現在はスカイラインという車は

日産のエンブレムを翳していますが

初代は「富士精密工業(のちのプリンス)」という会社が作ったのです。

  

私の叔父(父方の4人兄弟の末の弟)は高校卒業と

同時に東京に出ました。私がまだ小学生低学年だったと

思います。事業を興すために山口の田舎から東京に出たのです。


  
    初代スカイライン


父の話によると叔父はたいへん研究熱心な人で

技術者タイプの人間であったようです。

車などの内燃機関つまりエンジンには必ず温度を制御するための

サーモスタットというものが使われています。

       サーモスタット

当時は車を持っている人などいない時代でしたが

これから来るモータリゼーションの時代を予感していた

叔父はこのサーモスタットを作る会社を友人と興しました。




いまでも、よく覚えていますが東京にいる叔父に呼ばれて

行くと初めて見る大きな黒い車の運転席に叔父が座り

駅から出てきた私に手を振っています。

その時の叔父の晴がましい誇りに満ちた笑顔。

車はプリンスのスカイラインでした。



皇居と東京タワーに行ったことだけはよく覚えているのですが

あとはどこに行ったのか記憶が飛んでしまっています。



「叔父さんは東京でなにしてるの?」

「俺はね、今乗っている車のエンジンに付いている

部品を作ってるよ」

「asagoちゃんはサーモスタットって知ってるかい?」

当然、初めて聞いた名前で知りません。

叔父は詳しく教えてくれていたようですが頭の悪い私には

理解不能でした。



叔父と友人の興した会社は現在も東京で多くの社員を

抱える会社で大きく成長しているようです。


その叔父は昨年3月に癌のため他界しました。

叔父の告別式は市営斎場で実に簡素で

叔父らしいお別れであったと思います。


親族を代表して挨拶をしてくれといきなり言われたのには

さすがに戸惑ってしまいましたが、叔父の最期と私が本家筋に

当たる長男であるという思いに緊張しながらもなんとか務めました。

叔父は自分の告別式をどこでどのようにするかまで決めて

精算も全て済ませて息を引き取ったそうです。

サムライの精神というのはこういうのを言うんだと思いました。



叔父には最期まで教えられました。

父方の兄弟は父も含めて全員他界しました。

あの世でも自分が作ったサーモスタットを付けた

車に兄弟載せて走っているでしょうか?








ウナセラディ東京  西田佐知子さん
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