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2014年02月06日

カヴァラ (ギリシャ)

カヴァラ(ギリシア語: Καβάλα / Kavala)は、ギリシャ共和国東マケドニア・トラキア地方の都市。カヴァラ県の県都である。東マケドニア地方を代表する港湾都市であり、約6万の人口を擁する。北部ギリシャではテッサロニキ都市圏に次ぐ第二の都市である。


地理[編集]

位置・広がり[編集]

カヴァラ湾に面する。沖合にはタソス島が浮かぶ。

主要な都市・集落[編集]

エピダウロス市域に含まれる2000人以上の集落は以下の通り(人口は2001年国勢調査時点)。
カヴァラ(Καβάλα : カヴァラ地区) - 58,663人
クリニデス(Κρηνίδες : フィリッピ地区) - 3,295人
ネア・カルヴァリ(Νέα Καρβάλη : カヴァラ地区) - 2,244人



歴史[編集]

古代・中世[編集]

カヴァラはおよそ紀元前6世紀、パロス島からの移住者によってつくられた。彼らは新しい都市を意味するネアポリス(Neapolis)と呼んだ。ネアポリスはマケドニアの町で、ピリッポイの港であった。おそらく、ダトゥム(Datum)と同じ場所にあったと推測される。ダトゥムは有名な金鉱、海港で、ストラボンは町について精通していた。しかしカリア出身の冒険家シラクスは、ネアポリスとダトゥムを区別していた。彼はダトゥムはアテナイの植民地であったと加えており、彼の文献にあるダトゥムは真実だということにはならなかった。彼の文献の真の意味は、ネアポリスは、ダトゥムをつくったアテナイ人たちの植民地だったということだったのだろう。ゼノビウスとエウスタティウスはどちらも、ダトゥムはタソス島の植民地だったと断言している。タソス人はこの沿岸部にいくつかの植民地を持っていたことから、可能である。もしネアポリスがアテナイ人の定住地なら、その建設はアンフィポリス(en:Amphipolis)より後だったと推測される。ネアポリスは古代に硬貨も鋳造していた。

紀元前168年、共和制ローマの市となり、フィリッピの戦い以前の紀元前42年にはマルクス・ユニウス・ブルートゥスとガイウス・カッシウス・ロンギヌスの基盤となった。使徒パウロはヨーロッパへの最初の航海の際、カヴァラへ上陸した。東ローマ帝国時代、町はクリストーポリス(Christoupolis)とギリシャ人から呼ばれ、地元のブルガリア人からはモルネツ(Morunets)と呼ばれていた。

近世[編集]





海から見た旧市街
カヴァラは1371年から1912年まで、オスマン帝国の一部だった。16世紀半ば、スレイマン1世のギリシャ人大宰相イブラヒム・パシャは、水道の建設によってカヴァラの成長と繁栄に貢献した[1]。オスマン帝国は、パナギアの丘にある東ローマ帝国時代の要塞を拡張した。どちらも今日、市の象徴となっている。

1952年までエジプトを治めたムハンマド・アリー朝の創建者、ムハンマド・アリーは、1769年にカヴァラで生まれた。彼の生家は博物館として保存されている。
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