2009年02月03日
『学園侵略計画! 個別面談にご用心!?』 part2
「えっと、ここ……かな?」
普段はめったに生徒も通らない特別棟の一角、「面談室」と書かれた張り紙が貼られ
た教室の前にたどり着いた菫は呼吸を整え、引き戸の取っ手に手を掛けた。
「失礼しま〜す……」
そう声を掛けながら、ゆっくりと戸を開ける。ガラガラ……という音を耳にしながら、
菫は一歩、教室の中に足を踏み入れた。
「あの、3−Aの紫乃森です。面談に来ましたー」
室内には普通の教室とは違い、無造作に机やイスが置かれており、空いた教室を倉庫
代わりに使っているような印象を受ける。ほとんど訪れる者もなく、打ち捨てられた
ような空気が漂っているせいか、学園の中のはずなのにどこか異空間のような印象を
菫は受けた。
入ってきた生徒の姿を認め、先に教室の中にいた少女が声を掛ける。
「あ、来たのね。まあ適当なイスにでも座って」
その声の主である少女は胸に大きなリボンのついた白いブラウスにコルセット、ホワ
イトラインが入った青いスカートを身に着け、彼女に視線を向けていた。だがその背
丈は高等部3年の彼女よりも低く、幼い顔立ちからはとても年上には見えない。グリ
ーンの細いリボンが結ばれたツインテールの髪型と、その髪から覗くネコミミ型のア
クセサリが彼女の子どもっぽい印象をいっそう強くしていた。
「遅れてすみません、唯子先生」
「いいのいいの。ほら、じゃあ始めましょっか」
頭を下げた菫に、目の前の少女、唯子は気にした様子もなく微笑む。
そう、一見菫の年下にしか見えない彼女は「先生」――この西安津学園にこの春から
産休の教師の代わりにやってきたれっきとした「教師」なのだ。担当科目は「保健体
育」とこれまた可愛らしい見た目とは大きなギャップがあるが、授業での真剣な態度
と、クラス担任として生徒一人ひとりをしっかりと理解していることから、学園の中
においても男女問わず人気が高い。
にこにこと微笑む唯子にもう一度軽く頭を下げると、菫は手近なイスと机を選び、腰
をおろした。それを見て唯子も机をくっつけて彼女に向き合い、鞄から面談用の資料
を取り出す。
「まあ、進路相談といってもそんなに固くなることは無いから。とりあえず、この間
のテストの結果からね」
「はい」
菫が頷いたのを見ると、唯子は手元の個人票に視線を落とす。緊張に固まる菫に小さ
な苦笑いを一つ漏らすと、彼女は菫の成績の分析、現時点での志望進路の確認、何か
最近問題は無いかなど、一つ一つ彼女に解説し、時には質問をしたりしていく。
初めこそ身を固くしていた菫であったが、唯子の親しみやすい風貌と話し方にいつの
間にか引き込まれ、数分もしないうちにまるで友人と語らうかのようにリラックスし
た様子で会話を続けていた。
「ふむふむ……、では今のところ学校生活に特に不満はなし、と。
うん、現時点の成績もいいし、このまま調子を崩さなければ志望している大学も十分
合格できるんじゃないかしら。もちろん、努力し続けることが大事だけどね」
しばらくの間二人の間で交わされていた会話の結果か、手元の資料に何か書き込みな
がら、唯子がこの面談を締めくくる。褒めつつも現状に満足しないよう、しっかりと
釘を刺すところが彼女らしかった。
「はい、頑張ります!」
彼女の言葉に大きく頷く菫を見つめ、唯子もまたうんうんと頷く。そしてこの面談の
最後に、唯子はちょっといたずらっぽい表情を作ると立ち上がろうとしていた菫に声
を掛けた。
「ところで……ちょっと小耳に挟んだんだけど。紫乃森さん、最近彼氏が出来たんだ
って?」
「ええっ!? せ、先生、な、何を言い出すんですか!? と、言うか何で知ってる
んですか!?」
勢いよく振り返り、真っ赤な頬のまま詰め寄る菫をおかしそうに見、唯子は笑う。
「まあ、いろいろよ。女の子は噂に敏感でしょ? それよりもどうなの、上手く行っ
てるの?」
問いかけてくる唯子の瞳は、気のせいか……先ほどの進路相談よりもどこか真剣な色
が浮かんでいる。まるで、ここからが本番だとでも言わんばかりに。
「あ、そんな……上手く行くとか、私たち、まだ付き合い始めたばっかりで」
しどろもどろに言葉を紡ぐ菫の方に、立ち上がった唯子が一歩近づく。目の前の小柄
な少女が近づいただけで、室内の温度が上がったように菫は感じた。いつの間にか、
唯子の頬も赤く染まり、目には今まで彼女が見たことも無いような色が浮かんでいる。
「あらあら、かわいい。でも、興味はあるんでしょ?
……えっちなこと、とかにも……」
「あ……」
その言葉と共に、唯子から不思議な気配が放たれる。熱っぽく見つめられ、菫は思わ
ず後ずさった。だが、その背に積まれた机があたり、彼女の逃げ場をふさぐ。
まるで獲物を捕らえた獣のように、そっと唯子が近づいてくる。
「そんなに怖がらなくてもいいのに。何もひどいことしようってわけじゃないんだか
ら。ほら、全てを感じるまま、ゆだねなさい……」
「あ……ああ……」
唯子と菫の距離が狭まるたび、少女から発せられる気配は濃密さを増し、菫の体の熱
も熱さを増していく。だんだんと頭に靄がかかり、その目がとろんとして光を失いだ
していった。
だが、唯子の手が彼女に触れる直前。突然菫の目に光が戻り、彼女は素早く唯子から
身を引き離すと慌てて落ちていた鞄を掴み、教室の出口へと駆け出した。
「す、すみません先生! わ、わたしはこれで失礼しますっ!!」
「あっ! ちょ、ちょっと!?」
背後からかけられた声にも構わず、菫は全速力で廊下を疾走する。そのまま階段を駆
け下り昇降口の下駄箱の前まで来て、ようやく足を止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……。な、何だったのかしら? 唯子先生のいたずらかな……?
でもそれにしてはなんだか……」
下駄箱に背を預け、荒い息を静めながら考え込む彼女。
しばしうつむいたままの菫に、一人の生徒が近づく。そのまま、彼はぽんと軽く彼女
の肩をたたき、声をかけた。
「よ、何やってんの?」
「わひゃうっ!?」
「うおわっ!?」
不意に肩に置かれた手に思わず飛び上がる。だがその反応は手を置いた方にも予想外
だったらしく、大きく身を引いて目を白黒させていた。
胸元に手を当てて深呼吸をくりかえし、ようやく落ち着きを取り戻した少女は、あま
りの驚きに目の端に小さな涙を浮かべたまま自分を驚かせた犯人を睨みつけた。
自分と同じくらい驚愕を貼り付けたせいで若干崩れているとはいえ、その顔はそれな
りに愛嬌があった。学園の男子制服に包まれたその体はすらりとしているが、だから
といって決して貧弱な印象でもない。それが彼女の彼氏の周囲からの評価である。
「もう、達也くん驚かさないでよ! 心臓が止まるかと思ったじゃない!」
「悪い悪い。そんなに驚くとは思わなかったんだよ。それに珍しいじゃないか、菫さ
んがこんな所でぼうっとしているなんて。……何かあったの?」
詰め寄る彼女の剣幕に両手を軽く挙げ、降参のポーズをとった少年
――「宮下・達也(みやした・たつや)」は彼女の背後から自分の靴箱を探し当てる
と上履きを靴に履き替える。菫もそれにならい、靴を履くと二人は並んで歩き出した。
そのまま校舎を出、庭の中ほどに差し掛かった辺りで菫はややためらいがちに口を開
く。
「うん、ちょっとね。さっき行ってきた面談のことなんだけど……」
「何、結果が悪かったとか言われたの?」
「ううん、そういうんじゃなくて……」
彼の言葉に首を振り、言葉を濁す。さっきのことを正直に話すのはなんだかためらわ
れたし、率直に言って自分でも上手く理解できていなかった。
ただなんとなくいつもと唯子先生の様子が違う、とだけ説明した菫に、隣を歩く達也
は少しだけ心配そうな顔色を浮かべた。
「ま、一対一の面談で菫さんも緊張したんだろうし、そうじゃなかったとしても先生
だっていろいろあるんじゃないか? きっと気にしすぎなんだよ」
「だといいんだけど……」
浮かない顔の彼女を元気付けるようにあれこれ推測を述べる彼。その言葉に力なく頷
きながらも、菫には先ほどの教室でのことを納得できるような理由は見つけ出せなか
った。
・
・
・
夕焼けの赤に染まる空に浮かび上がるように、そびえる学園の校舎。その部屋の窓際
に、一人佇む人影があった。
彼女以外の人間、他の教師や生徒の姿は室内には見当たらない。
今、窓から入る夕日が朱色に染める世界にはその少女の影だけが床や壁に長く伸びて
いた。小柄な体躯と長く伸びたツーテールの影が、夕日に伸ばされ歪んだシルエット
になっている。
いや、その影の形はどこかおかしかった。頭、胴体、手足と人間が持つ特徴はそれぞ
れ備えているものの、手足はふわふわとした黒い獣の毛に包まれ、鋭い爪が伸びてい
る。頭につけたネコミミも髪の毛同様真っ黒にそまり、その質感はとてもアクセサリ
とは思えない。さらに、その腰のあたりからは手足と同じ色に包まれた細い尻尾が生
え、ゆらゆらとゆれていた。
いつの間にか肌の色も漆黒に染まり、その中に人外の輝きを宿す目が二つ、沈みかけ
た太陽が作り出す夕闇の中に浮かび上がっている。
いまだ校庭からは部活動を行う生徒達の元気な声が時折響いてきている。彼らにはこ
こに人ならざる姿をした怪人が立っていることなど、ましてやそれが生徒から慕われ
る教師である唯子の正体だとは夢にも思うまい。
金色に妖しく輝く瞳は、今丁度校門を通り過ぎようとしている一組の男女へと向けら
れていた。仲良さげに並んで歩くその姿が角を曲がり、やがて唯子の視界から消える。
二人の姿が見えなくなっても彼女はしばしその角を見つめていたが、やがてポケット
から小型の通信機を取り出すと誰かに連絡をとった。
「……秋子様。少し気になることでご報告が。
……はい、分かりました。では、一度帰還します」
短い通話の後、通信機を折りたたんだ唯子が振り返ると、目の前の虚空に様々な色を
混ぜ合わせたような混沌が口を開けていた。彼女はためらいもせず、その中に一歩踏
み出す。いかなる原理か、彼女の姿がその中に全て消えると混沌は音もなく入り口を
閉じる。
後には暗闇が満ちだした無人の教室だけが残された。
――――――――――――――
普段はめったに生徒も通らない特別棟の一角、「面談室」と書かれた張り紙が貼られ
た教室の前にたどり着いた菫は呼吸を整え、引き戸の取っ手に手を掛けた。
「失礼しま〜す……」
そう声を掛けながら、ゆっくりと戸を開ける。ガラガラ……という音を耳にしながら、
菫は一歩、教室の中に足を踏み入れた。
「あの、3−Aの紫乃森です。面談に来ましたー」
室内には普通の教室とは違い、無造作に机やイスが置かれており、空いた教室を倉庫
代わりに使っているような印象を受ける。ほとんど訪れる者もなく、打ち捨てられた
ような空気が漂っているせいか、学園の中のはずなのにどこか異空間のような印象を
菫は受けた。
入ってきた生徒の姿を認め、先に教室の中にいた少女が声を掛ける。
「あ、来たのね。まあ適当なイスにでも座って」
その声の主である少女は胸に大きなリボンのついた白いブラウスにコルセット、ホワ
イトラインが入った青いスカートを身に着け、彼女に視線を向けていた。だがその背
丈は高等部3年の彼女よりも低く、幼い顔立ちからはとても年上には見えない。グリ
ーンの細いリボンが結ばれたツインテールの髪型と、その髪から覗くネコミミ型のア
クセサリが彼女の子どもっぽい印象をいっそう強くしていた。
「遅れてすみません、唯子先生」
「いいのいいの。ほら、じゃあ始めましょっか」
頭を下げた菫に、目の前の少女、唯子は気にした様子もなく微笑む。
そう、一見菫の年下にしか見えない彼女は「先生」――この西安津学園にこの春から
産休の教師の代わりにやってきたれっきとした「教師」なのだ。担当科目は「保健体
育」とこれまた可愛らしい見た目とは大きなギャップがあるが、授業での真剣な態度
と、クラス担任として生徒一人ひとりをしっかりと理解していることから、学園の中
においても男女問わず人気が高い。
にこにこと微笑む唯子にもう一度軽く頭を下げると、菫は手近なイスと机を選び、腰
をおろした。それを見て唯子も机をくっつけて彼女に向き合い、鞄から面談用の資料
を取り出す。
「まあ、進路相談といってもそんなに固くなることは無いから。とりあえず、この間
のテストの結果からね」
「はい」
菫が頷いたのを見ると、唯子は手元の個人票に視線を落とす。緊張に固まる菫に小さ
な苦笑いを一つ漏らすと、彼女は菫の成績の分析、現時点での志望進路の確認、何か
最近問題は無いかなど、一つ一つ彼女に解説し、時には質問をしたりしていく。
初めこそ身を固くしていた菫であったが、唯子の親しみやすい風貌と話し方にいつの
間にか引き込まれ、数分もしないうちにまるで友人と語らうかのようにリラックスし
た様子で会話を続けていた。
「ふむふむ……、では今のところ学校生活に特に不満はなし、と。
うん、現時点の成績もいいし、このまま調子を崩さなければ志望している大学も十分
合格できるんじゃないかしら。もちろん、努力し続けることが大事だけどね」
しばらくの間二人の間で交わされていた会話の結果か、手元の資料に何か書き込みな
がら、唯子がこの面談を締めくくる。褒めつつも現状に満足しないよう、しっかりと
釘を刺すところが彼女らしかった。
「はい、頑張ります!」
彼女の言葉に大きく頷く菫を見つめ、唯子もまたうんうんと頷く。そしてこの面談の
最後に、唯子はちょっといたずらっぽい表情を作ると立ち上がろうとしていた菫に声
を掛けた。
「ところで……ちょっと小耳に挟んだんだけど。紫乃森さん、最近彼氏が出来たんだ
って?」
「ええっ!? せ、先生、な、何を言い出すんですか!? と、言うか何で知ってる
んですか!?」
勢いよく振り返り、真っ赤な頬のまま詰め寄る菫をおかしそうに見、唯子は笑う。
「まあ、いろいろよ。女の子は噂に敏感でしょ? それよりもどうなの、上手く行っ
てるの?」
問いかけてくる唯子の瞳は、気のせいか……先ほどの進路相談よりもどこか真剣な色
が浮かんでいる。まるで、ここからが本番だとでも言わんばかりに。
「あ、そんな……上手く行くとか、私たち、まだ付き合い始めたばっかりで」
しどろもどろに言葉を紡ぐ菫の方に、立ち上がった唯子が一歩近づく。目の前の小柄
な少女が近づいただけで、室内の温度が上がったように菫は感じた。いつの間にか、
唯子の頬も赤く染まり、目には今まで彼女が見たことも無いような色が浮かんでいる。
「あらあら、かわいい。でも、興味はあるんでしょ?
……えっちなこと、とかにも……」
「あ……」
その言葉と共に、唯子から不思議な気配が放たれる。熱っぽく見つめられ、菫は思わ
ず後ずさった。だが、その背に積まれた机があたり、彼女の逃げ場をふさぐ。
まるで獲物を捕らえた獣のように、そっと唯子が近づいてくる。
「そんなに怖がらなくてもいいのに。何もひどいことしようってわけじゃないんだか
ら。ほら、全てを感じるまま、ゆだねなさい……」
「あ……ああ……」
唯子と菫の距離が狭まるたび、少女から発せられる気配は濃密さを増し、菫の体の熱
も熱さを増していく。だんだんと頭に靄がかかり、その目がとろんとして光を失いだ
していった。
だが、唯子の手が彼女に触れる直前。突然菫の目に光が戻り、彼女は素早く唯子から
身を引き離すと慌てて落ちていた鞄を掴み、教室の出口へと駆け出した。
「す、すみません先生! わ、わたしはこれで失礼しますっ!!」
「あっ! ちょ、ちょっと!?」
背後からかけられた声にも構わず、菫は全速力で廊下を疾走する。そのまま階段を駆
け下り昇降口の下駄箱の前まで来て、ようやく足を止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……。な、何だったのかしら? 唯子先生のいたずらかな……?
でもそれにしてはなんだか……」
下駄箱に背を預け、荒い息を静めながら考え込む彼女。
しばしうつむいたままの菫に、一人の生徒が近づく。そのまま、彼はぽんと軽く彼女
の肩をたたき、声をかけた。
「よ、何やってんの?」
「わひゃうっ!?」
「うおわっ!?」
不意に肩に置かれた手に思わず飛び上がる。だがその反応は手を置いた方にも予想外
だったらしく、大きく身を引いて目を白黒させていた。
胸元に手を当てて深呼吸をくりかえし、ようやく落ち着きを取り戻した少女は、あま
りの驚きに目の端に小さな涙を浮かべたまま自分を驚かせた犯人を睨みつけた。
自分と同じくらい驚愕を貼り付けたせいで若干崩れているとはいえ、その顔はそれな
りに愛嬌があった。学園の男子制服に包まれたその体はすらりとしているが、だから
といって決して貧弱な印象でもない。それが彼女の彼氏の周囲からの評価である。
「もう、達也くん驚かさないでよ! 心臓が止まるかと思ったじゃない!」
「悪い悪い。そんなに驚くとは思わなかったんだよ。それに珍しいじゃないか、菫さ
んがこんな所でぼうっとしているなんて。……何かあったの?」
詰め寄る彼女の剣幕に両手を軽く挙げ、降参のポーズをとった少年
――「宮下・達也(みやした・たつや)」は彼女の背後から自分の靴箱を探し当てる
と上履きを靴に履き替える。菫もそれにならい、靴を履くと二人は並んで歩き出した。
そのまま校舎を出、庭の中ほどに差し掛かった辺りで菫はややためらいがちに口を開
く。
「うん、ちょっとね。さっき行ってきた面談のことなんだけど……」
「何、結果が悪かったとか言われたの?」
「ううん、そういうんじゃなくて……」
彼の言葉に首を振り、言葉を濁す。さっきのことを正直に話すのはなんだかためらわ
れたし、率直に言って自分でも上手く理解できていなかった。
ただなんとなくいつもと唯子先生の様子が違う、とだけ説明した菫に、隣を歩く達也
は少しだけ心配そうな顔色を浮かべた。
「ま、一対一の面談で菫さんも緊張したんだろうし、そうじゃなかったとしても先生
だっていろいろあるんじゃないか? きっと気にしすぎなんだよ」
「だといいんだけど……」
浮かない顔の彼女を元気付けるようにあれこれ推測を述べる彼。その言葉に力なく頷
きながらも、菫には先ほどの教室でのことを納得できるような理由は見つけ出せなか
った。
・
・
・
夕焼けの赤に染まる空に浮かび上がるように、そびえる学園の校舎。その部屋の窓際
に、一人佇む人影があった。
彼女以外の人間、他の教師や生徒の姿は室内には見当たらない。
今、窓から入る夕日が朱色に染める世界にはその少女の影だけが床や壁に長く伸びて
いた。小柄な体躯と長く伸びたツーテールの影が、夕日に伸ばされ歪んだシルエット
になっている。
いや、その影の形はどこかおかしかった。頭、胴体、手足と人間が持つ特徴はそれぞ
れ備えているものの、手足はふわふわとした黒い獣の毛に包まれ、鋭い爪が伸びてい
る。頭につけたネコミミも髪の毛同様真っ黒にそまり、その質感はとてもアクセサリ
とは思えない。さらに、その腰のあたりからは手足と同じ色に包まれた細い尻尾が生
え、ゆらゆらとゆれていた。
いつの間にか肌の色も漆黒に染まり、その中に人外の輝きを宿す目が二つ、沈みかけ
た太陽が作り出す夕闇の中に浮かび上がっている。
いまだ校庭からは部活動を行う生徒達の元気な声が時折響いてきている。彼らにはこ
こに人ならざる姿をした怪人が立っていることなど、ましてやそれが生徒から慕われ
る教師である唯子の正体だとは夢にも思うまい。
金色に妖しく輝く瞳は、今丁度校門を通り過ぎようとしている一組の男女へと向けら
れていた。仲良さげに並んで歩くその姿が角を曲がり、やがて唯子の視界から消える。
二人の姿が見えなくなっても彼女はしばしその角を見つめていたが、やがてポケット
から小型の通信機を取り出すと誰かに連絡をとった。
「……秋子様。少し気になることでご報告が。
……はい、分かりました。では、一度帰還します」
短い通話の後、通信機を折りたたんだ唯子が振り返ると、目の前の虚空に様々な色を
混ぜ合わせたような混沌が口を開けていた。彼女はためらいもせず、その中に一歩踏
み出す。いかなる原理か、彼女の姿がその中に全て消えると混沌は音もなく入り口を
閉じる。
後には暗闇が満ちだした無人の教室だけが残された。
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