2014年02月06日
春分
春分(しゅんぶん)は、二十四節気の第4。昼と夜の長さが等しくなる。二月中(旧暦2月内)。
現在広まっている定気法では、太陽が春分点を通過した瞬間、すなわち太陽黄経が0度となったときで、3月21日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは春分日(しゅんぶんび)と呼ぶ。恒気法では冬至から1/4年(約91.31日)後で3月23日ごろ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の清明前日までである。
西洋占星術では春分を白羊宮(おひつじ座)の始まりとする。
目次 [非表示]
1 日付
2 記念日
3 昼夜の長さ
4 七十二候
5 前後の節気
6 脚注
日付[編集]
年
日時 (UT)
日本
中国
2001年 3月20日13:30 3月20日 3月20日
2002年 3月20日19:16 3月21日 3月21日
2003年 3月21日00:59 3月21日 3月21日
2004年 3月20日06:48 3月20日 3月20日
2005年 3月20日12:33 3月20日 3月20日
2006年 3月20日18:25 3月21日 3月21日
2007年 3月21日00:07 3月21日 3月21日
2008年 3月20日05:48 3月20日 3月20日
2009年 3月20日11:43 3月20日 3月20日
2010年 3月20日17:32 3月21日 3月21日
2011年 3月20日23:21 3月21日 3月21日
2012年 3月20日05:14 3月20日 3月20日
2013年 3月20日11:01 3月20日 3月20日
2014年 3月20日16:57 3月21日 3月21日
春分の瞬間の日時 (UT) と、日本・中国での日付は表のとおり。
年
年を4で割った余り
0
1
2
3
1800年 - 1827年 21日 21日 21日 21日
1828年 - 1859年 20日 21日 21日 21日
1860年 - 1891年 20日 20日 21日 21日
1892年 - 1899年 20日 20日 20日 21日
1900年 - 1923年 21日 21日 21日 22日
1924年 - 1959年 21日 21日 21日 21日
1960年 - 1991年 20日 21日 21日 21日
1992年 - 2023年 20日 20日 21日 21日
2024年 - 2055年 20日 20日 20日 21日
2056年 - 2091年 20日 20日 20日 20日
2092年 - 2099年 19日 20日 20日 20日
2100年 - 2123年 20日 21日 21日 21日
2124年 - 2155年 20日 20日 21日 21日
2156年 - 2187年 20日 20日 20日 21日
2188年 - 2199年 20日 20日 20日 20日
グレゴリオ暦による19世紀から22世紀までの日本の春分は表のとおり [1] [2] [3]。 今年2014年の春分は3月21日。
365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子が分かる(春分は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。
1924年 - 2091年には3月20日か3月21日だが、1923年までは3月22日もあり、2092年からは3月19日もある。
記念日[編集]
「春分の日」も参照
日本ではこの日は国民の祝日の「春分の日」となる。春分の日は、国立天文台の算出する定気法による春分日を基にして閣議決定され、前年2月1日に暦要項として官報で告示される。天文学に基づいて年ごとに決定される国家の祝日は世界的にみても珍しい。また、この日をはさんで前後7日間が春の彼岸である。第二次大戦前は春季皇霊祭として祭日であった。
イラン暦の元日、ノウルーズ(nawrūz)はちょうど春分の日に当たり、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。ヨーロッパなどでも、春分をもって春の開始とする。いくつかの国では休日とされる。
春分の日の太陽光の当たり方。春分では太陽は赤道上にあるため、天文的な位置関係からは昼夜の長さが等しくなるように思えるが、実際は違う(詳細は本文参照)。
キリスト教で復活祭の日付を算出するには、春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定める。この算出方法をコンプトゥスという。ただし、ここでいう「春分」は暦の上での3月21日に固定されており、太陽黄経が0度の日とは必ずしも一致しない。「満月」も簡素化した計算によって求められており、天文学上の満月とは必ずしも一致しない。この算定法は第1ニカイア公会議で定められた。
昼夜の長さ[編集]
『暦便覧』に「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と記されているとおり、春分では昼夜の長さがほぼ同じになる。しかし、実際には、昼の方が夜よりも長い。日本付近では、年により差があり、平均すれば昼が夜よりも約14分長い。これは、次の理由による。
大気差大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見えるため、太陽が上に見える角度の分、日出が早く、日没が遅くなる。屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなる。国立天文台では、太陽が地平線付近にある時の、その角度を35分8秒と見積もっている。ここから計算される日出・日没の時間の差は約2分20秒である。太陽の視角太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出あるいは日没と定義しているため。これにより、太陽の半径の分、日出が早く、日没が遅くなる。ここから計算される日出・日没の時間の差は約1分5秒である。日周視差太陽の距離÷地球の半径は有限なので、視差により、0.7秒日の出が遅く、0.7秒日の入りが早くなる。春分のずれ1日の間にも太陽の黄経は変わるため、春分が1日のいつかにより昼夜の長さに差が出る。この効果は昼夜の長さを最大で±1.1分変える。ただし平均には影響を与えない。
これらを合わせると、日出は、太陽の中心が地平線から昇るより平均3分25秒早く、日没は、太陽の中心が地平線より沈むより平均3分25秒遅くなる。したがって、春分の日の昼の長さは平均12時間7分、夜の長さは平均11時間53分である。そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は春分の4日程度前になる[4]。
春分日には、太陽は真東から昇って真西に沈む[5]。赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過する。北極点または南極点の観測者から見ると、春分の太陽はちょうど地平線と重なるようにして動き、昇ることも沈むこともない。
七十二候[編集]
春分の期間の七十二候は以下のとおり。
初候雀始巣(すずめ はじめて すくう):雀が巣を構え始める(日本)玄鳥至(げんちょう いたる):燕が南からやって来る(中国)次候桜始開(さくら はじめて ひらく):桜の花が咲き始める(日本)雷乃発声(かみなり すなわち こえを はっす):遠くで雷の音がし始める(中国)末候雷乃発声(らい すなわち こえを はっす):遠くで雷の音がし始める(日本)始雷(はじめて いなびかりす):稲光が初めて光る(中国)
前後の節気[編集]
啓蟄 → 春分 → 清明
現在広まっている定気法では、太陽が春分点を通過した瞬間、すなわち太陽黄経が0度となったときで、3月21日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは春分日(しゅんぶんび)と呼ぶ。恒気法では冬至から1/4年(約91.31日)後で3月23日ごろ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の清明前日までである。
西洋占星術では春分を白羊宮(おひつじ座)の始まりとする。
目次 [非表示]
1 日付
2 記念日
3 昼夜の長さ
4 七十二候
5 前後の節気
6 脚注
日付[編集]
年
日時 (UT)
日本
中国
2001年 3月20日13:30 3月20日 3月20日
2002年 3月20日19:16 3月21日 3月21日
2003年 3月21日00:59 3月21日 3月21日
2004年 3月20日06:48 3月20日 3月20日
2005年 3月20日12:33 3月20日 3月20日
2006年 3月20日18:25 3月21日 3月21日
2007年 3月21日00:07 3月21日 3月21日
2008年 3月20日05:48 3月20日 3月20日
2009年 3月20日11:43 3月20日 3月20日
2010年 3月20日17:32 3月21日 3月21日
2011年 3月20日23:21 3月21日 3月21日
2012年 3月20日05:14 3月20日 3月20日
2013年 3月20日11:01 3月20日 3月20日
2014年 3月20日16:57 3月21日 3月21日
春分の瞬間の日時 (UT) と、日本・中国での日付は表のとおり。
年
年を4で割った余り
0
1
2
3
1800年 - 1827年 21日 21日 21日 21日
1828年 - 1859年 20日 21日 21日 21日
1860年 - 1891年 20日 20日 21日 21日
1892年 - 1899年 20日 20日 20日 21日
1900年 - 1923年 21日 21日 21日 22日
1924年 - 1959年 21日 21日 21日 21日
1960年 - 1991年 20日 21日 21日 21日
1992年 - 2023年 20日 20日 21日 21日
2024年 - 2055年 20日 20日 20日 21日
2056年 - 2091年 20日 20日 20日 20日
2092年 - 2099年 19日 20日 20日 20日
2100年 - 2123年 20日 21日 21日 21日
2124年 - 2155年 20日 20日 21日 21日
2156年 - 2187年 20日 20日 20日 21日
2188年 - 2199年 20日 20日 20日 20日
グレゴリオ暦による19世紀から22世紀までの日本の春分は表のとおり [1] [2] [3]。 今年2014年の春分は3月21日。
365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子が分かる(春分は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。
1924年 - 2091年には3月20日か3月21日だが、1923年までは3月22日もあり、2092年からは3月19日もある。
記念日[編集]
「春分の日」も参照
日本ではこの日は国民の祝日の「春分の日」となる。春分の日は、国立天文台の算出する定気法による春分日を基にして閣議決定され、前年2月1日に暦要項として官報で告示される。天文学に基づいて年ごとに決定される国家の祝日は世界的にみても珍しい。また、この日をはさんで前後7日間が春の彼岸である。第二次大戦前は春季皇霊祭として祭日であった。
イラン暦の元日、ノウルーズ(nawrūz)はちょうど春分の日に当たり、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。ヨーロッパなどでも、春分をもって春の開始とする。いくつかの国では休日とされる。
春分の日の太陽光の当たり方。春分では太陽は赤道上にあるため、天文的な位置関係からは昼夜の長さが等しくなるように思えるが、実際は違う(詳細は本文参照)。
キリスト教で復活祭の日付を算出するには、春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定める。この算出方法をコンプトゥスという。ただし、ここでいう「春分」は暦の上での3月21日に固定されており、太陽黄経が0度の日とは必ずしも一致しない。「満月」も簡素化した計算によって求められており、天文学上の満月とは必ずしも一致しない。この算定法は第1ニカイア公会議で定められた。
昼夜の長さ[編集]
『暦便覧』に「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と記されているとおり、春分では昼夜の長さがほぼ同じになる。しかし、実際には、昼の方が夜よりも長い。日本付近では、年により差があり、平均すれば昼が夜よりも約14分長い。これは、次の理由による。
大気差大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見えるため、太陽が上に見える角度の分、日出が早く、日没が遅くなる。屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなる。国立天文台では、太陽が地平線付近にある時の、その角度を35分8秒と見積もっている。ここから計算される日出・日没の時間の差は約2分20秒である。太陽の視角太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出あるいは日没と定義しているため。これにより、太陽の半径の分、日出が早く、日没が遅くなる。ここから計算される日出・日没の時間の差は約1分5秒である。日周視差太陽の距離÷地球の半径は有限なので、視差により、0.7秒日の出が遅く、0.7秒日の入りが早くなる。春分のずれ1日の間にも太陽の黄経は変わるため、春分が1日のいつかにより昼夜の長さに差が出る。この効果は昼夜の長さを最大で±1.1分変える。ただし平均には影響を与えない。
これらを合わせると、日出は、太陽の中心が地平線から昇るより平均3分25秒早く、日没は、太陽の中心が地平線より沈むより平均3分25秒遅くなる。したがって、春分の日の昼の長さは平均12時間7分、夜の長さは平均11時間53分である。そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は春分の4日程度前になる[4]。
春分日には、太陽は真東から昇って真西に沈む[5]。赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過する。北極点または南極点の観測者から見ると、春分の太陽はちょうど地平線と重なるようにして動き、昇ることも沈むこともない。
七十二候[編集]
春分の期間の七十二候は以下のとおり。
初候雀始巣(すずめ はじめて すくう):雀が巣を構え始める(日本)玄鳥至(げんちょう いたる):燕が南からやって来る(中国)次候桜始開(さくら はじめて ひらく):桜の花が咲き始める(日本)雷乃発声(かみなり すなわち こえを はっす):遠くで雷の音がし始める(中国)末候雷乃発声(らい すなわち こえを はっす):遠くで雷の音がし始める(日本)始雷(はじめて いなびかりす):稲光が初めて光る(中国)
前後の節気[編集]
啓蟄 → 春分 → 清明
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