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2019年05月14日

映画「ミッドナイト・エクスプレス」出来心が生んだ絶望と狂気の世界

「ミッドナイト・エクスプレス」
 (Midnight Express) 1978年アメリカ

監督アラン・パーカー
脚本オリヴァー・ストーン
原作ビリー・ヘイズ
音楽ジョルジオ・モロダー
撮影マイケル・セレシン

〈キャスト〉
 ブラッド・デイビス アイリーン・ミラクル 
 ジョン・ハート ランディ・クエイド

アカデミー賞/脚色賞オリヴァー・ストーン 作曲賞受賞
ゴールデングローブ賞/作品賞/助演男優賞ジョン・ハート

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描かれていくのは国家と個人。何をどう叫ぼうが国家という巨大な集合体の中では個人の力はあまりにも小さく、非力でしかない。

恋人のスーザン(アイリーン・ミラクル)と二人でトルコへ観光旅行に出かけたアメリカ青年ビリー(ブラッド・デイビス)。
帰国にあたって、ビリーはハシシ(麻薬の一種)を、見つからなければいいや、といった軽い気持ちで本国へ持ち込もうとします。

ビリーの腹に巻き付けられたハシシは税関を通り抜け、何ごともなければそのまま空港から飛び立って成功したのでしょうが、ここ数日のトルコではテロが相次ぎ、飛行場はものものしい警備体制が敷かれ、飛行機に搭乗する者はボディチェックを受けなければなりません。

自業自得といえますが、ハシシは発見されてビリーは逮捕され、スーザンだけは搭乗を許されて帰国します。

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ビリーは刑務所送りとなるのですが、問題はここからで、時は1970年、ビリーの本国アメリカはリチャード・ニクソン政権下。
トルコとの国交を正常化していないアメリカには犯人引き渡し条例がなく、ビリーはトルコの法律によって禁固4年の刑期を言い渡されます。

劣悪な環境の刑務所の中でビリーは模範囚として3年を耐え、ようやく釈放の日が近づいたと思ったのもつかの間、麻薬撲滅を政策として掲げるトルコ政府は、外国人に対して厳しい処罰で臨む方針に切り替え、ビリーはその見せしめのため裁判のやり直しになり、30年の刑期に延長。さらに終身刑へと延長されます。

暴力と絶望の中で廃人同様となったビリーに残された最後の手段は「深夜特急(ミッドナイト・エクスプレス)=脱獄」に乗ることだけでした。

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抑圧された性
原作者ビリー・ヘイズの実体験を基にしたこの映画は、「エンゼル・ハート」「ミシシッピー・バーニング」などの鬼才アラン・パーカーの持つ湿った空気感と猥雑さあふれる生活の熱気に満ち、特に、トルコ政府から抗議もあったといわれる、悪臭すら漂ってきそうな民族のごった煮のような街並みの描写は、主人公ビリーの悪夢をそのまま現実化したかのようなカオスの世界を描き出しています。




ちょっとした出来心で禁固4年の実刑を受けるハメになってしまう怖さ、言葉の通じない外国での裁判とゆがんだ司法制度、さらには個人の人権は無視され、国家の政策の中で暗黒の人生に落ち込む絶望感と刑務所内に蔓延する暴力はビリーを廃人同様にしてしまうのですが、その中で、人間としてのひとつの問題も描かれています。
それは、抑圧された性の問題です。

★★★★★
日本の話で、たしか戦前だったか戦後だったかに共産党の幹部が政治犯として逮捕され、長い期間を拘置所の中で暮らして、その後釈放された彼は、当時の話をある大学で学生相手に講演をしたそうです。途中、一人の学生がこんな質問をしました。
「そのような中で、性的な欲求についてはどのように処理されていたのですか」
質問を受けた彼は沈黙し、さりげなく話題を転じたということです。

人間にとって性的な欲望は切実な問題です。
ことに刑務所などにおける外界から隔絶された世界では、それは顕著に表れると思います。
「アラビアのロレンス」や「スケアクロウ」などでもチラッと描かれていますし、様々な映画では興味本位の描き方ではあっても、取り上げられることは多いように思います。




「ミッドナイト・エクスプレス」の後半。
廃人同様になったビリーの元に恋人のスーザンが面会にやって来ます。
ガラス越しの会話。
虚ろな表情でビリーはスーザンに服を脱いでくれるよう頼みます。
戸惑いながらもスーザンは前を開き、形のいい乳房をビリーの目の前に。

ビリーはスーザンの胸に触れようとしますが、ガラス越しなので触ることはできません。
虚ろな表情のまま、ビリーは自慰行為を始めるのですが、このあたりは見ていて切ないです。
精神は病んでも人間の持つ本能的な欲望だけは衰えず、それがかえって痛ましい姿としてさらけ出されます。

「プラトーン」「7月4日に生まれて」でアカデミー賞の監督賞を受賞している社会派のオリヴァー・ストーンの脚本と、監督のアラン・パーカーの描く猥雑きわまりないトルコの街並みや刑務所での狂気の世界。

ふとした出来心で絶望の淵へ追いやられる怖さを描いた傑作です。

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2019年04月20日

映画「汚名」ミステリーがからむ大人のラブロマンス

「汚名」(Notorious) 1946年 アメリカ

監督アルフレッド・ヒッチコック
脚本ベン・ヘクト
撮影テッド・テズラフ

〈キャスト〉
ケーリー・グラント イングリッド・バーグマン 
クロード・レインズ

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ひとりの男がスパイ容疑で裁判にかけられ、有罪を宣告されます。その娘アリシア・ハバーマン(イングリッド・バーグマン)は父親の愛国心を信じる一方、スパイの娘として社会から非難の目を向けられることになります。

やり場のない悲しみや怒りを紛らすために開いたパーティーで飲んだくれてしまったアリシアでしたが、そこで物静かに周囲の喧騒を気にすることなく酒を飲んでいるひとりの男に心を惹かれます。

その男デブリン(ケーリー・グラント)はスパイ組織の全容をつかむため、スパイ容疑で有罪となったハバーマンの娘アリシアに接近していたFBI捜査官で、父親の汚名を晴らすため力を貸してほしいとアリシアに協力を要請します。

一時はデブリンに対して憎しみの目を向けていたアリシアでしたが、二人はいつしか惹かれあう仲になり、きらめく恋に身を任せながら、アリシアは秘密組織の陰謀の渦中へと飛び込んでゆくことになります。

しかし、アリシアとデブリンの恋は、組織を束ねるアレクサンダー・セバスチャン(クロード・レインズ)に近づくにつれ、セバスチャンとの結婚を余儀なくされたアリシアの犠牲によって破局を迎えることになります。

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恋と任務を割り切ったアリシアとデブリンは、組織がウランを大量に集めていることを突き止めますが、アリシアがFBIのスパイだと気づいたセバスチャンは、アリシアの飲み物に少量ずつ毒を入れ、病死を装って殺害しようと図ります。




大人のラブロマンス
「汚名」を最初見たときには、ヒッチコックには珍しく失敗作だと思いました。
裁判の判決シーンで始まるこの映画は、容疑者は国を売ったスパイらしい、ということが分かるだけで、説明らしい説明が少なく、また、デブリンとアリシアの結びつきも安直にしか思えず、安物のスパイ映画の印象を受けました。

流れが変わったのはセバスチャン(クロード・レインズ)が登場してからでしょうか。
セバスチャンはアリシアの父の友人で、かねてからアリシアへの想いを秘めていたセバスチャンはアリシアに結婚を迫ります。

アリシアとデブリンの恋は思わぬ方向へと動き始め、嫉妬に耐えなければならないデブリンの心境と、恋を犠牲にしても任務に向き合わざるを得ないアリシアの心情は、国家という重荷の中で身動きの取れない状況であるだけに、余計に痛々しさが伝わってきます。

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嫉妬と猜疑心が渦巻く心の闇でもがく男女の姿をケーリー・グラントとイングリッド・バーグマンが見事に表現。
特にイングリッド・バーグマンの魅力は際立っていて、「カサブランカ」(1942年)のエレガントさとは違った可愛さを持った女性、美貌と気品の内面で性の歓びに満ちた女性の魅力にあふれていて、バーグマンの魅力によって「汚名」の完成度が高くなったといってもいいくらい。

もちろん中盤から後半にかけてのヒッチコックらしいサスペンスの面白さは言うまでもないのですが、ケーリー・グラントが階段を二段おきに駆け上がってゆく颯爽たる姿には驚きました。

スパイサスペンスに大人のラブロマンスが絡んだ、あるいはその逆かもしれませんが、とにかく高級ワインを味わうような極上の映画であることに間違いはありません。

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2019年03月11日

映画「海外特派員」ヒッチコックの快作

「海外特派員」(Foreign Correspondent)
 1940年 アメリカ

監督アルフレッド・ヒッチコック
脚本チャールズ・ベネット
  ジョーン・ハリソン
撮影ルドルフ・マテ
音楽アルフレッド・ニューマン

〈キャスト〉
 ジョエル・マクリー レライン・デイ 
 ハーバート・マーシャル

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ニューヨーク・モーニング・グローブ紙の社長室。
開戦間近の不穏なヨーロッパ情勢を探るため、イギリスへ特派員を送り込むことを社長は決めますが、ヤワな記者では勤(つと)まりそうにもない仕事。社内にはこれといった人物が見当たりません。

ジョニー・ジョーンズ(ジョエル・マクリー)は記者をクビになりかけていましたが、警官とモメて武勇伝を発揮したことから社長に気に入られ、クビは取り消し、海外特派員としてヨーロッパへ渡ることになります。

「海外特派員」の導入部分ですが、なんだか稚拙(ちせつ)な脚本で、風雲急を告げるヨーロッパへ向かう新聞記者にしては緊張感のカケラもなく、ユーモア好きなヒッチコックの悪い面が出ている感じで、その後の展開も、イギリスへ渡り、大物政治家のパーティーの席上で若く美しいキャロル(レライン・デイ)と感情の行き違いがあるのですが、結局この二人はそれなりの関係になるのだろう、と先の読めてしまう展開。




ところが、脚本の稚拙さはそこまでで、開戦のカギを握るオランダの政治家ヴァン・メアとパーティーで知り合ったはずのジョーンズでしたが、雨のアムステルダムの取材で再びヴァン・メアと顔を合わせると、メアはジョーンズをまったく知らない様子。

この雨のアムステルダムのシーンは素晴らしく、ジョーンズは盛んに話しかけるのですが、ヴァン・メアは、君はいったい何を言っているのだ、と見ず知らずの人間に対する表情。

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ヴァン・メアに近寄った男が大型のカメラを構え、メアの写真を撮ろうとしますが、カメラの横に隠したピストルでメアは射殺されてしまいます。
ここで一気にヒッチコックの世界に引き込まれます。

男を追うジョーンズ。
雨のアムステルダムでの追跡劇も見ごたえ十分で、やがて車での追跡に変わり、雨は上がり、風車が立ち並ぶ草原で男の乗った車を見失うのですが、この風車のシーンも見事です。

ヒッチコック映画はどの映画でもそうなのですが、撮影が見事で、この風車の場面は美術感覚が素晴らしい。




★★★★★
でも、ここで一点。
風車の近くで男の車を見失って、どこへ行ったんだろう、とジョーンズと友人の記者フォリオット(ジョージ・サンダース)、キャロルの三人は風車の前で佇(たたず)んでいるのですが、普通に考えれば、風車の中を疑ってもよさそうなものです。

「海外特派員」はところどころ脚本の不備のようなシーンがあるのですが、それを補って余りあるのが才気あふれるヒッチコックの力量です。

風車の場面でいえば、やはり風車が怪しいとにらんだジョーンズが風車の中へ忍び込み、そこに囚(とら)われていたヴァン・メアと再会(射殺されたヴァン・メアは替え玉)、敵の会話を盗み聞きしながらも、巨大な歯車にコートが挟まってしまう怖さは、ヒッチコックの本領発揮。

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「海外特派員」が公開されたのは1940年ですが、その前年には「風と共に去りぬ」が公開され、ハリウッドの黄金時代が築かれていくのですが、ヒッチコックにしてみれば、そのアメリカで「レベッカ」に次ぐ第二作ということもあったのでしょう、「海外特派員」はかなり力の入った作品になっています。

特にドイツの軍用艦からの艦砲射撃を受け、ジョーンズたちの乗った飛行機の海上への墜落と、沈みゆく飛行機からの脱出、飛行機の残骸にしがみ付きながら荒波との必死の格闘は、この場面だけで並の映画以上の重量感があり、後の傑作「救命艇」にもつながっているようです。

現実にはアメリカは後に世界大戦に参戦。
ジョーンズとキャロルが空襲を受けるラジオ局のマイクに向かって開戦の様子を伝えるラストに見られるように、「海外特派員」はプロパガンダの要素を持った映画ですが、当時41歳の若きヒッチコックがその力を十分に発揮した映画でもあるといえます。

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2019年03月07日

映画「救命艇」男女8人の海洋サスペンス

「救命艇」(Lifeboat) 1944年 アメリカ

監督アルフレッド・ヒッチコック
原作ジョン・スタインベック
脚本ジョー・スワーリング
撮影グレン・マックウィリアムズ

〈キャスト〉
 タルーラ・バンクヘッド ヒューム・クローニン 
 ヘザー・エンジェル

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ノーベル賞作家ジョン・スタインベックの原作を巨匠アルフレッド・ヒッチコックが手がけた海洋サスペンス。

第二次大戦下、大西洋上で一隻の貨物船(客船とも)がドイツ軍のUボートによって撃沈されます。同時にUボートも連合軍の攻撃によって沈没。海上には船の残骸や死体が漂い、生き残った人たちの声が呼び交わされます。

濃霧と残骸の間を一隻の救命艇が漂っています。
乗っているのは一人の女性。
ミンクのコートを着こなし、タバコをくゆらす彼女は、高級ホテルのバーから現れたかのような、およそ遭難者とは程遠い、場違いな雰囲気を醸(かも)しています。

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そこへ次々と遭難者が乗り込み、やがて若い黒人が乳飲み子を抱いた母親を助けて乗り込み、8人の男女が一隻の救命艇に乗り合わせることになります。

そして、そこにもう一人、船のへりに手をかけた男が、みんなの手を借りて船の中へ助け上げられ、倒れ込むように乗り込みます。
「大丈夫か?」と声をかけるみんなに応えて彼は言います。
「danke schön」

最後に乗り込んだドイツ人のウィリー(ウォルター・スレザック)は、やがて、撃沈されたUボートの艦長であることが判明し、広大な大西洋に浮かぶ小さな救命艇の中に、8人の連合国側の民間人と、敵国であるドイツの軍人が乗り合わせるという緊張した関係が生まれます。

ほどなく乳飲み子は死に、母親も後を追って自殺を図り、残った8人はハリケーンに襲われ、水や食料も尽きていく中で、緊張した人間関係は一気に暴発してゆくことになります。

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救命艇という狭く限られた空間、登場人物が8人(最初は9人)という中で繰り広げられる人間ドラマで、ヒッチコック映画らしく、観る者をグイグイと引っ張っていきます。

登場人物は個性的で、最初に救命艇に乗っていたミンクの女性は、世界を股にかける著名なジャーナリスト、コニー・ポーター(タルーラ・バンクヘッド)。
さらに、シカゴの屠畜場で働いていたコバック(ジョン・ホディアク)。
実業家リットンハウス(ヘンリー・ハル)。
水夫スタンリー(ヒューム・クローニン)。
片足を切断することになるガス(ウィリアム・ベンディックス)。
看護婦マッケンジー(ヘザー・エンジェル)。
元スリの名手で、黒人のジョー(カナダ・リー)。
そして最後に乗り込んだUボートの艦長ウィリー(ウォルター・スレザック)。




粗野な性格のコバックは、ウィリーに対し「海に沈めろ!」と頑強に主張しますが、「国際法に従って捕虜は当局に引き渡すべきだ」と反論するリットンハウスとスタンリー。

7人の間で激論が戦わされますが、救命艇でバミューダを目指そうとしながらも針路が分からず、自信たっぷりなウィリーの指図に従ってしまうことになります。
やがてガスの足が壊疽(えそ)になり、医者でもあったウィリーは、ガスの足を切断。以降、ウィリーの存在が大きくなっていきます。

水や食料がなくなり、飢えと渇きが救命艇を支配する中、渇きに我慢できず、海水を飲んでしまうガス。
ひとりウィリーだけが疲れを見せず、洋々たる態度でボートを漕いでいきます。

後半からのウィリーの存在は不気味さと威圧感を増し、残りの7人には無力感が漂っているのですが、ガスが見殺しにされたことによって、看護婦のマッケンジーがウィリーに襲いかかり、狂気のフタがはじけたように、黒人のジョーを除く全員がウィリーを襲い、海に沈めてしまいます。

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救命艇に乗り込んだ男女8人という状況設定は、敵国同士であっても、映画「太平洋の地獄」(1968年)のように最後には力を合わせて難局を乗り切ろう、といった友情物語で幕を閉じることが多いと思うのですが、「救命艇」はスタインベック色の濃い、人間の内面に深く踏み込んでゆく展開になっています。

中でも不可解なのはウィリーで、壊疽になったガスの命を救った彼は、最後にはガスを平然と海へ突き落してしまいます。
「なぜ殺したんだ!」とみんなに詰め寄られても、
「おれの気持ちも察してくれ。苦しむガスを解放してやったんだ」と言い放ちます。

渇きに苦しみ、海水を飲んだガスは正気を失いかけていましたから、ウィリーの反論はもっともらしく聞こえますが、少しでも邪魔な人間を減らしてしまおうという冷酷な傲慢さがうかがえます。




「救命艇」は1944年公開なので、ドイツ軍に対するプロパガンダ的な要素を含んでいるようにもみえますが、重厚な人間ドラマとしての性格がとても強いように思います。

7人対1人でありながら、サバイバルの知恵にすぐれ、医者でもあり、三ヵ国語を話す頑丈な体格の持ち主のドイツ軍人ウィリー一人に翻弄されてしまう民間人の7人。

この救命艇での支配関係は、国家の中における軍部の影響力の縮図とも考えられ、また、暴徒と化したコバックたちには加わらず、ひとり理性を保っていたのが人種差別の対象とされていた黒人のジョーだけだったというのもスタインベックらしい配慮かなと思います。

俳優たちの熱演も見もので、何度見ても見ごたえのあるヒッチコックの傑作です。

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2019年02月10日

映画「身代金」誘拐犯人への逆襲劇

「身代金」(Ransom) 1996年 アメリカ

監督ロン・ハワード
脚本リチャード・ブライス
音楽ジェームズ・ホーナー
撮影ピョートル・ソボジンスキー

〈キャスト〉
メル・ギブソン レネ・ルッソ 
ゲイリー・シニーズ デルロイ・リンドー

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原題の「Ransom」はそのものズバリ「身代金」
誘拐をテーマとした映画は日本でもたくさんあって、「誘拐報道」(1982年/監督・伊藤俊也)、「大誘拐」(1991年/監督・岡本喜八)。

中でも最もヒューマンなものとしては黒澤明監督の傑作「天国と地獄」(1963年)でしょうか。
ちょっと異色なところではウィリアム・ワイラー監督の「コレクター」(1965年) なんかも誘拐映画のカテゴリーに入りますが、誘拐する目的として最も多いのが営利誘拐ですから、「コレクター」のように美女を誘拐して収集しようとする趣味の誘拐とは目的を異にします。

誘拐事件として日本人によく知られているのは、昭和38年3月31日に起きた、いわゆる「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」で、犯人は4歳の少年を誘拐して両親に身代金を要求。
結局、犯人は逮捕されましたが、被害者の少年は2年後に白骨化した状態で発見されました。

誘拐事件にハッピーエンドはあり得ません。誘拐が成功すれば喜ぶのは犯人だけで、身代金は返ってこないし、最悪の場合は被害者は殺害されている可能性が高くなります。




映画「身代金」は、身代金そのものを題材にしているだけあって、従来の誘拐映画とはちょっと趣(おもむき)の違ったものになっています。
この映画のユニークなところは、誘拐された少年ショーンの父親トム・ミュレンが最悪の場合を想定してしまったところにあります。

★★★★★
最愛の息子が何者かに誘拐された。要求金額は200万ドル。息子は生きているんだろうか。とにかく要求された金額を支払うしかない。トム・ミュレンは航空会社の社長だからお金はあります。

しかし、受け渡し場所にFBIが現れ、受け渡しは失敗に終わります。
再び犯人からの要求。
もう一度受け渡し場所を指定される。
受け渡し場所へ向かう車の中でトムは考えます。犯人の要求通りに身代金を渡せば、きっと息子は殺されるに違いない。いや、もうすでに殺されているかもしれない。

これは無理な発想ではなく、現実には最悪のケースが多いのですから、トムがそう考えても無理はありません。
よし、こうなったら逆襲だ!  身代金なんか犯人にくれてやるものか。

トムはテレビ局へと直行して犯人へのメッセージを発表します。
「身代金はお前らへの懸賞金だ! 犯人逮捕の手がかりを教えてくれた者にこの金(200万ドル)を懸賞金として与える」
 
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犯罪映画史上奇想天外な成りゆきに発展したこの映画は、まさにアメリカ映画だから可能なのでしょう。実際にこんなことをすれば捜査の妨げになるし、厳しい世論の反発が予想されます。現実に息子が殺されているという確証はないわけですし、犯人逮捕の賭けとするには、もし息子が生きていたとしたら、あまりにも危険すぎます。

この常軌を逸した行動を説得力のあるものにしてしまったのがメル・ギブソンの熱演と、その妻ケイトを演じたレネ・ルッソ。
常軌を逸した夫とは当然、意見の対立があって、正論を主張しながら夫と激しく対立するケイトの姿はこの映画の見せ場といってもいいと思います。

また、身代金が懸賞金に変わったことにより、犯人側にも動揺が広がります。
犯人グループの首謀者で悪徳刑事のジミー・シェイカー(ゲイリー・シニーズ)に対し、仲間うちでの裏切りが表面化してゆくことになります。

犯罪映画であってもエンターテインメントであり、小気味のいいテンポで見る者をグイグイと引っ張ってくれる正統派娯楽映画です。

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