2014年02月07日
トラスタマラ家
トラスタマラ家(スペイン語:Casa de Trastámara)は、イベリア半島を発祥とする王家。14世紀から16世紀にかけて、イベリア半島(カスティーリャ王国、アラゴン王国、ナバラ王国など)、南イタリア(シチリア王国、ナポリ王国)を支配した。
目次 [非表示]
1 概要
2 系図 2.1 王位についた人物
2.2 カスティーリャ=レオン王家
2.3 アラゴン=カタルーニャ王家、ナバラ王家
2.4 ナポリ王家
3 関連項目
概要[編集]
家名のトラスタマラは、始祖であるカスティーリャ王エンリケ2世(生没年:1333年 - 1379年)が即位前にトラスタマラ伯であったことに由来する。エンリケ2世はブルゴーニュ(イヴレーア)家のカスティーリャ王アルフォンソ11世の庶子であったが、第一次カスティーリャ継承戦争において嫡子である異母弟ペドロ1世を倒し、1369年に王位に就いた。カスティーリャ王位はその後フアン1世(1358年 - 1390年)からエンリケ3世(1379年 - 1406年)、そしてその子孫へと継承された。
一方、エンリケ3世の弟フェルナンド1世(1380年 - 1416年)は、母方の伯父であるバルセロナ家のマルティン1世に嗣子がなかったことから、1412年にアラゴン王に選ばれ、併せてシチリア王位も継承した。その子アルフォンソ5世(1396年 - 1458年)はナポリ王国を1442年に獲得した。アルフォンソ5世には嫡子がなかったため、アラゴンとシチリアの王位は弟フアン2世(1397年 - 1479年)が継承したが、ナポリの王位は庶子フェルディナンド1世(1423年 - 1494年)の家系に継承された。
フアン2世はまた、これに先立つ1425年に妃ブランカ1世がナバラ王位を継承したことで、自身もナバラ王となった。しかし、2人の末娘レオノール(1426年 - 1479年)の死後、ナバラ王位は一旦トラスタマラ家から離れた。
これらの諸国は、カトリック両王と称されたカスティーリャ女王イサベル1世(1451年 - 1504年)とアラゴン王フェルナンド2世(1452年 - 1516年)の結婚、およびフェルナンド2世の征服によって大部分が統合された。また、両王の下でグラナダ王国が征服され、レコンキスタが終焉を迎えた。このうちイベリア半島の諸国から、今日に至るスペイン王国が形成された。一方、南イタリアはフェルナンド2世以降、ナポレオン戦争の時代を除いて一人の君主の下に治められるようになった。そして海外植民地や南イタリアの諸国も含めて、両王の娘フアナ(1479年 - 1555年)の長男であるハプスブルク家のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)に受け継がれ、スペイン・ハプスブルク朝が成立する。
系図[編集]
以下は男系による区分で、呼称は便宜上のものである。
:カスティーリャ系
:アラゴン系
:ナポリ系
王位についた人物[編集]
代表的な王位のみを記す。
エンリケ2世
カスティーリャ王
フアン1世
カスティーリャ王
エンリケ3世
カスティーリャ王
フェルナンド1世
アラゴン王
フアン2世
カスティーリャ王
フアン2世
アラゴン王
アルフォンソ5世
アラゴン王
エンリケ4世
カスティーリャ王
レオノール
ナバラ女王
フェルディナンド1世
ナポリ王
イサベル1世
カスティーリャ女王
フェルナンド2世
アラゴン王
アルフォンソ2世
ナポリ王
フェデリーコ1世
ナポリ王
フアナ
カスティーリャ女王
フェルディナンド2世
ナポリ王
カスティーリャ=レオン王家[編集]
マリア・デ・ポルトゥガル
アルフォンソ11世
レオノール・デ・グスマン
ペドロ1世
ポルトガル王
ペドロ1世
ペドロ4世
アラゴン王
フアナ・マヌエル
エンリケ2世
ファドリケ・アルフォンソ
サンチョ・デ・アルブルケルケ
ベアトリス・デ・ポルトゥガル
フェルナンド1世
ポルトガル王
ジョン・オブ・ゴーント
ランカスター公
コンスタンサ
マルティン1世
アラゴン王
レオノール
フアン1世
ベアトリス
ポルトガル女王
カタリナ
エンリケ3世
フェルナンド1世
アラゴン王
レオノール・デ・アルブルケルケ
(エンリケス家)
イサベル・デ・ポルトゥガル
フアン2世
マリア
アルフォンソ5世
アラゴン王
マリア
フアン2世
アラゴン王
フアナ・エンリケス
フアナ・デ・ポルトゥガル
エンリケ4世
ブランカ
イサベル1世
アルフォンソ
アフォンソ5世
ポルトガル王
フアナ・ラ・ベルトラネーハ
フェルナンド2世/5世
アラゴン王兼カスティーリャ王
イサベル
マヌエル1世
ポルトガル王
マリア
フアン
アストゥリアス公
マルグリット
フィリップ美公
フアナ
カタリナ
ヘンリー8世
イングランド王
ジョアン3世
ポルトガル王
エンリケ1世
ポルトガル王
イザベル
レオノール
カール5世/カルロス1世
神聖ローマ皇帝
スペイン王
フェルディナント1世
神聖ローマ皇帝
ハンガリー王
ボヘミア王
メアリー1世
イングランド女王
アラゴン=カタルーニャ王家、ナバラ王家[編集]
バレンシア、マヨルカ、シチリアの王位はアラゴン王位と兼位された。
エンリケ2世
カスティーリャ王
フアナ・マヌエル
フアン1世
カスティーリャ王
レオノール
フアン1世
アラゴン王
マルティン1世
アラゴン王
レオノール
カルロス3世
ナバラ王
フェルナンド1世
レオノール・デ・アルブルケルケ
マリア
シチリア女王
マルティーノ1世
シチリア王
ブランカ1世
ナバラ女王
アルフォンソ5世
マリア
フアン2世
カスティーリャ王
フアン2世
兼ナバラ王
フアナ・エンリケス
レオノール
ドゥアルテ1世
ポルトガル王
フェルディナンド1世
ナポリ王
カルロス
ビアナ公
エンリケ4世
カスティーリャ王
ブランカ
レオノール
ナバラ女王
ガストン4世
フォワ伯
フェルナンド2世
兼カスティーリャ王
ナバラ王
イサベル1世
カスティーリャ女王
フアナ
アフォンソ5世
ポルトガル王
フアナ・デ・ポルトゥガル
マドレーヌ・ド・フランス
ガストン・ド・フォワ
ビアナ公
マリー・ドルレアン
ルイ12世の姉
ジャン・ド・フォワ
ナルボンヌ子爵
マルグリット・ド・フォワ
フランソワ2世
ブルターニュ公
フランシスコ1世
ナバラ王
カタリナ
ナバラ女王
ガストン・ド・フォワ
ヌムール公
ジェルメーヌ・ド・フォワ
シャルル8世
フランス王
アンヌ・ド・ブルターニュ
ブルターニュ女公
ルイ12世
フランス王
ナポリ王家[編集]
ヒラドルナ・デ・カルリノ
アルフォンソ5世/1世
アラゴン王兼ナポリ王
マリア・デ・カスティーリャ
フアナ・エンリケス
フアン2世
アラゴン王
ブランカ1世
ナバラ女王
イザベッラ・ディ・キアロモンテ
フェルディナンド1世
ジョヴァンナ(フアナ)
フェルナンド2世
アラゴン王
レオノール
ナバラ女王
ガストン4世
フォワ伯
イッポーリタ・マリーア・スフォルツァ
アルフォンソ2世
フェデリーコ1世
イザベッラ・デル・バルツォ
ベアトリーチェ
ハンガリー王妃
ジョヴァンナ
ジャン・ド・フォワ
ナルボンヌ子爵
マリー・ドルレアン
フェルディナンド2世
フェルディナンド
カラブリア公
ジェルメーヌ・ド・フォワ
目次 [非表示]
1 概要
2 系図 2.1 王位についた人物
2.2 カスティーリャ=レオン王家
2.3 アラゴン=カタルーニャ王家、ナバラ王家
2.4 ナポリ王家
3 関連項目
概要[編集]
家名のトラスタマラは、始祖であるカスティーリャ王エンリケ2世(生没年:1333年 - 1379年)が即位前にトラスタマラ伯であったことに由来する。エンリケ2世はブルゴーニュ(イヴレーア)家のカスティーリャ王アルフォンソ11世の庶子であったが、第一次カスティーリャ継承戦争において嫡子である異母弟ペドロ1世を倒し、1369年に王位に就いた。カスティーリャ王位はその後フアン1世(1358年 - 1390年)からエンリケ3世(1379年 - 1406年)、そしてその子孫へと継承された。
一方、エンリケ3世の弟フェルナンド1世(1380年 - 1416年)は、母方の伯父であるバルセロナ家のマルティン1世に嗣子がなかったことから、1412年にアラゴン王に選ばれ、併せてシチリア王位も継承した。その子アルフォンソ5世(1396年 - 1458年)はナポリ王国を1442年に獲得した。アルフォンソ5世には嫡子がなかったため、アラゴンとシチリアの王位は弟フアン2世(1397年 - 1479年)が継承したが、ナポリの王位は庶子フェルディナンド1世(1423年 - 1494年)の家系に継承された。
フアン2世はまた、これに先立つ1425年に妃ブランカ1世がナバラ王位を継承したことで、自身もナバラ王となった。しかし、2人の末娘レオノール(1426年 - 1479年)の死後、ナバラ王位は一旦トラスタマラ家から離れた。
これらの諸国は、カトリック両王と称されたカスティーリャ女王イサベル1世(1451年 - 1504年)とアラゴン王フェルナンド2世(1452年 - 1516年)の結婚、およびフェルナンド2世の征服によって大部分が統合された。また、両王の下でグラナダ王国が征服され、レコンキスタが終焉を迎えた。このうちイベリア半島の諸国から、今日に至るスペイン王国が形成された。一方、南イタリアはフェルナンド2世以降、ナポレオン戦争の時代を除いて一人の君主の下に治められるようになった。そして海外植民地や南イタリアの諸国も含めて、両王の娘フアナ(1479年 - 1555年)の長男であるハプスブルク家のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)に受け継がれ、スペイン・ハプスブルク朝が成立する。
系図[編集]
以下は男系による区分で、呼称は便宜上のものである。
:カスティーリャ系
:アラゴン系
:ナポリ系
王位についた人物[編集]
代表的な王位のみを記す。
エンリケ2世
カスティーリャ王
フアン1世
カスティーリャ王
エンリケ3世
カスティーリャ王
フェルナンド1世
アラゴン王
フアン2世
カスティーリャ王
フアン2世
アラゴン王
アルフォンソ5世
アラゴン王
エンリケ4世
カスティーリャ王
レオノール
ナバラ女王
フェルディナンド1世
ナポリ王
イサベル1世
カスティーリャ女王
フェルナンド2世
アラゴン王
アルフォンソ2世
ナポリ王
フェデリーコ1世
ナポリ王
フアナ
カスティーリャ女王
フェルディナンド2世
ナポリ王
カスティーリャ=レオン王家[編集]
マリア・デ・ポルトゥガル
アルフォンソ11世
レオノール・デ・グスマン
ペドロ1世
ポルトガル王
ペドロ1世
ペドロ4世
アラゴン王
フアナ・マヌエル
エンリケ2世
ファドリケ・アルフォンソ
サンチョ・デ・アルブルケルケ
ベアトリス・デ・ポルトゥガル
フェルナンド1世
ポルトガル王
ジョン・オブ・ゴーント
ランカスター公
コンスタンサ
マルティン1世
アラゴン王
レオノール
フアン1世
ベアトリス
ポルトガル女王
カタリナ
エンリケ3世
フェルナンド1世
アラゴン王
レオノール・デ・アルブルケルケ
(エンリケス家)
イサベル・デ・ポルトゥガル
フアン2世
マリア
アルフォンソ5世
アラゴン王
マリア
フアン2世
アラゴン王
フアナ・エンリケス
フアナ・デ・ポルトゥガル
エンリケ4世
ブランカ
イサベル1世
アルフォンソ
アフォンソ5世
ポルトガル王
フアナ・ラ・ベルトラネーハ
フェルナンド2世/5世
アラゴン王兼カスティーリャ王
イサベル
マヌエル1世
ポルトガル王
マリア
フアン
アストゥリアス公
マルグリット
フィリップ美公
フアナ
カタリナ
ヘンリー8世
イングランド王
ジョアン3世
ポルトガル王
エンリケ1世
ポルトガル王
イザベル
レオノール
カール5世/カルロス1世
神聖ローマ皇帝
スペイン王
フェルディナント1世
神聖ローマ皇帝
ハンガリー王
ボヘミア王
メアリー1世
イングランド女王
アラゴン=カタルーニャ王家、ナバラ王家[編集]
バレンシア、マヨルカ、シチリアの王位はアラゴン王位と兼位された。
エンリケ2世
カスティーリャ王
フアナ・マヌエル
フアン1世
カスティーリャ王
レオノール
フアン1世
アラゴン王
マルティン1世
アラゴン王
レオノール
カルロス3世
ナバラ王
フェルナンド1世
レオノール・デ・アルブルケルケ
マリア
シチリア女王
マルティーノ1世
シチリア王
ブランカ1世
ナバラ女王
アルフォンソ5世
マリア
フアン2世
カスティーリャ王
フアン2世
兼ナバラ王
フアナ・エンリケス
レオノール
ドゥアルテ1世
ポルトガル王
フェルディナンド1世
ナポリ王
カルロス
ビアナ公
エンリケ4世
カスティーリャ王
ブランカ
レオノール
ナバラ女王
ガストン4世
フォワ伯
フェルナンド2世
兼カスティーリャ王
ナバラ王
イサベル1世
カスティーリャ女王
フアナ
アフォンソ5世
ポルトガル王
フアナ・デ・ポルトゥガル
マドレーヌ・ド・フランス
ガストン・ド・フォワ
ビアナ公
マリー・ドルレアン
ルイ12世の姉
ジャン・ド・フォワ
ナルボンヌ子爵
マルグリット・ド・フォワ
フランソワ2世
ブルターニュ公
フランシスコ1世
ナバラ王
カタリナ
ナバラ女王
ガストン・ド・フォワ
ヌムール公
ジェルメーヌ・ド・フォワ
シャルル8世
フランス王
アンヌ・ド・ブルターニュ
ブルターニュ女公
ルイ12世
フランス王
ナポリ王家[編集]
ヒラドルナ・デ・カルリノ
アルフォンソ5世/1世
アラゴン王兼ナポリ王
マリア・デ・カスティーリャ
フアナ・エンリケス
フアン2世
アラゴン王
ブランカ1世
ナバラ女王
イザベッラ・ディ・キアロモンテ
フェルディナンド1世
ジョヴァンナ(フアナ)
フェルナンド2世
アラゴン王
レオノール
ナバラ女王
ガストン4世
フォワ伯
イッポーリタ・マリーア・スフォルツァ
アルフォンソ2世
フェデリーコ1世
イザベッラ・デル・バルツォ
ベアトリーチェ
ハンガリー王妃
ジョヴァンナ
ジャン・ド・フォワ
ナルボンヌ子爵
マリー・ドルレアン
フェルディナンド2世
フェルディナンド
カラブリア公
ジェルメーヌ・ド・フォワ
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