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2014年02月07日

無色界

無色界(むしきかい、ārūpya-dhātu)は、天部の最高部に位置し三界の一つである。欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。4つの禅定があるので四禅定という。

概説[編集]

受想行識の四蘊のみより成る世界。無色と名づくのは、説一切有部では色がまったく無いからといい、大衆部・化地部などは麁色なき所謂とし、経部では色の起るを妨げずをいうからといわれる。上から非想非非想処・無所有処・識無辺処・空無辺処の4つがある。

分類[編集]

非有想非無想処(非想非非想処、有頂天とも)
無色界の最高の天。何物も無しと思惟する定を超えて極めて昧劣な想のみが存在する定。有における天界の最上部であるため有頂天とも言う。
無所有処
無色界の第3天。何物も無しと思惟する定。
識無辺処
無色界の第2天。識は無限大であると思惟する定。
空無辺処
無色界の第1天。定を抑える一切の想を滅し、空間が無限大であると思惟する定。

色界

色界(しきかい、Skt:rūpa-dhātu)は三界の一つ。色天、色行天ともいう。

色は物質の義、あるいは変礙の義。欲望を離れた清浄な物質の世界。無色界の下にあり、欲界の上にある世界。色界に住む天人は、食欲と淫欲を断じ、男女の区別がなく、光明を食とするという。しかし情欲と色欲はある。色界の諸天は、世間の禅定並びに上品の十善を修してこの報を感じるという。色界には、初禅、二禅、三禅、四禅の四地があり、最上の色究竟天を過ぎると無色界に入る。天界28天に属す。

大乗仏教(特に唯識)は、上座部と同じく18天とするが、薩婆多部は16天、経部は17天とするなど、数には諸説ある。


なお、上位から述べると次の通りになる。
1.色究竟天
2.善見天
3.善現天
4.無熱天
5.無煩天
6.廣果天
7.無想天(薩婆多・経の2部は、廣果天の中に摂す)
8.福生天
9.無雲天
10.遍照天
11.無量浄天
12.少浄天
13.光音天
14.無量光天
15.少光天
16.大梵天
17.梵輔天
18.梵衆天


上記の天部を、四禅から初禅に振り分けると以下の通りとなる。
四禅
色究竟天・善見天・善現天・無熱天・無煩天(これを五浄居天と称す)と廣果天・福生天・無雲天三禅
遍照天・無量浄天・少浄天二禅
光音天・無量光天・少光天初禅
大梵天・梵輔天・梵衆天

欲界

欲界(よくかい、skt:kaama-dhaatu कामधातु )とは、仏教における世界観のなかで欲望(色欲・貪欲・財欲など)にとらわれた生物が住む世界。三界の一つで、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人(にん)・天上(神)が住む世界のこと。なお、天上界は、三界のうち上に行くほど色界と無色界があるが、それより下部にある欲界に属する天を六欲天という。

三界

三界(さんがい、tridhātu)は、欲界・色界・無色界の三つの総称。三有ともいう。凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたもの。なお、仏陀はこの三界での輪廻から解脱している。
欲界(kāmadhātu)淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む処。六欲天から人間界を含み、無間地獄までの世界をいう。色界(rūpadhātu)欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた有情が住む処。この色界は禅定の段階によって、4つ(四禅天)に分けられ、またそれを細かく18天に分ける。無色界(ārūpyadhātu)欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。

地獄 (仏教)

地獄(じごく、Skt:नरक Naraka、音写:奈落)とは仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界。欲界・冥界・六道、また十界の最下層である。一般的に、大いなる罪悪を犯した者が死後に生まれる世界とされる。

地獄は、サンスクリット語で Naraka(ナラカ)といい、奈落(ならく)と音写されるが、これが後に、演劇の舞台の下の空間である「奈落」を指して言うようになった。






目次 [非表示]
1 概説 1.1 地獄の色

2 種別
3 地獄思想の成立
4 関連項目
5 外部リンク


概説[編集]

六道の下位である三悪趣(三悪道とも、地獄・餓鬼・畜生)の1つに数えられる。あるいは三悪趣に修羅を加えた四悪趣の1つ、また六道から修羅を除く五悪趣(五趣)の1つである。いずれもその最下層に位置する。

日本の仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを受け、最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。

こうした地獄の構造は、イタリアのダンテの『神曲』地獄篇に記された九圏からなる地獄界とも共通することがたびたび指摘される。たとえば、ダンテの地獄には、三途の川に相当するアケローン川が流れ、この川を渡ることで地獄に行き着くのである。

『古事記』には地獄に似ている黄泉国が登場する。ただし、『日本書紀』の中に反映されている日本神話の世界では、地獄は登場しない。代わりに恨みや果たせなかったのぞみなどを抱えたまま死んだ魂は、鬼となるといった物語は、菅原道真や今昔物語などのその例が見られるが、地獄に落ちてといったものはでてこない。





地獄草紙



地獄の色[編集]

東アジアの仏教では、地獄の色は道教的に、あるいはその影響を受けた陰陽道的に「黒」で表す。餓鬼は赤、畜生は黄、修羅は青、この三色を混ぜると地獄の黒になると言われる。また、節分で追われる赤鬼、黄鬼、青鬼はここから来ている。

種別[編集]

衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。 この無間地獄は阿鼻地獄と同意で、阿鼻はサンスクリットaviciを音写したものとされ、意味は共に「絶え間なく続く(地獄)」である。

その上の1万9千由旬の中に、大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層しているという。これを総称して八大(八熱)地獄という。これらの地獄にはそれぞれ性質があり、そこにいる衆生の寿命もまた異なるとされる。

また、この八熱地獄の4面に4門があり、門外に各4つの小地獄があり、これを合して十六遊増地獄という(四門地獄、十六小地獄ともいう)。八熱地獄と合せば百三十六地獄となる。また八熱地獄の横に八寒地獄または十地獄があるともいわれる。

また、山間廣野などに散在する地獄を孤独地獄という。

地獄思想の成立[編集]

元々は閻魔大王、牛頭、馬頭などの古代インドの民間信仰である死後の世界の思想が、中国に伝播して道教などと混交して、仏教伝来の際に日本に伝えられた。

そのため元来インド仏教には無かった閻魔大王を頂点とする官僚制度などが付け加えられた。その後、浄土思想の隆盛とともに地獄思想は広まり、民間信仰として定着した。

大乗仏教が発展すると、地獄は死後に赴く世界と見なされるようになった。

地獄は、日本の文化史の中では比較的新しいもので、これが特に強調されるようになったのは、平安時代の末法思想の流行からのことと思われる。

地獄思想の目的は、一つには宗教の因果応報性であり、この世界で実現されない正義を形而上世界で実現させるという機能を持つ。(→キリスト教の「最後の審判」)

神道では江戸後期に平田篤胤が禁書であったキリスト教関係の書物を読み、幽明審判思想を発明した。すなわちイエスの最後の審判のように、大国主命(おおくにぬしのみこと)が死者を「祟り神」などに格付けしてゆくという発想である。

畜生

畜生(ちくしょう、Skt:Tiryagyoni、漢訳:横生=おうしょう、傍生=ぼうしょう)とは、仏教において、神や人間以外に生まれた生物のことをいう。六道また十界の1つである。十界のうちでは迷界、三悪道(趣)に分類される。

概要[編集]

畜生は、苦しみ多くして楽少なく、性質無智にして、ただ食・淫・眠の情のみが強情で、父母兄弟の区別なく互いに残害する人間以外の禽獣虫魚など生類をいう。その種類はすこぶる多い。住所は水陸空にわたるが、本所は大海中に在すといわれる。

衆生・人間が悪業を造り、愚痴不平多くして感謝報謝なき者は死後に畜生に生るとされる。なお、大乗仏教ではこの思想は後々に、死後生まれ変わる世界としてだけではなく、人間が実生活における所行に応じて現れた結果、今生においての精神状態をも指すようになった。

漢語の「畜生」とは、「家畜・蓄養」と「衆生」のことで、「管子」禁蔵や、「韓非子」解老等に用例が見られる。

俗語への転用[編集]

本来は仏教用語であるが、次第に、動物のような生き方をする人に対する呼称となり、さらに転じて「犬畜生」のように他人を罵倒したり、自分の失敗や敗北を悔やんだりする言葉と変化していった。近親相姦のことを畜生道ということもある。

阿修羅

阿修羅(あしゅら、あすら、Skt:asuraの音写、意訳:非天)は八部衆に属する仏教の守護神[1]。修羅(しゅら)とも言う[2]。

大乗仏教時代に、その闘争的な性格から五趣の人と畜生の間に追加され、六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主となった。



目次 [非表示]
1 概要
2 歴史的背景
3 戦闘神になった背景
4 阿修羅王と住処 4.1 阿修羅道(修羅道)

5 出典
6 関連項目
7 外部リンク


概要[編集]

古代ペルシアの聖典『アヴェスター』に出る最高神アフラ・マズダーに対応するといわれる(以下、歴史的背景の項を参照)[3]。それが古代インドの魔神アスラとなり、のちに仏教に取り入れられた[2]。古くインドでは生命生気の善神であった[2]。天の隣国だが天ではなく、男の顔立ちは端正ではない。醸酒にも失敗し、果報が尽きて忉利天にも住めないといわれる。

本来サンスクリットで「asu」が「命」、「ra」が「与える」という意味で善神だったとされるが、「a」が否定の接頭語となり、「sura」が「天」を意味することから、非天、非類などと訳され[2]、帝釈天の台頭に伴いヒンドゥー教で悪者としてのイメージが定着し、地位を格下げされたと考えられている。また、中国において「阿」の文字は子供への接頭辞(「○○ちゃん」)の意味合いを持つため「修羅」と表記されることもあった。帝釈天とよく戦闘した神である[2]。『リグ・ヴェーダ』では最勝なる性愛の義に使用されたが、中古以来、恐るべき鬼神として認められるようになった。

仏教に取り込まれた際には仏法の守護者として八部衆に入れられた[1]。なお五趣説では認めないが、六道説では、常に闘う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界、あるいはその精神境涯とされる。

興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記している。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶ。

姿は、三面六臂(三つの顔に六つの腕)で描かれることが多い[2]。

奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝)や[2]、京都府・三十三間堂の二十八部衆像・阿修羅像(国宝)が有名。

日本語では、争いの耐えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶ場合もある。激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を指す。

歴史的背景[編集]

一般的には、サンスクリットのアスラ(asura)は歴史言語学的に正確にアヴェスター語のアフラ(ahura)に対応し、おそらくインド-イラン時代にまでさかのぼる古い神格であると考えられている[3]。宗教学的にも、ヴェーダ文献においてアスラの長であるとされたヴァルナとミトラは諸側面においてゾロアスター教のアフラ・マズダーとミスラに対応し、インド・ヨーロッパ比較神話学的な観点では第一機能(司法的・宗教的主権)に対応すると考えられている。アスラは今でこそ悪魔や魔神であるという位置づけだが、より古いヴェーダ時代においては、インドラらと対立する悪魔であるとされるよりは最高神的な位置づけであることのほうが多かったことに注意する必要がある。

ペルシアのゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーやそれらの神が中央アジアの初期アーリア人経由でインドに伝来してアスラとなり[3]、中国で阿修羅の音訳を当てた[2]。阿素羅[2]、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛[2]、阿須倫[2]、阿須輪などとも音写する。

仏教伝承では、阿修羅は須弥山の北に住み、帝釈天と戦い続けた。阿修羅は帝釈天に斃されて滅ぶが、何度でも蘇り永遠に帝釈天と戦い続ける、との記述がある。

戦闘神になった背景[編集]

阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天部の神であった。阿修羅が天部から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話がある。

阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。

阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。

帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。

一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。

阿修羅を意訳すると「非天」というが、これは阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが天には非ざるという意義から名づけられた。

阿修羅王と住処[編集]

阿修羅王の名前や住処、業因などは経論によって差異がある。パーリ語(Pl)では、阿修羅王に Rāhu、Vepacitti、Sambara、Pahārāda、Verocana、Bali の5つの名が見られる。ただし大乗仏典では、一般的に阿修羅王は4人の王とされることが多い。 『法華経』序品には、4人の王の名を挙げ、各百千の眷属を有しているとある。

また『十地経』や『正法念処経』巻18〜21には、これら4人の住処・業因・寿命などを説明しており、其の住処は妙高山(須弥山)の北側の海底地下8万4千由旬の間に4層地に分けて住していると説く。以下説明は主に正法念処経による。
羅喉阿修羅王(らご) Skt及びPl:Rāhu、ラーフ、パーリ語(PI):訳:障月、執月、月食など、 
その手でよく日月を執て、その光を遮るので、この名がある。

(住処) - 第1層、海底地下21000由旬を住処とする。身量広大にして須弥山のようで、光明城に住み、縦横8000由旬。(業因) - 前世にバラモンであった時、1つの仏塔が焼き払われるのを防ぎ、その福徳により後身に大身相を願った。不殺生の実践したが、諸善業を行わなかったので、その身が破壊(はえ)し、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。(寿命) - 人の500歳を1日1夜として、その寿命は5000歳婆稚阿修羅王(ばち、婆稚とも) Skt及びPl:Bali、バリ、訳:被縛
帝釈天と戦って破れ、縛せられたためにこの名がある。正法念処経では勇犍(ゆうごん)阿修羅王。ラーフの兄弟で、彼の子らはみなVerocaと名づく。

(住処) - 第1層の下の第2層、さらに21000由旬の月鬘(げつまん)という地で、双遊城に住み、縦横8000由旬。(業因) - 前世に他人の所有物を盗み、不正の思いをなして離欲の外道に施して、飲食(読み:おんじき)を充足させたので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。(寿命) - 人の600歳を1日1夜として、その寿命は6000歳佉羅騫駄阿修羅王(きゃらけんだ) Skt:Śambara、Pl:Sambara、サンバラ、訳:勝楽、詐譌、木綿など
正法念処経では華鬘(けまん)阿修羅王と訳される。

(住処) - 第2層の下の第3層、さらに21000由旬の修那婆(しゅなば)という地で、鋡毘羅城(かんびら)に住み、縦横8000由旬。(業因) - 前世に食を破戒の病人に施して、余の衆は節会の日により相撲や射的など種々の遊戯をなし、また不浄施を行じたので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。(寿命) - 人の700歳を1日1夜として、その寿命は7000歳毘摩質多羅阿修羅王(びましったら) Skt:Vemacitra、Vimalacitra、Pl:Vepacitti、ヴェーパチッティ、訳:浄心、絲種種、綺書、宝飾、紋身など
乾闥婆の娘を娶り、娘の舎脂を産んだ。前出のように舎脂は帝釈天に嫁いだため、帝釈天の舅にあたる。

(住処) - 第3層の下の第4層、さらに21000由旬の不動という地で、鋡毘羅城(かんびら)に住み、縦横13000由旬。(業因) - 前世に邪見の心を以って持戒する者に施して、余の衆は自身のために万樹を護ったので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。
その他『起世経』では、須弥山の東西の面を去ること1000由旬の外に毘摩質多羅王の宮があり、縦横8万由旬であるといい、また修羅の中に極めて弱き者は人間山地の中に在りて住す、すなわち今、西方の山中に大きくて深い窟があり、多く非天=阿修羅の宮があるという。

阿修羅道(修羅道)[編集]

六道のひとつ。妄執によって苦しむ争いの世界。果報が優れていながら悪業も負うものが死後に阿修羅に生る。

人間道の下とされ、天道・人間道と合わせて三善趣(三善道)、あるいは畜生道・餓鬼道・地獄道の三悪趣と合わせて四悪趣に分類される。五趣に修羅道はなく、天道に含まれていた。また「増一阿含経」では、神通力を持つ魔羅身餓鬼の阿修羅と、海底地下84000由旬を住処とする畜生道の阿修羅が居るとしている。

「起世経」によれば、阿修羅たちは身長や寿命、三十三天の住人と特徴を同じくする。身長は1由旬で、寿命は一昼夜が人間の100年で1000歳。形色、楽、寿命の3点において人間に勝る。「正法念処経」では寿命は5000歳。

「正法念処経」によれば、衣食は望むままに現れ、天界と変わらぬ上等なものが得られる。「大智度論」によれば人間道に勝る食事ではあるが、竜王の食事が最後の一口がカエルに変わるように、修羅の食事も食べ終わるとき口の中に泥が広がるため、人間道に勝るものではない。

人間界

人間界(にんげんかい、Skt:Manussya)は、人間がいる世界のこと。

仏教における人間界[編集]

仏教における人間界とは、迷界・欲界・六道、また十界の中の1つの世界にして、地獄から数えて第5番目に位置する。また三善道[1]の1つ。過去世において、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)、また中品の十善の善因を修した者が生れる場所とされる。

ストーリーにおける人間界[編集]

小説・漫画・アニメ・映画などのストーリーにおいて、人間のいる世界(現世、この世)とは別の世界(異世界、パラレルワールド)を取り扱った作品の場合、その世界に対して人間のいる世界を「人間界」と表現することがある。

天 (仏教)

天(てん)は、仏教の世界観の中で、神々や天人が住むとされる最上位の世界。天界(てんかい、てんがい)、天道(てんどう)、天上界(てんじょうかい、てんじょうがい)、天上道(てんじょうどう)。サンスクリットではデーヴァローカ (devaloka, deva loka)。

天の住人を意味するデーヴァ (देव, deva) も天と訳されることがある(あるいは天部、天神、天人、天部神)。天の住人(天人)一般についてはここで併せて述べるが、信仰の対象としての仏教の神々については天部も参照。なお、女性の天人を天女ともいう。

六道の中の天[編集]

天道は、六道の最上位である(この文脈では天道と訳すことが多い)。そのすぐ下位が人の住む人道である。

天人は長寿で、空を飛ぶなどの神通力が使える。また、快楽に満ち、苦しみはない。

ただし、天道はあくまで輪廻の舞台である六道の1つであり、天人も衆生にすぎない。天人は不死ではなく(天人が死ぬ前には天人五衰という兆しが現れる)、死ねば他の衆生同様、生前の行いから閻魔が決めた六道のいずれかに転生する。

天人は悟りを開いてはおらず、煩悩から解放されていない。悟りを開いたものは仏陀であり、輪廻から開放され六道に属さない涅槃(浄土、極楽)へと行く。

現在の大乗仏教では人道の下に阿修羅が住む阿修羅道が位置するが、初期仏教では六道のうち阿修羅道がなく五趣とされ、阿修羅は天に住んでいた。

天台宗では六道の上に仏陀が属する仏界などの四聖を加え十界とするため、その上から第5位が天界となる。

三界の中の天[編集]

三界も六道と同じく、輪廻の舞台となる世界の分類だが、分け方が異なる。三界のうち上2つの無色界・色界と、最下位の欲界のうち上部の六欲天が、天に相当する。

天の分類[編集]

天はより細かく分けられる。以下で上位から述べる28天が、日本の大乗仏教では標準的である。

これらの天の名の多くは、世界と同時に、その世界の住人をも意味する。また、「〜天」の「天」は省略されることもある。
無色界(無色天、無色界天、四禅定) - 欲望や色(肉体や五感などの物質的世界)から超越した、精神のみの世界。禅定の段階により4天に分けられる。 非想非非想天(非想非非想処、非想非非想処天、非想天、有頂天)
無所有天(無所有処、無所有処天)
識無辺天(識無辺処、識無辺処天)
空無辺天(空無辺処、空無辺処天、無量空処)

色界(色天、色界天、色行天、色界十八天) - 欲望からは開放されたが、色はまだ有している世界。禅定の段階により大きく4つに分けられる。 四禅天(四禅九天) बृहत्फल (Bṛhatphala) 五浄居天(首陀会天:智度論では阿那含の住処とする) 色究竟天(阿迦尼吒天)
善見天 - 善見天と善現天は位置が逆になることがある。
善現天
無熱天
無煩天(浄居天)

無想天 - 外道天とする。置かなかったり、広果天に含めることがある。
広果天
(福愛天をこの位置に置くことがある)
福生天
無雲天

三禅天(三禅三天) शुभकृत्स्न (Śubhakṛtsna) 遍浄天
無量浄天
少浄天

二禅天(二禅三天) आभास्वर (Ābhāsvara) 光音天(極光浄天)
無量光天
少光天

初禅天(初禅三天、一禅天) ब्रह्मा (Brahmā) 大梵天 - 梵天が住む。
梵輔天
梵衆天


欲界 कामधातु (Kāmadhātu) - 欲にとらわれた世界。 六欲天 他化自在天(第六天) परिनिर्मित वशवर्तिन् (Parinirmita-vaśavartin) - 天魔が住む。
化楽天(楽変化天) निर्माणरति (Nirmāṇarati)
兜率天(兜率陀天、兜卒天、都率天、覩史多天) तुषित (Tuṣita)
焔摩天(閻魔天) याम (Yāma)
忉利天(三十三天) त्रायसत्रिंश (Trāyastriṃśa) - 帝釈天が住む。
四天王天(四大王衆天、四王天) चातुर्महाराजिककायिक (Cāturmahārājikakāyika)

この下に、天以外の世界が続く。

六道

六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。
天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。

なお一部には、天狗など、この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という場合もある(ただし、これは仏教全体の共通概念ではない)。



目次 [非表示]
1 六道一覧
2 歴史
3 観音信仰
4 六道輪廻図
5 関連項目


六道一覧[編集]
天道天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。人間道人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。修羅道修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。畜生道畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。餓鬼道餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。地獄道地獄道は罪を償わせるための世界である。詳細は地獄を参照のこと。
このうち、地獄から畜生までを三悪趣(三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合がある。また地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。

また六道から修羅を除いて五趣(五道)と称すこともある。初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかった。つまり五趣の方が六道より古い概念とされる。これは当初、修羅(阿修羅)が、天部に含まれていたもので、大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。したがって、これらを一括して五趣六道という。

歴史[編集]

仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。体系化が進行したのは後代と考えられる。

インド・中国起源ではないが、日本では11世紀ころ、六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された。

観音信仰[編集]

観音菩薩の導きで六道世界より救われるという観音信仰がある。その六つの世界に応じたそれを六観音とよび天台宗と真言宗とでは、人間道のそれが不空羂索観音と准胝観音とで異なっている。七観音とよばれるものは、この二観音を含めたものである。


六道

真言宗の六観音

天台宗の六観音


天道
如意輪観音 如意輪観音

人間道
准胝観音 不空羂索観音

修羅道
十一面観音 十一面観音

畜生道
馬頭観音 馬頭観音

餓鬼道
千手観音 千手観音

地獄道
聖観音 聖観音

六道輪廻図[編集]





六道輪廻図(ラサのセラ寺)
六道輪廻図ではそれぞれ、
怪物と骸骨 - 無常大鬼
外周の円環 - 人の行い(十二因縁)
次の内側円環 - 六道(上半分が天道・人道・修羅道の三善趣。下半分が畜生道・餓鬼道・地獄道の三悪趣)
最も内側の円環 - 人(右半分が悪行により地獄道に落ちる姿、左半分は善行により天道に行く姿)
中心の円 - 貪(鳥)・瞋(蛇)・癡(豚)の三毒

を表している。
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