2010年05月18日
先輩・後輩 in アメリカ
タテ社会日本で生まれ育った僕には、そうでないアメリカ社会で生活する中で、
違和感を感じることが多々あった。上司と部下、先輩と後輩の関係性が全然違うということは、
アメリカに行く前から知ってはいたが、実際に体験するとやっぱり戸惑うもんだ。
例えば会社。
職場の上司だろうが部下だろうが、はたまたクライアントだろうが、みんな
お互いをファーストネームで呼び合う。ボスに対してもそうだ。敬語もへったくれもない。
ボスに質問したいことがあるとする。日本だったら、
「社長、お伺いしたいことがあるのですが、今お時間よろしいでしょうか。」
とか、もうちょっとフランクな間柄でも、
「しゃちょー、聞きたいことあるんですけど、いいですか?」
だったりする。ところが僕の働いていたアメリカの会社では、
「ヘイ、ジャック(社長の名前)!i have a question!」
とこうなる。日本のにくらべると相当、ブッキラボウだ。
これに慣れるのに最初は結構戸惑った。がしかし、職場においての
上司・部下の関係性はテレビドラマだったり映画だったりでよく観た光景だったし、
働き始めたのが、アメリカに来て6年目くらい経った後ということもあり、
免疫がついたのか案外すぐ慣れた。
それにくらべて僕がなかなか慣れずにいたのは、学生生活においての先輩・後輩の関係だ。
映画やテレビドラマでも、その関係性をフューチャーしたものも
みたことないし、実際はどんなだと前々から疑問に思ってもいたのだが、
いざそんな場面に実際遭遇すると、違和感バリバリ感じまくり。
大学5年生になったある日、僕は同じ建築学部の7,8人の友人とキャンバス内の
ベンチで、たわいもない会話をしていた。(アメリカの大学の建築学部は5年制)
そうしていると突然、エミネム系の一年坊主が会話にわりこんできた。
「ヘイ ガイズ!you 達5年生だよね。サボってんの?へへ。」
「ところでさ、ここの建築学部ってどうなの?」
「たいしたことないなら学部変えようかとおもってんだけど。」
オイオイなんだその態度は。いや、いいんだよ。僕みたいな日本人猿に
向かってだけならさあ。それは一向にかまわないよ。でもさ、
他のみんなは、お前と同じアメリカ人だぞ。アメリカ人先輩だぞ。
この一年坊主が。ヒカエオロー。
なんてイライラが募る僕。が、イライラしてたのは僕だけで、
他のみんなはそんなのお構いなしにフレンドリーに快く答えはじめだした。
ああ、僕はなんて心の狭い人間なんだ。ああ恥ずかしい。こんな人間に育てた日本のばか。
このような場面に大学生活中に何度かめぐり合ったが、
一瞬イラっとする感情は結局なおらなかった。
日本人は欧米人に比べて、自己主張ができない。とよく聞くが、
案外こういういったような、先輩・後輩、上司・部下の関係性の違いが
その要因のひとつだったりするのかもしれない。学年、年齢問わず、気軽に
言い合える関係が自己主張をしやすい環境になっているのではないか。
なんて思ってたりしたが、こんなこともあった。
また別の日に、僕は大学内のキャンパスを韓国人の友人と歩いていた。
そしたらその友人が突然、お辞儀をしはじめた。前にはだれもいない。
どうしたのかと僕がきくと、韓国人の先輩がいるからとのこと。
僕:「なにいってんの、誰もいないじゃん。」
友人:「いや、いるよ。前にいるじゃん。」
僕はもう一度前を見る。そして目を凝らす。
あ、いた。
視界のずっと遠くに豆粒ほどの先輩が。。。
僕:「冗談でしょ、あんなに遠くだったら出会ったことにカウントされないでしょ。」
友人:「そういう問題じゃないんだって。」
僕: 「むこうだって気づいてないかもしれないじゃん。」
友人:「気づいてるかもしれないでしょ。」
儒教の力恐るべし。まだまだ上には上がいた。でも、韓国人が自己主張ができない
なんてあんま聞かないからやっぱり、要因はそこだけじゃないや。
国民性がどうやって形成されるかなんつうのはそんな単純じゃないみたい。
最後に、先輩・後輩関係の話にもどるが、
僕等、日本人にとって一番大変なのは、
自分・日本人の先輩・外国人の3人で英語で話すときだ。
英語では対等。日本語では敬語。これが一番やっかいだ。
おしまい。
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違和感を感じることが多々あった。上司と部下、先輩と後輩の関係性が全然違うということは、
アメリカに行く前から知ってはいたが、実際に体験するとやっぱり戸惑うもんだ。
例えば会社。
職場の上司だろうが部下だろうが、はたまたクライアントだろうが、みんな
お互いをファーストネームで呼び合う。ボスに対してもそうだ。敬語もへったくれもない。
ボスに質問したいことがあるとする。日本だったら、
「社長、お伺いしたいことがあるのですが、今お時間よろしいでしょうか。」
とか、もうちょっとフランクな間柄でも、
「しゃちょー、聞きたいことあるんですけど、いいですか?」
だったりする。ところが僕の働いていたアメリカの会社では、
「ヘイ、ジャック(社長の名前)!i have a question!」
とこうなる。日本のにくらべると相当、ブッキラボウだ。
これに慣れるのに最初は結構戸惑った。がしかし、職場においての
上司・部下の関係性はテレビドラマだったり映画だったりでよく観た光景だったし、
働き始めたのが、アメリカに来て6年目くらい経った後ということもあり、
免疫がついたのか案外すぐ慣れた。
それにくらべて僕がなかなか慣れずにいたのは、学生生活においての先輩・後輩の関係だ。
映画やテレビドラマでも、その関係性をフューチャーしたものも
みたことないし、実際はどんなだと前々から疑問に思ってもいたのだが、
いざそんな場面に実際遭遇すると、違和感バリバリ感じまくり。
大学5年生になったある日、僕は同じ建築学部の7,8人の友人とキャンバス内の
ベンチで、たわいもない会話をしていた。(アメリカの大学の建築学部は5年制)
そうしていると突然、エミネム系の一年坊主が会話にわりこんできた。
「ヘイ ガイズ!you 達5年生だよね。サボってんの?へへ。」
「ところでさ、ここの建築学部ってどうなの?」
「たいしたことないなら学部変えようかとおもってんだけど。」
オイオイなんだその態度は。いや、いいんだよ。僕みたいな日本人猿に
向かってだけならさあ。それは一向にかまわないよ。でもさ、
他のみんなは、お前と同じアメリカ人だぞ。アメリカ人先輩だぞ。
この一年坊主が。ヒカエオロー。
なんてイライラが募る僕。が、イライラしてたのは僕だけで、
他のみんなはそんなのお構いなしにフレンドリーに快く答えはじめだした。
ああ、僕はなんて心の狭い人間なんだ。ああ恥ずかしい。こんな人間に育てた日本のばか。
このような場面に大学生活中に何度かめぐり合ったが、
一瞬イラっとする感情は結局なおらなかった。
日本人は欧米人に比べて、自己主張ができない。とよく聞くが、
案外こういういったような、先輩・後輩、上司・部下の関係性の違いが
その要因のひとつだったりするのかもしれない。学年、年齢問わず、気軽に
言い合える関係が自己主張をしやすい環境になっているのではないか。
なんて思ってたりしたが、こんなこともあった。
また別の日に、僕は大学内のキャンパスを韓国人の友人と歩いていた。
そしたらその友人が突然、お辞儀をしはじめた。前にはだれもいない。
どうしたのかと僕がきくと、韓国人の先輩がいるからとのこと。
僕:「なにいってんの、誰もいないじゃん。」
友人:「いや、いるよ。前にいるじゃん。」
僕はもう一度前を見る。そして目を凝らす。
あ、いた。
視界のずっと遠くに豆粒ほどの先輩が。。。
僕:「冗談でしょ、あんなに遠くだったら出会ったことにカウントされないでしょ。」
友人:「そういう問題じゃないんだって。」
僕: 「むこうだって気づいてないかもしれないじゃん。」
友人:「気づいてるかもしれないでしょ。」
儒教の力恐るべし。まだまだ上には上がいた。でも、韓国人が自己主張ができない
なんてあんま聞かないからやっぱり、要因はそこだけじゃないや。
国民性がどうやって形成されるかなんつうのはそんな単純じゃないみたい。
最後に、先輩・後輩関係の話にもどるが、
僕等、日本人にとって一番大変なのは、
自分・日本人の先輩・外国人の3人で英語で話すときだ。
英語では対等。日本語では敬語。これが一番やっかいだ。
おしまい。
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