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2016年10月16日

屋号#大阪丸その(44) (大阪城*Y 現在の大阪城へ*余談)





(大阪城*Y 現在の大阪城へ*余談)





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◎前号、後半に登場した(Gege)さんの作品を余談に取り上げてみました。





【現在の大阪城】ということで、既に出版されている(月間アーマ―モデリング NO.198*2016 APRIL*4月号)掲載の戦国ダイオラマ絵巻物から(大阪城天守閣復興80周年)の作品を使用させて頂きました。


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〜本文抜粋より〜

【大坂城天守閣復興80周年】
1931年(昭和6年)〜2011年(平成23年)


地元大阪の市民は元より、今では関西から全国、さらには海外からの観光客に愛される
大阪のシンボル大坂城(大阪城)。

そこには約430年の歴史が綴られている。
初代城主であった豊臣秀吉没後の豊臣家は本城の落城によって終焉を迎え、その後、徳川の時代に新たに築城されたが落雷にて天守閣は消滅。そのまま天守閣のない城として幕末、近代を迎えた。
そして戦前の昭和6年(1931年)大阪市民からの莫大な寄付によって現代の天守閣が築造されたのである。

そんな過去と現代を結ぶ交差点とも言える大阪城。
異色の城ダイオラマとして再現。

image.jpeg

***詳細は本のバックナンバーで確認して頂けると幸いです。***






現在の大阪城を表現しているので、城郭模型の中にエレベーターが見えます。





〜本文より抜粋〜
作品のポイントとなった西側シースルーエレベーター(EV)と天守閣。
EVは平成の大修理で設置され、現代の城らしくバリアフリーを実現している。

image.jpeg




約600体のフィギュアは、(1/350 艦船模型用)を城見学者に作り替え、配置されているようです。

image.jpeg





●天守閣最上階、壁上部の鶴(豊臣期は鷺=さぎ)
欄干下はキット付属の虎のデカールを使用。
縁を(透明部分)をカッターで切り取り面相筆でタッチアップしている。
〜本文より〜

細かい作業も光ります。

image.jpeg




〜本文抜粋より〜

【歴史に翻弄されつつも、過去と現在そして未来とをつなぐ大阪のシンボル!】

いまも大阪の象徴として、上町台地北側に位置する大坂城。
現在の天守閣は豊臣秀吉時代の時代からすると豊臣→徳川→現代と、3代目になる。

天守閣下の石垣(天守台)は、1614年(慶長16年)。
大坂夏の陣で豊臣家滅亡後の1620年(元和6年)2代目将軍 徳川秀頼により豊臣色払しょくするため、新たに建て替えられた天守閣。
(1665年落雷にて消失、その後昭和の再建まで天守閣はなかった。)
ともに修築工事がなされ現在に至る。

1931年(昭和6年)、大阪市民の寄付150万円(現在の600〜700億円相当)により天守閣復興。
当時では非常に珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造りの模擬天守閣(現在は博物館などの施設が併設されている)で大阪のシンボルとなる。

今年85年目を迎え、昭和以降の復興天守閣では日本最古で現在 国の登録有形文化財に指定されている。

この情景作品は2011年天守閣復興80周年を題材に、時代の交差点としての位置づけで製作。

奇妙なお城とシースルーエレベーター。
天守台すぐ脇のアスファルト舗装。
ライトアップ用投光機。
近代的な街灯デザイン。
石垣上の落下防止用手摺や天守閣すぐそばに櫓がないなど、戦国時代には考えられない今日的なアンバランスさ。


そして、32m以上の高石垣(高さは日本一)、石垣の積み方も近代的な算木積み。
堀の幅は30m以上(当時の火縄銃射程距離・約30mで算定)。

豊臣大坂城のあった天守閣跡、残念石(築城のために用意されるが使われない石)の展示や、見学の修学旅行生の姿など現在の大阪城として歴史の今昔を表現してみました。


〜と、本文の後記で綴られています。〜



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〜〜〜〜〜





〜本文抜粋より〜

(左写真)西の丸より天守閣を望む。本丸と西丸は高低差があり、天守閣の高さが際立つ。
かつて、大阪に都があったことを伝えているようだ。
(右写真)内堀、石垣の間からたくさんの植物が生え 夏から秋にかけてはうっそうとしている。



image.jpeg





〜〜〜〜〜



追記

●Gegeさんの作品は、同じく(アーマモデリング)の戦国ダイオラマ*2015年12月号に(彦根城)、2016年5月号に(和歌山城)も掲載されています。
また機会ある時に紹介したいと思います。

●豊臣大阪城編の時、作品掲載にご協力して頂いた島さんの(城郭模型製作工房)の城造りやご活動を綴られているブログ・・・とても興味深く、楽しく拝見させて頂いています。
興味のある方は、ぜひ、ブログ閲覧してみて下さい。

(城郭模型作家・島 充氏の作品ギャラリー*** http://www.geocities.jp/orin_pos/ )



改めて島さん、Gegeさん、ご協力、ありがとうございました。



(次号に続く)























































2016年10月03日

屋号#大阪丸その(43) (大阪城*X 現在の大阪城へ)





(大阪城*X 現在の大阪城へ)




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大阪城は、(太閤はんのお城)といわれた豊臣秀吉築城時代(安土桃山時代)から、徳川家と江戸幕府による徳川大坂城(江戸時代)を経て来ました。



江戸時代にも度々火災による損傷と修復を繰り返して来たようです。




特に1660年(万治3年)には、城内の青屋門の土蔵造り・(火薬庫)焔硝蔵が、落雷により大爆発を起こしました。
貯蔵していた82tの火薬、鉛弾約43万発、火縄3万6千本が焼失しました。
天守や御殿、櫓、橋など、多数の建造物も損壊。
城外でも家屋約1500棟が倒壊、多数の家屋の屋根も破損し、幾多の死傷者も出ました。



後にこの焔硝蔵(火薬庫)を石造りに幕府は作り直しています。この火薬庫は現存しています。



また1665年(寛文5年)には落雷による天守の焼失があります。
それ以降は天守を持たない城になりました。



江戸末期には、王政復古の大号令の後、二条城から追われた徳川慶喜が居住していたこともありましたが、鳥羽・伏見の戦いで旧・幕府が倒れた為、船で江戸に退却せざる負えなくなりました。



最終的には、大阪城は新政府軍に引き渡されました。
この前後の混乱時に出火、その際、御殿、外堀四と五と七番櫓などの城内建造物が焼失しました。



その後、明治新政府は、城内敷地を陸軍用地に転用しました。
主に火砲・車両などの重兵器を生産する大阪砲兵工廠が設けられました。



〜〜〜〜〜



時は流れ、1928年(昭和3年)当時の大阪市長の天守再建含む大阪城公園整備事業提案を元に昭和天皇記念事業として整備が進められました。



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市民の募金150万円によって、天守と陸軍第4師団司令部庁舎が建設されました。
再建工事は、天守閣の基本設計を波江悌夫が担当、1930年(昭和5年)に始まり、翌年、完成しました。



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(下図は月間アーマ―モデリング Number198*2016 APRILにあたる2016年4月1日刊行の4月号・戦国ダイオラマ絵巻に掲載されている(Gege)さんの作品です。)

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(次号に続く)




























































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