2019年03月21日
映画「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」法王庁の沈黙
「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」(Amen.) 2002年
フランス/ドイツ/ルーマニア/アメリカ
監督コスタ=ガブラス
脚本コスタ=ガブラス
原作ロルフ・ホーホフート「神の代理人」
撮影パトリック・ブロシェ
〈キャスト〉
ウルリッヒ・トゥクル マチュー・カソヴィッツ
ウルリッヒ・ミューエ
![LOrdre-et-la-Morale-Mathieu-Kassovitz-et-Ulrich-Tukur-dans-Amen[1].jpg](/2810/file/LOrdre-et-la-Morale-Mathieu-Kassovitz-et-Ulrich-Tukur-dans-Amen5B15D-thumbnail2.jpg)
原題は「Amen」。
キリスト教世界における祈りの言葉の後に唱える言葉が原題となっています。
大体において祈りの言葉は「あなた(神)の王国が来ますように」、または、主(神)に対する感謝の言葉で締めくくられることが多いのですが、その後に、是認の言葉として「アーメン」が唱えられ、そうありますように、そうです、といった意味を持ちます。
原題から判るように、「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は宗教をテーマとして、バチカンがナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して非難の声明を出さなかったという史実をもとに、社会派の巨匠コスタ=ガブラスが取り組んだ意欲作です。
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ナチス親衛隊中尉で、化学者として飲料水を殺菌する研究などをおこなっていたクルト・ゲルシュタイン(ウルリッヒ・トゥクル)は、知的障害を持つ姪が多数の精神障害者と共に“病死”という口実で安楽死させられたことを知ります。
ナチスによる“望ましからざる者たち”の事実上の抹殺、「障害者絶滅計画」でした。
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さらにある日、ゲルシュタインは、医師で上官の将校(ウルリッヒ・ミューエ)らに連れられ、強制収容所でユダヤ人の大量虐殺を目撃します。
ナチスの蛮行を目の当たりにし、数万単位のユダヤ人が次々とガス室送りになることを知ったゲルシュタインは虐殺をやめさせるべく、“神の代理人”である宗教界に頼ろうとします。
プロテスタントの信者であるゲルシュタインは、仲間たちと話し合いの場を設けますが、誰もが彼の意見に耳を貸さず一蹴されてしまいます。
カトリックの総本山であるバチカンに訴えるしかないと考えたゲルシュタインはローマ法王庁の外交官に接触しますが、ここでも相手にされず、一時は落胆しますが、偶然にもその場にいた若い修道士リカルド(マチュー・カソヴィッツ)は、ゲルシュタインと共にナチスの蛮行を食い止める戦いを開始します。
自らもナチスの親衛隊員であるゲルシュタインは自己矛盾を抱えながらもバチカンへの接触を続け、法王への説得を試みますが、法王ピウス12世はナチスと敵対関係になることを恐れ、ゲルシュタインの訴えを退けてしまいます。
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暗黒の時代における光の消滅
16世紀にマルティン・ルターが始めた宗教改革は、当時のローマ・カトリック教会に対する抗議の声でもありました。
マリア崇拝、クリスマスのミサ(クリスマスはキリストの誕生日ではなく、古代ローマの太陽崇拝に基づいています)、豪華な教会装飾など、神の言葉よりも教会の権威を高めることに執着し、堕落していたカトリック教会に対して非難の声をあげたのです。
プロテスタント(抗議する者)と呼ばれたマルティン・ルターはカトリック教会から離れ、プロテスタントとして神の言葉“聖書”を軸に宗教改革を推し進めてゆきます。
映画「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺において、何の抵抗も示さなかった宗教界(特にローマ・カトリック教会)そのものを指弾した映画であるといえます。
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素晴らしく重厚な映像で、俳優の演技も素晴らしいものでしたが、やはり、何らかの形で虐殺のシーンは欲しかったと思います。強制収容所でゲルシュタインが壁の穴から虐殺の様子を見る場面では、ゲルシュタインの表情ですべてが語られてゆくのですが、親衛隊員である自らの立場と、命を懸けてまで虐殺をやめさせようとする心情をクッキリと浮かび上がらせるためには、「シンドラーのリスト」(1993年)における赤い服の少女のようなシンボリックな映像か、目を背(そむ)けたくなるような、心に突き刺さるシーンが必要だと思いました。
しかし俳優たちの演技は完璧なもので、中でも若き修道士リカルドのマチュー・カソヴィッツの情熱と宗教の絶望感に打ちのめされる姿は強く印象に残りました。
宗教界の最高権威といえども人間社会のひとつの組織体にすぎず、ヨーロッパを席巻したアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに対して保身と無力をさらけ出してしまったのは、ある意味、仕方のないことだったのかもしれませんが、神の名に値しない汚点を残してしまったといえます。
刺激的な映像が少ない分、俳優の演技がかなりの見どころを占めます。それだけに余計な刺激に惑わされずに宗教というテーマを追求することができるという利点があり、コスタ=ガブラスもそのあたりを考慮していたのかもしれません。
でも「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」という邦題には首をひねりたくなります。
“ホロコースト(大量虐殺)”の場面は出てきませんし、ヒトラーそのものも登場しないからです。といって原題そのままに「アーメン」では何だかよく分かりませんしね。題名を考えるのも難しいものです。
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フランス/ドイツ/ルーマニア/アメリカ
監督コスタ=ガブラス
脚本コスタ=ガブラス
原作ロルフ・ホーホフート「神の代理人」
撮影パトリック・ブロシェ
〈キャスト〉
ウルリッヒ・トゥクル マチュー・カソヴィッツ
ウルリッヒ・ミューエ
![LOrdre-et-la-Morale-Mathieu-Kassovitz-et-Ulrich-Tukur-dans-Amen[1].jpg](/2810/file/LOrdre-et-la-Morale-Mathieu-Kassovitz-et-Ulrich-Tukur-dans-Amen5B15D-thumbnail2.jpg)
原題は「Amen」。
キリスト教世界における祈りの言葉の後に唱える言葉が原題となっています。
大体において祈りの言葉は「あなた(神)の王国が来ますように」、または、主(神)に対する感謝の言葉で締めくくられることが多いのですが、その後に、是認の言葉として「アーメン」が唱えられ、そうありますように、そうです、といった意味を持ちます。
原題から判るように、「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は宗教をテーマとして、バチカンがナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して非難の声明を出さなかったという史実をもとに、社会派の巨匠コスタ=ガブラスが取り組んだ意欲作です。
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ナチスによる“望ましからざる者たち”の事実上の抹殺、「障害者絶滅計画」でした。
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ナチスの蛮行を目の当たりにし、数万単位のユダヤ人が次々とガス室送りになることを知ったゲルシュタインは虐殺をやめさせるべく、“神の代理人”である宗教界に頼ろうとします。
プロテスタントの信者であるゲルシュタインは、仲間たちと話し合いの場を設けますが、誰もが彼の意見に耳を貸さず一蹴されてしまいます。
カトリックの総本山であるバチカンに訴えるしかないと考えたゲルシュタインはローマ法王庁の外交官に接触しますが、ここでも相手にされず、一時は落胆しますが、偶然にもその場にいた若い修道士リカルド(マチュー・カソヴィッツ)は、ゲルシュタインと共にナチスの蛮行を食い止める戦いを開始します。
自らもナチスの親衛隊員であるゲルシュタインは自己矛盾を抱えながらもバチカンへの接触を続け、法王への説得を試みますが、法王ピウス12世はナチスと敵対関係になることを恐れ、ゲルシュタインの訴えを退けてしまいます。
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16世紀にマルティン・ルターが始めた宗教改革は、当時のローマ・カトリック教会に対する抗議の声でもありました。
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プロテスタント(抗議する者)と呼ばれたマルティン・ルターはカトリック教会から離れ、プロテスタントとして神の言葉“聖書”を軸に宗教改革を推し進めてゆきます。
映画「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺において、何の抵抗も示さなかった宗教界(特にローマ・カトリック教会)そのものを指弾した映画であるといえます。
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しかし俳優たちの演技は完璧なもので、中でも若き修道士リカルドのマチュー・カソヴィッツの情熱と宗教の絶望感に打ちのめされる姿は強く印象に残りました。
宗教界の最高権威といえども人間社会のひとつの組織体にすぎず、ヨーロッパを席巻したアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに対して保身と無力をさらけ出してしまったのは、ある意味、仕方のないことだったのかもしれませんが、神の名に値しない汚点を残してしまったといえます。
刺激的な映像が少ない分、俳優の演技がかなりの見どころを占めます。それだけに余計な刺激に惑わされずに宗教というテーマを追求することができるという利点があり、コスタ=ガブラスもそのあたりを考慮していたのかもしれません。
でも「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」という邦題には首をひねりたくなります。
“ホロコースト(大量虐殺)”の場面は出てきませんし、ヒトラーそのものも登場しないからです。といって原題そのままに「アーメン」では何だかよく分かりませんしね。題名を考えるのも難しいものです。
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