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東日本大震災 「助かった命」夫婦支え合い 避難所でも老介護





東日本大震災で、被災者らは寒さと物資不足という厳しい避難生活を強いられている。とりわけ高齢者にとっては過酷で、避難所にいる高齢者が死亡するケースも出始めた。宮城県女川町にある16カ所の避難所でも、白髪につえをつきながら歩く高齢の被災者の姿が目立ち、老老介護をしている夫婦や親子も少なくない。「本当は空元気よ」「これまで通り夫婦2人で」。さまざまな思いを抱きながら、高齢者らは支え合う避難生活を過ごしている。

 全国でも有数の漁港を持ち、水産加工業が盛んな女川町。震災では、宮城県石巻市に通じるJR石巻線が津波をかぶって運休となり、移動手段を持たない高齢の被災者は、必要な食料や衛生用品などを支援物資に頼って過ごしている。

 約800人が身を寄せる町立総合体育館では、高齢の夫婦や親子が老老介護をしている様子が目につく。介護する側がめまいや不眠の症状を訴え医務室を訪れることが増えており、町職員は「精神的なストレスも重なり、相当疲れがたまっている」という。

 清水地区から避難してきた阿部昭二さん(85)は年齢とともに足が不自由になり、妻のとみ子さん(78)が身の回りの世話に当たる。

 「こんな幸せな日をいつまで続けられるのだろうなんて、(震災の)2週間ほど前にふとそんなことを考えたの」と、とみ子さん。以前は保険会社の外交員をしていたといい、笑顔は人懐っこく、明るくしゃべる。でも「本当は空元気よ。私まで暗くなったら、お父さんもつらくなる」と小さく舌を出した。

 昭二さんは約40年の会社員生活を終えていて、つましい年金暮らしながら、夫婦そろって温泉に行くことを楽しみに日々を送っていた。それなのに、今は家さえもない。

 自衛隊による入浴サービスが始まったが、昭二さんは「足もとがおぼつかなく、これ以上面倒をかけたくない」と大好きな風呂も我慢してしまう。

 首都圏に住む息子たちからは震災以降、今まで以上に同居を勧められるようになった。それでも、とみ子さんは「この土地が大好き。私たちが女川を離れてしまったら、息子や孫たちは帰るところをなくしてしまう」と断り続けている。

 北浦地区から避難している小松美恵子さん(79)は、脳梗塞の後遺症で半身にまひの残る夫の学さん(80)に付き添い、介助を行う。冷え込みが厳しい朝晩は「寒いなんてものじゃない。お父さんだけでもきちんとしたところで寝かせてあげたい」と涙ぐむ。

 夫婦二人三脚で銀サケの養殖に取り組んできた。数千万円をかけて整備した養殖施設も冷凍庫も失い、取引相手も甚大な被害に遭った。「あの津波で儚(はかな)くなっていれば、こんなに苦しまずにすんだのではないか」。そう思って眠れない夜もあるが、「お父さんを残して死ぬわけにはいかない」と自分を奮い立たせる。

 同じ地区の友達は、親族や知り合いを頼って各地に避難していった。愛知県にいる孫は「こっちに来ればいい部屋があるし、介護も手伝える」と声を掛けてくれる。孫の優しさはうれしいが、「せっかく助かった命、これまでと同じように夫婦二人三脚でもう一度頑張りたい」と心に誓う。(石井那納子)

産経新聞 3月24日(木)15時10分配信





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