2019年04月27日
映画「陽のあたる場所」豊かさを求めた青年の恋と破滅
「陽のあたる場所」(A Place in the Sun)
1951年アメリカ
監督ジョージ・スティーヴンス
原作セオドア・ドライサー
脚本マイケル・ウィルソン
ハリー・ブラウン
撮影ウィリアム・C・メラー
音楽フランツ・ワックスマン
〈キャスト〉
モンゴメリー・クリフト エリザベス・テイラー
シェリー・ウィンタース
第24回アカデミー賞/監督賞/撮影賞/脚色賞/作曲賞/他6部門受賞
伝道師の母親と二人きりの貧しい生活を送っていたジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)は、水着工場を経営している伯父のチャールズ・イーストマンと偶然に出会い、伯父の会社に雇われることになります。
単調な流れ作業の仕事を与えられたジョージでしたが、そこで一緒に働くアリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)と知り合い、社内恋愛は禁じられてはいましたが、お互いに惹かれあった二人は、ある日、アリスの部屋で一夜を過ごすことになります。
そんな中、伯父の邸宅のパーティーに招かれたジョージは、美しい令嬢アンジェラ・ヴィッカース(エリザベス・テイラー)と出会い、美貌と富と知性を備えたアンジェラにジョージは惹かれ、またアンジェラもジョージの魅力に惹かれて、二人は恋に落ちてゆきます。
アンジェラとの結婚を夢見るジョージでしたが、そこへアリスの妊娠が知らされ、結婚を迫るアリスに、暗く貧しい将来の生活への恐怖を感じたジョージは、一方でアンジェラの美貌と富を永遠に失うことを恐れ、夏の湖にはボートの転覆事故が多いことを知り、ボートの転覆を装ってアリスを殺害しようと考えます。
セオドア・ドライサーの長編小説「アメリカの悲劇」を原作としたこの映画は、原作の持つ物質主義、資本主義に代表されるアメリカ社会の暗い一面を糾弾した内容とは方向を変え、貧しい青年の恋愛を軸に、富を追い求めながらも、結局は破滅に至らざるを得なかった青年の悲劇を描いた名作です。
若さというものは過(あやま)ちを犯しやすく、とりわけ異性に対する性欲、男性であれば女性に対する性的な欲求は、避妊を考えることなく欲望に訴えた場合、望むことのない妊娠という重大な過失につながってしまいます。
ジョージ・イーストマンがアリス・トリップに接近したのは手軽な恋愛遊戯、平たく言ってしまえば性的欲望を満たす相手としてでした。
もちろん結婚の意志など初めからなく、性欲を満たせばそれでよかったのです。
しかしそれはアリスの心を傷つけ、死に追いやってしまう結果となったことで(アリス一人ではなく、お腹の子どもも含めれば二人の死)、たとえそれが偶然の事故から派生したものであったとしてもアリスの殺害を考えていたことは事実なのだからと、ジョージは死刑を受け入れてゆきます。
魅力と白熱の演技陣
ドライサーの「アメリカの悲劇」の主人公クライド(「陽のあたる場所」ではジョージ)は周囲の状況にうまく対応できず、決断力に乏しい未熟さゆえに破滅にいたるのですが、そういった主人公をモンゴメリー・クリフトは完璧に表現。
特に湖に乗り出したボートの中でアリス殺害を苦悩する表情は、白黒画面の陰影の効果もあって緊張感が極度に高まった名シーンでした。
シェリー・ウィンタースは後に「ロリータ」(1962年)で、ハンバート教授に強く惹かれながら、教授は娘のドロレスに心を奪われていることを知って絶望し、事故死をしてしまうという、アリスと似たような役どころで強い印象を残していますから、日陰で苦悩する女性役がハマります。
「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)では強烈な個性派俳優に混じって、泳ぎの達者なオバさん役で大きな存在感を見せてくれました。
美女の代名詞としてハリウッドに君臨したエリザベス・テイラーはジョージを魅惑する女性アンジェラとして、暗く重々しい「陽のあたる場所」にあって、まさに陽のあたっている明るい大輪の花のような存在感を放っていました。
そして、松葉づえをつきながらジョージの犯罪に鋭く迫る迫真の演技で強い印象を残した地方検事フランク・マーロウのレイモンド・バー。
テレビシリーズ「鬼警部アイアンサイド」では、車椅子に乗りながら犯罪に立ち向かうサンフランシスコ市警の刑事部長の姿は日本でも大きな話題になりました。
原作と映画化の挟間で
「アメリカの悲劇」は1931年に「嘆きの天使」「モロッコ」などの名匠ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督によって映画化されましたが、原作を生かしきれずメロドラマに傾き過ぎたこともあってセオドア・ドライサーの怒りを買い、失敗作とされたこともあったのでしょう、その反省からか「陽のあたる場所」では題名・登場人物の名前もすべて変更して、独立した恋愛映画として再映画化したことが良かったのだと思います。
なお、原作の「アメリカの悲劇」を読んでいると、主人公が湖での殺人のあと、森の中を逃亡するのですが、唐突に現れた保安官に殺人犯として捕まってしまいます。
主人公の逃走経路や、なぜ彼が殺人犯として追跡されていたのかは説明のないまま、裁判となってしまうのですが、映画「陽のあたる場所」ではそのあたりがキッチリと説明されていて、理解しやすい展開となっています。
ドライサーは犯罪推理はあまり問題にせず、あくまでも主人公が犯した罪と、それを取り巻くアメリカ社会を描くことに重きを置いたようです。
1951年アメリカ
監督ジョージ・スティーヴンス
原作セオドア・ドライサー
脚本マイケル・ウィルソン
ハリー・ブラウン
撮影ウィリアム・C・メラー
音楽フランツ・ワックスマン
〈キャスト〉
モンゴメリー・クリフト エリザベス・テイラー
シェリー・ウィンタース
第24回アカデミー賞/監督賞/撮影賞/脚色賞/作曲賞/他6部門受賞
伝道師の母親と二人きりの貧しい生活を送っていたジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)は、水着工場を経営している伯父のチャールズ・イーストマンと偶然に出会い、伯父の会社に雇われることになります。
単調な流れ作業の仕事を与えられたジョージでしたが、そこで一緒に働くアリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)と知り合い、社内恋愛は禁じられてはいましたが、お互いに惹かれあった二人は、ある日、アリスの部屋で一夜を過ごすことになります。
そんな中、伯父の邸宅のパーティーに招かれたジョージは、美しい令嬢アンジェラ・ヴィッカース(エリザベス・テイラー)と出会い、美貌と富と知性を備えたアンジェラにジョージは惹かれ、またアンジェラもジョージの魅力に惹かれて、二人は恋に落ちてゆきます。
アンジェラとの結婚を夢見るジョージでしたが、そこへアリスの妊娠が知らされ、結婚を迫るアリスに、暗く貧しい将来の生活への恐怖を感じたジョージは、一方でアンジェラの美貌と富を永遠に失うことを恐れ、夏の湖にはボートの転覆事故が多いことを知り、ボートの転覆を装ってアリスを殺害しようと考えます。
セオドア・ドライサーの長編小説「アメリカの悲劇」を原作としたこの映画は、原作の持つ物質主義、資本主義に代表されるアメリカ社会の暗い一面を糾弾した内容とは方向を変え、貧しい青年の恋愛を軸に、富を追い求めながらも、結局は破滅に至らざるを得なかった青年の悲劇を描いた名作です。
若さというものは過(あやま)ちを犯しやすく、とりわけ異性に対する性欲、男性であれば女性に対する性的な欲求は、避妊を考えることなく欲望に訴えた場合、望むことのない妊娠という重大な過失につながってしまいます。
ジョージ・イーストマンがアリス・トリップに接近したのは手軽な恋愛遊戯、平たく言ってしまえば性的欲望を満たす相手としてでした。
もちろん結婚の意志など初めからなく、性欲を満たせばそれでよかったのです。
しかしそれはアリスの心を傷つけ、死に追いやってしまう結果となったことで(アリス一人ではなく、お腹の子どもも含めれば二人の死)、たとえそれが偶然の事故から派生したものであったとしてもアリスの殺害を考えていたことは事実なのだからと、ジョージは死刑を受け入れてゆきます。
魅力と白熱の演技陣
ドライサーの「アメリカの悲劇」の主人公クライド(「陽のあたる場所」ではジョージ)は周囲の状況にうまく対応できず、決断力に乏しい未熟さゆえに破滅にいたるのですが、そういった主人公をモンゴメリー・クリフトは完璧に表現。
特に湖に乗り出したボートの中でアリス殺害を苦悩する表情は、白黒画面の陰影の効果もあって緊張感が極度に高まった名シーンでした。
シェリー・ウィンタースは後に「ロリータ」(1962年)で、ハンバート教授に強く惹かれながら、教授は娘のドロレスに心を奪われていることを知って絶望し、事故死をしてしまうという、アリスと似たような役どころで強い印象を残していますから、日陰で苦悩する女性役がハマります。
「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)では強烈な個性派俳優に混じって、泳ぎの達者なオバさん役で大きな存在感を見せてくれました。
美女の代名詞としてハリウッドに君臨したエリザベス・テイラーはジョージを魅惑する女性アンジェラとして、暗く重々しい「陽のあたる場所」にあって、まさに陽のあたっている明るい大輪の花のような存在感を放っていました。
そして、松葉づえをつきながらジョージの犯罪に鋭く迫る迫真の演技で強い印象を残した地方検事フランク・マーロウのレイモンド・バー。
テレビシリーズ「鬼警部アイアンサイド」では、車椅子に乗りながら犯罪に立ち向かうサンフランシスコ市警の刑事部長の姿は日本でも大きな話題になりました。
原作と映画化の挟間で
「アメリカの悲劇」は1931年に「嘆きの天使」「モロッコ」などの名匠ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督によって映画化されましたが、原作を生かしきれずメロドラマに傾き過ぎたこともあってセオドア・ドライサーの怒りを買い、失敗作とされたこともあったのでしょう、その反省からか「陽のあたる場所」では題名・登場人物の名前もすべて変更して、独立した恋愛映画として再映画化したことが良かったのだと思います。
なお、原作の「アメリカの悲劇」を読んでいると、主人公が湖での殺人のあと、森の中を逃亡するのですが、唐突に現れた保安官に殺人犯として捕まってしまいます。
主人公の逃走経路や、なぜ彼が殺人犯として追跡されていたのかは説明のないまま、裁判となってしまうのですが、映画「陽のあたる場所」ではそのあたりがキッチリと説明されていて、理解しやすい展開となっています。
ドライサーは犯罪推理はあまり問題にせず、あくまでも主人公が犯した罪と、それを取り巻くアメリカ社会を描くことに重きを置いたようです。
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