民を殺害、財産を奪い、権力者に取り入って勢力を得た者がなる。身体から燃える火に苦しみ、人里や山林を走り回る。
20.伺嬰児便(しえいじべん)、自分の幼子を殺され、来世で夜叉となって他人の子を殺して復讐しようと考えた女がなる。生まれたばかりの赤ん坊の命を奪う。
21.欲食(よくじき)、美しく着飾って売買春した者がなる。人間の遊び場に行き惑わし食物を盗む。身体が小さく、さらに何にでも化けられる。
22.住海渚(じゅうかいしょ)、荒野を旅して病苦に苦しむ行商人を騙し、品物を僅かの値段で買い取った者がなる。人間界の1000倍も暑い海(ただし水は枯れ果てている)の中洲に住む。朝露を飲んで飢えをしのぐ。
23.執杖(しつじょう)、権力者に取り入って、その権力を笠に着て悪行を行った者がなる。閻魔王の使い走りで、ただ風だけを食べる。頭髪は乱れ、上唇と耳は垂れ、声が大きい。
24.食小児(じきしょうに)、邪悪な呪術で病人をたぶらかした者が、等活地獄の苦しみを得た後で転生する。生まれたばかりの赤ん坊を食べる。
25.食人精気(じきにんしょうき)、戦場などで、必ず味方になると友人を騙して見殺しにした者がなる。人の精気を食べる。常に刀の雨に襲われている。10年〜20年に一度、釈迦、説法、修法者(仏・法・僧)の三宝を敬わない人間の精気を奪うことができる。
26.羅刹(らせつ)、生き物を殺して大宴会を催し、少しの飲食を高価で販売した者がなる。四つ辻で人を襲い、狂気に落としいれ殺害して食べる。
27.火爐焼食(かろしょうじき)、善人の友を遠ざけ、僧の食事を勝手に食った者がなる。燃え盛る炉心の中で残飯を食べる。
28.住不浄巷陌(じゅうふじょうこうはく)、修行者に不浄の食事を与えた者がなる。不浄な場所に住み、嘔吐物などを喰う。
29.食風(じきふう)、僧や貧しい人々に施しをすると言っておきながら、実際に彼らがやってくると何もせず、寒風の中で震えるままにしておいた者がなる。風だけを食べる。
30.食火炭(じきかたん)、監獄の監視人で、人々に責め苦を与え、食べ物を奪い、空腹のため泥土を喰うような境遇に追いやった者がなる。死体を火葬する火を食べる。一度この餓鬼になった者は、次に人間に転生しても必ず辺境に生まれ、味のある物は喰うことができない。
31.食毒(じきどく)、毒殺して財産を奪ったものがなる。険しい山脈や氷山に住み、毒に囲まれ、夏は毒漬けと天から火が降り注ぎ、冬には氷漬けと刀の雨が降る。
32.曠野(こうや)、旅行者の水飲み場であった湖や池を壊し、旅行者を苦しめた上に財物を奪った者がなる。猛暑の中、水を求めて野原を走り回る。
33.住塚間食熱灰土(じゅうちょうかんじきねつかいど)、仏に供えられた花を盗んで売った者がなる。屍を焼いた熱い灰や土を食べる。月に一度ぐらいしか食べられない。飢えと渇き・重い鉄の首かせ・獄卒に刀や杖で打たれる三つの罰を受ける。
34.樹中住(じゅちゅうじゅう)、他人が育てた樹木を勝手に伐採して財産を得たものがなる。樹木の中に閉じ込められ、蟻や虫にかじられる。木の根元に捨てられた食物しか喰えない。
35.四交道(しきょうどう)、旅人の食料を奪い、荒野で飢え渇かせた者がなる。四つ角に住み、そこに祀られる食べ物だけを食べられる。鋸で縦横に切られ、平らに引き延ばされて苦しむ。
36.殺身(せっしん)、人に媚びへつらって悪事を働いたり、邪法を正法のごとく説いたり、僧の修行を妨害した者がなる。熱い鉄を飲まされて大きな苦痛を受ける。餓鬼道の業が尽きると地獄道に転生する。
餓鬼への供養[編集]
1.中元(旧暦の7月15日)の日、餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する施餓鬼(施餓鬼会)という法会が行われる。
2.餓鬼に施しを与えて鎮める方法がある。地蔵菩薩の足元へ水やお粥を供え、経文をあげると餓鬼に飲ませたり食べさせたりできる。これを行うと、餓鬼にとりつかれても飢えが鎮まる。[要出典]
民間信仰における餓鬼[編集]
仏教の布教とともに餓鬼が市井に広まると、餓鬼は餓鬼道へ落ちた亡者を指す仏教上の言葉としてではなく、飢えや行き倒れで死亡した人間の死霊、怨念を指す民間信仰上の言葉として用いられることが多くなった。こうした霊は憑き物となり、人間に取り憑いて飢餓をもたらすといい、これを餓鬼憑きという[1]。
俗語の転用[編集]
また、子供は貪るように食べることがあるため、その蔑称・俗称として餓鬼(ガキ)が比喩的に広く用いられる。餓鬼大将・悪餓鬼など。
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1 概要
2 餓鬼の種類
3 餓鬼への供養
4 民間信仰における餓鬼
5 俗語の転用
6 脚注
7 関連項目
概要[編集]
俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされている。ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。しかし大乗仏教では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも指して言われるようになった。
餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる。極端な飢餓状態の人間と同じように、痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上がった姿で描かれることが多い。
「正法念処経」巻16には、餓鬼の住処は2つある。
1.人中の餓鬼。この餓鬼はその業因によって行くべき道の故に、これを餓鬼道(界)という。夜に起きて昼に寝るといった、人間と正反対の行動をとる。
2.薜茘多(餓鬼)世界(Preta-loka)の餓鬼。閻浮提の下、500由旬にあり、長さ広さは36000由旬といわれる。しかして人間で最初に死んだとされる閻魔王(えんまおう)は、劫初に冥土の道を開き、その世界を閻魔王界といい、餓鬼の本住所とし、あるいは餓鬼所住の世界の意で、薜茘多世界といい、閻魔をその主とする。余の餓鬼、悪道眷属として、その数は無量で悪業は甚だ多い。
餓鬼の種類[編集]
餓鬼の種類はいくつかある。
「阿毘達磨順正理論」31は、3種×3種で計9種の餓鬼がいると説く。
1.無財餓鬼、一切の飲食ができない餓鬼。飲食しようとするも炎となり、常に貪欲に飢えている。唯一、施餓鬼供養されたものだけは食することができる。
2.少財餓鬼、ごく僅かな飲食だけができる餓鬼。人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄なものを飲食することができるといわれる。
3.多財餓鬼、多くの飲食ができる餓鬼。天部にも行くことが出来る。富裕餓鬼ともいう。ただしどんなに贅沢はできても満足しない。
「一に無財鬼、二に少財鬼、三に多財鬼なり。この三(種)にまた各々三(種)あり。無財鬼の三は、一に炬口鬼、二に鍼口鬼、三に臭口鬼なり。少財鬼の三は、一に鍼毛鬼(その毛は針の如く以て自ら制し他を刺すなり)、二に臭毛鬼、三に癭鬼なり。多財鬼の三は、一に希祠鬼(常に社祠の中にありその食物を希うなり)、二に希棄鬼(常に人の棄つるを希うて之を食すなり)、三に大勢鬼(大勢大福、天の如きなり)」
「正法念処経」では36種類の餓鬼がいると説かれている。
1.鑊身(かくしん)、私利私欲で動物を殺し、少しも悔いなかった者がなる。眼と口がなく、身体は人間の二倍ほども大きい。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれている。
2.針口(しんこう)、貪欲や物惜しみの心から、布施をすることもなく、困っている人に衣食を施すこともなく、仏法を信じることもなかった者がなる。口は針穴の如くであるが腹は大山のように膨れている。食べたものが炎になって吹き出す。蚊や蜂などの毒虫にたかられ、常に火で焼かれている。
3.食吐(じきと)、自らは美食を楽しみながら、子や配偶者などには与えなかった者がなる。荒野に住み、食べても必ず吐いてしまう、または獄卒などに無理矢理吐かされる。身長が半由旬もある。
4.食糞(じきふん)、僧に対して不浄の食べ物を与えたものがなる。糞尿の池で蛆虫や糞尿を飲食するが、それすら満足に手に入らず苦しむ。次に転生してもほとんど人間には転生できない。
5.無食(むじき)、自分の権力を笠に着て、善人を牢につないで餓死させ、少しも悔いなかった者がなる。全身が飢渇の火に包まれて、どんなものも飲食できない。池や川に近づくと一瞬で干上がる、または鬼たちが見張っていて近づけない。
6.食気(じっけ)、自分だけご馳走を食べ、妻子には匂いしか嗅がせなかった者がなる。供物の香気だけを食すことができる。
7.食法(じきほう)、名声や金儲けのために、人々を悪に走らせるような間違った説法を行った者がなる。飲食の代りに説法を食べる。身体は大きく、体色は黒く、長い爪を持つ。人の入らぬ険しい土地で、悪虫にたかられ、いつも泣いている。
8.食水(じきすい)、水で薄めた酒を売った者、酒に蛾やミミズを混ぜて無知な人を惑わした者がなる。水を求めても飲めない。水に入って上がってきた人から滴り落ちるしずく、または亡き父母に子が供えた水のわずかな部分だけを飲める。
9.悕望(けもう)、貪欲や嫉妬から善人をねたみ、彼らが苦労して手に入れた物を詐術的な手段で奪い取った者がなる。亡き父母のために供養されたものしか食せない。顔はしわだらけで黒く、手足はぼろぼろ、頭髪が顔を覆っている。苦しみながら前世を悔いて泣き、「施すことがなければ報いもない」と叫びながら走り回る。
10.食唾(じきた)、僧侶や出家者に、不浄な食物を清浄だと偽って施した者がなる。人が吐いた唾しか食べられない。
11.食鬘(じきまん)、仏や族長などの華鬘(花で作った装身具)を盗み出して自らを飾った者がなる。華鬘のみを食べる。
12.食血(じきけつ)、肉食を好んで殺生し、妻子には分け与えなかった者がなる。生物から出た血だけを食べられる。
13.食肉(じきにく)、重さをごまかして肉を売った者がなる。肉だけを食べられる。四辻や繁華街に出現する。
14.食香烟(じきかえん)、質の悪い香を販売した者がなる。供えられた香の香りだけを食べられる。
15.疾行(しっこう)、僧の身で遊興に浸り、病者に与えるべき飲食物を自分で喰ってしまった者がなる。墓地を荒らし屍を食べる。疫病などで大量の死者が出た場所に、一瞬で駆けつける。
16.伺便(しべん)、人々を騙して財産を奪ったり、村や町を襲撃、略奪した者がなる。人が排便したものを食し、その人の気力を奪う。体中の毛穴から発する炎で焼かれている。
17.地下(じげ)、悪事で他人の財産を手に入れた上、人を縛って暗黒の牢獄に閉じ込めた者がなる。暗黒の闇である地下に住み、鬼たちから責め苦を受ける。
18.神通(じんつう)、他人から騙し取った財産を、悪い友人に分け与えたものがなる。涸渇した他の餓鬼に嫉妬され囲まれる。神通力を持ち、苦痛を受けることがないが、他の餓鬼の苦痛の表情をいつまでも見ていなければならない。
19.熾燃(しねん)、城郭を破壊、人民を殺害、財産を奪い、権力者に取り入って勢力を得た者がなる。身体から燃える火に苦しみ、人里や山林を走り回る。
20.伺嬰児便(しえいじべん)、自分の幼子を殺され、来世で夜叉となって他人の子を殺して復讐しようと考えた女がなる。生まれたばかりの赤ん坊の命を奪う。
21.欲食(よくじき)、美しく着飾って売買春した者がなる。人間の遊び場に行き惑わし食物を盗む。身体が小さく、さらに何にでも化けられる。
22.住海渚(じゅうかいしょ)、荒野を旅して病苦に苦しむ行商人を騙し、品物を僅かの値段で買い取った者がなる。人間界の1000倍も暑い海(ただし水は枯れ果てている)の中洲に住む。朝露を飲んで飢えをしのぐ。
23.執杖(しつじょう)、権力者に取り入って、その権力を笠に着て悪行を行った者がなる。閻魔王の使い走りで、ただ風だけを食べる。頭髪は乱れ、上唇と耳は垂れ、声が大きい。
24.食小児(じきしょうに)、邪悪な呪術で病人をたぶらかした者が、等活地獄の苦しみを得た後で転生する。生まれたばかりの赤ん坊を食べる。
25.食人精気(じきにんしょうき)、戦場などで、必ず味方になると友人を騙して見殺しにした者がなる。人の精気を食べる。常に刀の雨に襲われている。10年〜20年に一度、釈迦、説法、修法者(仏・法・僧)の三宝を敬わない人間の精気を奪うことができる。
26.羅刹(らせつ)、生き物を殺して大宴会を催し、少しの飲食を高価で販売した者がなる。四つ辻で人を襲い、狂気に落としいれ殺害して食べる。
27.火爐焼食(かろしょうじき)、善人の友を遠ざけ、僧の食事を勝手に食った者がなる。燃え盛る炉心の中で残飯を食べる。
28.住不浄巷陌(じゅうふじょうこうはく)、修行者に不浄の食事を与えた者がなる。不浄な場所に住み、嘔吐物などを喰う。
29.食風(じきふう)、僧や貧しい人々に施しをすると言っておきながら、実際に彼らがやってくると何もせず、寒風の中で震えるままにしておいた者がなる。風だけを食べる。
30.食火炭(じきかたん)、監獄の監視人で、人々に責め苦を与え、食べ物を奪い、空腹のため泥土を喰うような境遇に追いやった者がなる。死体を火葬する火を食べる。一度この餓鬼になった者は、次に人間に転生しても必ず辺境に生まれ、味のある物は喰うことができない。
31.食毒(じきどく)、毒殺して財産を奪ったものがなる。険しい山脈や氷山に住み、毒に囲まれ、夏は毒漬けと天から火が降り注ぎ、冬には氷漬けと刀の雨が降る。
32.曠野(こうや)、旅行者の水飲み場であった湖や池を壊し、旅行者を苦しめた上に財物を奪った者がなる。猛暑の中、水を求めて野原を走り回る。
33.住塚間食熱灰土(じゅうちょうかんじきねつかいど)、仏に供えられた花を盗んで売った者がなる。屍を焼いた熱い灰や土を食べる。月に一度ぐらいしか食べられない。飢えと渇き・重い鉄の首かせ・獄卒に刀や杖で打たれる三つの罰を受ける。
34.樹中住(じゅちゅうじゅう)、他人が育てた樹木を勝手に伐採して財産を得たものがなる。樹木の中に閉じ込められ、蟻や虫にかじられる。木の根元に捨てられた食物しか喰えない。
35.四交道(しきょうどう)、旅人の食料を奪い、荒野で飢え渇かせた者がなる。四つ角に住み、そこに祀られる食べ物だけを食べられる。鋸で縦横に切られ、平らに引き延ばされて苦しむ。
36.殺身(せっしん)、人に媚びへつらって悪事を働いたり、邪法を正法のごとく説いたり、僧の修行を妨害した者がなる。熱い鉄を飲まされて大きな苦痛を受ける。餓鬼道の業が尽きると地獄道に転生する。
餓鬼への供養[編集]
1.中元(旧暦の7月15日)の日、餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する施餓鬼(施餓鬼会)という法会が行われる。
2.餓鬼に施しを与えて鎮める方法がある。地蔵菩薩の足元へ水やお粥を供え、経文をあげると餓鬼に飲ませたり食べさせたりできる。これを行うと、餓鬼にとりつかれても飢えが鎮まる。[要出典]
民間信仰における餓鬼[編集]
仏教の布教とともに餓鬼が市井に広まると、餓鬼は餓鬼道へ落ちた亡者を指す仏教上の言葉としてではなく、飢えや行き倒れで死亡した人間の死霊、怨念を指す民間信仰上の言葉として用いられることが多くなった。こうした霊は憑き物となり、人間に取り憑いて飢餓をもたらすといい、これを餓鬼憑きという[1]。
俗語の転用[編集]
また、子供は貪るように食べることがあるため、その蔑称・俗称として餓鬼(ガキ)が比喩的に広く用いられる。餓鬼大将・悪餓鬼など。
四天王
四天王(してんのう、サンスクリット語:चतुर्महाराज caturmahārāja)は、欲界の六欲天の中、初天をいい、またこの天に住む仏教における、4人の守護神をいう。この四天王が住む天を四王天、あるいは四大王衆天(しおうてん、しだいおうしゅうてん)ともいう。
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1 概要
2 日本での信仰
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
概要[編集]
六欲天の第1天、四大王衆天の主。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で伴に仏法を守護する。
須弥の四洲(東勝神洲=とうしょうしんしゅう、南瞻部洲=なんせんぶしゅう、西牛貨洲=さいごけしゅう、北倶廬洲=ほっくるしゅう)を守護し、忉利天主・帝釈天の外臣である。この天に住む者の身長は半由旬、寿命は500歳で、その一昼夜は人間界の50年に相当する。
持国天 - 東勝神洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。
広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。
多聞天 - 北倶廬洲を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天[1]。夜叉、羅刹を眷属とする。
高砂市時光寺(播州善光寺)の四天王
東方持国天
南方増長天
西方広目天
北方多聞天
中国北京十方普覚寺(臥佛寺)の四天王
東方持国天
南方増長天
西方広目天
北方多聞天
中国北京大覚寺の四天王
東方持国天
南方増長天
西方広目天
北方多聞天
また、仏教の「四天王」から転じて、ある分野における有力な四人組(カルテット)を、俗に「○○四天王」と呼ぶようになった。
日本での信仰[編集]
四天王は早くから日本でも信仰されていた。 『日本書紀』によれば仏教をめぐっておこされた蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦した聖徳太子は、四天王に祈願して勝利を得たことに感謝して摂津国玉造(大阪市天王寺区)に四天王寺(四天王大護国寺)を建立したとされる。(後、荒陵の現在地に移転。)
後世の仏像製作においても、釈迦三尊像などのメインとなる仏像の置かれる須弥壇の四隅には、たいてい邪鬼を踏みしめて立つ四天王像*が配置されている。四天王像としては、東大寺(奈良市)の戒壇院のものが有名である。
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1 概要
2 日本での信仰
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
概要[編集]
六欲天の第1天、四大王衆天の主。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で伴に仏法を守護する。
須弥の四洲(東勝神洲=とうしょうしんしゅう、南瞻部洲=なんせんぶしゅう、西牛貨洲=さいごけしゅう、北倶廬洲=ほっくるしゅう)を守護し、忉利天主・帝釈天の外臣である。この天に住む者の身長は半由旬、寿命は500歳で、その一昼夜は人間界の50年に相当する。
持国天 - 東勝神洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。
広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。
多聞天 - 北倶廬洲を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天[1]。夜叉、羅刹を眷属とする。
高砂市時光寺(播州善光寺)の四天王
東方持国天
南方増長天
西方広目天
北方多聞天
中国北京十方普覚寺(臥佛寺)の四天王
東方持国天
南方増長天
西方広目天
北方多聞天
中国北京大覚寺の四天王
東方持国天
南方増長天
西方広目天
北方多聞天
また、仏教の「四天王」から転じて、ある分野における有力な四人組(カルテット)を、俗に「○○四天王」と呼ぶようになった。
日本での信仰[編集]
四天王は早くから日本でも信仰されていた。 『日本書紀』によれば仏教をめぐっておこされた蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦した聖徳太子は、四天王に祈願して勝利を得たことに感謝して摂津国玉造(大阪市天王寺区)に四天王寺(四天王大護国寺)を建立したとされる。(後、荒陵の現在地に移転。)
後世の仏像製作においても、釈迦三尊像などのメインとなる仏像の置かれる須弥壇の四隅には、たいてい邪鬼を踏みしめて立つ四天王像*が配置されている。四天王像としては、東大寺(奈良市)の戒壇院のものが有名である。
鳩槃荼
鳩槃荼(くばんだ)Kumbhandaは、インド神話の魔神で、仏教では護法神(鬼神)の一族である。弓槃荼・倶満拏とも書く。サンスクリットではカバンダ (Kabhanda) パ−リ語でクバンダ (Kubhanda)。
陰嚢のような形をしていることから陰嚢・甕形鬼・冬瓜鬼と漢訳される。また、人の睡眠を妨げて災難を引き起こすことから厭魅鬼・厭眉鬼とも呼ばれる。
地位[編集]
鳩槃荼は、天部や竜(八大竜王)などと同じく鳩槃荼衆とも呼ばれる集団の名であり、大黒天や弁才天のような一人の神を指すものではない。
紀元前10世紀頃に作られたヴェーダ神話では、暴風神ルドラに従っていた。
仏典では、四天王の一尊で南方を守護する増長天に従う。
形象[編集]
興福寺八部衆像より、右が鳩槃荼像
鳩槃荼の形象について説く経典がないことから、鳩槃荼の形象については不明である。
胎蔵界曼荼羅最外院の南方に首から上が馬で体が人間の形をした二神がそれぞれ鼓とばつ鈸(ばつ)を持つ姿に描かれるが、これは緊那羅とする説もある。なお、奈良興福寺では八部衆の一人として一面二臂で武人形の像があり、八部衆の夜叉に当てられる。
カバ(クンバ)は「瓶」を意味し、瓶のような性器をもつとされ、男性を誑かしては精気を吸い取るといわれている。瓶そのものに変身することもできる。
元来は女性しかいないとされていたが、密教では男女の区別があるとされており、身長3mで、黒い肌をした馬頭の人間の姿をした怪物とされた。
陰嚢のような形をしていることから陰嚢・甕形鬼・冬瓜鬼と漢訳される。また、人の睡眠を妨げて災難を引き起こすことから厭魅鬼・厭眉鬼とも呼ばれる。
地位[編集]
鳩槃荼は、天部や竜(八大竜王)などと同じく鳩槃荼衆とも呼ばれる集団の名であり、大黒天や弁才天のような一人の神を指すものではない。
紀元前10世紀頃に作られたヴェーダ神話では、暴風神ルドラに従っていた。
仏典では、四天王の一尊で南方を守護する増長天に従う。
形象[編集]
興福寺八部衆像より、右が鳩槃荼像
鳩槃荼の形象について説く経典がないことから、鳩槃荼の形象については不明である。
胎蔵界曼荼羅最外院の南方に首から上が馬で体が人間の形をした二神がそれぞれ鼓とばつ鈸(ばつ)を持つ姿に描かれるが、これは緊那羅とする説もある。なお、奈良興福寺では八部衆の一人として一面二臂で武人形の像があり、八部衆の夜叉に当てられる。
カバ(クンバ)は「瓶」を意味し、瓶のような性器をもつとされ、男性を誑かしては精気を吸い取るといわれている。瓶そのものに変身することもできる。
元来は女性しかいないとされていたが、密教では男女の区別があるとされており、身長3mで、黒い肌をした馬頭の人間の姿をした怪物とされた。
ピシャーチャ
ピシャーチャ(Piśāca, デーヴァナーガリー表記:पिशाच)は、インド神話における鬼神の1種。食人鬼。グールに相当。人の血肉を喰らい、ヴェーダでは喰屍鬼とも呼ばれる。叙事詩では単に悪鬼の意味で用いられることもあり、その場合はアスラやラークシャサと変わりない。『ブリハット・カター』の縁起譚で述べられているカーナブーティのように神の呪いでピシャーチャに変えられることもある。
仏典では「畢舎遮」、「毘舎遮」などと音写され、持国天の従者とされる。
仏典では「畢舎遮」、「毘舎遮」などと音写され、持国天の従者とされる。
持国天
持国天(じこくてん)、梵名ドゥリタラーシュトラ (धृतराष्ट्र [dhRtaraaSTra] 『国を支える者』、提頭頼咤)とは仏教における天部の仏神。増長天、広目天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。三昧耶形は刀。種子はヂリ(dhR)。
持国天は四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。
持物は刀の場合が多い。例えば胎蔵界曼荼羅では体色は赤く、右手を拳にして右腰に置き、左手に刀を持つ姿で描かれる。また、中国の民間信仰に於いては白い顔で琵琶を持った姿で表される。左図は鎌倉時代作の四天王像のうちの持国天像で、足下に邪鬼を踏みつけ、刀を持つ右手を振り上げて仏敵を威嚇し、左手を腰に当てる姿に表されている。
本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として東面の中腹である第四層の賢上城に住み、東の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち東勝身州(とうしょうしんしゅう)を守護するとされる。
また、乾闥婆や畢舎遮を配下とする。
持国天は四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。
持物は刀の場合が多い。例えば胎蔵界曼荼羅では体色は赤く、右手を拳にして右腰に置き、左手に刀を持つ姿で描かれる。また、中国の民間信仰に於いては白い顔で琵琶を持った姿で表される。左図は鎌倉時代作の四天王像のうちの持国天像で、足下に邪鬼を踏みつけ、刀を持つ右手を振り上げて仏敵を威嚇し、左手を腰に当てる姿に表されている。
本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として東面の中腹である第四層の賢上城に住み、東の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち東勝身州(とうしょうしんしゅう)を守護するとされる。
また、乾闥婆や畢舎遮を配下とする。
八部衆
八部衆(はちぶしゅう)または天龍八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)は、仏法を守護する8神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。
概要[編集]
八部衆とは8つの種族という意味である。これにはいくつかの説がある。通常に用いられるのは「舎利弗問経」を基本に、「法華経」や「金光明最勝王経」などの説により、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の8つを指す。
ただし、奈良・興福寺の著名な八部衆像の各像の名称は上述のものと異なり、寺伝では五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)と呼ばれている。
なお、四天王に仕える八部鬼衆は、これらの八部衆と名称も類似し一部重複するので間違われやすいが基本的に異なる。ちなみに八部鬼衆は、乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薛茘多・那伽(龍)・富單那・夜叉・羅刹の名を挙げる。
法華経の序品(じょぼん)には、聴衆として比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷(出家在家の男女)などの「人」のほかに、この八部衆を「非人」として名が連ねられている。
緊那羅(Kimnara、きんなら)天(Deva、てん)梵天、帝釈天を初めとする、いわゆる「天部」の神格の総称。欲界の六天、色界の四禅天、無色界の四空処天のこと。光明・自然・清浄・自在・最勝の義を有す。古代インドにおける諸天の総称。天地万物の主宰者。龍(Naga、りゅう)「竜」、「竜王」などと称される種族の総称。 蛇を神格化したもので、水中に棲み、雲や雨をもたらすとされる。また、釈尊の誕生の際、灌水したのも竜王であった。人面人形で冠上に龍形を表す。夜叉(Yaksa、やしゃ)古代インドの悪鬼神の類を指すが、仏法に帰依して護法善神となったもの。空中を飛行する。乾闥婆(Gandharva、けんだつば)香を食べるとされ、神々の酒ソーマの守り神とも言う。 仏教では帝釈天の眷属の音楽神とされている。インド神話におけるガンダルヴァであり、ギリシア神話におけるケンタウロスと同源であると推定されることからインド・イラン共通時代よりもさらに印欧祖語時代に起源をさかのぼる。阿修羅(Asura、あしゅら)古代インドの戦闘神であるが、インド・イラン共通時代における中央アジア、イラン方面の太陽神が起源とも言われる。通常、三面六臂に表す。迦楼羅(Garuda、かるら)ガルダを前身とする、竜を好んで常食するという伝説上の鳥である。鷲の如き獰猛な鳥類の一類を神格化したもの。緊那羅(Kimnara、きんなら)音楽神であり、また半身半獣の人非人ともいう。人にも畜生にも鳥にも充当しない。仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされ、美しい声で歌うという。摩睺羅伽(Mahoraga、まこらが)緊那羅とともに帝釈天の眷属の音楽神ともいう。または廟神ともいわれる。身体は人間であるが首は蛇である。龍種に属す。大蛇(ニシキヘビとも)を神格化したもの。
興福寺の八部衆像[編集]
阿修羅像
日本における八部衆像の作例としては、奈良・興福寺の旧 西金堂(さいこんどう)安置像(奈良時代、国宝)がよく知られる。 この他には、涅槃図などの絵画作品に諸菩薩や釈尊の弟子達と共に描かれる場合があり、法隆寺五重塔初層北面の釈迦涅槃を表した塑像群の中にも阿修羅を初めとする八部衆の姿が認められるが、彫像の作例は他にほとんど見ない。
千手観音の眷属である二十八部衆(日本での代表的な作例は京都・三十三間堂、同・清水寺など)の内にも八部衆に相当する像が包含されている。
興福寺の八部衆像は麻布を漆で貼り重ねた乾漆造で、廃絶した西金堂に安置されていた。西金堂は光明皇后が亡母橘三千代の追善のため天平6年(734年)建立したもので、本尊釈迦三尊像を中心に、梵天・帝釈天像、八部衆像、十大弟子像などが安置されていたことが知られる。京都国立博物館蔵の「興福寺曼荼羅図」(平安末〜鎌倉初期、重文)を見ると、八部衆像は本尊の左右前方と後方に各2体ずつ安置されていたことが分かる。作者は、像造は百済からの渡来人将軍万福、彩色は秦牛養とされる。八部衆を含む興福寺西金堂諸像については、法華経序品ではなく、金光明最勝王経所説に基づく造像だと解釈されている。
以下に興福寺の八部衆像について略説する。
1.五部浄像 - 像高48.8cm。色界最上位の色究竟天(色界第四禅天)に浄居天と呼ばれる5人の阿那含の聖者(自在天子、普華天子、遍音天子、光髪天子、意生天子)が住んでおり、五部浄居天はこれらを合わせて一尊としたものである。陀羅尼にすがる者を守護するとされ、今昔物語集では釈迦の四門出遊の際「老人、病人、死人、出家者」の4つを見せて釈迦の出家を促している。
象頭の冠をかぶり、少年のような表情に造られている。興福寺像は頭部と上半身の一部を残すのみで大破している(他に、本像の右手部分が東京国立博物館に所蔵されているが、これは1904年(明治37年)、個人の所有者から当時の帝室博物館に寄贈されたものである)。 経典に説く「天」に当たる像と考えられる。 千手観音の眷属の二十八部衆の内には「五部浄居天」という像があるが、三十三間堂、清水寺本堂などの五部浄居天像は両手に1本ずつの刀を持つ武神像である。
2.沙羯羅像 - 像高153.6cm。頭頂から上半身にかけて蛇が巻き付き、憂いを帯びた少年のような表情に造られている。本像は、経典に説く「竜」に当たる像と考えられている。ただし、興福寺の沙羯羅像を「竜」でなく「摩睺羅伽」に該当するものだとする説もある。二十八部衆には「沙羯羅竜王」の名で登場する。
3.鳩槃荼像 - 像高151.2cm。頭髪が逆立ち、目を吊り上げた怒りの表情に造られている。経典に説く「夜叉」に相当する像とされている。 四天王の内の増長天の眷属ともいう。 二十八部衆の内には鳩槃荼に該当する像がない。
4.乾闥婆像 - 像高160.3cm。獅子冠をかぶる着甲像である。両目はほとんど閉じられている。
5.阿修羅像 - 像高153cm。三面六臂に表される。興福寺の阿修羅像は、奈良観光のポスター、パンフレットにしばしば取り上げられる著名な像である。
6.迦楼羅像 - 像高149.7cm。興福寺像は鳥頭人身の着甲像である。三十三間堂、清水寺本堂の二十八部衆中の迦楼羅王像は異なって翼を持ち、笛を吹く姿に造られている。
7.緊那羅像 - 像高149.1cm。頭上に一角、額に縦に3つ目の目があり、寺伝とおり、当初から緊那羅像として造られたものと思われる。
8.畢婆迦羅像 - 像高156cm。他の像と異なり、やや老相に造られ、あごひげを蓄えている。経典に説く「摩睺羅伽」に相当するものとされるが、定かでない。二十八部衆の内には畢婆迦羅と摩睺羅伽の両方が存在し、前者は通常の武神像、後者は五眼を持ち、琵琶を弾く像として表されている。
概要[編集]
八部衆とは8つの種族という意味である。これにはいくつかの説がある。通常に用いられるのは「舎利弗問経」を基本に、「法華経」や「金光明最勝王経」などの説により、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の8つを指す。
ただし、奈良・興福寺の著名な八部衆像の各像の名称は上述のものと異なり、寺伝では五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)と呼ばれている。
なお、四天王に仕える八部鬼衆は、これらの八部衆と名称も類似し一部重複するので間違われやすいが基本的に異なる。ちなみに八部鬼衆は、乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薛茘多・那伽(龍)・富單那・夜叉・羅刹の名を挙げる。
法華経の序品(じょぼん)には、聴衆として比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷(出家在家の男女)などの「人」のほかに、この八部衆を「非人」として名が連ねられている。
緊那羅(Kimnara、きんなら)天(Deva、てん)梵天、帝釈天を初めとする、いわゆる「天部」の神格の総称。欲界の六天、色界の四禅天、無色界の四空処天のこと。光明・自然・清浄・自在・最勝の義を有す。古代インドにおける諸天の総称。天地万物の主宰者。龍(Naga、りゅう)「竜」、「竜王」などと称される種族の総称。 蛇を神格化したもので、水中に棲み、雲や雨をもたらすとされる。また、釈尊の誕生の際、灌水したのも竜王であった。人面人形で冠上に龍形を表す。夜叉(Yaksa、やしゃ)古代インドの悪鬼神の類を指すが、仏法に帰依して護法善神となったもの。空中を飛行する。乾闥婆(Gandharva、けんだつば)香を食べるとされ、神々の酒ソーマの守り神とも言う。 仏教では帝釈天の眷属の音楽神とされている。インド神話におけるガンダルヴァであり、ギリシア神話におけるケンタウロスと同源であると推定されることからインド・イラン共通時代よりもさらに印欧祖語時代に起源をさかのぼる。阿修羅(Asura、あしゅら)古代インドの戦闘神であるが、インド・イラン共通時代における中央アジア、イラン方面の太陽神が起源とも言われる。通常、三面六臂に表す。迦楼羅(Garuda、かるら)ガルダを前身とする、竜を好んで常食するという伝説上の鳥である。鷲の如き獰猛な鳥類の一類を神格化したもの。緊那羅(Kimnara、きんなら)音楽神であり、また半身半獣の人非人ともいう。人にも畜生にも鳥にも充当しない。仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされ、美しい声で歌うという。摩睺羅伽(Mahoraga、まこらが)緊那羅とともに帝釈天の眷属の音楽神ともいう。または廟神ともいわれる。身体は人間であるが首は蛇である。龍種に属す。大蛇(ニシキヘビとも)を神格化したもの。
興福寺の八部衆像[編集]
阿修羅像
日本における八部衆像の作例としては、奈良・興福寺の旧 西金堂(さいこんどう)安置像(奈良時代、国宝)がよく知られる。 この他には、涅槃図などの絵画作品に諸菩薩や釈尊の弟子達と共に描かれる場合があり、法隆寺五重塔初層北面の釈迦涅槃を表した塑像群の中にも阿修羅を初めとする八部衆の姿が認められるが、彫像の作例は他にほとんど見ない。
千手観音の眷属である二十八部衆(日本での代表的な作例は京都・三十三間堂、同・清水寺など)の内にも八部衆に相当する像が包含されている。
興福寺の八部衆像は麻布を漆で貼り重ねた乾漆造で、廃絶した西金堂に安置されていた。西金堂は光明皇后が亡母橘三千代の追善のため天平6年(734年)建立したもので、本尊釈迦三尊像を中心に、梵天・帝釈天像、八部衆像、十大弟子像などが安置されていたことが知られる。京都国立博物館蔵の「興福寺曼荼羅図」(平安末〜鎌倉初期、重文)を見ると、八部衆像は本尊の左右前方と後方に各2体ずつ安置されていたことが分かる。作者は、像造は百済からの渡来人将軍万福、彩色は秦牛養とされる。八部衆を含む興福寺西金堂諸像については、法華経序品ではなく、金光明最勝王経所説に基づく造像だと解釈されている。
以下に興福寺の八部衆像について略説する。
1.五部浄像 - 像高48.8cm。色界最上位の色究竟天(色界第四禅天)に浄居天と呼ばれる5人の阿那含の聖者(自在天子、普華天子、遍音天子、光髪天子、意生天子)が住んでおり、五部浄居天はこれらを合わせて一尊としたものである。陀羅尼にすがる者を守護するとされ、今昔物語集では釈迦の四門出遊の際「老人、病人、死人、出家者」の4つを見せて釈迦の出家を促している。
象頭の冠をかぶり、少年のような表情に造られている。興福寺像は頭部と上半身の一部を残すのみで大破している(他に、本像の右手部分が東京国立博物館に所蔵されているが、これは1904年(明治37年)、個人の所有者から当時の帝室博物館に寄贈されたものである)。 経典に説く「天」に当たる像と考えられる。 千手観音の眷属の二十八部衆の内には「五部浄居天」という像があるが、三十三間堂、清水寺本堂などの五部浄居天像は両手に1本ずつの刀を持つ武神像である。
2.沙羯羅像 - 像高153.6cm。頭頂から上半身にかけて蛇が巻き付き、憂いを帯びた少年のような表情に造られている。本像は、経典に説く「竜」に当たる像と考えられている。ただし、興福寺の沙羯羅像を「竜」でなく「摩睺羅伽」に該当するものだとする説もある。二十八部衆には「沙羯羅竜王」の名で登場する。
3.鳩槃荼像 - 像高151.2cm。頭髪が逆立ち、目を吊り上げた怒りの表情に造られている。経典に説く「夜叉」に相当する像とされている。 四天王の内の増長天の眷属ともいう。 二十八部衆の内には鳩槃荼に該当する像がない。
4.乾闥婆像 - 像高160.3cm。獅子冠をかぶる着甲像である。両目はほとんど閉じられている。
5.阿修羅像 - 像高153cm。三面六臂に表される。興福寺の阿修羅像は、奈良観光のポスター、パンフレットにしばしば取り上げられる著名な像である。
6.迦楼羅像 - 像高149.7cm。興福寺像は鳥頭人身の着甲像である。三十三間堂、清水寺本堂の二十八部衆中の迦楼羅王像は異なって翼を持ち、笛を吹く姿に造られている。
7.緊那羅像 - 像高149.1cm。頭上に一角、額に縦に3つ目の目があり、寺伝とおり、当初から緊那羅像として造られたものと思われる。
8.畢婆迦羅像 - 像高156cm。他の像と異なり、やや老相に造られ、あごひげを蓄えている。経典に説く「摩睺羅伽」に相当するものとされるが、定かでない。二十八部衆の内には畢婆迦羅と摩睺羅伽の両方が存在し、前者は通常の武神像、後者は五眼を持ち、琵琶を弾く像として表されている。
八部鬼衆
八部鬼衆(はちぶきしゅう)は、四天王に仕える鬼神などのこと。
一覧[編集]
『仁王経合疏』上には、以下の8つの鬼神の名を挙げている。
乾闥婆(けんだつば) - 古代インドのガンダルヴァ。香陰と訳す。酒や肉を食さず、ただ香をもってその陰身を保つ。東方を守護する持国天の眷属(けんぞく)。
毘舎闍(びしゃじゃ) - 啖精気と訳す。人および五穀の精気を食す。東方を守護する持国天の眷属。
鳩槃荼(くはんだ) - 甕形と訳す。その陰茎甕形に似た厭魅鬼である。南方を守護する増長天の眷属。
薛茘多(へいれいた) - 餓鬼と訳す。常に飢餓・涸渇に切迫せられた鬼神である。南方を守護する増長天の眷属。
那伽(ナーガ、龍) - 水属の王とされる。西方を守護する広目天の眷属。
富單那(ふたんな) - 臭餓鬼と訳す。これ主熱の病鬼である。西方を守護する広目天の眷属。
夜叉(やしゃ) - 勇健鬼と訳す。地行夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類がある。北方を守護する多聞天の眷属。
羅刹(らせつ) - 捷疾鬼と訳す。北方を守護する多聞天の眷属。
八部衆との相違[編集]
八部衆と名称が似ており、また鬼神名も一部重複するため間違われやすい。八部衆も八部鬼衆も天部に位置し仏法を守護する護法善神に属するという点では同じであるが、八部鬼神は四天王の配下とされる点で異なる。
『名義集』2では、天龍八部衆、すなわち八部衆と混同している。
一覧[編集]
『仁王経合疏』上には、以下の8つの鬼神の名を挙げている。
乾闥婆(けんだつば) - 古代インドのガンダルヴァ。香陰と訳す。酒や肉を食さず、ただ香をもってその陰身を保つ。東方を守護する持国天の眷属(けんぞく)。
毘舎闍(びしゃじゃ) - 啖精気と訳す。人および五穀の精気を食す。東方を守護する持国天の眷属。
鳩槃荼(くはんだ) - 甕形と訳す。その陰茎甕形に似た厭魅鬼である。南方を守護する増長天の眷属。
薛茘多(へいれいた) - 餓鬼と訳す。常に飢餓・涸渇に切迫せられた鬼神である。南方を守護する増長天の眷属。
那伽(ナーガ、龍) - 水属の王とされる。西方を守護する広目天の眷属。
富單那(ふたんな) - 臭餓鬼と訳す。これ主熱の病鬼である。西方を守護する広目天の眷属。
夜叉(やしゃ) - 勇健鬼と訳す。地行夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類がある。北方を守護する多聞天の眷属。
羅刹(らせつ) - 捷疾鬼と訳す。北方を守護する多聞天の眷属。
八部衆との相違[編集]
八部衆と名称が似ており、また鬼神名も一部重複するため間違われやすい。八部衆も八部鬼衆も天部に位置し仏法を守護する護法善神に属するという点では同じであるが、八部鬼神は四天王の配下とされる点で異なる。
『名義集』2では、天龍八部衆、すなわち八部衆と混同している。
ガンダルヴァ
ガンダルヴァ(梵: गंधर्व)は、インド神話においてインドラ(梵: इंद्र、इन्द्र 仏教では帝釈天)に仕える半神半獣の奏楽神団で、大勢の神の居る宮殿の中で美しい音楽を奏でる事に責任を負っている。また、ソーマの守護神であるとも伝えられている。アプサラスの夫だが、女性のガンダルヴァも存在する。ガンダルヴァの演奏は自然界の中のラーガとして見出される。外見は主に頭に八角の角を生やした赤く逞しい男性の上半身と、黄金の鳥の翼と下半身を持った姿で表される。その大半が女好きで肉欲が強いが、処女の守護神でもある。
酒や肉を喰らわず、香りを栄養とする為に訪ね歩くため食香または尋香行とも呼ばれ、自身の体からも香気を発する。香気と音楽は非常にかすかでどこから発しているのかわからないともされる。 その身から冷たくて濃い香気を放つため、サンスクリットでは「変化が目まぐるしい」という意味で魔術師も「ガンダルヴァ」と呼ばれ、蜃気楼の事をガンダルヴァの居城に喩え「乾闥婆城」(gandharva-nagara)と呼ぶ。
かつてはギリシア神話のケンタウロスと同源であると推定されていたが、現在では否定的である。
仏教におけるガンダルヴァ(乾闥婆 けんだつば)[編集]
仏教
Dharma wheel
基本教義
縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
中道 波羅蜜 等正覚
人物
釈迦 十大弟子 龍樹
信仰対象
仏の一覧
分類
原始仏教 部派仏教
大乗仏教 密教
神仏習合 修験道
宗派
仏教の宗派
地域別仏教
インド スリランカ
中国 台湾 チベット
日本 朝鮮
東南アジア タイ
聖典
経蔵 律蔵 論蔵
聖地
八大聖地
歴史
原始 部派
上座部 大乗
ウィキポータル 仏教
表・話・編・歴
仏教での漢訳は乾闥婆(けんだつば)となり、天竜八部衆、また四天王眷属の八部鬼神の一つである。楽乾闥婆王、健達婆、犍達縛、健闥婆、乾沓和、乾沓婆、彦達縛、犍陀羅、香神、 嗅香、香陰、香音天など様々な訳名がある。
酒や肉を喰らわず、香りを栄養とする為に訪ね歩くため食香または尋香行とも呼ばれ、自身の体からも香気を発する。香気と音楽は非常にかすかでどこから発しているのかわからないともされる。 その身から冷たくて濃い香気を放つため、サンスクリットでは「変化が目まぐるしい」という意味で魔術師も「ガンダルヴァ」と呼ばれ、蜃気楼の事をガンダルヴァの居城に喩え「乾闥婆城」(gandharva-nagara)と呼ぶ。
かつてはギリシア神話のケンタウロスと同源であると推定されていたが、現在では否定的である。
仏教におけるガンダルヴァ(乾闥婆 けんだつば)[編集]
仏教
Dharma wheel
基本教義
縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
中道 波羅蜜 等正覚
人物
釈迦 十大弟子 龍樹
信仰対象
仏の一覧
分類
原始仏教 部派仏教
大乗仏教 密教
神仏習合 修験道
宗派
仏教の宗派
地域別仏教
インド スリランカ
中国 台湾 チベット
日本 朝鮮
東南アジア タイ
聖典
経蔵 律蔵 論蔵
聖地
八大聖地
歴史
原始 部派
上座部 大乗
ウィキポータル 仏教
表・話・編・歴
仏教での漢訳は乾闥婆(けんだつば)となり、天竜八部衆、また四天王眷属の八部鬼神の一つである。楽乾闥婆王、健達婆、犍達縛、健闥婆、乾沓和、乾沓婆、彦達縛、犍陀羅、香神、 嗅香、香陰、香音天など様々な訳名がある。
ガンダルヴァ・ヴェーダ
移動: 案内、 検索
ガンダルヴァ・ヴェーダはサーマ・ヴェーダのウパ(副)・ヴェーダ。または、ガンダルヴァの楽曲。「サ・リ・ガ・マ・パ・ダ・ニ(SA、RI、GA、MA、PA、DHA、NI)」の7音階からなるラーガを演奏する。
自然界のラーガを奏でることで、人と環境の調和をもたらす音楽療法でもある。
熟達した人が雨のラーガを演奏すると雨が降るといわれる。
ガンダルヴァ・ヴェーダはサーマ・ヴェーダのウパ(副)・ヴェーダ。または、ガンダルヴァの楽曲。「サ・リ・ガ・マ・パ・ダ・ニ(SA、RI、GA、MA、PA、DHA、NI)」の7音階からなるラーガを演奏する。
自然界のラーガを奏でることで、人と環境の調和をもたらす音楽療法でもある。
熟達した人が雨のラーガを演奏すると雨が降るといわれる。
『サーマ・ヴェーダ』(Sāmaveda, सामवेद)は、バラモン教の聖典であるヴェーダの一つ。
概要[編集]
祭式において旋律にのせて歌われる讃歌(sāman)を収録したもの。 歌詠を司るウドガートリ祭官(udgātr)によって護持されてきた。
讃歌の多くは『リグ・ヴェーダ』に、一部は他のヴェーダ文献に材を取っており、オリジナルのものは少ない。 が、インド古典音楽の源流として貴重な資料であり、声明にも影響を及ぼしている。
伝承によれば、『サーマ・ヴェーダ』はかつて1000の流派に分かれていたというが、現在は3派のものが文献として残っている。三派の詩の数は、それぞれ585、1225、58篇あるが、重複部分もある。
『サーマ・ヴェーダ』の本文であるサンヒターは、讃歌の歌詞のみを収録したアールチカ(ārcika)と、符号を用いて旋律や音節の長短、反復なども示したガーナ(gāna)に分類される。
副ヴェーダ[編集]
ガンダルヴァ・ヴェーダ
概要[編集]
祭式において旋律にのせて歌われる讃歌(sāman)を収録したもの。 歌詠を司るウドガートリ祭官(udgātr)によって護持されてきた。
讃歌の多くは『リグ・ヴェーダ』に、一部は他のヴェーダ文献に材を取っており、オリジナルのものは少ない。 が、インド古典音楽の源流として貴重な資料であり、声明にも影響を及ぼしている。
伝承によれば、『サーマ・ヴェーダ』はかつて1000の流派に分かれていたというが、現在は3派のものが文献として残っている。三派の詩の数は、それぞれ585、1225、58篇あるが、重複部分もある。
『サーマ・ヴェーダ』の本文であるサンヒターは、讃歌の歌詞のみを収録したアールチカ(ārcika)と、符号を用いて旋律や音節の長短、反復なども示したガーナ(gāna)に分類される。
副ヴェーダ[編集]
ガンダルヴァ・ヴェーダ