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2015年03月30日
ありがとう
たった1つの声が世界を変えることだってあるのさ!
小さければ小さいほどいいのさ!
風は冷たいかもしれないが
それこそがチャレンジだ!
足元を見てみよう。
小さな草が思いっきり元気にアスファルトをすり抜けて
あいさつしてくれた。
何があったって夢だけ魅たい!
あなたのなかにいる
いじめられっ子たちへをこちらからの
一方的なお願いにも関わらず、
販売前の産声を上げる直前
モニターをお願いした皆様方。
本当に快くお受けしていただきました方々へ、
この場をお借りしましてお礼を申しあげたいと思います。
ありがとうございます。
その中のお一人に、マークさんという方がおられます。
マークさんとは、浜本哲治先生の開催されておられる
自然塾でご縁をいただきました。
マークさんは、東京都中野区野方にあります。
olu.olucoffee(オルオル・コーヒー)と言うとっても素敵な
自家焙煎のコーヒーと素敵な音楽を堪能できるお店を経営されておられます。
私も今まで2度お邪魔させていただいたことがあります。
とっても居心地の良いお店です。
マークさん
毎日お仕事でお忙しい中、
無理をお聞きいれくださいまして、
ありがとうございます。
その上コメントまでもいただき
感動しておりますので、
皆様にシエアさせていただきたいと思います。
「しあ子さん、こんにちは!
連絡が遅くなってごめんなさいね。
ファイル全部読みました。
素晴らしいと思います。
読みながら涙が出ました。
自分が想い考えていたことが、
間違えていないことが確認できた内容でした。
共感、共鳴できたことに感謝します」
マークさん本当に熱いメッセージをいただきまして、
ありがとうございます。
素晴らしく澄みきった心を持たれるマークさん。
誠実さと温かさがひしひしと伝わってきます。
私もこれからより一層の精進をしてゆきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
そしてもう一方おられます。
森田和子さんです。
森田さんとも自然塾であり難いご縁をいただきました。
当時森田さんはご自身の大事なお勤めである、
ネイピア・ワインのことで非常にお忙しいにも
関わらずなんと快く受け入れてくれたのです。
ありがとうございます。
そしてフエイスブックに、
とっても温かいコメントを、
頂いて身も震える思いでおりますのでこの場をお借りしまして。
再度ありがとうございます。
皆様にシエアさせていただきたいと思います。
「しあちゃん、多くのみなさんに読んでもらえるようになって
本当によかったね! おめでとう!」
森田さん本当に温かいお言葉をありがとうございます。
柔らかなお体からは創造を超える優しさを、
持ってらっしゃる森田さん。
本当に、ありがとうございました。
小さければ小さいほどいいのさ!
風は冷たいかもしれないが
それこそがチャレンジだ!
足元を見てみよう。
小さな草が思いっきり元気にアスファルトをすり抜けて
あいさつしてくれた。
何があったって夢だけ魅たい!
あなたのなかにいる
いじめられっ子たちへをこちらからの
一方的なお願いにも関わらず、
販売前の産声を上げる直前
モニターをお願いした皆様方。
本当に快くお受けしていただきました方々へ、
この場をお借りしましてお礼を申しあげたいと思います。
ありがとうございます。
その中のお一人に、マークさんという方がおられます。
マークさんとは、浜本哲治先生の開催されておられる
自然塾でご縁をいただきました。
マークさんは、東京都中野区野方にあります。
olu.olucoffee(オルオル・コーヒー)と言うとっても素敵な
自家焙煎のコーヒーと素敵な音楽を堪能できるお店を経営されておられます。
私も今まで2度お邪魔させていただいたことがあります。
とっても居心地の良いお店です。
マークさん
毎日お仕事でお忙しい中、
無理をお聞きいれくださいまして、
ありがとうございます。
その上コメントまでもいただき
感動しておりますので、
皆様にシエアさせていただきたいと思います。
「しあ子さん、こんにちは!
連絡が遅くなってごめんなさいね。
ファイル全部読みました。
素晴らしいと思います。
読みながら涙が出ました。
自分が想い考えていたことが、
間違えていないことが確認できた内容でした。
共感、共鳴できたことに感謝します」
マークさん本当に熱いメッセージをいただきまして、
ありがとうございます。
素晴らしく澄みきった心を持たれるマークさん。
誠実さと温かさがひしひしと伝わってきます。
私もこれからより一層の精進をしてゆきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
そしてもう一方おられます。
森田和子さんです。
森田さんとも自然塾であり難いご縁をいただきました。
当時森田さんはご自身の大事なお勤めである、
ネイピア・ワインのことで非常にお忙しいにも
関わらずなんと快く受け入れてくれたのです。
ありがとうございます。
そしてフエイスブックに、
とっても温かいコメントを、
頂いて身も震える思いでおりますのでこの場をお借りしまして。
再度ありがとうございます。
皆様にシエアさせていただきたいと思います。
「しあちゃん、多くのみなさんに読んでもらえるようになって
本当によかったね! おめでとう!」
森田さん本当に温かいお言葉をありがとうございます。
柔らかなお体からは創造を超える優しさを、
持ってらっしゃる森田さん。
本当に、ありがとうございました。
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潜在意識と両親
潜在意識と家庭について様々な解決方法。
「奪うということと、奪われるということについて」
何かを奪われていると思うことは同時に誰かから何かを奪っていることだ。
物質ではなくてここからお話することは心についてと潜在意識についての奪うこと。
奪うとは物質で考えると分かりやすいが持っている物を手元から取られることだ。
だけど心でもそれは起きている。
どんなことかというと心が無いという場合のことだ。
心が無いとはどういうことかと言うと無知ということだ。
無知は自分を一切見ないことだ。
だけどそれはいいんだ。
見ないで過ごせるならそんなに楽なことはないからだ。
だからいいんだが、
無知は無知で苦しさもあるだろう。
問題になるのは家族に無知を知らない人間がいる場合だ。
本人さえも気づかないことを家族がどうして気づく事など出来るだろうか?
間違わないで欲しいのは無知を責めているわけでもない。
そしてその周りの人を責めているでもないことだ。
世の中には、こういう人もいるんだということを知ることで、
優秀なあなたの潜在意識から排除するという選択肢が消えるということだ。
この変化はとてつも無いきっかけとなるだろう。
なぜならこの世界にはあまりにも悲しい出来事が多いからだ。
顔では笑っていても心が泣いているというそんなことがあまりにも多いからだ。
産まれて育てられる過程で私たちは両親との時間を多く過ごす。
言葉を覚えて来た。
様々な言葉を聞いて来た。
それぞれの言葉があるだろう。
愛だとおもっていた言葉は愛ではなくエゴかも知れない、
エゴかと思っていた言葉が最大の愛かも知れない。
子供は親を選べないから育った環境が潜在意識を造ることになるんだが、
無知であろうが天才であろうが凡人であろうがなんら関係ないということだ。
究極を言うと、心を見ることでが出来ればその周りの物つまりは感情たちを、
一切気にする必要が無くなるからだ。
だけど無知の場合は心が何かこう様々な経験によってあらゆる感情たちによって、
俗に言うとらわれてしまう現象が起きている。
心は小さくて小さくて可憐だから感情たちに飲み込まれてしまうと息が出来なくなり、
やがては静かに息を潜めてしまうんだ。
やわらかく書いてるがこれが自分で自分を殺すということになる。
あまりの小さな現象ゆえ気づくことすら出来ずに自ら命を絶つということが
起きてしまうんだ。
極論だがそうなんだ。
いじめもその部類だ。
だけどそこで誰が悪いだとかを言うことをやっていても何の解決にもならない。
それと同様なのが何か今まで自分の人生に無かった物つまり珍しいものが、
現れたときに起こる反応だ。
知らないから分からないから怖いんだ。
新しいことをはじめることはとても勇気がいるものだ。
その物を知ることは良きにつけ悪いにつけ知識となる。
知るということは自分の可能性を広げることだ。
こんなことだけど受け入れることで変わる何かが必ずある。
小さい疑問ほど何かがある。
「心ある人は傷を受け、その相手は心無い人なんだ」
毒というのだろう。
毒づくともいうのだろう。
その人に心があるか?
無いというより埋もれてしまっているんだ。
奪うとはこういうことだ。
自分の心の息を自分で無くしているということだ。
人間は誰かと関係を持つ必要がある。
その時に心無い人とは関係を持ちたくないだろう。
自然なことだ。
だからと言って排除してはいけない。
それは自分を排除することに繋がるからだ。
かと言って仲良くするとでも違う。
無理はいけない。
どうすればいいかというと、
心を見るということだ。
もしかしたら言葉は必要ないかも知れない。
無知な親だろうが親は親だ。
心無くしてでも育ててくれた存在。
それが分かれば感情も一切消える。
それは心を見ようとしない限り見えないことだった。
そして奪われるという感覚は起きるのも分かる。
無知は心が無いから常にお腹を空かしている。
これが言葉になると、
「こうしなさい」
「こうでありなさい」
「こうあるべきだ」
「恥ずかしいおとなしくしなさい」
四六時中聞くとガチガチな魂が出来上がってしまう。
それが普通だと思い込んでしまうのが潜在意識の非常に恐ろしいところだ。
何かしらのサインは出ているはずだ!
今のままではいけないんじゃないだろうか。
さあ与える側に行こう。
思いっきり与える側に行こう。
まつもとしあこ。
「奪うということと、奪われるということについて」
何かを奪われていると思うことは同時に誰かから何かを奪っていることだ。
物質ではなくてここからお話することは心についてと潜在意識についての奪うこと。
奪うとは物質で考えると分かりやすいが持っている物を手元から取られることだ。
だけど心でもそれは起きている。
どんなことかというと心が無いという場合のことだ。
心が無いとはどういうことかと言うと無知ということだ。
無知は自分を一切見ないことだ。
だけどそれはいいんだ。
見ないで過ごせるならそんなに楽なことはないからだ。
だからいいんだが、
無知は無知で苦しさもあるだろう。
問題になるのは家族に無知を知らない人間がいる場合だ。
本人さえも気づかないことを家族がどうして気づく事など出来るだろうか?
間違わないで欲しいのは無知を責めているわけでもない。
そしてその周りの人を責めているでもないことだ。
世の中には、こういう人もいるんだということを知ることで、
優秀なあなたの潜在意識から排除するという選択肢が消えるということだ。
この変化はとてつも無いきっかけとなるだろう。
なぜならこの世界にはあまりにも悲しい出来事が多いからだ。
顔では笑っていても心が泣いているというそんなことがあまりにも多いからだ。
産まれて育てられる過程で私たちは両親との時間を多く過ごす。
言葉を覚えて来た。
様々な言葉を聞いて来た。
それぞれの言葉があるだろう。
愛だとおもっていた言葉は愛ではなくエゴかも知れない、
エゴかと思っていた言葉が最大の愛かも知れない。
子供は親を選べないから育った環境が潜在意識を造ることになるんだが、
無知であろうが天才であろうが凡人であろうがなんら関係ないということだ。
究極を言うと、心を見ることでが出来ればその周りの物つまりは感情たちを、
一切気にする必要が無くなるからだ。
だけど無知の場合は心が何かこう様々な経験によってあらゆる感情たちによって、
俗に言うとらわれてしまう現象が起きている。
心は小さくて小さくて可憐だから感情たちに飲み込まれてしまうと息が出来なくなり、
やがては静かに息を潜めてしまうんだ。
やわらかく書いてるがこれが自分で自分を殺すということになる。
あまりの小さな現象ゆえ気づくことすら出来ずに自ら命を絶つということが
起きてしまうんだ。
極論だがそうなんだ。
いじめもその部類だ。
だけどそこで誰が悪いだとかを言うことをやっていても何の解決にもならない。
それと同様なのが何か今まで自分の人生に無かった物つまり珍しいものが、
現れたときに起こる反応だ。
知らないから分からないから怖いんだ。
新しいことをはじめることはとても勇気がいるものだ。
その物を知ることは良きにつけ悪いにつけ知識となる。
知るということは自分の可能性を広げることだ。
こんなことだけど受け入れることで変わる何かが必ずある。
小さい疑問ほど何かがある。
「心ある人は傷を受け、その相手は心無い人なんだ」
毒というのだろう。
毒づくともいうのだろう。
その人に心があるか?
無いというより埋もれてしまっているんだ。
奪うとはこういうことだ。
自分の心の息を自分で無くしているということだ。
人間は誰かと関係を持つ必要がある。
その時に心無い人とは関係を持ちたくないだろう。
自然なことだ。
だからと言って排除してはいけない。
それは自分を排除することに繋がるからだ。
かと言って仲良くするとでも違う。
無理はいけない。
どうすればいいかというと、
心を見るということだ。
もしかしたら言葉は必要ないかも知れない。
無知な親だろうが親は親だ。
心無くしてでも育ててくれた存在。
それが分かれば感情も一切消える。
それは心を見ようとしない限り見えないことだった。
そして奪われるという感覚は起きるのも分かる。
無知は心が無いから常にお腹を空かしている。
これが言葉になると、
「こうしなさい」
「こうでありなさい」
「こうあるべきだ」
「恥ずかしいおとなしくしなさい」
四六時中聞くとガチガチな魂が出来上がってしまう。
それが普通だと思い込んでしまうのが潜在意識の非常に恐ろしいところだ。
何かしらのサインは出ているはずだ!
今のままではいけないんじゃないだろうか。
さあ与える側に行こう。
思いっきり与える側に行こう。
まつもとしあこ。
2015年03月29日
潜在意識と魂
並外れの才能を持っているはず。
自分でも気づいているはずだ。
探し出す方法を選んでいないだけなんだ。
大人になって様々な人と連れ合い
つるみ遊びを覚える中で一番刺激的な物に引き込まれてゆく。
とりこになり離れなくなる。
本当の才能はなんだろう?
見つけていたはずだ。
きっと一度は追いかけていた物があったはずだ。
日が暮れるまで夢中になって追いかけていた白いボールがあったはずだ。
あんなに愉しかったことある?
忘れてるだけじゃないのかな?
毎日の忙しい日常の繰り返しの中で
白いボールを見失ってしまっただけなんだよ。
自分のボールを追いかけてもう一度つかもうよ!
夢つかもうよ!
最高なあなたなら目の前の何だか知らない物なんかに
かまってる暇はないはず。
変わり行く景色におびえてる暇はないはず。
並外れた才能のあなたは厳格な家庭に育つから
人もそうだと思うだろうがそうではない。
あらゆる教育を受けてきたあなたは恵まれているから
恵まれて当たり前だと思うだろうがそうではない。
当てはまらないものがある。
完璧な人は完璧な家庭で育つから傷がない。
だから無知を恐れる。
知らないからだ。
確かに無知は怖いことだ。
しかし罪ではない。
ここらへんが理解に苦しむところだけど、
知るということですり抜けられることがある。
無知は自覚なく自分を叩き続ける。
これは自分で自分の才能も何もかも叩きつぶしていることだ。
怖い事だが本人に自覚は無い。
家の人にもしも一人でも夢を語る人がいたなら環境は変わる。
お父さんが夢を持つ人ならどんなにかいいだろう。
お父さんが夢を語ってくれたらどんなにか素敵だろう。
お母さんが本気で夢を叶えようと日々チャレンジしていたら、
どんなにか素敵だろう。
たとえお母さんがお父さんになにされても、
その場できっちり向き合って問題解決の糸を捜して掴んだら
絶対離さないで、
もつれあった塊を協力して揉み解し、
解きほぐし1つずつ1つずつ引き抜いてゆく時間を
魅せてくれたら子供はとっても嬉しいんだ。
男女が恋愛し一方は完璧で一方は無知だとしても、
時間をかけても理解出来ない時がある。
それが大きな問題だろうが、
全く別の潜在意識と近づくことで
反応は全く変わる。
少しでも知っている物ならば、
「ああ、知ってるわ」と安心をおぼえるだろうが。
問題は未知の物が入って来た時だ。
先に書いたように一方は完璧で一方は無知という究極なケースの場合。
そういう人に出会うことも世の中にはあるということだ。
出逢いは必然、魂の成長、進化しているサインの1つが、
出逢いの進化で未知なる魂と出逢うということだ。
一段舞台が上がる度に見える景色は一変し、
進化を迫られる場面が必ず来る。
なかなかそれに気づけないのがこの世の中かもしれない。
完璧な人間は完璧を目指しているから理想が高い。
これはいいことだ。
そして一方で無知な人は悪気は一切無い。
仏道で無知は罪ではないが、
なかなか見抜ける目もないから人間はすぐに怒る。
何をするにも許せないらしい。
ここも理解に苦しむだろうが、
課題は許すことだと気づければ幸いだ。
それが修行になる。
それがチカラになる。
無知な人間が突然変異し出す私のようなケースを、
間の辺りにする周りの人たちの反応は様々だ。
私はある時から伸びたいと思い出した。
それまではあちらがわの世界にいた。
「もっとしっかりしなさい。」
「今更何言ってるの!」
「これをしなさい! こうしなさい!」
等等こういう言葉で囲われる世界だった。
この世界は面白くなく退屈だ。
いつでも誰かがそばにいるような感覚もあるが、
もっとこう個で自由になりたいと思って出た。
自然界の木たちは大きく伸び行くチャレ
ンジをそれぞれにしている。
木たちの夢は地球を愛することだと思う。
そのためには大きくなって葉をたくさんつけて、
小さな虫さんや小鳥たちに実を与えることが大仕事になる。
スクスク育つ木たちの誰かが急成長したとしても、
木たちは見守り自分も伸びようとするだろう。
大きくなろうとする木が1つのミスをしたとしても
それで腐ったとしても木たちは見守るだけだ。
手出しはしないだろう心配もしない。
祈るだろう。
ただ自分の夢を叶えてくれと!
自然界は一見優しいが恐ろしく厳しい世界だ。
自然界は私たちの産まれる遥か前から、
チャレンジを続けてきている。
人間はごく最近こちらに来たばかりだ。
まだまだ未熟だ。
どこまでも自然に沿うことは
美しく生きることにも繋がるなら、
どこまでも大自然に沿うことを選ぶ。
まつもとしあこ
自分でも気づいているはずだ。
探し出す方法を選んでいないだけなんだ。
大人になって様々な人と連れ合い
つるみ遊びを覚える中で一番刺激的な物に引き込まれてゆく。
とりこになり離れなくなる。
本当の才能はなんだろう?
見つけていたはずだ。
きっと一度は追いかけていた物があったはずだ。
日が暮れるまで夢中になって追いかけていた白いボールがあったはずだ。
あんなに愉しかったことある?
忘れてるだけじゃないのかな?
毎日の忙しい日常の繰り返しの中で
白いボールを見失ってしまっただけなんだよ。
自分のボールを追いかけてもう一度つかもうよ!
夢つかもうよ!
最高なあなたなら目の前の何だか知らない物なんかに
かまってる暇はないはず。
変わり行く景色におびえてる暇はないはず。
並外れた才能のあなたは厳格な家庭に育つから
人もそうだと思うだろうがそうではない。
あらゆる教育を受けてきたあなたは恵まれているから
恵まれて当たり前だと思うだろうがそうではない。
当てはまらないものがある。
完璧な人は完璧な家庭で育つから傷がない。
だから無知を恐れる。
知らないからだ。
確かに無知は怖いことだ。
しかし罪ではない。
ここらへんが理解に苦しむところだけど、
知るということですり抜けられることがある。
無知は自覚なく自分を叩き続ける。
これは自分で自分の才能も何もかも叩きつぶしていることだ。
怖い事だが本人に自覚は無い。
家の人にもしも一人でも夢を語る人がいたなら環境は変わる。
お父さんが夢を持つ人ならどんなにかいいだろう。
お父さんが夢を語ってくれたらどんなにか素敵だろう。
お母さんが本気で夢を叶えようと日々チャレンジしていたら、
どんなにか素敵だろう。
たとえお母さんがお父さんになにされても、
その場できっちり向き合って問題解決の糸を捜して掴んだら
絶対離さないで、
もつれあった塊を協力して揉み解し、
解きほぐし1つずつ1つずつ引き抜いてゆく時間を
魅せてくれたら子供はとっても嬉しいんだ。
男女が恋愛し一方は完璧で一方は無知だとしても、
時間をかけても理解出来ない時がある。
それが大きな問題だろうが、
全く別の潜在意識と近づくことで
反応は全く変わる。
少しでも知っている物ならば、
「ああ、知ってるわ」と安心をおぼえるだろうが。
問題は未知の物が入って来た時だ。
先に書いたように一方は完璧で一方は無知という究極なケースの場合。
そういう人に出会うことも世の中にはあるということだ。
出逢いは必然、魂の成長、進化しているサインの1つが、
出逢いの進化で未知なる魂と出逢うということだ。
一段舞台が上がる度に見える景色は一変し、
進化を迫られる場面が必ず来る。
なかなかそれに気づけないのがこの世の中かもしれない。
完璧な人間は完璧を目指しているから理想が高い。
これはいいことだ。
そして一方で無知な人は悪気は一切無い。
仏道で無知は罪ではないが、
なかなか見抜ける目もないから人間はすぐに怒る。
何をするにも許せないらしい。
ここも理解に苦しむだろうが、
課題は許すことだと気づければ幸いだ。
それが修行になる。
それがチカラになる。
無知な人間が突然変異し出す私のようなケースを、
間の辺りにする周りの人たちの反応は様々だ。
私はある時から伸びたいと思い出した。
それまではあちらがわの世界にいた。
「もっとしっかりしなさい。」
「今更何言ってるの!」
「これをしなさい! こうしなさい!」
等等こういう言葉で囲われる世界だった。
この世界は面白くなく退屈だ。
いつでも誰かがそばにいるような感覚もあるが、
もっとこう個で自由になりたいと思って出た。
自然界の木たちは大きく伸び行くチャレ
ンジをそれぞれにしている。
木たちの夢は地球を愛することだと思う。
そのためには大きくなって葉をたくさんつけて、
小さな虫さんや小鳥たちに実を与えることが大仕事になる。
スクスク育つ木たちの誰かが急成長したとしても、
木たちは見守り自分も伸びようとするだろう。
大きくなろうとする木が1つのミスをしたとしても
それで腐ったとしても木たちは見守るだけだ。
手出しはしないだろう心配もしない。
祈るだろう。
ただ自分の夢を叶えてくれと!
自然界は一見優しいが恐ろしく厳しい世界だ。
自然界は私たちの産まれる遥か前から、
チャレンジを続けてきている。
人間はごく最近こちらに来たばかりだ。
まだまだ未熟だ。
どこまでも自然に沿うことは
美しく生きることにも繋がるなら、
どこまでも大自然に沿うことを選ぶ。
まつもとしあこ
2015年03月28日
ありがとう
おかげさまで
ありがたい声をいただいております。
ただ今静かなる旋風を巻き起こしております。
あなたのなかにいる。
いじめられっ子たちへ。
今後更に静かなる旋風を
巻き起こして行きます。
こうして第1歩を踏み出せたのは、
実に多くの方々の支えによるものです。
全てを紹介させていただきたい思いもございますが、
なかなか追いつかずで申し訳ございません。
今日はありがたい言霊の中より、
N様に頂きました、
ありがたいメッセージを皆さんにご紹介いたします。
N様、本当にお忙しい中、
無理なお願いを受け入れていただきましてありがとうございます。
「こんにちは!
脚本拝見させて頂きました。
しあちゃん辛いことがあったのですね。
あたたかい文章ですね。
きっと今辛い思いの方が読んだら
ホワッと身に染みるのではないかなと思いました。
今後とも頑張ってくださいね!
応援しています。」
Nさんは本当にあたたかくて大きい心の方で、
まだまだお付き合いは短いですが、
秘められている輝きは最大です。
ほんとうにありがとう。
あなたのなかにいる。いじめられっ子たちへ。
ありがたい声をいただいております。
ただ今静かなる旋風を巻き起こしております。
あなたのなかにいる。
いじめられっ子たちへ。
今後更に静かなる旋風を
巻き起こして行きます。
こうして第1歩を踏み出せたのは、
実に多くの方々の支えによるものです。
全てを紹介させていただきたい思いもございますが、
なかなか追いつかずで申し訳ございません。
今日はありがたい言霊の中より、
N様に頂きました、
ありがたいメッセージを皆さんにご紹介いたします。
N様、本当にお忙しい中、
無理なお願いを受け入れていただきましてありがとうございます。
「こんにちは!
脚本拝見させて頂きました。
しあちゃん辛いことがあったのですね。
あたたかい文章ですね。
きっと今辛い思いの方が読んだら
ホワッと身に染みるのではないかなと思いました。
今後とも頑張ってくださいね!
応援しています。」
Nさんは本当にあたたかくて大きい心の方で、
まだまだお付き合いは短いですが、
秘められている輝きは最大です。
ほんとうにありがとう。
あなたのなかにいる。いじめられっ子たちへ。
2015年03月27日
子供と大人
これまでは母のお花には出来るだけ触れなくて
そのままにありのままにしておけばよかったのですが、
どうだろう今回は少し訳が違うようだったんです。
触るかどうしようか迷いました。
樹齢500年のお友達のたいぼく様にも相談してみました。
こんなことは今まで初めてでした。
心の声が聴こえなかったのです自分の新たな課題も浮き彫りになりました。
そおっとしておこうとも思ったのですが少し違うようでした。
ステップアップするために受けるべきあり難い洗礼だったようです。
一気に姿を現した反応。
潜在意識の中に姿を現した。
これが潜在意識の面白さなんだろう。
1つの新しいことを始めようとすると出る。
これまでのチャレンジには無い見たことも無い物。
出所はここだというところが必ずあるものですが、
見落としている部分でした。
よく見ていよう。
自分の物ではないのに勝手に入り込んで来て
いつの間にかいた。
根源はどこだ。
それは何かの叫びのような感じ。
なんと言ってるの?
聴こえない。
こういうたった一度のことで全てが空回りし出して
吸い込まれそうになって消えそうだった。
その原因はもちろん自分に有る。
自分の潜在意識と親の潜在意識を分けていたが、
気がつけば私のそこにいた。
これが怖いことだ。
この1点だ。
真正面から包み込んだ。
この1点を中心にして母の全てを包み込むことをした。
一体化して思いっきり味わってみた。
すごかった。
何かが切り裂かれて砕けてた感覚を味わった。
心が叫んでるんだ。
何かをされて→傷つき→我慢する→昔の人は忍耐強い→押し込めた思い→
固まって押し込められた本心は潜在意識の根底に降り積もる→一度落ち着きやがて
鉄のような地盤となる→次何かあった時の反応に繋がる→痛みであるから恐怖の回避になる→
目の前の何かをどけようと躍起になる→震える・・・・連鎖は続くどこまでも
切るではなく包み込むこと。
親子の関係は一生親子だ。
育てていただく時間に、
心の声に気づかない冷えた親の時間が有る時。
子供は環境を選べないから、
潜在意識にはそのまま上記の連鎖が起こる。
この連鎖は不自然な連鎖です。
怖くて触れない連鎖です。
どこから触れていいのかさえも見当が付きませんでしたが、
一点を中心に包み込むことを決めました。
最初がなかなか大変でしたが、
ある方法を知っていました。
以前学んだ仏道にあった念じること、
フォーカスする力。
一点に一心に念じることで完全に捕らえられました。
あとはこちらの問題ですから完全に抱くことで震えを見て、
全てを抱きしめて知ろうとしだしたその時奇跡が起きだした。
1つの何かが見え私はこの手を出した。
そのままにありのままにしておけばよかったのですが、
どうだろう今回は少し訳が違うようだったんです。
触るかどうしようか迷いました。
樹齢500年のお友達のたいぼく様にも相談してみました。
こんなことは今まで初めてでした。
心の声が聴こえなかったのです自分の新たな課題も浮き彫りになりました。
そおっとしておこうとも思ったのですが少し違うようでした。
ステップアップするために受けるべきあり難い洗礼だったようです。
一気に姿を現した反応。
潜在意識の中に姿を現した。
これが潜在意識の面白さなんだろう。
1つの新しいことを始めようとすると出る。
これまでのチャレンジには無い見たことも無い物。
出所はここだというところが必ずあるものですが、
見落としている部分でした。
よく見ていよう。
自分の物ではないのに勝手に入り込んで来て
いつの間にかいた。
根源はどこだ。
それは何かの叫びのような感じ。
なんと言ってるの?
聴こえない。
こういうたった一度のことで全てが空回りし出して
吸い込まれそうになって消えそうだった。
その原因はもちろん自分に有る。
自分の潜在意識と親の潜在意識を分けていたが、
気がつけば私のそこにいた。
これが怖いことだ。
この1点だ。
真正面から包み込んだ。
この1点を中心にして母の全てを包み込むことをした。
一体化して思いっきり味わってみた。
すごかった。
何かが切り裂かれて砕けてた感覚を味わった。
心が叫んでるんだ。
何かをされて→傷つき→我慢する→昔の人は忍耐強い→押し込めた思い→
固まって押し込められた本心は潜在意識の根底に降り積もる→一度落ち着きやがて
鉄のような地盤となる→次何かあった時の反応に繋がる→痛みであるから恐怖の回避になる→
目の前の何かをどけようと躍起になる→震える・・・・連鎖は続くどこまでも
切るではなく包み込むこと。
親子の関係は一生親子だ。
育てていただく時間に、
心の声に気づかない冷えた親の時間が有る時。
子供は環境を選べないから、
潜在意識にはそのまま上記の連鎖が起こる。
この連鎖は不自然な連鎖です。
怖くて触れない連鎖です。
どこから触れていいのかさえも見当が付きませんでしたが、
一点を中心に包み込むことを決めました。
最初がなかなか大変でしたが、
ある方法を知っていました。
以前学んだ仏道にあった念じること、
フォーカスする力。
一点に一心に念じることで完全に捕らえられました。
あとはこちらの問題ですから完全に抱くことで震えを見て、
全てを抱きしめて知ろうとしだしたその時奇跡が起きだした。
1つの何かが見え私はこの手を出した。
包み込んで超えるもの
愉しいなあ人生。
死ぬほど怖いけど飲み込んで
包み込んで超えるぞ。
昨日の朝型に完全に超えようとコミットしたのには大きなわけがある。
前日の朝方に熟睡していた時のことです。
眠りにつく私の足元に天使が2人現れてコソコソといたずらをしてることに
気がつき目が覚めたのです。
最初は布団だろうと感じていました。
だけど無意識の中でのことだから夢だろうかなんだろうか。
今の私には分かりませんでした。
夢本道を歩き出していると現実なのか夢なのかが、
本当に分からなくなるのです。
そんな状態です。
夢かと言えば夢なのでしょう。
足元です割と大き目の天使ちゃんが2人。
しあちゃん遊ぼうよ!
そう言うのです。
つま先をコチョコチョしたり時には爪でカリカリしたり
するんです。
それは小さめの天子ちゃんです。
大きめの天子ちゃんは完全に足元で遊んでいます。
はい思考は飛んでます。
感動してました。
嬉しかったんです。
昨日はピークに落ちそうな時で手たから、
助けられたと思ったのです。
助けられたから勇気が沸いてきた。
もう一度立ち上がろうと決意し、
フエィスブックにコミットしたのが、
冒頭の文字です。
そして、
完全に包み込んで飲み込んで超えたのだ。
切り刻まれても何されても死ななかった。
蹴飛ばされるのなんてへっちゃらだ。
痛いけどそれでもそこに恐怖から産まれる
何かがある場合でもそれでも私は分け入るだろう。
何度も死んでるんだへっちゃらだ。
この手を止めることはしない。
今日のコメントです。
何を包み込んで完全に超えてのかは、
もう少ししてからです。
死ぬほど怖いけど飲み込んで
包み込んで超えるぞ。
昨日の朝型に完全に超えようとコミットしたのには大きなわけがある。
前日の朝方に熟睡していた時のことです。
眠りにつく私の足元に天使が2人現れてコソコソといたずらをしてることに
気がつき目が覚めたのです。
最初は布団だろうと感じていました。
だけど無意識の中でのことだから夢だろうかなんだろうか。
今の私には分かりませんでした。
夢本道を歩き出していると現実なのか夢なのかが、
本当に分からなくなるのです。
そんな状態です。
夢かと言えば夢なのでしょう。
足元です割と大き目の天使ちゃんが2人。
しあちゃん遊ぼうよ!
そう言うのです。
つま先をコチョコチョしたり時には爪でカリカリしたり
するんです。
それは小さめの天子ちゃんです。
大きめの天子ちゃんは完全に足元で遊んでいます。
はい思考は飛んでます。
感動してました。
嬉しかったんです。
昨日はピークに落ちそうな時で手たから、
助けられたと思ったのです。
助けられたから勇気が沸いてきた。
もう一度立ち上がろうと決意し、
フエィスブックにコミットしたのが、
冒頭の文字です。
そして、
完全に包み込んで飲み込んで超えたのだ。
切り刻まれても何されても死ななかった。
蹴飛ばされるのなんてへっちゃらだ。
痛いけどそれでもそこに恐怖から産まれる
何かがある場合でもそれでも私は分け入るだろう。
何度も死んでるんだへっちゃらだ。
この手を止めることはしない。
今日のコメントです。
何を包み込んで完全に超えてのかは、
もう少ししてからです。