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沖家室島@=山口県大島郡周防大島町

沖家室島周防国大島郡のうち、屋代島中部の南海上にある島



沖家室島は、くびれ部があって、二つの島にみえるが、細長い一つの島で、一枚の写真に、その全容を収めることはできなかった。







屋代島本土との間に、潮流の速い沖家室の瀬戸がある。







地家室(じかむろ)に対して、沖にあるので沖家室(おきかむろ)というようになった。













室町時代のものと推定される宝塔の塔身一・相輪一、五輪塔の水輪三・火輪一が、本浦の山の中腹、中三道にあり、また、島には昔から海賊浦と呼ばれている地名もあり、中世には、大島海賊の根拠地であったと推測されている。

石崎善兵衛は、伊予河野氏に仕え、興居島などを領していたが、河野氏滅亡後、一族・家来ともに、手船七艘で、小泊村に着き、屋代村に滞留した後、慶長年間、一族・家来を多数召し連れて沖家室に移住し開拓したという。

江戸時代は、萩藩領。大島宰判に属した。

元禄四(1691)年、江戸に赴いたドイツ人医師ケンペルは、途中、沖家室を望見した。

現代、人の住んでいる島としては、大島郡では最南端という。集落は、本浦(もとうら)と州埼(洲崎・すさき)に分かれている。









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