2009年08月11日
嵐 オトノハ 櫻井翔
こんばんは
昨日は翔さんのオトノハ更新日でした。
内容は・・・先日のバレーボールの実況のときの話と
長崎の原爆記念日・・・。
取材に出かけているそうです。
その場所で
その時を空気を感じたくて・・・。
ホントにステキですね、翔さん。
いろんなことを考えていて、
いろんなことを感じようと勤めていて・・・
広島はスケジュールの都合でいけなかったそうで。
いつか、沖縄にも取材に来てくれないかなあ。
と、沖縄で生まれ育ったあやまほは思うわけで・・・。
沖縄戦、少し語らせてください。
あやまほはバリバリの戦後生まれですから
実際の沖縄戦は知りません。
でも、子どもの頃近所に学徒出陣していたおばさんがすんでいました。
また、学生時代に部活で戦争体験者にインタビューに行ったことがあります。
そこで耳にした話は、心えぐられるものでした。
原爆は、一瞬にしてたくさんの方の命をうばいました。
沖縄では、長い時間をかけてたくさんの方が犠牲になりました。
日本で唯一上陸戦を経験した島はたくさんの住民が逃げて逃げて追い詰められて
たくさんの恐怖を味わいながら亡くなっていきました。
どちらがひどいという気はありません。
どちらもひどく、悲しいことですから。
沖縄戦があまり語られないのは、
語れないことがあるからだといってもあまり信じてもらえません。
学生時代のインタビューで忘れられない言葉があります。
「今、沖縄は日本になった。
私は日本という国が好きだし、自分を日本人だと思っている。
だから、オリンピックで日本が出れば応援するし、勝てばうれしい。
でも、戦争になったら、私はアメリカを応援する。」
そう語った彼女は中高生ぐらいの年の時に
学徒動員で、従軍看護師していたのだそうです。
もう、ずいぶん追い詰められていたときで、
薬もろくになく、痛いと泣き叫ぶ人に何の手当てもしてあげられず
それでも看護しなくてはならない・・・そんな状況だったそうです。
そういう状況ですから、敵が攻めてきても動けないものも多く、
日本軍はそういう兵を壕の中に置き去りにしました。
彼女達も一緒に。
捕虜になったときの米兵のほうが優しかったのだそうです。
当事者ではないわたしは、それも仕方が無かったことだろうと思います。
誰が悪いのではなく、戦争という状況が悪いのです。
その戦争を始めたのも、当時仕方の無かったことなのでしょう。
そして、沖縄が切り捨てられたのも・・・。
自国民を守るためには仕方がなかった。
沖縄はもともと日本ではないですから・・・。
沖縄の人が、本当に悲しかったのは、
自分が何人でもなかったことだと思います。
日本人だといわれ、日本のために尽くせといわれ、
それなのに沖縄の方言がわからないからスパイだといわれ・・・
守ってくれるとおもった軍には切り捨てられ・・・。
(もちろん、沖縄の住民のために心を砕いてくださった方はたくさんいらっしゃいました)
終戦後もアメリカの統治下におかれ・・・
日本人といわれているのに
本土に渡るためにはパスポートがいる・・・。
わたしが語ったのはほんの一部。
もっと壮絶な話もたくさん聞きました。
私のつたない文章ではあらわせないほど・・・
戦争の悲しさは、命をなくすことではないと思います。
たしかに失う命はかなしいですが・・・
心をなくしてしまうことが一番の悲しみではないでしょうか。
人間追い詰められて、人のことを思いやる余裕なんてあるわけがありません。
心をなくして、普段では考えられないことを、絶対やらないであろうをこと
やってしまうのが戦争だと思います。
そして、心が平静に戻ると、ひどく傷つくんです。
自分のことを許せるまでに時間がかかる・・・
死んでも、生きていても悲しい・・・
それが戦争だと思います。
そういう時代に生まれなくてよかった。
心のそこからそう思います。
子ども達もそんな思いをしませんように
心から祈ります。
ま、そんな時代を生きてきても
南国おきなわですから・・・
「なんくるないさ(なるようになるさ)」←直訳は「勝手になるさ」
と、みんな明るくのんびり生きてます。
これが沖縄の生きるパワーです
おもた〜〜い話に長々お付き合いありがとうございました。
昨日は翔さんのオトノハ更新日でした。
内容は・・・先日のバレーボールの実況のときの話と
長崎の原爆記念日・・・。
取材に出かけているそうです。
その場所で
その時を空気を感じたくて・・・。
ホントにステキですね、翔さん。
いろんなことを考えていて、
いろんなことを感じようと勤めていて・・・
広島はスケジュールの都合でいけなかったそうで。
いつか、沖縄にも取材に来てくれないかなあ。
と、沖縄で生まれ育ったあやまほは思うわけで・・・。
沖縄戦、少し語らせてください。
あやまほはバリバリの戦後生まれですから
実際の沖縄戦は知りません。
でも、子どもの頃近所に学徒出陣していたおばさんがすんでいました。
また、学生時代に部活で戦争体験者にインタビューに行ったことがあります。
そこで耳にした話は、心えぐられるものでした。
原爆は、一瞬にしてたくさんの方の命をうばいました。
沖縄では、長い時間をかけてたくさんの方が犠牲になりました。
日本で唯一上陸戦を経験した島はたくさんの住民が逃げて逃げて追い詰められて
たくさんの恐怖を味わいながら亡くなっていきました。
どちらがひどいという気はありません。
どちらもひどく、悲しいことですから。
沖縄戦があまり語られないのは、
語れないことがあるからだといってもあまり信じてもらえません。
学生時代のインタビューで忘れられない言葉があります。
「今、沖縄は日本になった。
私は日本という国が好きだし、自分を日本人だと思っている。
だから、オリンピックで日本が出れば応援するし、勝てばうれしい。
でも、戦争になったら、私はアメリカを応援する。」
そう語った彼女は中高生ぐらいの年の時に
学徒動員で、従軍看護師していたのだそうです。
もう、ずいぶん追い詰められていたときで、
薬もろくになく、痛いと泣き叫ぶ人に何の手当てもしてあげられず
それでも看護しなくてはならない・・・そんな状況だったそうです。
そういう状況ですから、敵が攻めてきても動けないものも多く、
日本軍はそういう兵を壕の中に置き去りにしました。
彼女達も一緒に。
捕虜になったときの米兵のほうが優しかったのだそうです。
当事者ではないわたしは、それも仕方が無かったことだろうと思います。
誰が悪いのではなく、戦争という状況が悪いのです。
その戦争を始めたのも、当時仕方の無かったことなのでしょう。
そして、沖縄が切り捨てられたのも・・・。
自国民を守るためには仕方がなかった。
沖縄はもともと日本ではないですから・・・。
沖縄の人が、本当に悲しかったのは、
自分が何人でもなかったことだと思います。
日本人だといわれ、日本のために尽くせといわれ、
それなのに沖縄の方言がわからないからスパイだといわれ・・・
守ってくれるとおもった軍には切り捨てられ・・・。
(もちろん、沖縄の住民のために心を砕いてくださった方はたくさんいらっしゃいました)
終戦後もアメリカの統治下におかれ・・・
日本人といわれているのに
本土に渡るためにはパスポートがいる・・・。
わたしが語ったのはほんの一部。
もっと壮絶な話もたくさん聞きました。
私のつたない文章ではあらわせないほど・・・
戦争の悲しさは、命をなくすことではないと思います。
たしかに失う命はかなしいですが・・・
心をなくしてしまうことが一番の悲しみではないでしょうか。
人間追い詰められて、人のことを思いやる余裕なんてあるわけがありません。
心をなくして、普段では考えられないことを、絶対やらないであろうをこと
やってしまうのが戦争だと思います。
そして、心が平静に戻ると、ひどく傷つくんです。
自分のことを許せるまでに時間がかかる・・・
死んでも、生きていても悲しい・・・
それが戦争だと思います。
そういう時代に生まれなくてよかった。
心のそこからそう思います。
子ども達もそんな思いをしませんように
心から祈ります。
ま、そんな時代を生きてきても
南国おきなわですから・・・
「なんくるないさ(なるようになるさ)」←直訳は「勝手になるさ」
と、みんな明るくのんびり生きてます。
これが沖縄の生きるパワーです
おもた〜〜い話に長々お付き合いありがとうございました。
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