2015年11月03日
恋愛の見返り
映画などでは特に恋愛は美しく描かれるものが多いです。
★相手に見返りを求めず献身的に尽くしたり、
そんな美談ばかりですが、自分を振り返ってみると
そんなに綺麗な恋愛をしていると自信をもって言える人、
そんなに多くないのでは?
恋愛ってお互いが好き同士で始めるものなのに、
いつの間にか相手に見返りを求めていた事に
気がついたりしませんか?
誕生日に高級ブランドのバッグをおねだりしたいから、
彼氏の誕生日にちょっと奮発したり、
逆に彼氏の誕生日に奮発したのに、
私の誕生日ではプレゼントが何もなくて、
イラッときたり。
また、私はあなたのために料理を作ってあげたのに、
感謝の言葉の一つもないの?
と不満に思ったり。
★見返りを求めるような関係が、実は恋愛においては
無意識に発生していたりします。
ですが、
「見返りのない愛こそリアルで本物である!」
というような美談を、映画や書籍では繰り返し叫んでいます。
でも、相手に何も求めないような、
献身的な「尽くす愛」だけが、本当の愛情なのでしょうか?
★無償の愛、それは母親が子供に与えるもの
無償の何も見返りを求めない愛は、
究極の愛と呼ばれますが、
それは母親が赤ん坊に捧げるものです。
赤ん坊に愛を注いでも、赤ん坊が母親にお金をくれるわけでも、
ねぎらいの言葉をくれるわけでもありません。
一方的に母親が注ぎ、それを赤ん坊は甘受するだけです。
自分の全てを注ぐ献身的な愛情は自分の子供だからできる事です。
見返りとして、赤ん坊が与えるものはその愛くるしい笑顔ぐらいでしょうか。
ですが、母親は本能としてそれだけで十分だという事を知っているのです。
どんなに自己犠牲を強いても、
母親は子供が無事に成長し独り立ちするまで、
ずっとその子供に愛を注ぎます。
人は皆赤ん坊という時を経て、
母親から無償の愛を受け取って成長します。
★しかし大人になるにつれ、何かを与えてもらうには、
何かを差し出さなくてはいけなくなるようになります。
あんなに無償で愛してくれた母親も、
「お手伝いしてちょうだい」だとか
「老後の面倒はよろしくね」というように、
見返りを求めるようになります。
そのため、「見返りを求めない無償の愛」を、
人は懐かしむのです。
★昔は母親から与えてもらえていたのに、
今では誰もそれを与えてくれません。
だからこそ「見返りの無い愛」はとても貴重で、
大人になった後も無意識に「見返りのない愛」を神聖視し、
愛の美談を映画にしたり、書籍にしたりと、憧れを抱くのです。
★大人の恋愛、そこに「見返りのないもの」は有り得ない
貴女はもう大人です。
ですので、見返りのない愛こそ本物であるという
幻想は捨てなくてはいけません。
自分はどんなに我儘三昧しても、
相手が自分を思いやってくれる
一方的な愛を求めてはいけません。
相手に何かしてもらいたければ、
自分も何かを差し出す必要があるのです。
相手から思いやりを持って扱ってほしいのなら、
自分の我儘を相手に押し付けるのではなく、
自分も相手を尊重すべきです。
相手に愛してもらいたいなら、
自分も相手に愛を返すべきです。
それが「見返り」です。
★メディアは見返りの無い恋愛を美徳とアピールしますが、
もうそれに騙される必要はありません。
互いに思いやって相手に何かを差し出し、
それを返してもらうという
相互のバランスのとれた関係こそ、
真実の恋愛なのではないでしょうか?
★相手に見返りを求めず献身的に尽くしたり、
そんな美談ばかりですが、自分を振り返ってみると
そんなに綺麗な恋愛をしていると自信をもって言える人、
そんなに多くないのでは?
恋愛ってお互いが好き同士で始めるものなのに、
いつの間にか相手に見返りを求めていた事に
気がついたりしませんか?
誕生日に高級ブランドのバッグをおねだりしたいから、
彼氏の誕生日にちょっと奮発したり、
逆に彼氏の誕生日に奮発したのに、
私の誕生日ではプレゼントが何もなくて、
イラッときたり。
また、私はあなたのために料理を作ってあげたのに、
感謝の言葉の一つもないの?
と不満に思ったり。
★見返りを求めるような関係が、実は恋愛においては
無意識に発生していたりします。
ですが、
「見返りのない愛こそリアルで本物である!」
というような美談を、映画や書籍では繰り返し叫んでいます。
でも、相手に何も求めないような、
献身的な「尽くす愛」だけが、本当の愛情なのでしょうか?
★無償の愛、それは母親が子供に与えるもの
無償の何も見返りを求めない愛は、
究極の愛と呼ばれますが、
それは母親が赤ん坊に捧げるものです。
赤ん坊に愛を注いでも、赤ん坊が母親にお金をくれるわけでも、
ねぎらいの言葉をくれるわけでもありません。
一方的に母親が注ぎ、それを赤ん坊は甘受するだけです。
自分の全てを注ぐ献身的な愛情は自分の子供だからできる事です。
見返りとして、赤ん坊が与えるものはその愛くるしい笑顔ぐらいでしょうか。
ですが、母親は本能としてそれだけで十分だという事を知っているのです。
どんなに自己犠牲を強いても、
母親は子供が無事に成長し独り立ちするまで、
ずっとその子供に愛を注ぎます。
人は皆赤ん坊という時を経て、
母親から無償の愛を受け取って成長します。
★しかし大人になるにつれ、何かを与えてもらうには、
何かを差し出さなくてはいけなくなるようになります。
あんなに無償で愛してくれた母親も、
「お手伝いしてちょうだい」だとか
「老後の面倒はよろしくね」というように、
見返りを求めるようになります。
そのため、「見返りを求めない無償の愛」を、
人は懐かしむのです。
★昔は母親から与えてもらえていたのに、
今では誰もそれを与えてくれません。
だからこそ「見返りの無い愛」はとても貴重で、
大人になった後も無意識に「見返りのない愛」を神聖視し、
愛の美談を映画にしたり、書籍にしたりと、憧れを抱くのです。
★大人の恋愛、そこに「見返りのないもの」は有り得ない
貴女はもう大人です。
ですので、見返りのない愛こそ本物であるという
幻想は捨てなくてはいけません。
自分はどんなに我儘三昧しても、
相手が自分を思いやってくれる
一方的な愛を求めてはいけません。
相手に何かしてもらいたければ、
自分も何かを差し出す必要があるのです。
相手から思いやりを持って扱ってほしいのなら、
自分の我儘を相手に押し付けるのではなく、
自分も相手を尊重すべきです。
相手に愛してもらいたいなら、
自分も相手に愛を返すべきです。
それが「見返り」です。
★メディアは見返りの無い恋愛を美徳とアピールしますが、
もうそれに騙される必要はありません。
互いに思いやって相手に何かを差し出し、
それを返してもらうという
相互のバランスのとれた関係こそ、
真実の恋愛なのではないでしょうか?
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