2016年02月01日
バレンタインとチョコレート
バレンタインとチョコレート
聖バレンタイン
バレンタイン司祭は3世紀のローマの人です。
一説によると、当時の皇帝クラウディウス2世は、
強兵策の一つとして兵士たちの結婚を禁止していました。
これに反対したバレンタイン司祭は、
皇帝の命に反し多くの兵士たちを結婚させました。
このため皇帝の怒りをかい、
ついに殺されたということです。
この殉教の日が西暦270年の2月14日で、
バレンタイン司祭は聖バレンタイとして敬われるようになり、
この日をローマカトリック教会では祭日とされているそうです。
愛の日
はじめのころ、
聖バレンタインデーは司祭の死を悼む宗教的行事でした。
これが 14世紀頃からは若い人たちが愛の告白をしたり、
また、一説には2月が春の訪れとともに小鳥もさえずりをはじめる、
愛の告白にふさわしい季節であることから、
この日がプロポーズの贈り物をする日になったともいわれています。
日本のバレンタイン事情
「バレンタイデーにはチョコレート」
日本では、バレンタインデーは女性から男性へ愛の贈り物として、
チョコレートを贈る習慣がありますが、
現在の形のバレンタインデーの始まりは、
昭和30年代(1950年代)に入ってからのようです。
以後、多くのことが関係して
「バレンタインデーにはチョコレートを女性から男性に」
という習慣が定着し、今日のような盛んな行事になったようです。
朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版
{地球「食材の旅」・カカオ}に
日本のバレンタインデーのルーツが掲載されていますので、抜粋してみました。
1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は
新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出した。
3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。
翌年ハート型チョコを作った。
「女性から男性へ」という殺し文句を作ったのもその頃だ。
1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。
神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。
チョコレート会社「モロゾフ」(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に、
神戸で発行されていた外国人向け英字新聞に
バレンタインデー向けチョコレートの広告を出している。
バレンタイデーは盛んに
昭和30年代後半になると
バレンタインデーを積極的に売り出す動きも出てきました。
森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を
新聞広告などのマスコミを通して行ない、
チョコレートの販売を促進しました。
この時期にはバレンタイデー用のチョコレートをお買い上げいただいた方々を
劇場に招待したり、景品には当時大変貴重であった
腕時計をプレゼントとするという新聞広告もありました。
各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期です。
多くのチョコレート会社が「バレンタイデーにチョコレート」の
販売戦略を進めていくうちに、昭和40年代末から50年代にかけて、
女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、
今日のように盛んな行事になったと考えられます。
引用
日本チョコレート協会
チョコレート。ココア大辞典より
聖バレンタイン
バレンタイン司祭は3世紀のローマの人です。
一説によると、当時の皇帝クラウディウス2世は、
強兵策の一つとして兵士たちの結婚を禁止していました。
これに反対したバレンタイン司祭は、
皇帝の命に反し多くの兵士たちを結婚させました。
このため皇帝の怒りをかい、
ついに殺されたということです。
この殉教の日が西暦270年の2月14日で、
バレンタイン司祭は聖バレンタイとして敬われるようになり、
この日をローマカトリック教会では祭日とされているそうです。
愛の日
はじめのころ、
聖バレンタインデーは司祭の死を悼む宗教的行事でした。
これが 14世紀頃からは若い人たちが愛の告白をしたり、
また、一説には2月が春の訪れとともに小鳥もさえずりをはじめる、
愛の告白にふさわしい季節であることから、
この日がプロポーズの贈り物をする日になったともいわれています。
日本のバレンタイン事情
「バレンタイデーにはチョコレート」
日本では、バレンタインデーは女性から男性へ愛の贈り物として、
チョコレートを贈る習慣がありますが、
現在の形のバレンタインデーの始まりは、
昭和30年代(1950年代)に入ってからのようです。
以後、多くのことが関係して
「バレンタインデーにはチョコレートを女性から男性に」
という習慣が定着し、今日のような盛んな行事になったようです。
朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版
{地球「食材の旅」・カカオ}に
日本のバレンタインデーのルーツが掲載されていますので、抜粋してみました。
1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は
新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出した。
3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。
翌年ハート型チョコを作った。
「女性から男性へ」という殺し文句を作ったのもその頃だ。
1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。
神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。
チョコレート会社「モロゾフ」(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に、
神戸で発行されていた外国人向け英字新聞に
バレンタインデー向けチョコレートの広告を出している。
バレンタイデーは盛んに
昭和30年代後半になると
バレンタインデーを積極的に売り出す動きも出てきました。
森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を
新聞広告などのマスコミを通して行ない、
チョコレートの販売を促進しました。
この時期にはバレンタイデー用のチョコレートをお買い上げいただいた方々を
劇場に招待したり、景品には当時大変貴重であった
腕時計をプレゼントとするという新聞広告もありました。
各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期です。
多くのチョコレート会社が「バレンタイデーにチョコレート」の
販売戦略を進めていくうちに、昭和40年代末から50年代にかけて、
女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、
今日のように盛んな行事になったと考えられます。
引用
日本チョコレート協会
チョコレート。ココア大辞典より
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