2014年02月07日
仏教
仏教(ぶっきょう、サンスクリット:बौद्धदर्शनम् [Buddhadarśanam]、英語:Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教の一つ(信仰のある国の数を基準にした場合[1])で、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。
目次 [非表示]
1 教義 1.1 世界観 1.1.1 輪廻転生・六道・仏教と神
1.2 因果論 1.2.1 縁起
1.2.2 空
1.3 苦、その原因と解決法 1.3.1 四諦
1.3.2 三法印
1.3.3 中道
1.4 仏教の存在論 1.4.1 無常、苦、無我
2 実践 2.1 戒定慧(かいじょうえ)(三学)
2.2 八正道
2.3 戒律
2.4 五戒
2.5 三宝への帰依
2.6 波羅蜜
2.7 止観・瞑想
3 歴史 3.1 時代区分
3.2 原始仏教
3.3 部派仏教
3.4 大乗仏教
4 分布 4.1 言語圏
5 宗派 5.1 部派仏教
5.2 大乗仏教
5.3 密教
6 仏像
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
教義[編集]
世界観[編集]
仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった。
仏像や仏閣などは仏教が伝来した国、そして日本でも数多く見られるが、政治的な目的で民衆に信仰を分かりやすくする目的で作られたとされる。開祖の釈迦の思想には偶像崇拝の概念は無かった。
輪廻転生・六道・仏教と神[編集]
仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。
また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている。そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。仏教はもともとは何かに対する信仰という形すらない宗教であった。時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが、根本的には信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない。仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており、たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない。
ただしこれらの内容は、民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている。
因果論[編集]
仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方にすえている。
生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じるとする業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。また個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生、すなわち輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。
輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学に普遍的にみられる要素だが、輪廻や解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴である。
人の世は苦しみに満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦しみにも原因が存在する。したがって、苦しみの原因を取り除けば人は苦しみから抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。
また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。
輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体(心相続, citta-santana)によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。
縁起[編集]
詳細は「縁起」を参照
以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二支縁起を示す。
1.無明(現象が無我であることを知らない根源的無知)
2.行(潜在的形成力)
3.識(識別作用)
4.名色(心身)
5.六入(六感覚器官)
6.触(接触)
7.受(感受作用)
8.愛(渇愛)
9.取(執着)
10.有(存在)
11.生(出生)
12.老死(老いと死)
これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。
空[編集]
詳細は「空 (仏教)」を参照
あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考え。
苦、その原因と解決法[編集]
仏教では生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とする。そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する(八正道)。
このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。
なお、釈迦は現代の宗教が説くような「私を信じなければ不幸になる。地獄に落ちる」という類の言説は一切しておらず、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決を重視していた。即ち、苦悩は執着によって起きるということを解明し、それらは八正道を実践することによって解決に至るという極めて実践的な教えを提示することだった
四諦[編集]
詳細は「四諦」を参照
釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。
苦諦:苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(→八正道)
三法印[編集]
詳細は「三法印」を参照
仏教における3つの根本思想。三法印の思想は古層仏典の法句経ですでに現れ、「諸行無常・諸法無我・一切行苦」が原型と考えられる。 大乗では「一切行苦」の代わりに涅槃寂静をこれに数えることが一般的である。これに再度「一切行苦」を加えることによって四法印とする場合もある。
1.諸行無常 - 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある
2.諸法無我 - 一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
3.涅槃寂静 - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である
4.一切行苦 - 一切の形成されたものは、苦しみである
中道[編集]
「中道」を参照
仏教の存在論[編集]
詳細は「無常」、「無我」、「五蘊」、「名色」、「業」、および「縁起」を参照
仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論および無常論である[2]とする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が識(認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。
人間存在の構成要素を五蘊(色・受・想・行・識)に分ける。これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の二つで名色とも言う。
猶、日本の仏教各宗派には魂の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もあるが[3]、本来、釈迦は霊魂 (aatman) を説くことはせず、逆に、諸法無我(すべてのものごとは我ならざるもの (anaatman) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めることはなかった[4]。
仏教では、根本教義において一切魂について説かず、「霊魂が存在するか?」という質問については一切答えず、直接的に「霊魂は存在しない」とのべず、「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に我の不在を説くだけだった。やがて後代になるといつのまにか「我ならざるもの」でもなく、「霊魂は存在しない」と積極的に主張する学派も出てきた。
無常、苦、無我[編集]
「無常」、「苦 (仏教)」、および「無我」を参照
実践[編集]
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戒定慧かいじょうえ(三学)[編集]
詳細は「三学」を参照
戒律によって心を惑わす悪行為から離れ、禅定により心をコントロールし鎮め、智慧を定めることこの世の真理を見極めることで、心に平穏をもたらすこと(涅槃)を目指す。
八正道[編集]
詳細は「八正道」を参照
釈迦の説いた悟りに至るために実践手段。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定からなる。
戒律[編集]
「戒律」を参照
五戒[編集]
「五戒」を参照
三宝への帰依[編集]
「三宝」および「帰依」を参照
波羅蜜[編集]
「波羅蜜」を参照
止観・瞑想[編集]
詳細は「止観」を参照
釈迦(ゴータマシッダールダ)は瞑想によって悟りを開いたと言われている。
歴史[編集]
時代区分[編集]
近年は異論もあるが、仏教の歴史の時代区分は、原始仏教、部派仏教、大乗仏教に三区分するのがおおかたの意見である[5]。
原始仏教[編集]
仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)にインド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し、発生した(初期仏教)。他の世界宗教とは異なり、自然崇拝や民族宗教などの原始宗教をルーツに持たない。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。当時の世界的な時代背景は、都市国家がある程度の成熟をみて社会不安が増大し、従来のアニミズム的、または民族的な伝統宗教では解決できない問題が多くなった時期であろうと考えられており、医学、農業、経済などが急速に合理的な方向へと発達し始めた時期とも一致している。
釈迦が死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「三蔵の結集(さんぞうのけちじゅう)」と呼ばれ、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の三蔵結集である。
部派仏教[編集]
仏滅後100年頃、段々と釈迦の説いた教えの解釈に、色々の異見が生じて岐れるようになってきた。その為に釈迦の説法の地であるヴァイシャリーで、第二回の三蔵の結集を行い、釈迦の教えを再検討する作業に入った。この時、僧伽は教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂する(根本分裂)。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する(枝末分裂しまつぶんれつ)。この時代の仏教を部派仏教と呼ぶ。
大乗仏教[編集]
「仏教のシルクロード伝播」も参照
南アジア、西アジア方面への仏教伝播。アショーカ王はヘレニズム諸国や東南アジア、中央アジアに伝道師を派遣した
東南アジア、東アジア方面への仏教伝播
部派仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っている(南伝仏教)。
それから又しばらくして、紀元前約3世紀の半ば頃に、仏教史上名高いアショーカ王が第三回の結集をパータリプトラ城(華氏城)で行った。アショーカ王は西方のヘレニズム諸国や東方の東南アジア諸国、北方の中央アジア諸国に伝道師を派遣している。この頃に文字が使われ出し、今までの口伝を基に出来たのが文字で書かれた経典・典籍である。その文字は北インドに広まったのがサンスクリット文字、南の方に発達したのがパーリ語である。パーリ語はセイロンを中心としている。そこで仏典がサンスクリットで書かれたものとパーリ語で書かれたものと二種類出てきた。因みに近来、このサンスクリットの頃の仏典を日本語訳する作業を行った人物に、中村元がいる。
紀元前後、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え(大乗仏教)が起こる。この考え方は急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・韓国・日本に伝わっている(北伝仏教)。
7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(即身成仏)ができるとする。密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・韓国・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。
8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入した(チベット仏教)。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教はモンゴルや南シベリアにまで拡大していった。
仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展したが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて仏説として受け取ることとなった。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、教相判釈により仏の極意の所在を特定の教典に求めて所依としたり、特定の行(禅、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向された。
現在の仏教は、かつて多くの仏教国が栄えたシルクロードが単なる遺跡を残すのみとなったことに象徴されるように、大部分の仏教国は滅亡し、世界三大宗教の一つでありながら仏教を主要な宗教にしている国は少ない。7世紀に唐の義浄が訪れた時点ですでに発祥国のインドでは仏教が廃れており、東南アジアの大部分はヒンドゥー教、次いでイスラム教へと移行し、東アジアでは、中国・北朝鮮・モンゴル国では共産化によって宗教が弾圧されて衰退している。ただしモンゴルでは民主化によりチベット仏教が復権しているほか、中国では沿海部を中心に復興の動きもみられる。韓国は儒教を尊重した李氏朝鮮による激しい弾圧により、寺院は山間部に残るのみとなった。大韓民国成立後はキリスト教の勢力拡大が著しく、キリスト教徒による排仏運動が社会問題になっている。ベトナムでは共産党政権により宗教の冷遇はされたものの、仏教がベトナム戦争勝利に大きな役割を果たしたこともあって組織的な弾圧を受けることなく、一定の地位を保っている。仏教が社会において主要な位置を保っているのは、仏教を国教または国教に準じた地位としているタイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータン、土着の信仰との混在・習合が顕著である日本・台湾・ベトナムなどである。しかし他の国では、近年でもアフガニスタンでタリバーンによる石窟爆破などがあり、中国(特にチベット自治区)・ミャンマー・北朝鮮では政権によって、韓国ではキリスト教徒によって、仏教に対する圧迫が続いている。
しかし発祥国のインドにおいては、アンベードガルにより、1927年から1934年にかけて仏教復興及び反カースト制度運動が起こり、20万あるいは50万人の民衆が仏教徒へと改宗した。また近年においてもアンベードカルの遺志を継ぐ日本人僧・佐々井秀嶺により運動が続けられており、毎年10月には大改宗式を行っているほか、ブッダガヤの大菩提寺の奪還運動や世界遺産への登録、仏教遺跡の発掘なども行われるなど、本格的な仏教復興の機運を見せている。
各地域の仏教については以下を参照。
紀元前5世紀頃 - インドで仏教が開かれる(インドの仏教)
紀元前3世紀 - セイロン島(スリランカ)に伝わる(スリランカの仏教)
紀元後1世紀 - 中国に伝わる(中国の仏教)
4世紀 - 朝鮮半島に伝わる(韓国の仏教)
538年(552年) - 日本に伝わる(日本の仏教)
7世紀前半 - チベットに伝わる(チベット仏教)
11世紀 - ビルマに伝わる(東南アジアの仏教)
13世紀 - タイに伝わる(東南アジアの仏教)
13〜16世紀 - モンゴルに伝わる(チベット仏教)
17世紀 - カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教)
18世紀 - 南シベリアに伝わる(チベット仏教)
分布[編集]
中国、重慶市の大足石刻の華厳三聖像
インドネシアのボロブドゥール寺院遺跡群に残る仏像
日本の法隆寺。7世紀の北東アジアの仏教寺院の代表的なものである
言語圏[編集]
伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢訳圏、チベット語圏の4つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、残る各地域は大乗仏教である。
サンスクリット語圏ネパール、インド(ベンガル仏教、新仏教等)パーリ語圏タイ、ビルマ、スリランカ、カンボジア、ラオス等。漢訳圏中国、台湾、韓国、日本、ベトナム等。チベット語圏チベット民族(チベット、ブータン、ネパール、インド等の諸国の沿ヒマラヤ地方に分布)、モンゴル民族(モンゴル国、中国内蒙古ほか、ロシア連邦のブリヤート共和国)、満州民族、テュルク系のトゥヴァ人やカルムイク人(ロシア連邦加盟国)等。
宗派[編集]
釈迦以後、インド本国では大別して「部派仏教」「大乗仏教」「密教」が時代の変遷と共に起こった。
部派仏教[編集]
詳細は「部派仏教」を参照
アビダルマ仏教とも呼ばれる。釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る保守派仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈などから上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを論蔵(アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。古くはヒンドゥー教や大乗仏教を信奉してきた東南アジアの王朝では、しだいにスリランカを起点とした上座部仏教がその地位に取って代わるようになり、現在まで広く根付いている(南伝仏教)。部派仏教は、かつて新興勢力であった大乗仏教からは自分だけの救いを求めていると見なされ小乗仏教(小さい乗り物の仏教)と蔑称されていた[6]。
上座部仏教の目的は、個人が自ら真理(法)に目覚めて「悟り」を得ることである。最終的には「あらゆるものごとは、我(アートマン)ではない(無我)」「我(アートマン)を見つけ出すことはできない」と覚り、すべての欲や執着をすてることによって、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである。一般にこの境地を涅槃と呼ぶ。上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、自分自身が四念住、止観などの実践修行によってさとりを得、煩悩をのぞき、輪廻の苦から解脱して涅槃の境地に入ることを目標とする。
大乗仏教[編集]
詳細は「大乗仏教」を参照
大乗仏教とは、他者を救済せずに自分だけで彼岸(悟りの世界)へは渡るまいとする菩薩行を中心に据えた仏教である。出家者中心のものであった部派仏教から、一般民衆の救済を求めてインド北部において発生したと考えられている。ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。おおよそ初期・中期・後期に大別され[7]、中観派、唯識派、浄土教、禅宗、天台宗などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。
大乗仏教では、一般に数々の輪廻の中で、徳(波羅蜜)を積み、阿羅漢ではなく、仏陀となることが究極的な目標とされるが、 自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=誓願)を目的とする立場もあり、その目的は、ある特定のものにまとめることはできない。さらに、道元のいう「自未得度じみとくど先度佗せんどた」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への慈悲から輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。
密教[編集]
詳細は「密教」を参照
後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より国教として定められたヒンドゥー教が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。
中期密教期に至り、密教の修行は、口に呪文(真言、マントラ)を唱え、手に印契いんげいを結び、心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。曼荼羅はその世界観を表したものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。
「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う[8]。
仏像[編集]
ガンダーラ仏像
詳細は「仏像」を参照
初期仏教では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や仏足石、金剛座)で間接的に表現していたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元1世紀頃にガンダーラ(現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の仏像が製作されるようになり、前後してマトゥラー(インド)でも仏像造立が開始された。仏像造立開始の契機については諸説あるが、一般的には釈迦亡き後の追慕の念から信仰の拠りどころとして発達したと考えられている。仏像の本義は仏陀、すなわち釈迦の像であるが、現在は如来・菩薩・明王・天部など、さまざまな礼拝対象がある。
如来 - 「目覚めた者」「真理に到達した者」の意。悟りを開いた存在。釈迦如来のほか、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来など。
菩薩 - 仏果を得るため修行中の存在。すでに悟りを開いているが、衆生済度のため現世に留まる者ともいわれる。如来の脇侍として、または単独で礼拝対象となる。観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩など。
明王 - 密教特有の尊格。密教の主尊たる大日如来が、難化の衆生を力をもって教化するために忿怒の相をもって化身したものと説かれる。不動明王、愛染明王など。
天部 - 護法善神。その由来はさまざまだが、インドの在来の神々が仏教に取り入れられ、仏を守護する役目をもたされたものである。四天王、毘沙門天(四天王の一である多聞天に同じ)、吉祥天、大黒天、弁才天、梵天、帝釈天など。
目次 [非表示]
1 教義 1.1 世界観 1.1.1 輪廻転生・六道・仏教と神
1.2 因果論 1.2.1 縁起
1.2.2 空
1.3 苦、その原因と解決法 1.3.1 四諦
1.3.2 三法印
1.3.3 中道
1.4 仏教の存在論 1.4.1 無常、苦、無我
2 実践 2.1 戒定慧(かいじょうえ)(三学)
2.2 八正道
2.3 戒律
2.4 五戒
2.5 三宝への帰依
2.6 波羅蜜
2.7 止観・瞑想
3 歴史 3.1 時代区分
3.2 原始仏教
3.3 部派仏教
3.4 大乗仏教
4 分布 4.1 言語圏
5 宗派 5.1 部派仏教
5.2 大乗仏教
5.3 密教
6 仏像
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
教義[編集]
世界観[編集]
仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった。
仏像や仏閣などは仏教が伝来した国、そして日本でも数多く見られるが、政治的な目的で民衆に信仰を分かりやすくする目的で作られたとされる。開祖の釈迦の思想には偶像崇拝の概念は無かった。
輪廻転生・六道・仏教と神[編集]
仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。
また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている。そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。仏教はもともとは何かに対する信仰という形すらない宗教であった。時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが、根本的には信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない。仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており、たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない。
ただしこれらの内容は、民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている。
因果論[編集]
仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方にすえている。
生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じるとする業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。また個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生、すなわち輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。
輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学に普遍的にみられる要素だが、輪廻や解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴である。
人の世は苦しみに満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦しみにも原因が存在する。したがって、苦しみの原因を取り除けば人は苦しみから抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。
また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。
輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体(心相続, citta-santana)によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。
縁起[編集]
詳細は「縁起」を参照
以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二支縁起を示す。
1.無明(現象が無我であることを知らない根源的無知)
2.行(潜在的形成力)
3.識(識別作用)
4.名色(心身)
5.六入(六感覚器官)
6.触(接触)
7.受(感受作用)
8.愛(渇愛)
9.取(執着)
10.有(存在)
11.生(出生)
12.老死(老いと死)
これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。
空[編集]
詳細は「空 (仏教)」を参照
あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考え。
苦、その原因と解決法[編集]
仏教では生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とする。そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する(八正道)。
このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。
なお、釈迦は現代の宗教が説くような「私を信じなければ不幸になる。地獄に落ちる」という類の言説は一切しておらず、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決を重視していた。即ち、苦悩は執着によって起きるということを解明し、それらは八正道を実践することによって解決に至るという極めて実践的な教えを提示することだった
四諦[編集]
詳細は「四諦」を参照
釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。
苦諦:苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(→八正道)
三法印[編集]
詳細は「三法印」を参照
仏教における3つの根本思想。三法印の思想は古層仏典の法句経ですでに現れ、「諸行無常・諸法無我・一切行苦」が原型と考えられる。 大乗では「一切行苦」の代わりに涅槃寂静をこれに数えることが一般的である。これに再度「一切行苦」を加えることによって四法印とする場合もある。
1.諸行無常 - 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある
2.諸法無我 - 一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
3.涅槃寂静 - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である
4.一切行苦 - 一切の形成されたものは、苦しみである
中道[編集]
「中道」を参照
仏教の存在論[編集]
詳細は「無常」、「無我」、「五蘊」、「名色」、「業」、および「縁起」を参照
仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論および無常論である[2]とする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が識(認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。
人間存在の構成要素を五蘊(色・受・想・行・識)に分ける。これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の二つで名色とも言う。
猶、日本の仏教各宗派には魂の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もあるが[3]、本来、釈迦は霊魂 (aatman) を説くことはせず、逆に、諸法無我(すべてのものごとは我ならざるもの (anaatman) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めることはなかった[4]。
仏教では、根本教義において一切魂について説かず、「霊魂が存在するか?」という質問については一切答えず、直接的に「霊魂は存在しない」とのべず、「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に我の不在を説くだけだった。やがて後代になるといつのまにか「我ならざるもの」でもなく、「霊魂は存在しない」と積極的に主張する学派も出てきた。
無常、苦、無我[編集]
「無常」、「苦 (仏教)」、および「無我」を参照
実践[編集]
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戒定慧かいじょうえ(三学)[編集]
詳細は「三学」を参照
戒律によって心を惑わす悪行為から離れ、禅定により心をコントロールし鎮め、智慧を定めることこの世の真理を見極めることで、心に平穏をもたらすこと(涅槃)を目指す。
八正道[編集]
詳細は「八正道」を参照
釈迦の説いた悟りに至るために実践手段。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定からなる。
戒律[編集]
「戒律」を参照
五戒[編集]
「五戒」を参照
三宝への帰依[編集]
「三宝」および「帰依」を参照
波羅蜜[編集]
「波羅蜜」を参照
止観・瞑想[編集]
詳細は「止観」を参照
釈迦(ゴータマシッダールダ)は瞑想によって悟りを開いたと言われている。
歴史[編集]
時代区分[編集]
近年は異論もあるが、仏教の歴史の時代区分は、原始仏教、部派仏教、大乗仏教に三区分するのがおおかたの意見である[5]。
原始仏教[編集]
仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)にインド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し、発生した(初期仏教)。他の世界宗教とは異なり、自然崇拝や民族宗教などの原始宗教をルーツに持たない。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家、ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。当時の世界的な時代背景は、都市国家がある程度の成熟をみて社会不安が増大し、従来のアニミズム的、または民族的な伝統宗教では解決できない問題が多くなった時期であろうと考えられており、医学、農業、経済などが急速に合理的な方向へと発達し始めた時期とも一致している。
釈迦が死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「三蔵の結集(さんぞうのけちじゅう)」と呼ばれ、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の三蔵結集である。
部派仏教[編集]
仏滅後100年頃、段々と釈迦の説いた教えの解釈に、色々の異見が生じて岐れるようになってきた。その為に釈迦の説法の地であるヴァイシャリーで、第二回の三蔵の結集を行い、釈迦の教えを再検討する作業に入った。この時、僧伽は教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂する(根本分裂)。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する(枝末分裂しまつぶんれつ)。この時代の仏教を部派仏教と呼ぶ。
大乗仏教[編集]
「仏教のシルクロード伝播」も参照
南アジア、西アジア方面への仏教伝播。アショーカ王はヘレニズム諸国や東南アジア、中央アジアに伝道師を派遣した
東南アジア、東アジア方面への仏教伝播
部派仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っている(南伝仏教)。
それから又しばらくして、紀元前約3世紀の半ば頃に、仏教史上名高いアショーカ王が第三回の結集をパータリプトラ城(華氏城)で行った。アショーカ王は西方のヘレニズム諸国や東方の東南アジア諸国、北方の中央アジア諸国に伝道師を派遣している。この頃に文字が使われ出し、今までの口伝を基に出来たのが文字で書かれた経典・典籍である。その文字は北インドに広まったのがサンスクリット文字、南の方に発達したのがパーリ語である。パーリ語はセイロンを中心としている。そこで仏典がサンスクリットで書かれたものとパーリ語で書かれたものと二種類出てきた。因みに近来、このサンスクリットの頃の仏典を日本語訳する作業を行った人物に、中村元がいる。
紀元前後、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え(大乗仏教)が起こる。この考え方は急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・韓国・日本に伝わっている(北伝仏教)。
7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(即身成仏)ができるとする。密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・韓国・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。
8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入した(チベット仏教)。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教はモンゴルや南シベリアにまで拡大していった。
仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展したが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて仏説として受け取ることとなった。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、教相判釈により仏の極意の所在を特定の教典に求めて所依としたり、特定の行(禅、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向された。
現在の仏教は、かつて多くの仏教国が栄えたシルクロードが単なる遺跡を残すのみとなったことに象徴されるように、大部分の仏教国は滅亡し、世界三大宗教の一つでありながら仏教を主要な宗教にしている国は少ない。7世紀に唐の義浄が訪れた時点ですでに発祥国のインドでは仏教が廃れており、東南アジアの大部分はヒンドゥー教、次いでイスラム教へと移行し、東アジアでは、中国・北朝鮮・モンゴル国では共産化によって宗教が弾圧されて衰退している。ただしモンゴルでは民主化によりチベット仏教が復権しているほか、中国では沿海部を中心に復興の動きもみられる。韓国は儒教を尊重した李氏朝鮮による激しい弾圧により、寺院は山間部に残るのみとなった。大韓民国成立後はキリスト教の勢力拡大が著しく、キリスト教徒による排仏運動が社会問題になっている。ベトナムでは共産党政権により宗教の冷遇はされたものの、仏教がベトナム戦争勝利に大きな役割を果たしたこともあって組織的な弾圧を受けることなく、一定の地位を保っている。仏教が社会において主要な位置を保っているのは、仏教を国教または国教に準じた地位としているタイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータン、土着の信仰との混在・習合が顕著である日本・台湾・ベトナムなどである。しかし他の国では、近年でもアフガニスタンでタリバーンによる石窟爆破などがあり、中国(特にチベット自治区)・ミャンマー・北朝鮮では政権によって、韓国ではキリスト教徒によって、仏教に対する圧迫が続いている。
しかし発祥国のインドにおいては、アンベードガルにより、1927年から1934年にかけて仏教復興及び反カースト制度運動が起こり、20万あるいは50万人の民衆が仏教徒へと改宗した。また近年においてもアンベードカルの遺志を継ぐ日本人僧・佐々井秀嶺により運動が続けられており、毎年10月には大改宗式を行っているほか、ブッダガヤの大菩提寺の奪還運動や世界遺産への登録、仏教遺跡の発掘なども行われるなど、本格的な仏教復興の機運を見せている。
各地域の仏教については以下を参照。
紀元前5世紀頃 - インドで仏教が開かれる(インドの仏教)
紀元前3世紀 - セイロン島(スリランカ)に伝わる(スリランカの仏教)
紀元後1世紀 - 中国に伝わる(中国の仏教)
4世紀 - 朝鮮半島に伝わる(韓国の仏教)
538年(552年) - 日本に伝わる(日本の仏教)
7世紀前半 - チベットに伝わる(チベット仏教)
11世紀 - ビルマに伝わる(東南アジアの仏教)
13世紀 - タイに伝わる(東南アジアの仏教)
13〜16世紀 - モンゴルに伝わる(チベット仏教)
17世紀 - カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教)
18世紀 - 南シベリアに伝わる(チベット仏教)
分布[編集]
中国、重慶市の大足石刻の華厳三聖像
インドネシアのボロブドゥール寺院遺跡群に残る仏像
日本の法隆寺。7世紀の北東アジアの仏教寺院の代表的なものである
言語圏[編集]
伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢訳圏、チベット語圏の4つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、残る各地域は大乗仏教である。
サンスクリット語圏ネパール、インド(ベンガル仏教、新仏教等)パーリ語圏タイ、ビルマ、スリランカ、カンボジア、ラオス等。漢訳圏中国、台湾、韓国、日本、ベトナム等。チベット語圏チベット民族(チベット、ブータン、ネパール、インド等の諸国の沿ヒマラヤ地方に分布)、モンゴル民族(モンゴル国、中国内蒙古ほか、ロシア連邦のブリヤート共和国)、満州民族、テュルク系のトゥヴァ人やカルムイク人(ロシア連邦加盟国)等。
宗派[編集]
釈迦以後、インド本国では大別して「部派仏教」「大乗仏教」「密教」が時代の変遷と共に起こった。
部派仏教[編集]
詳細は「部派仏教」を参照
アビダルマ仏教とも呼ばれる。釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る保守派仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈などから上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを論蔵(アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。古くはヒンドゥー教や大乗仏教を信奉してきた東南アジアの王朝では、しだいにスリランカを起点とした上座部仏教がその地位に取って代わるようになり、現在まで広く根付いている(南伝仏教)。部派仏教は、かつて新興勢力であった大乗仏教からは自分だけの救いを求めていると見なされ小乗仏教(小さい乗り物の仏教)と蔑称されていた[6]。
上座部仏教の目的は、個人が自ら真理(法)に目覚めて「悟り」を得ることである。最終的には「あらゆるものごとは、我(アートマン)ではない(無我)」「我(アートマン)を見つけ出すことはできない」と覚り、すべての欲や執着をすてることによって、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである。一般にこの境地を涅槃と呼ぶ。上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、自分自身が四念住、止観などの実践修行によってさとりを得、煩悩をのぞき、輪廻の苦から解脱して涅槃の境地に入ることを目標とする。
大乗仏教[編集]
詳細は「大乗仏教」を参照
大乗仏教とは、他者を救済せずに自分だけで彼岸(悟りの世界)へは渡るまいとする菩薩行を中心に据えた仏教である。出家者中心のものであった部派仏教から、一般民衆の救済を求めてインド北部において発生したと考えられている。ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。おおよそ初期・中期・後期に大別され[7]、中観派、唯識派、浄土教、禅宗、天台宗などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。
大乗仏教では、一般に数々の輪廻の中で、徳(波羅蜜)を積み、阿羅漢ではなく、仏陀となることが究極的な目標とされるが、 自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=誓願)を目的とする立場もあり、その目的は、ある特定のものにまとめることはできない。さらに、道元のいう「自未得度じみとくど先度佗せんどた」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への慈悲から輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。
密教[編集]
詳細は「密教」を参照
後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より国教として定められたヒンドゥー教が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。
中期密教期に至り、密教の修行は、口に呪文(真言、マントラ)を唱え、手に印契いんげいを結び、心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。曼荼羅はその世界観を表したものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。
「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う[8]。
仏像[編集]
ガンダーラ仏像
詳細は「仏像」を参照
初期仏教では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や仏足石、金剛座)で間接的に表現していたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元1世紀頃にガンダーラ(現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の仏像が製作されるようになり、前後してマトゥラー(インド)でも仏像造立が開始された。仏像造立開始の契機については諸説あるが、一般的には釈迦亡き後の追慕の念から信仰の拠りどころとして発達したと考えられている。仏像の本義は仏陀、すなわち釈迦の像であるが、現在は如来・菩薩・明王・天部など、さまざまな礼拝対象がある。
如来 - 「目覚めた者」「真理に到達した者」の意。悟りを開いた存在。釈迦如来のほか、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来など。
菩薩 - 仏果を得るため修行中の存在。すでに悟りを開いているが、衆生済度のため現世に留まる者ともいわれる。如来の脇侍として、または単独で礼拝対象となる。観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩など。
明王 - 密教特有の尊格。密教の主尊たる大日如来が、難化の衆生を力をもって教化するために忿怒の相をもって化身したものと説かれる。不動明王、愛染明王など。
天部 - 護法善神。その由来はさまざまだが、インドの在来の神々が仏教に取り入れられ、仏を守護する役目をもたされたものである。四天王、毘沙門天(四天王の一である多聞天に同じ)、吉祥天、大黒天、弁才天、梵天、帝釈天など。
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