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2020年03月11日

東日本大震災より9年目──未公開写真を公開する


東日本大震災から今日で9年。

その惨状は、震災の年に「南三陸町に行って来た」という記事で紹介したが、
そのとき撮影した写真が入ったCD-ROMを見つけたので、未公開のものを紹介しようと思う。

当時は、ブログで公開するのに忍びず、見送ったのだが、
9年目のいまとなっては、むしろ共通の記憶として残す意味もあるかも知れない。



南三陸町・志津川 2011年7月15日

南三陸町_001.jpg

※写真はすべて、クリックすると大きくできます。


防災対策庁舎。
ここで多くの人が亡くなった。
このころは献花台が設けられ、誰でも自由に祈りが捧げられた。

その後、震災公園の整備のため、近寄ることができなかったが、
ようやく近くから見ることができるようになったと、今日テレビでやっていた。

大震災の直後というのは、いまから振り返ると、
不思議な解放区が広がっているような感覚だった。



南三陸町・戸倉

戸倉_001.jpg


水門付近。
この三戸部川河口付近は砂利浜が広がっていて、おいしいアサリが採れたものだ。
一般の人に潮干狩り場として開放してはいないが、
近くでアサリを採っている地元の漁民に話したら、
遊漁料を払って採らせてくれた。



南三陸町・歌津

歌津_003.jpg



国道45号線の高架道路が落ちて、コンクリートの橋脚だけが並んで立っていた。


背景に、緑の杉山らしきものが見えるが、
その手前の杉が一面に茶色く変色しているのが見えると思う。
この高さまで、津波が達したのだ。


この下を伊里前川が流れ、シラウオが遡上して来ると、
いよいよ海釣りシーズンの始まりだった。



歌津_002.jpg



45号線から折れて、泊崎方面に向かうと、
長須賀海水浴場があって、松林が続いたものだが、
いまはもう残っていないようだ。
ここから泊崎にかけては、海沿いに民宿がたくさんあったが、
大北荘もその一つだ。
横転した車の後部には大北荘と書かれており、
そのはるか後方に、10人ほど人がいるのが見える。
遺体捜索しているのだと思った。



歌津_001.jpg



白い壁の大小二つの建物が見えるが、これが大北荘。
海側から見た景色。



女川町 2011年7月22日

マリンパル.jpg



女川マリンパル。
たくさんのお魚屋さんが出店していて、
うまい魚だらけで、大好きな場所だった。
これが建つ前の、小さな店がひしめいていた頃は、
もっと好きだった。

トロ箱いっぱいホヤを買ったら、
店のおばちゃんに「そんなになにすんの?」と不思議がられたものだ。
もちろん、食べるんですよ。



女川_001..jpg



こちらは、女川港の反対側から、マリンパル方面をながめたもの。

ウミネコの群れが、岸壁の残骸にとまっていた。



桐ケ崎漁港.jpg



女川・桐ケ崎漁港入り口付近の、津波で倒壊した民家。
坂を下りると、港を囲んで小さな集落があったところだが、
集落は壊滅していた。

メバルやアナゴを狙って、
最も多く夜釣りに通ったところだった。


桐ケ崎漁港_002.jpg



猫が、たくさん寄って来たんだよね。
しまった!と思った。
こいつら、腹をすかせていたんだ。
私が何も食べ物を持っていないと悟ると、
すぐに興味を示さなくなった。
わかっていれば、何か食べ物を持って来たんだけどねえ。



雄勝町

雄勝町.jpg



なんかの公共施設らしいが、
津波が屋上までバスを運んでいた。





2011年07月16日

南三陸町に行って来た

ども。ミロです。
きのう大震災後はじめて被災地・南三陸町に行って来ました。

うちから車で1時間ほどのところにありますが、
釣りバカだった頃には、毎週通ったところでした。
十数年ぶりの再訪でした。



南三陸町防災対策庁舎



ここもだいぶきれいに片付けられていました。
被災直後の写真を見ると、
何やらわけのわからないパイプ状のものが垂れ下がっていましたが、
いまは鉄骨だけになっています。

この屋上の高さまで津波が襲いかかり、
若い女性職員が最後まで避難誘導の放送をして犠牲になり、
町長も屋上のアンテナによじ上って九死に一生を得た場所とはとても思えないほど、
いまは穏やかな風景の中に立っていました。

いまだに大津波の爪痕はあちこちに見られましたが、
マスコミがさんざん悲惨な状況の報道をしているので、
わたしが重ねてする必要はないと思うんだよね。

現地に行くと、瓦礫があるのは当たり前、
建物が壊れたり、ひっくり返ったりしているのも当たり前。
ひねり潰されたような自動車が道ばたにあるのも当たり前。
山肌に船が取り残されているのも当たり前。

これが被災地の現実です。



魚市場より防災対策庁舎を望む



ここまで何もなくなっちゃうと、
もう思い出も何もないんじゃないかって気がした。

ちゃっちゃとブルドーザーで平らにならしてしまいたいなあ!
と思わずにいられませんでした。

しかし、それには国が予算を付けて、
災害特別法ですぐに地方が取りかかれるように地ならししてくれないことには、
手がつけられません!

障害は「国」だな。



志津川魚市場



どうする気なんだよ? え? どうする気なんだ!
気仙沼魚市場は再開したようだが、
志津川魚市場はいまだにこの有様です。

国はほんとにどうする気なんだ?


岸壁に近ずくと、懐かしい潮の香りがしました。

こう言っちゃあ失礼かも知れないが、
魚市場前の海は震災前よりもきれいになっている気がしました。

魚市場からの排水や、
牡蠣むき場からの排水などがない分、
不快な臭気がなく、海本来の匂いがもどっていました。





町の中で動いているのは2台のパワーショベルだけ。
すごく長く高い瓦礫の山が築かれていました。

あとから思い出したのですが、
松原公園があったあたりから始まって、ここまで山が張り出して来たようです。


じつは南三陸町で、どうしても見たい場所がありました。
旧・歌津町の泊浜です。

わたしが海釣りを始めた場所なんだよね!

あの白く長い立派な防波堤はどうなってるだろう?
…ずっと気になっていました。

で、30分ほどかけて、
45号線を北上し、歌津崎の方へ車を走らせました。

ようやく車が1台走れる程度の回り道を通って、
歌津・泊浜漁港へつきましたが…



歌津・泊浜漁港



おおおおお、防波堤がしっかり残っている!


それに、漁船もたくさん港に浮かんでいるぞ!

すぐとなりの長須賀海水浴場は壊滅的な被害を受けて、
いまだに立ち入り禁止になっていましたが、
こちらの泊浜漁港はほとんど被害が見られません。

もっとも港湾施設だけの話で、
港に面した一般家屋は、壁が津波で流されて、
部屋の中が丸見え状態になっていましたが。

近くの岩山の木の枝には、
漁具やら無線かなんかの配線などがぶら下がっています。

ここも高いところまで津波に襲われたのは確かですが、
海沿いの家々がけっこう高台に建てられているので、
比較的被害が少なかったように見受けられました。

ただ低い土地にも民家が建っており、
そこではいまだに捜索が続いているらしく、
十数人の青い制服の人たちが活動していました。

最後に、本日も1曲紹介して終わりたいと思います。
これです。

美樹克彦 『海は青かった』1968年





posted by ミロ at 01:20 | 東日本大震災

2011年07月11日

会津と長州〜歴史と未来

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会津鶴ヶ城 秋

ども。ミロです。
会津若松市の菅家市長が、かつての長州藩である山口県萩市を訪れるそうです。

18日に開かれる東日本大震災現状報告会で講師を務めるためで、
震災後の支援に対する返礼をかねての訪問となるようです。

会津藩と長州藩といえば、
幕末から明治にかけての戊辰戦争で激烈な戦闘を繰り広げたことで有名です。

この戦いは「会津戦争」と呼ばれています。
現在の福島県が主戦場となりました。

会津藩は、白虎隊に象徴されるように、
藩をあげて文字通りの「総力戦」で戦いました。

両藩(両市)はいまだに公式的には「和解」をしてないようです。

100年以上前の歴史的事件がいまだに忘れられることなく生き続けているとは
どういうことなのでしょう?

「会津戦争」そのものの「遺恨」というより、
戦後、会津城下には戦死者の遺体が山のように積まれ、
異臭を放ち始めるまで放置され、すみやかな埋葬がなされなかったといいます。

会津にはこのことに対する「人道上(武士道上)」の理由による「遺恨」が残っているようです。

そのことによって何らかの障害が起こってるわけではなし、
両市の協力もしっかり行われている以上、
そんな「こだわり」が残っているのも悪いことではないかもしれません。


たとえば、太平洋戦争後、
それまで「鬼畜米英」と呼んでさんざん戦って来た米軍が占領軍として乗り込んで来るや、
「解放軍」と呼んで大歓迎するような風潮があったことの方が、
よほど恥ずかしいことに思われます。


どちらも「日本人」の持つ精神的な側面であるのでしょう。


きょうは原発問題で御苦労中の福島県民へエールの気持ちを込めて、
「白虎隊」「二本松少年隊」の歌を紹介したいと思います。


三田 明 『燃ゆる白虎隊』 1968年(昭和43年)



白虎隊というのは中国の「四神」思想から取った名称です。

古代の中国では、天の四方を幻獣たちが守っていると考えていました。
東の青竜せいりゅう・南の朱雀すざく・西の白虎びゃっこ・北の玄武げんぶがそれです。
会津藩では、それぞれの名を冠した戦闘組織が作られていました。

白虎隊は16歳から17歳の武家の少年たちで組織されていました。

特に白虎士中二番隊20名が、
飯盛山で全員そろって自刃を遂げたことで有名になりました。

この時代の少年武士たちの気概、覚悟には胸をうたれますが、、
太平洋戦争時、
「死して虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)という形でこの「恥」の思想がよみがえった時、
近代物量戦のさなかでは、あまりに時代錯誤な教条主義としか思われず、
多くの兵の命の犠牲を生んだことを考えると、
複雑な心境にならざるを得ません。


もう一曲、「白虎隊」の歌を。
こちらの方が一般的にはよく知られていると思います。


霧島昇 『白虎隊』 1952年(昭和27年)



「花も会津の白虎隊」の歌詞が泣かせます!

ひとりも逃げ出すものが無く、
少年全員が割腹自殺遂げたわけです。
これぞ会津士魂!
まさに日本歴史の「花」ですね!
(ひとりが命を取り留めたことにより、白虎隊の最期が世間に知られることとなった)


「会津白虎隊」は全国的に有名ですが、
「二本松少年隊」まで知ってる方は、
よほどの歴史ファンか歴女であるか、もしくは地元の方でしょうね。

「戊辰戦争第一の激戦」といわれるのが、
二本松少年隊が守った二本松大壇口おおだんぐちの戦いでした。


まずはお聞きください。


三橋美智也 『二本松少年隊』 1965年(昭和40年)


江戸で西洋流砲術を学んだ隊長・木村銃太郎は22歳。
それに従う隊士23名は、白虎隊士よりも若い12歳から17歳で、
13、14歳が多かったようです。

二本松藩の主力は、奥羽越列藩同盟からの要請で、
日光、白河口方面の戦いへ出向いており、
新政府軍が二本松へ迫った時には留守の老年兵や少年兵たちで守るほかありませんでした。

しかし、木村隊長から鍛え上げられた少年隊士たちの西洋流砲術の腕は確かで、
破竹の勢いで進撃して来た新政府軍の脚が、ここ二本松でピタリと止まります。

それもつかのま、敵の薩摩軍はつぎつぎと援軍が到着し、
少年隊はしだいに圧倒的な数の敵兵に包囲されてしまいます。

ついに隊長・木村銃太郎は敵弾に倒れます。

少年たちは隊長の首をはね、
二人がかりで運びながら敗走を始めます。

城下に戻ってみると、すでに守るべき城は炎に包まれ、
城下は敵の占領下にありました。

少年たちは敵兵めがけて切り込み、
或るものは討ち死にし、或る者は捕虜となって、
二本松少年隊は壊滅しました。

明治元年7月29日、
会津白虎隊に先立つことひと月足らず前のことでした。


もう一曲『二本松少年隊』の歌を紹介します。
こちらの方が、作曲の古関裕而も歌手の伊藤久男も福島県出身ということで、
地元ではスタンダードということになるのでしょうか?

そういえば、白虎隊の歌手・霧島昇も福島県出身ですね。


伊藤久男 『二本松少年隊』 1957年(昭和32年) 



二本松少年隊  
作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而

1. 風に乱るる 前髪も
  まだあどけなき 美少年
  主君の大事 この時と
  降らす血の雨 弾の雨
  あゝ花と咲く 少年隊

2. 親と慕いし 隊長を
  呼べどもすでに 答えなし
  大壇ロの 決戦に
  友の屍 踏み越えて
  あゝ露と散る 少年隊

3. 今は頼みの 城も落ち
  轟く敵の 鬨の声
  無念や賊の 名を受けて
  野辺の松草 血で染めし
  あゝ二本松 少年隊


くだるも亡び、降らざるもまた亡ぶ、亡は一のみ、むしろ死を出して信を守るにかずと議たちまち決す。」(『二本松藩史』)

戦っても藩は滅び、降伏しても滅びる。
それならば戦って滅びることで、武士の「信義」を守ろうではないか!
こうして二本松藩は、新政府軍に徹底抗戦を決断しました。


これって、大日本帝国海軍が太平洋戦争を決断した時の論理そのままですね!

「戦うも亡国かもしれぬ。だが、戦わずしての亡国は魂までも喪失する永久の亡国である。たとえ一旦の亡国となるとも最後の一兵まで戦いぬけば、われらの子孫はこの精神をうけついで再起三起するであろう」永野軍令部総長の言葉(児島 襄『太平洋戦争』)


「会津白虎隊」と「二本松少年隊」、
かれらこそ真に「ラスト・サムライ」だったと思います。




posted by ミロ at 04:37 | 東日本大震災

2011年07月05日

非常時の宮城に、菅政権のクソ大臣が喧嘩を売って来たぜ!

震災.JPG

ども。ミロです。

松本龍とかいうチンピラ大臣が、
われらの宮城県知事に暴言を吐いて行ったようだが、
あいつの頭の中には、
被災者のことはこれっぽちも入ってなかったのかね?

非常時の宮城に、いったいあいつは何しに来たんだ?

いちど「非常時」とはいかなるものであるか、
あのチンピラに教えてやる必要があると思う。







あのおっさん、「お客さん」気分で被災地見物にでも来たらしいが、
非常時には平時の礼を失しても、
任務優先で構わないのは常識である!

もちろんそんなこと、
自衛隊出身の村井宮城県知事は、
松本チンピラ大臣よりもよく知っているはずだ。

たわごとは、いつも平和な国会の中だけにしておけ!
現実の日本は、たいへんなんだよ!

もっとも、自分から、
不勉強であることを告白しているから、
次に被災地に来るまでに、
東北の当該市町村名ぐらいは勉強して、
ぜんぜんやる気が無いわけではないことを、
みずから証明する必要があるよな?

いくら九州人だって、
それぐらいの知性は持ってるのではないかな?

財界の堕落といい、
政界の凋落といい、
日本の社会状況は戦前に酷似して来ている!

いつものように、
歌を1曲紹介しようとして思い浮かんだのはこの歌です。



昭和維新の歌(青年日本の歌)




5・15事件の首謀者により作詞・作曲された曲ですが、
2・26事件をリードした青年将校たちによって歌い継がれていた歌としても有名です。

陸軍内の派閥闘争から起きた事件でしたが、
背景には農村の困窮や政治の腐敗があったと言われています。


自衛隊の今回の大震災の被災地での働きは、
「国軍」への半歩前進かと思います。

しかし、災害派遣は自衛隊の「本分」ではありません。
被災地のために汗と涙を流した彼等自衛隊の本文は、
侵略者があれば国家・国土・国民を守るためにを張って戦争することです。

本来あるべき姿の自衛隊に育ってほしいと思います。

この歌を聞く時の心構えを一言付け加えるならば、
美しい言葉に酔いしれてしまうのは要注意!だ。
しかし、どうしようもなく共感してしまう自分がいるのも事実だ。

クーデターで世の中が良くなるとは思わないけどね。

ちなみに「社稷(しゃしょく)を思う心なし」とは、
「国家のことを思う心がない」という意味です。

昭和初期の青年たちは、
学生は学生なり、軍人は軍人なりに、
天下国家のことを考え、憂えていたんですね。

エリート意識があるべき方向にちゃんと向いていた時代。

そんな気持ちにひたれる歌ではあります。





posted by ミロ at 09:41 | 東日本大震災

2011年05月14日

光とともにやって来た仮面ライダー!

ども。ミロです。

世界各国で、東日本大震災で被災した日本を救おうという動きがありますが、
今日紹介するのは、フランスの「TSUNAMI 津波」という絵画のオークション・サイトです。

たくさんの画家たちが3月11日の大津波をテーマに制作した絵画の売り上げを、
アジア向け慈善団体のGive2Asiaへの寄付を通じて日本を救おうというものです。

その中にはこんな作品も有りました。



Jiawei Huang


石巻市内のどこかで、こんな光景があったかも知れない、と思わせられました。

「1番」の背番号を付けた子供を抱いて救助する仮面ライダー1号。
「子供」は日本の未来の象徴でしょう。
こちらを振り返る子供の視線の強さが、決して負けないという意志を感じさせます。

その背景で、幼な子を抱き、老親を背負って逃げる一般人の姿、
救助活動をする自衛隊員たちの姿は、
彼らもまた「ヒーロー」であると言っているようです。

でっかい太陽に津波のものと思われる白い飛沫が飛んでいますが、
日本を象徴する太陽の巨大さが、
決して大災害に負けることのない日本をメッセージしているようです。

「TSUNAMI 津波」こちらからどうぞ!


石巻市の北上川の中瀬にある石ノ森萬画館は、
3階建ての1階が津波に襲われ、
職員たちは3階の喫茶室に避難して無事だったようですが、
そこから外をながめていると、
電柱にしがみつく人々が次々に津波の中に沈んでいく姿を目撃したそうです。

さいわい石ノ森章太郎の資料類は無事だったそうで、
いまは再開に向けて泥のかき出し作業の真っ最中のようです。

仮面ライダーが石巻市復興の柱となるといいですね。


仮面ライダーの生みの親・石ノ森章太郎生誕の地である登米市中田町にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」のほうは、
生家の一部が被害に遭ったようですが、
本館の方はほとんど被害も無く、現在も開館中です。

機会があれば、ぜひ一度、足を運んでみてください。

仮面ライダー1号編OP




posted by ミロ at 09:22 | 東日本大震災

2011年05月11日

それいけ!アンパンマン 被災地へ!

ども。ミロです。
飢えた人がいれば、自分の顔を差し出して食べさせて救う!

この超単純な正義!
それがアンパンマンの哲学です。




アニメ主題歌にしては、哲学に満ちた歌詞ですね!
作詞はアンパンマンの作者やなせたかしさんが手がけています。


東日本大震災以降、急激にこの『アンパンマンのマーチ』の評価が高まっています。
しっかりした「幸福論」が歌われているのが出色だとおもいます。


nsai.JPG
















では、こんなのはどうだ!?




自衛隊、各国からの救助隊、アメリカ海軍、ボランティアの人々、
福島第一原発の原子炉冷却のため働く現場職員たち、
…わたしたちはたくさんのアンパンマンを見ました。


被災地の子供たちもきっと彼らの活躍する姿を見たことでしょう。
だから、アンパンマンは本当にいて、困っている自分を助けに来てくれると
信じられるのではないでしょうか?

それはとてもスゴイことだと思う。


やなせたかしという方は、私にとって不思議な存在です。
『やさしいライオン』はけっこう話題になった記憶があるけど、
それ以前になぜか名前を覚えていた気がします。

決して売れっ子ではないんだけど、
アートな雰囲気の絵を描く人というイメージ。

『てのひらを太陽に』とかタツノコアニメ第一弾の『宇宙エース』の作詞もしています。
そこらへんから記憶に残っているのかもしれない。

では、もう一本、アンパンマン尽くしで締めたいと思います。







posted by ミロ at 01:12 | 東日本大震災

2011年04月30日

4月29日東日本大震災復興キックオフディに思ふ

ども。ミロです。

いちど南三陸町の被災地を訪れたいと思っていたんですが、
ゴールデンウィークの連休で全国から大勢のボランティアが集まっているようなので、
連休明けまで行くのは控えることにしました。

交通渋滞の原因を作ることになりそうなので。

今後、被災地がどのように復興していくのか、
その原点の状況を自分の目に焼き付けておきたいという思いが強いです。



エリカ・ダーリエンシス



原点…そう、3月11日が日本の国家機能を考え直す原点になればいいんですがね。

それとは別に、「釣りバカ」として、
各漁港の波止の状況を確認しておきたいとも思っています。
…ほとんど跡形もなくなっているようですが。

しかも、広範囲にわたる地殻変動により地盤沈下がおこり、
浜の海抜0m地帯が広がったそうで、ということは、
大震災以前はのんびり釣り糸を垂れていられたのが、満潮になると、
いつのまにか海の中に取り残されていた!という事態なるってことか!

東北の海釣りは、かなり危険と隣り合わせになるな。

1年間は喪に服して釣り糸を垂れる気は毛頭ありませんが、
でも、来年の今頃には、
釣りのポイント探しを始めたい希望はあります。
状況次第でどうなるかは、まるでわかりませんが。

いま投げ釣りをすると、沈んでる家屋を釣ることになるだろうな。
港湾の浚渫作業が待たれる。


震災キックオフディ
みごとに東北楽天もベガルタ仙台も勝利のプレゼントを地元に対してしてくれました! ありがとう!

…でも、それどころではない人たちがいることも忘れてほしくありません。


沿岸地域の被災地では、3月11日から、
それほど事態が進展しているわけではありません。

粗食に耐えて、毎日を暮らしている大勢の人たちがいます。
避難所の劣悪な住環境、壊滅した医療機関、あしたの自立への道も見えない。
これからも長い支援が必要です。


そして我らが国家も、ぜんぜん進展が見られない。


福島第一原発の事故の責任は、自民党だって負わなければならないはずなのに、
政治的駆け引きに明け暮れているのはいかがなものか?

原発を強力に進めて来たのは自民党だろう?
いろいろな利権がらみで。


東京電力は、こんな大事故を起こしても、
まだボーナスを支給できるほど余力たっぷりな様子なので、
国債発行とか増税とか言わずに、
自己責任で全額被災者と被災自治体に対する補償をしていただきましょう!


これまで東電からさんざん利益を得て来た株主さんにも、
東電とともに最後まで責任を持っていただくのも当然でしょう。
それが資本主義のルールです!

まあ、東電関係者は、
福島の避難民の生活レベルにまでみずからの生活レベルを切り下げる程度の、
覚悟を決めてほしいものです。

税金を投入するとかしないとか議論する前に、
まず会社の資産の整理とリストラ、給与の切り下げなどで賠償金をしぼりだす!
それくらいはすみやかに実行するのが当然でしょう。
お詫びをするというのはそういうことじゃないですか?

生きるも死ぬも福島県民とともに!

東電のこれからのスローガンはこれだね。
私がたったいま作ってあげました(笑)。
高額な使用料を請求したりはする気はないので、
ご自由にお使いください。


原発をどうするかは、日本のエネルギー政策の問題だから、
代替エネルギーや効率性と日本人の生き方のバランスの問題になると思います。

すぐに単純な人たちがクリーンエネルギーとか言い始めてますが、
あんまり信用しない方がいいと思います。

補助的に使うのはありだとしても、主要エネルギーとしてはどうかな。
それについてはまたらためて。


最後に、私の原点になっている歌のひとつを紹介して終わりたいと思います。
途中で歌詞を間違えているのは、「ご愛嬌」ということで。(笑)


野坂昭如「終末のタンゴ」

原動画削除のため差し替え。



posted by ミロ at 02:30 | 東日本大震災

2011年04月19日

大災害時の言葉〜勝間和代

ども。ミロです。
言葉って奴は、周りの状況次第で受け取られ方が変わってしまうから、
特に今回のような大災害時に発せられる言葉っていうのはすごく気を使います。

ひとりしずか


「がんばれ」っていう言葉が、被災者に向けて言うのはどうか? と、
最近問題視されていますが、
マスコミや被災地応援メッセージを発信する人たちに、
ようやく反省するだけの平常心がもどったということでしょうね。

被害のレベルが大きすぎて、被災地以外の人々もよほど浮足立っていたと思われます。

「がんばれ」という言葉は、被災地を支えようとする人々に対して言う言葉であって、
被災者その人に対しては言ってもしようのない言葉でしょう。

家も無く、職も無く、昨日まで一緒にいた家族まで奪われた人に、
何をがんばれというのでしょう?
彼らは今日を生きるだけで必死です。
明らかに思いが上滑りしているとしか言いようがありません。

今被災者に必要なのは、そういう言葉ではないだろうな。

ほかにも、有名人たちが発した言葉に???だったんですが、
指摘するのは自粛して来ました。
多少ズレていると思ってはいても、発信者の思いの真剣さに敬意を表して。

多少は事態が落ち着いて来た今だから、ちょっと振り返っておきたいと思います。

わたしも活躍に注目しているある俳優が、
世界中があなたを見てる、あなたは日本人の代表なのだから頑張ってほしい、みたいなメッセージを発していました。

それは違うだろう? それを聞いてる被災者はほとんどいないだろうからいいけど、
被災者には何の関係も無い責任を被災者に追わせるような発言で、問題あるなと私は思っていました。
あの俳優さんも、かなり舞いあがっていたんでしょうね。
完全に言葉がすべってました。

また有名なある俳優さんも、被災地へのメッセージとして、
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を朗読していました。
彼もまた「雨ニモ負ケズ」という字面に騙されてたんでしょう。

あのメモは、賢治が自らの生き方を記したもので、
平常時でも普通の人が出来るような内容ではありません。
熱心な法華経の信者である賢治であればこその過酷な生き方であって、
結局賢治自身身体を壊し、肺結核で死ぬことになります。

そんな生き方を、こともあろうに被災地へのメッセージにするなんて、
わかってないなあと私は嘆いていました。
かなりスベってますね。


これが福島第一原発に関しての発言となると、
見るも無残な発言が飛び出して来ます。

専門家という奴は、まともな言葉の使い方を知らないのでしょうか?
いまのような非常時には聞きたくないスタイルの言葉でしか語れない人たちのようです。

まずは次の動画をご覧ください。



勝間和代さんて方は、以前から話題になっていますので、いちおう私も注目はして来ました。
何かいい話があったらみなさんにも紹介したいと思って、いろいろ目を通して来ましたが…
お勉強が好きなクラスでよく出来る女の子、というくらいのイメージだったので、
このブログではスルーしてきました。

しかし、この人も無げな原発擁護発言は何なのでしょう?
いま原発周辺の人々が故郷を捨てなければならない事態に直面していることは彼女の眼には全然入っていないようです。

それを大きく取り上げているマスコミも、「人が死んでいるわけでもない」のに、
騒ぎ過ぎなのだそうです。

放射能だってマスコミで騒ぐほど怖くないものであり、
チェルノブイリの事故のときだって小児ガンがいくらか増えた程度で、
それほど人が死んでいるわけではないそうです。

5人程度人が死んだり、小児ガンにかかるのも「たいしたことはない」と感じる彼女の感覚は独特なものがあると思います。
人の生死の評価まで「数値」を元にして考えるのが経済学というものなのかもしれないが、
実際は、数値を元にして評価を下すのは人間であり、
評価の仕方に問題があると思います。

勝間和代さんは中部電力の原発推進のテレビCMに出演しているようですが、
多額の出演料が彼女の発言を左右しているということはないのでしょうか?
言論にたずさわる者が最も自制すべき点を、彼女は踏み越えてしまっていると思います。

今回の原発報道では、電力会社から研究費が出ている大学の教授たちが、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とテレビを通じて発言しまくっていましたが、
ちっとも大丈夫じゃないことがはっきりしてしまった最近では全然見かけなくなってしまいました。

こんな電力会社の太鼓持ち報道を垂れ流すマスコミもとてもも問題だと思います。
ネットのデマを批判している場合じゃない。
テレビ局各社はしっかり反省し、検証報道をすべきでしょう。



posted by ミロ at 13:07 | 東日本大震災

2011年04月18日

被災者だって、酒ぐらい飲みたいよな

ども。ミロです。
素朴な疑問を抱きました。

支援物資というのは、第一には、生活必需品が届けられるのは分かります。
主食、水、衣服、毛布など。

しかし、避難所で仮設住宅が出来るのを待つようになった今の段階では、
ときには嗜好品の配給があってもいいんではないでしょうか?






仕事はやりたくても出来ないし、
電気のない夜って、ひたすら長いんだよね。

酒でも飲んで寝るしかないのは、私も経験済みです。

だから、特に酒をたしなむ被災者には、酒があると嬉しいんじゃないかと思いました。

といっても、一升瓶をあてがうというのではなく、
缶ビール1本とか、ワンカップ1本とかが適当かな?

呑兵衛が飲み過ぎない工夫も必要でしょうね。

浜の被災者たちは、津波が自分の町を飲み込む様子を自分の眼で見てしまっている人たちなわけです。
人って忘れることによってしか、新しい出発ってできないんだよね。
忘れる手助けをすることも無意味ではないと思う。






posted by ミロ at 01:22 | 東日本大震災

2011年04月12日

「震災復興キックオフデー」に向けて

ども。ミロです。
昨日11日は東日本大震災からちょうど1カ月目でした。

ミロの店でも、大地震が起きた14時46分に、
お客さんとともに全従業員が犠牲者に黙祷を捧げました。





ようやく正常化に近づいて来た4月7日に震度6強の最大余震が起きて、
市内ではせっかく一度は片づけたり補修し終わった家屋がふたたび被害を受け、
道路はあちこちがひび割れ、たわみ、
振り出しに戻った感じがしました。

しょうじき徒労感に襲われた一瞬がありました。
溜まった疲れが出てくる時期ということもあるのかな?

電気は復旧しましたが、水道はいまだに断水したまま。

店では、ガソリン携行缶、水缶、単一乾電池、単二乾電池、
転倒防止グッズ、合板類などが品切れしています。



東北新幹線 栗駒高原駅付近



東北新幹線は架線を支える電化柱が、3月11日の本震によって傾いていたのですが、
ようやく直った!と思った翌日の4月7日に最大余震が起き、
再び前回以上の数の電化柱が傾いているのを見ました。

ここも一からやり直しだ。

それにしてもヤバイのは福島です。
ちょうど本震から1か月目に震度6の余震に襲われ、
きょうもまた強い地震が連続しています。

地元の人は、さぞ心細い思いをしてることだろうな。

そして福島第一原発がある!
ほとんどゴジラ化して来ているね。

フランスやアメリカの原子力専門チームが共同で対応しているはずだけど、
活動の詳細がほとんど伝えられて来ない!
どうなってるんだ?

日本国は完全に情報封鎖する気でしょうか。
ということは、国民に言えない様な事態に陥っているということか?

…国民にそういう想像をさせてしまうこと自体、
日本国政府は非常時のかじ取りに失敗してしまっているということじゃないの?

村井 嘉浩宮城県知事は少なくとも信頼できる行動力を示してくれている.。
防衛大学校出身で、元航空自衛隊のヘリパイロットだっただけあって、
さすがに非常時における基本的な軍事的対処方法を知っていてくれていることだろう。
一県民として何より心強い!

それならばしかし、もうすこし国に対して、
自衛隊の運用方法を注文できたのではないだろうか?

菅総理は軍事的ど素人で、自衛隊の使い方もろくに知らない。
いや、国家を預かる政治家としてまともなら、
たとえ軍事的ど素人でも知っていてもらわなければ困る!
日本国の総理大臣が、非常時に自衛隊を使いこなせないというのは致命的だろう?

南三陸町や女川町の情報が寸断された時点で、
衛星回線が避難所に準備してなかっただけで情報収集をあきらめてしまっていいものだろうか?

震災現場に自衛隊の部隊を派遣し、
中央にすべての情報が集まるように情報網を構築することを考えなくて良かったのか?

これが戦争だったらどうするのか?
通信網もなく自衛隊は本当に敵と戦えるのか?

「情報の軽視」は、日本国の病として太平洋戦争時から今の今に至るまで健在だ。
本気で太平洋戦争を学び、本当の意味の戦争の反省をして来なかった結果がこれでしょう。

バカでも出来る「戦争反対!」というだけで、
戦争を反省したような気になって来たわけだからね。

私が考える真の戦争の反省とは、戦争の個々の作戦まで視野に入れ、何が失敗の原因だったのか?
勝つためには何をするべきだったのか?あるいはどうすれば勝てたのか?
何が出来なかったために勝てなかったのか?
そこまで考えることを意味する。

軍事、外交、国内政治のすべての側面で。
もちろん国民の幸福が常に考えられていることが前提だ。

そこまで考えて初めて、それ以降の日本の歴史に戦争の歴史を活かしていけることでしょう。

それができていれば、決して今の様な日本国にはなっていなかったと思います。

大事な局面になると言葉の言い換えだけで済まし、
その実何ひとつ変えて来なかった日本。

その集大成として、今回の東日本大震災への政府の対応を私は受け止めています。

4月29日は、村井宮城県知事が提起した「震災復興キックオフデー」です。

ゴールデンウィークの初日だということですが、
それよりもこの日は「昭和の日」であり、
なにより昭和天皇のご誕生日だった日ではありませんか!

国内のほとんどの主要都市が爆撃され、焼け野原となったところから、
国民とともに敗北を抱きしめて立ち上がり、
世界史に残る奇蹟の大復興を成し遂げた昭和を体現する天皇の誕生日です。

そして、3月11日から数えて49日目であり、
仏教では震災で亡くなられた方が成仏するとされる日でもあります。

震災犠牲者の鎮魂とともに、復興への県民の決意をひとつにするのに、
とてもふさわしい日だと思います。

わたしのブログも4月29日をめざして、
一言入魂で書いていこうと思います!

…更新がいったりかったり(不定期)なのが玉にキズだけどね。ハハハ…




posted by ミロ at 20:55 | 東日本大震災

2011年04月09日

最大余震発生 今度はちょっとやられた

ども。ミロです。

昨日夜11時頃、電気が復旧しました。
思ったより早くてほっとしました。

今度の余震は、夜中だったからねえ。
すぐにマグライトをつかんで立ち上がりました。
いっぱいやって、うつらうつらしてたとこでした。

下から突き上げるような揺れが来て、
「来た!」と思う間に、横揺れに変わり家ごと揺さぶられました。

こちら栗原市は震度6強という発表だけど、
うちの場合は、本震の時よりも揺れが大きかったな。

本震では倒れなかったものが、いろいろ倒されました。

仏壇の香炉が転げ落ちて、灰がぶちまけられたり、
作りつけの本棚から本がこぼれ落ちたり。

前回の地震で倒れたものはそのままにしてあったので、
こちらは今回はだいじょうぶでした。

絶対、でかい余震がまた来ると思っていたので、
心の準備はしてありました。

揺れが収まりかけても照明が消えなかったので、
今回は停電にはならないのかな? と思っているうちに消えました。


変電所がやられたらしいですね。
その瞬間の映像が偶然撮影されていました。

画面の奥の方で、大きなスパークするような光が見えます。
それにすこし遅れて、手前の町並みの灯りが一斉に消えるのがわかります。





かなり大きな余震だったけど、
本震が大きすぎたので、終わってみると「こんなもんか」という気がしたので、
人の感覚というのはおかしなものです。

すぐに水道を確認したら、水はまだ出ていました。
とりあえず、水缶やら鍋やらボウルやら、
水がためられるものすべてに水を汲んでおきました。

翌朝になると、また「断水」です。

水が残り少なくなって来たので、
これから給水に行って来ます。

今回広報は回って来ていませんが、
今朝の新聞を見ると、栗原市では各支所で給水しているとあったので…
posted by ミロ at 07:16 | 東日本大震災

2011年04月05日

勇気を持って、自粛をしない! それが日本復興への道!

ども。ミロです。

そろそろ西の方から、桜が咲いたという便りが舞い込んでくる季節になりました。

花見の季節だなあ!

春を楽しみに待っている人も多いことと思います。

ただ日本各地で「祭り」の開催を自粛する動きが起こっていて、
春ならではの「桜祭り」がつぎつぎと中止になっているようです。

たしかにお花見をいつもどおりやろうとすると、
照明で電気を大量に使うし、酒を飲んで酔っ払いが問題を起こしたりしないか、
なにかと時節柄、心配はあるかも知れません。

でも、照明時間を限るとかして電力を抑えた開催は可能だと思います。

電力不足を懸念しての祭りやイベントの自粛がある一方、
被災地で苦労している被災者への遠慮や気兼ねからの自粛も出て来ているとのことです。

たしかに心から楽しめない、というのはあるよね。

でも、これは人生の試練と思って、
なにがなんでも楽しんでやる!くらいの気概も必要ではないかな?

どうしたら被災者への弔意、顧慮を忘れずに、
祭りやイベントを開催できるか?
今こそ頭を使うべき時じゃないですか?

知恵をめぐらせ 頭を使え!(『決断』)です。

そうじゃないと、これからの長い日本復興の道のりを歩き通せないよ。

被災者以外の日本人まで元気をなくしてしまったら、
日本復興を担う人がいなくなっちゃうぜ。

企業は生き残りをかけて、すでに動き出しているはずです。

勇気を持って自粛はしない!ということが、
日本経済を支えるために私たちが出来る最大の貢献だと思います。

それとは別に、もっと巨視的な観点から、
日本の国家構造を地球規模の現実に合わせた改造をすることが必要だと思う。

地球・自然は人間の想像力をはるかに超える動きをすることが、
今回の大地震とそれに伴う大海嘯でわれわれ日本人に、
かなり痛みをもって知らされました。

いわゆる「想定外」こそが大自然の本質だということです。

日本の現代文明の甘さが露呈したと、謙虚に受け止めるべきでしょう。

大地震反対!とか、大津波反対!といったって、これら自然災害を防ぐことが出来ないのはみんなわかります。

でもこれが「戦争」となると、日本人の多くは、
「戦争反対!」と言ってれば戦争は起きないという信仰を持っているように見えます。

言霊(ことだま)の国ならではの病気だな。

私はこの現象をずっとバカバカしいと思っています。

国際情勢という奴も、ある意味「第2自然」と言うべき性質があって、
いつでも「想定外」のことが起こるもんだと考えておかないと、
いざという時に国民の生命を救えない事態に陥ると恐れています。

しっかりした軍備は必要だと思います。
そのうえで外交的努力で、国際関係を良好に保つ努力をしていくというのが普通の国だと思います。

こんどの大震災は、日本国のリスク管理の甘さを暴露してくれました。
これを機会に国家の根本改造が出来なかったら、
震災犠牲者の霊は浮かばれないと思う。
日本国は、非常時に国民を救うことも出来ないダメ国家のままでありつづけるだろうな。

いまはみんな震災気分に浸っているけれど、
すぐに厳しい現実が突きつけられて来ると思います。

東日本の経済的壊滅は、間もなく日本国全体の経済にボディブローのように効いて来ます。

早く気分から一歩踏み出して、
現実に立ち向かうための理論武装をしていく必要があると思います。

自粛している経済的な余裕なんて、いまの日本にはない。
とりあえず走りながら考えましょう!

お上は普通、禁止することしかしませんが、
大阪の橋本知事が行きすぎた自粛を批判する声明を出しました。

大阪ではグリコのネオンサインが復活したとのこと。
これは橋本知事の発言効果もあったんじゃないでしょうか?

自粛ムードを刷り込むテレビ広告が、ポポポポーン!と連発放送されているので、
かなり日本国民の消費マインドがむしばまれていると思いますが、
たいせつなのは、

自分の頭で考える! そして自分で決めて、責任を持って行動する!

ということだと思います。

自分の頭で考えるのって疲れるし、できたら責任持ちたくね…
という気持ちもあるでしょうが、勇気があればできます。

清酒「南部美人」の蔵元の方が、被災地以外に広がる自粛ムードに対し、
勇気を持って被災者代表として自粛しないように訴えました。

わたしもこの方の意見に全面的に賛成です。



地酒ファンのミロは、もちろん「南部美人」を飲んだことがあります!
ぬる燗派のミロは、大吟醸や純米酒ではなく、もっぱら本醸造一筋ですが。

東北の酒はどれもうまい! としか言いようがないね!

いつもは地元の「一の蔵」無鑑査本醸造辛口が常備酒ですが、
きょうは敬意を表して「南部美人」のアフィリエイト広告を張って、
私の「自粛」完了宣言としたいと思います。
posted by ミロ at 13:43 | 東日本大震災
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園芸愛好家で、庭作り・寄せ植え・ハンギングバスケット作りに精を出しています。茸狩り、山菜採り、鉱物採集が趣味で、その成果を追々紹介していきたいと思ってます。あなたのガーデニング・ライフの参考になれればいいな。
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