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2020年03月10日

命の価値って?/情報本編よりコメント欄を見て人間が怖くなる

以前からYouTubeの評価とコメント欄が気になっています。
私は動画投稿はやっていないのですが、
いつも他の方の動画に一定数低評価がついていたり
荒れているコメント欄があったりします。


最近こちらのブログ↓で書いたことを知ってショックを受けています。

フォアグラだけがどうこうという問題じゃないと思っていたけれど/その他・妄想


何がそんなにショックだったのだろうと考えてみると
情報本編よりコメントに打ちのめされたような気もします。

今、動物の命について考えさせてくれるような
動画がたくさん投稿されているのですが
必ずといっていいほどそれらのコメント欄が荒れています。

動物を殺すことについて「いいじゃん動物なんだから」
という意見をふざけた調子で書いているコメントが多くあり、さらに
「バーカww」「そっちこそアホ」みたいな進展のない応酬、
真面目にコメントしている人に食ってかかる人がいたりなど
低レベルなやりとりがたくさんあります。


それを見て、命の価値って何だろうなと思いました。


別に現時点では、真面目に考えようがふざけたことを言おうが
事態が大きく動くわけじゃないんだから
肉を食べつつ「あの態度はちょっと……」と言うのも
ただの偽善かもしれないですが……。


カワウは漁業に被害を与えるから駆除されます。
でも「被害」とか「迷惑」とかは人間目線で言っているものです。

私も人間なんだし、お店にお世話になっているし
一連の流れがあって人間界が成り立っているのだから
社会にお世話になっておきながらそこだけ切り取って書くのは変だけど

地球から見たらどの生物も地球のバランスをとっているのだろうし
地球にとって必要な生物を多く発生させているのかもしれません。

……それを言うなら人間という生き物もそのはず、ですね。


私は人類や生き物にとって有益な何かを生み出せるかというと、
そんなことありません。
昔から落ちこぼれで、何をやってもだめな奴で、
怒られてばかりなので人が怖いです。

なんで生まれたんだろう、どうやって生きていけばいいんだろうと
常々思っています。

しかしこんな人間が地球に必要でしょうか。
私は正直、誰かの役に立ちたいと微塵も思えないし
子どもを授かるつもりもありません。
ただズルズルと生きることにしがみついているだけです。


こんな状態で生きていくことが、
死んだ動物たちの生命より尊いと言えるでしょうか……。
でも人間であるというだけでとりあえず
「めったに殺されない」権利を得られます。

「動物なんて人間のために利用して当然www」といった
コメントをしている人も、今日も明日も普通に生きているのでしょう。


ああいうコメントをしている人を見ると、私がいじめられていた頃の
いじめっ子の態度を思い出します。
ニヤニヤ笑っていました。

で、ある時はいじめっ子同士で普通に勉強とか進路の話をしていました。
よくこっちの気持ちも知らずにのうのうと
進路の話なんかできるなと思っていたのですが
きっと脳内で切り替えているんでしょうね。
あれとこれとは別、みたいな。

私がいじめられていると思っていただけで
そいつらにとっては大したことではなかったのかもしれませんね。
ふざけたコメントする人も、軽い気持ちでいるのでしょう。


「いじめはダメ!」って言う人だって大半は
頭の中で動物と人間を振り分けているはずです。
動物なら感謝して食べるのが礼儀でも
人間相手だといくら感謝しても食べちゃいけません。

今の時代「人種差別はダメ」となっているけれど
時代が時代なら私は「◯◯人だし、この扱いでもしょうがないよね」と
頷いているんでしょう。

逆にもし動物を殺さないのが当たり前の星に生まれていたら
そっちの感覚になびいて地球人を批判していたかもしれません。
犬を食べる国を批判するとか……イルカを食べる文化を批判するとか……
お国柄とかまわりの感覚とかには染まるものですから……。


SNS等見ていると、
牛や豚や鶏や野菜の命について投稿している人はそんなにいなくても
食べ物をアップしている人はたくさんいます。
私は牛や豚や鶏の生態を知らないけれど、美味しい味だけは知っています。

私たちは動物の魂、命、存在そのものより
動物が持っている肉体に価値があると思っています。
動物の命より、命と引き換えに得られる肉の方が大事です。
人間による、人間社会への生け贄みたいですね。

けどそれ、動物だけに当てはまることでしょうか。
我々人間は「魂」や「命」を尊ばれ求められているのでしょうか。


そうでもない気がします。

私が何が好きとか、どういう生き方をしたいとか、
思っていてもなかなか叶いません。
誰かが無条件で叶えさせようとしてくれる生易しいものではありません。
「それでも夢を叶えるために努力するのが人生だ」
なんて人は言うかもしれないけれど
結局人間社会にとって必要なのは優秀な労働力、
歯車、国に税金を納める人間です。

下手に夢見て中途半端な物を生み出すくらいなら
普通に歯車でいてくれた方がいい
人間も多少、命より肉を求められる動物たちと一緒です。


そうでないなら、本当に人間の個性や命が尊いなら
無条件で好きなことを好きなだけできるシステムになっているはずです。

そんなので社会が成り立つビジョンが思い浮かびませんけど
万が一そうなった頃にはもう動物の肉も必要ないかもしれませんね。


私が昔持っていた「ブレーメンの音楽隊」の絵本ではたしか
年老いて捨てられたロバを若いロバが馬鹿にするシーンがあったのですが
それもいじめっ子のイメージと被ります。


YouTubeのコメント欄に「我々人間様の方が動物より偉いから」と
コメントしている人も
私なんかをいじめるしか娯楽のなかったしょうもないいじめっ子も
表向きは綺麗に整って、ある程度納得できて少し不満なこの世界も
食べられてゆく動物たちも

みんな多かれ少なかれ、誰かの手のひらの上で
コロコロ転がされているのかもしれませんね。

命じゃなく、中身の肉目当て。
命じゃなく、中身の労働力目当て。

人間が動物にしていることを、
人間相手にもしているのでしょう。
動物相手にその関わり方しかできないなら、
人間にも同じことしかできないはずだから。



posted by 四月一日 at 05:05| Comment(0) | TrackBack(3) | 雑記
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