2020年07月12日
7/12 天気の子
すげー今更だけど、「天気の子」をみました。
新海誠監督のことは好きでも嫌いでもなく、すごくフラットな気持ちでみられたなーと思っているので、純粋にその作品が何を言いたいのか?みたいなことを考えられました。
なんか、例えばジブリとかの作品だと、先入観みたいなのが先に来ない?
岡枝はいつもジブリに対して、正しいことを正しいと言えばいいわけじゃない、みたいなことが根底にあるなっって感じるんだけど、自分でも気づかないうちにそう思っちゃってるから、みるときのワクワク感みたいなものがちょっとなくなっちゃってるな、という残念さがあって。
その点で、「天気の子」はあらすじも知らなかったんでワクワクしながら見ることができました。
結果的に、岡枝は好きだなーと思った。
面白かった…という表現が合っているのかわからんけど、いい意味で想像と違ったんだよね。
ファンタジーなんだけど、ファンタジーと言い切ることができないくらいに現実が混ざってるっていうか。
「君の名は」もものすごくブームになったけど、あれをみたときも岡枝はどんな話なのか知らないでみたんだよね。なんか男の子と女の子が入れ替わっちゃう、というとこだけしか知らなくて。
あのときと同じような衝撃を受けたかな。
※以下ちょっとネタバレしてるんで気をつけてください。
現代と、古の時代と、未来が混在している。
しかもそれをすごく上手にまとめてあって、登場人物が若者(というより、まだ子供)なのもあって、ものすごい現実感と無力感と、でも無敵感がある。
大事なのは多分最後の「無敵感」で、実際物語の最後では東京のあちこちが水に沈んでしまうけど、そこに絶望の匂いはあまりしない。
「かつてここは海だったから、もとに戻っただけ」
というおばあちゃんの言葉は、大人であるがゆえの諦めみたいなものを感じるけど、全てを受け入れていく覚悟というか、人間の持つ強さみたいなものが垣間見える。
大人の男女だったり、家族が主人公だったなら全然違う話になるんだろうな、と思った。
子供であるがゆえに思う通りにはいかず、どんなに頑張ろうと顔を上げても、世界に邪魔されてしまう。でも、子供だからこそ、本当に大事なものを最後まで見失わない。
スガさん(どんな字か未確認)は色々抱えてしまった典型的な「大人」で、でも主人公のエネルギーに押されて手助けしてしまう。
最初はただカッコつけてるだけの大人で、途中保身のために逃げ出すのに、結局最後には放りだせずに。
よくあるパターンといえばそうなんだけど、あそこで主人公を助けたのがスガさんだからこそ、諦めるということが示すものはただの「見ないふり」なんだって、それでいいのか、って、見ている大人に訴えているようにかんじた。
うまく生きていく事を、大人は余技なくされる。
別に悪い事じゃない。自分や、その他のものを守るためだって時もある。
でも、波に全力で抗ってもまだひとりでは泳げない子供を、守るのは大人でなくてはならないんだって、そんな当たり前なことを考えた。
未成年、特に義務教育の間は大人に保護される必要があって、でも大人の考えてることは理解できなくて、逃げ出したくても逃げ出せないんだよね。
誰かの作った「当たり前」は、いつの間にかみんなの「当たり前」になって、自分の力ではどうにもならなくて、無力さに絶望するんだ。
その絶望に突き落としてくる「大人」から守るのは、やはり「大人」であってほしい。
かつて子供だった自分を助けたいから、でもいいんだと思う。そこに明確な理由がなくても。
主人公たちの真っ直ぐな気持ちによって、何物にも変え難い存在、があることを思い出させてもらった。
面白かったです。
また間をあけて見たいな。
「未来」を守ることは大事。
でも、「未来」をまもりすぎると、「今」が壊れてしまう時もある。どちらが正しいかはわからない。
だからこそどんな時も、自分の気持ちにまっすぐでありたいものです。
新海誠監督のことは好きでも嫌いでもなく、すごくフラットな気持ちでみられたなーと思っているので、純粋にその作品が何を言いたいのか?みたいなことを考えられました。
なんか、例えばジブリとかの作品だと、先入観みたいなのが先に来ない?
岡枝はいつもジブリに対して、正しいことを正しいと言えばいいわけじゃない、みたいなことが根底にあるなっって感じるんだけど、自分でも気づかないうちにそう思っちゃってるから、みるときのワクワク感みたいなものがちょっとなくなっちゃってるな、という残念さがあって。
その点で、「天気の子」はあらすじも知らなかったんでワクワクしながら見ることができました。
結果的に、岡枝は好きだなーと思った。
面白かった…という表現が合っているのかわからんけど、いい意味で想像と違ったんだよね。
ファンタジーなんだけど、ファンタジーと言い切ることができないくらいに現実が混ざってるっていうか。
「君の名は」もものすごくブームになったけど、あれをみたときも岡枝はどんな話なのか知らないでみたんだよね。なんか男の子と女の子が入れ替わっちゃう、というとこだけしか知らなくて。
あのときと同じような衝撃を受けたかな。
※以下ちょっとネタバレしてるんで気をつけてください。
現代と、古の時代と、未来が混在している。
しかもそれをすごく上手にまとめてあって、登場人物が若者(というより、まだ子供)なのもあって、ものすごい現実感と無力感と、でも無敵感がある。
大事なのは多分最後の「無敵感」で、実際物語の最後では東京のあちこちが水に沈んでしまうけど、そこに絶望の匂いはあまりしない。
「かつてここは海だったから、もとに戻っただけ」
というおばあちゃんの言葉は、大人であるがゆえの諦めみたいなものを感じるけど、全てを受け入れていく覚悟というか、人間の持つ強さみたいなものが垣間見える。
大人の男女だったり、家族が主人公だったなら全然違う話になるんだろうな、と思った。
子供であるがゆえに思う通りにはいかず、どんなに頑張ろうと顔を上げても、世界に邪魔されてしまう。でも、子供だからこそ、本当に大事なものを最後まで見失わない。
スガさん(どんな字か未確認)は色々抱えてしまった典型的な「大人」で、でも主人公のエネルギーに押されて手助けしてしまう。
最初はただカッコつけてるだけの大人で、途中保身のために逃げ出すのに、結局最後には放りだせずに。
よくあるパターンといえばそうなんだけど、あそこで主人公を助けたのがスガさんだからこそ、諦めるということが示すものはただの「見ないふり」なんだって、それでいいのか、って、見ている大人に訴えているようにかんじた。
うまく生きていく事を、大人は余技なくされる。
別に悪い事じゃない。自分や、その他のものを守るためだって時もある。
でも、波に全力で抗ってもまだひとりでは泳げない子供を、守るのは大人でなくてはならないんだって、そんな当たり前なことを考えた。
未成年、特に義務教育の間は大人に保護される必要があって、でも大人の考えてることは理解できなくて、逃げ出したくても逃げ出せないんだよね。
誰かの作った「当たり前」は、いつの間にかみんなの「当たり前」になって、自分の力ではどうにもならなくて、無力さに絶望するんだ。
その絶望に突き落としてくる「大人」から守るのは、やはり「大人」であってほしい。
かつて子供だった自分を助けたいから、でもいいんだと思う。そこに明確な理由がなくても。
主人公たちの真っ直ぐな気持ちによって、何物にも変え難い存在、があることを思い出させてもらった。
面白かったです。
また間をあけて見たいな。
「未来」を守ることは大事。
でも、「未来」をまもりすぎると、「今」が壊れてしまう時もある。どちらが正しいかはわからない。
だからこそどんな時も、自分の気持ちにまっすぐでありたいものです。
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