2014年02月08日
占星術
占星術(せんせいじゅつ)または占星学(せんせいがく)は、太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占う技術(占い)。古代バビロニアを発祥とするとされ、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパで発展した西洋占星術・インド占星術と、中国など東アジアで発展した東洋占星術に大別することができる。
目次 [非表示]
1 概要 1.1 発祥
1.2 インド・アラブ・ヨーロッパ
1.3 中国
2 占星術と科学 2.1 天文学との関連
2.2 占星術と自然科学
2.3 占星術と心理学
2.4 未来予測の信頼性
2.5 学者による検証
2.6 惑星の定義見直しによる影響
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
6 関連書
概要[編集]
発祥[編集]
古代バビロニアで行われた大規模な天体観測が起源であり、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ・中国へ伝わったといわれている。おもに国家や王家の吉凶判断に使われた。バビロニア占星術は紀元前3世紀頃にギリシアに伝わり、個人の運勢を占うホロスコープ占星術に発展した。占星術を指す単語は、古典ギリシア語のアストロロギア(astrologia)に由来する。アストロロギア(astrologia)のアストロ(astro)という接頭辞は古典ギリシア語の astron 星でありastrologiaとは星について考えたことという意味になる。アストロノミア(astronomia、英語のastronomy)天文学とはastrologiaのなかで星の動きなどについての学問であった(nomos は秩序の意味)。ちなみに、astrologistは占星術者である。
インド・アラブ・ヨーロッパ[編集]
2世紀頃にはインドに伝わりインド占星術として現在でも盛んである。現在一般に流布しているのは、ギリシアからアラブ・ヨーロッパで行われている西洋占星術と言われるもので、現在日本で星占いとして流布している通俗的な占いも西洋占星術と起源を同じくすると考えられる太陽占星術である。
中国[編集]
古代中国において「天文」とは、古代世界の他の文明でもそうであったように、狭義の天文学と観測される天象による占いとが渾然一体となったものであった。バビロニア占星術とは異なり、天体の配置ではなく日食、月食、流星、彗星、新星や超新星の出現、そして星の見え方など天変現象に注目したものであった。これは天変は天が与える警告であるという「災異説」の思想に則ったものである。これは現代で天変占星術とよぶ人もいる。
ただしバビロニア起源と考えられる黄道十二宮を使った占星術の影響を受けて成立したと考えられる六壬神課の基本構造が戦国-秦-漢の時代には確立していた。六壬神課の式盤はサインとハウスで構成されたホロスコープに中国独自の十二天将を配布したものを表現している。この後、唐の時代にインド占星術を漢訳した『宿曜経』が伝来し、七政四餘となった。『宿曜経』は当時の日本でも受容され宿曜道となった。しかしその後は実際の天文観測情報が国家に独占されたこともあり、煩雑な天文計算の必要がない暦をベースとした占術が主流となって行く。
占星術と科学[編集]
近現代において、占星術は科学ではない。占星術は、プトレマイオス以来の地球中心説(天動説)の宇宙観を引きずっており、地動説に基づく現代科学とはまったく別の考え方に基づく技術と考えられる。
天文学との関連[編集]
占星術は天文学の母胎でもあった。ケプラーの法則で有名なヨハネス・ケプラーは天文学者・数学者であると同時に占星術師でもあった[1]。ドイツ観念論を代表する哲学者ヘーゲルが大学教師の職に就くための就職論文がDissertatio philosophica de Orbitis Planetarum. (『惑星の軌道に関する哲学的論考』通称『惑星軌道論』[2])であり、その中で惑星の運動を本質的に解明したのは物理学的に解析したニュートンよりもむしろケプラーであると評した[3]。 そしてケプラーが「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」[4]と書いたように、権力者が占星術には金を出すが、天文学には支援しないという状況があったことも、この両者がある時期まで一体的に発展してきた一つの社会的要因と考えられる[5]。
占星術と自然科学[編集]
近世以降においては占星術は自然科学の体系から完全に離れてしまっている。人間の性格や運勢、国家の運命などを、天体の動きと結びつけることも、科学的には行われていない。現代の多くの占星術専門家も、現代自然科学の枠組で占星術を理解することはきわめて困難であると考えている。
ソルボンヌ大学の心理学者ミッシェル・ゴークランは火星と職業の相関関係を調査した。(科学とは何の関連もない。)
ドイツのナチス副総統ルドルフ・ヘスの顧問占星術師カール・エルンスト・クラフトは占星術を統計学的に調査した(統計学的な調査は科学的な一手法なだけで、それと科学かどうかは別問題である。)
ソルボンヌ大学のディーン・ルディアはユング占星術、すなわち「占星術の心理学的アプローチ」に対し、「心理学の占星術的アプローチ」を行い、後の西洋占星術における「サビアン占星術」に貢献した。
占星術と心理学[編集]
近代において占星術に積極的に取り組んだ研究者は、むしろカール・ユングに代表される心理学者などである。ユングは因果律ではないシンクロニシティ、あるいは「意味のある偶然の一致」という考え方を示そうとして、占星術を援用した。この事情もあり、イギリスを中心とする現代の占星術師や占星術研究家と称する人々の中には、心理学を援用しようと試みている人も少なくない。
1970年代に欧米で、心理療法の分野の研究をしながら占星術を学ぶ人が増えたことにより心理占星学が発達したといわれている。人間の心を扱う研究は古代の占星術が扱うテーマの1つであったともいわれている。先駆者としてディーン・ルディア、リズ・グリーンなどがあげられている。
未来予測の信頼性[編集]
西欧中世のスコラ哲学者トマス・アクィナスが「星は誘えど、強制せず」と喝破したように、占星術の体系は決定論ではなく、しかも人それぞれの経験や主観によって解釈にぶれがある。このため現代科学が求める再現性を保証するのはきわめて困難である。
学者による検証[編集]
パリで一人の科学者が無料占星術の広告を新聞に掲載。応募要綱には出生地と出生時間を条件に付記、この応募に150通の手紙が寄せられた。”条件”とはフランスの連続殺人犯と同一のものであるが、それは差出人には伏せて占星術の結果をアンケート用紙を同封して報告。応募者の94%が「占いは当たっている」と返答した。[6]
惑星の定義見直しによる影響[編集]
惑星の定義見直しによる影響については、西洋占星術の項を参照。
脚注[編集]
1.^ クリストファー・ヒル 『十七世紀イギリスの民衆と思想 People and Ideas in 17th Century England』クリストファー・ヒル評論集 3、小野功生、箭川修、圓月勝博訳、法政大学出版局〈ウニベルシタス〉、1998年11月(原著1986年)(日本語)。ISBN 4-588-00620-7。 啓蒙と自然(W) Aufklärung und Natur (W) (Zusammenfassung) 大阪教育大学 正塚,晴康の引用注による
2.^ ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 『惑星軌道論 Dissertatio philosophica de Orbitis Planetarum.』 村上恭一訳、法政大学出版局〈ウニベルシタス〉、1991年1月(原著1801年)(日本語)。ISBN 9784588003240。
3.^ Nishikawa. “定年後の読書ノート 惑星軌道論” (日本語). 2009年7月25日閲覧。
4.^ ケネス・J・デラノ 『エピソード占星術 嘘かまことか Astrology-fact or fiction ?』 市場泰男訳、社会思想社〈現代教養文庫〉、1980年8月(原著1973年)、94頁(日本語)。ISBN 4-390-11024-1。における、ウォルター・W・ブライアント『ケプラー』1920年からの引用による。
5.^ もっともこの発言でケプラー自身は占星術に対して否定的であったととらえるむきもあるかもしれないが、ケプラーはアスペクトをサイン間の角度から惑星間の角度に再定義するなど、占星術に対して後世に残る貢献を果たしている。
6.^ 「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」カール・セーガン (著) 新潮社 (1997年(平成9年)9月) ISBN 4105192035
関連項目[編集]
西洋占星術 星占い(星座占い)
インド占星術
東洋占星術 宿曜道
心理占星学
疑似科学
バーナム効果
コールド・リーディング
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、占星術に関連するカテゴリがあります。
占星術史いろいろ
占星術の歴史
占星術の歴史について
※冥王星の惑星降格に対する占い師達の見解(一例)
冥王星が小惑星に
冥王星の惑星降格と占星術
惑星の定義
冥王星問題、再び
関連書[編集]
中山茂『占星術』 紀伊国屋書店 ISBN 4-314-00985-3
バートン,タムシン 豊田彰 訳『古代占星術―その歴史と社会的機能』法政大学出版局 ISBN 4-588-35602-X
H.J.アイゼンク、D.K.B.ナイアス 岩脇三良 訳『占星術―科学か迷信か』誠信書房 ISBN 4-414-30408-3
目次 [非表示]
1 概要 1.1 発祥
1.2 インド・アラブ・ヨーロッパ
1.3 中国
2 占星術と科学 2.1 天文学との関連
2.2 占星術と自然科学
2.3 占星術と心理学
2.4 未来予測の信頼性
2.5 学者による検証
2.6 惑星の定義見直しによる影響
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
6 関連書
概要[編集]
発祥[編集]
古代バビロニアで行われた大規模な天体観測が起源であり、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ・中国へ伝わったといわれている。おもに国家や王家の吉凶判断に使われた。バビロニア占星術は紀元前3世紀頃にギリシアに伝わり、個人の運勢を占うホロスコープ占星術に発展した。占星術を指す単語は、古典ギリシア語のアストロロギア(astrologia)に由来する。アストロロギア(astrologia)のアストロ(astro)という接頭辞は古典ギリシア語の astron 星でありastrologiaとは星について考えたことという意味になる。アストロノミア(astronomia、英語のastronomy)天文学とはastrologiaのなかで星の動きなどについての学問であった(nomos は秩序の意味)。ちなみに、astrologistは占星術者である。
インド・アラブ・ヨーロッパ[編集]
2世紀頃にはインドに伝わりインド占星術として現在でも盛んである。現在一般に流布しているのは、ギリシアからアラブ・ヨーロッパで行われている西洋占星術と言われるもので、現在日本で星占いとして流布している通俗的な占いも西洋占星術と起源を同じくすると考えられる太陽占星術である。
中国[編集]
古代中国において「天文」とは、古代世界の他の文明でもそうであったように、狭義の天文学と観測される天象による占いとが渾然一体となったものであった。バビロニア占星術とは異なり、天体の配置ではなく日食、月食、流星、彗星、新星や超新星の出現、そして星の見え方など天変現象に注目したものであった。これは天変は天が与える警告であるという「災異説」の思想に則ったものである。これは現代で天変占星術とよぶ人もいる。
ただしバビロニア起源と考えられる黄道十二宮を使った占星術の影響を受けて成立したと考えられる六壬神課の基本構造が戦国-秦-漢の時代には確立していた。六壬神課の式盤はサインとハウスで構成されたホロスコープに中国独自の十二天将を配布したものを表現している。この後、唐の時代にインド占星術を漢訳した『宿曜経』が伝来し、七政四餘となった。『宿曜経』は当時の日本でも受容され宿曜道となった。しかしその後は実際の天文観測情報が国家に独占されたこともあり、煩雑な天文計算の必要がない暦をベースとした占術が主流となって行く。
占星術と科学[編集]
近現代において、占星術は科学ではない。占星術は、プトレマイオス以来の地球中心説(天動説)の宇宙観を引きずっており、地動説に基づく現代科学とはまったく別の考え方に基づく技術と考えられる。
天文学との関連[編集]
占星術は天文学の母胎でもあった。ケプラーの法則で有名なヨハネス・ケプラーは天文学者・数学者であると同時に占星術師でもあった[1]。ドイツ観念論を代表する哲学者ヘーゲルが大学教師の職に就くための就職論文がDissertatio philosophica de Orbitis Planetarum. (『惑星の軌道に関する哲学的論考』通称『惑星軌道論』[2])であり、その中で惑星の運動を本質的に解明したのは物理学的に解析したニュートンよりもむしろケプラーであると評した[3]。 そしてケプラーが「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」[4]と書いたように、権力者が占星術には金を出すが、天文学には支援しないという状況があったことも、この両者がある時期まで一体的に発展してきた一つの社会的要因と考えられる[5]。
占星術と自然科学[編集]
近世以降においては占星術は自然科学の体系から完全に離れてしまっている。人間の性格や運勢、国家の運命などを、天体の動きと結びつけることも、科学的には行われていない。現代の多くの占星術専門家も、現代自然科学の枠組で占星術を理解することはきわめて困難であると考えている。
ソルボンヌ大学の心理学者ミッシェル・ゴークランは火星と職業の相関関係を調査した。(科学とは何の関連もない。)
ドイツのナチス副総統ルドルフ・ヘスの顧問占星術師カール・エルンスト・クラフトは占星術を統計学的に調査した(統計学的な調査は科学的な一手法なだけで、それと科学かどうかは別問題である。)
ソルボンヌ大学のディーン・ルディアはユング占星術、すなわち「占星術の心理学的アプローチ」に対し、「心理学の占星術的アプローチ」を行い、後の西洋占星術における「サビアン占星術」に貢献した。
占星術と心理学[編集]
近代において占星術に積極的に取り組んだ研究者は、むしろカール・ユングに代表される心理学者などである。ユングは因果律ではないシンクロニシティ、あるいは「意味のある偶然の一致」という考え方を示そうとして、占星術を援用した。この事情もあり、イギリスを中心とする現代の占星術師や占星術研究家と称する人々の中には、心理学を援用しようと試みている人も少なくない。
1970年代に欧米で、心理療法の分野の研究をしながら占星術を学ぶ人が増えたことにより心理占星学が発達したといわれている。人間の心を扱う研究は古代の占星術が扱うテーマの1つであったともいわれている。先駆者としてディーン・ルディア、リズ・グリーンなどがあげられている。
未来予測の信頼性[編集]
西欧中世のスコラ哲学者トマス・アクィナスが「星は誘えど、強制せず」と喝破したように、占星術の体系は決定論ではなく、しかも人それぞれの経験や主観によって解釈にぶれがある。このため現代科学が求める再現性を保証するのはきわめて困難である。
学者による検証[編集]
パリで一人の科学者が無料占星術の広告を新聞に掲載。応募要綱には出生地と出生時間を条件に付記、この応募に150通の手紙が寄せられた。”条件”とはフランスの連続殺人犯と同一のものであるが、それは差出人には伏せて占星術の結果をアンケート用紙を同封して報告。応募者の94%が「占いは当たっている」と返答した。[6]
惑星の定義見直しによる影響[編集]
惑星の定義見直しによる影響については、西洋占星術の項を参照。
脚注[編集]
1.^ クリストファー・ヒル 『十七世紀イギリスの民衆と思想 People and Ideas in 17th Century England』クリストファー・ヒル評論集 3、小野功生、箭川修、圓月勝博訳、法政大学出版局〈ウニベルシタス〉、1998年11月(原著1986年)(日本語)。ISBN 4-588-00620-7。 啓蒙と自然(W) Aufklärung und Natur (W) (Zusammenfassung) 大阪教育大学 正塚,晴康の引用注による
2.^ ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 『惑星軌道論 Dissertatio philosophica de Orbitis Planetarum.』 村上恭一訳、法政大学出版局〈ウニベルシタス〉、1991年1月(原著1801年)(日本語)。ISBN 9784588003240。
3.^ Nishikawa. “定年後の読書ノート 惑星軌道論” (日本語). 2009年7月25日閲覧。
4.^ ケネス・J・デラノ 『エピソード占星術 嘘かまことか Astrology-fact or fiction ?』 市場泰男訳、社会思想社〈現代教養文庫〉、1980年8月(原著1973年)、94頁(日本語)。ISBN 4-390-11024-1。における、ウォルター・W・ブライアント『ケプラー』1920年からの引用による。
5.^ もっともこの発言でケプラー自身は占星術に対して否定的であったととらえるむきもあるかもしれないが、ケプラーはアスペクトをサイン間の角度から惑星間の角度に再定義するなど、占星術に対して後世に残る貢献を果たしている。
6.^ 「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」カール・セーガン (著) 新潮社 (1997年(平成9年)9月) ISBN 4105192035
関連項目[編集]
西洋占星術 星占い(星座占い)
インド占星術
東洋占星術 宿曜道
心理占星学
疑似科学
バーナム効果
コールド・リーディング
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、占星術に関連するカテゴリがあります。
占星術史いろいろ
占星術の歴史
占星術の歴史について
※冥王星の惑星降格に対する占い師達の見解(一例)
冥王星が小惑星に
冥王星の惑星降格と占星術
惑星の定義
冥王星問題、再び
関連書[編集]
中山茂『占星術』 紀伊国屋書店 ISBN 4-314-00985-3
バートン,タムシン 豊田彰 訳『古代占星術―その歴史と社会的機能』法政大学出版局 ISBN 4-588-35602-X
H.J.アイゼンク、D.K.B.ナイアス 岩脇三良 訳『占星術―科学か迷信か』誠信書房 ISBN 4-414-30408-3
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/2214409
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック