あるブログを読んでいましたら
戒名についての記載がありました。

私も父が急死した時にたいへん疑問に思っていたことで
あり、記事に目がとまりました。

親戚や近所の方の手前と自分の本家の家長の見栄もあって
その時は、戒名に金100万円也を払いました。
(ポンと100万円が払えるほど余裕はなく株を手放しました)

その時以来、戒名とか葬儀のあり方について
誰のための弔いなのかと考えるようになりました。


父親の一番下の弟(私の叔父)が亡くなった時の
葬儀は埼玉県所沢市の公的機関が運営する葬儀場で
執り行いましたが、私が体験した中では一番質素な葬儀でした。

叔父は東京で事業を興して長年、社長をしてきた人間で経済的には
何不自由もなかったと思いますが、生き方は質素を旨とし目立つのを
嫌うタイプで、不治の病であると悟った叔父は葬儀場も墓もすべて自分で
手配して亡くなりました。

東京と山口という地理的距離もありますが、あまり話をしたことが
なかったこの叔父の潔さと生きてきた姿には感銘さえ覚えました。
死しても何かを教えられた気がしました。


故人のことを思えば、立派な葬儀で送ってやりたい・・・
そう思うのも人間で当たり前かもわかりません。
立派な戒名もつけてやったら喜ぶようにも思います。
故人や残された遺族の社会的立場でも違うし個人の
考えもいろいろです。

しかし、お坊さんが何人も読経をするような立派というか
盛大という表現が近い葬儀が故人を偲ぶことと
かけ離れているような気がしてなりません。


昨今は家族葬という個人とごく親しかった人だけで
執り行う葬儀が多いと聞きます。
経済的理由が背景にはあることも事実ですが
故人を弔い、偲ぶとはどういうことで、残された者は
何をなすべきか問われているような気がします。




*******  以下、投稿記事  *******
現在、葬儀費用約200万円、お墓代約280万円(東京都)ともいわれる高額な葬儀ビジネス。
その“稼ぎ頭”とされるのが戒名だ。
「終活」の費用を徹底調査した『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社刊)の
著者でノンフィクションライターの大宮知信氏は、母の 死に際してこんな経験をした。

「近くの寺に相談に行くと、住職がいきなりファミレスのメニューのような料金表を差し出した。
最低の『信士、信女』は30万円、
最高の院号つきは90万円。法外な料金もさることながら、
死者を金で差別するようなランク付けに疑問を感じました。

それで本名(俗名)のままお願いすることにし、住職もいったんは承諾しました。
ところが葬儀当日になって、『戒名でなければ 埋葬できない』と言われた」

葬儀後、別の住職に相談し、結局戒名をつけてもらうことに。
気になるお布施について恐る恐る尋ねたところ
「お気持ちですから額 はいくらでもいいんですが……」という。
大宮氏はホッと胸を撫で下ろしていたのだが、次の瞬間、この住職はこう言うではないか。

「(慣例として)うちは30万円いただいております」

結局、20万円で戒名を書いてもらったが、住職は金額に不満だったのか、
お布施が入った封筒を受け取ると、遺族に慰めの言葉を かけることもなく、
そそくさと帰っていったという。

宗教に詳しい社会学者・橋爪大三郎氏が語る。

「戒名というのはバレンタインチョコみたいなもの。正式な由来も根拠もない。
チョコがなぜ広まったかといえば、菓子メーカーの
“都合”です。同様に、戒名が広まったのはお寺の都合なんです」

橋爪氏によれば、「俗名をつけてはならない」「自分でつけてはいけない」といった戒律は、
どこにも存在しないという。




※記事はasago個人の考えを書いたもので、勿論まったくこんなことは
 思われていない方もいらっしゃることは承知しております。

 また、寺院等を差別的な見方をしているわけではありません。
 蛇足ですが死んだ父親はある寺院の檀家総代をしていました。
 その父親や寺院を愚弄する心持ちは全くありません。




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