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2015年09月06日

この一冊で「聖書」がわかる 白鳥春彦

私は今のところ特定の宗教を信じていません。
どちらかというと宗教に対しては「アンチなイメージ」を持っていました。
歴史に出てくる十字軍の話や、オウム真理教のニュースなど宗教に関するアンチな情報がよく入ってきましたから、それらに対して何となく「宗教って怪しいものだなあ」という印象を持つことになったんだと思います。

そんな中で一番長い時間触れていた宗教というものは、キリスト教です。
実は子供の頃、毎月1回、カトリックのミサに参加させられていました。
時間にして大体1時間くらいでしょうか、子供にとって全く意味が分からない話を聞かされ、台詞を言わされ、毎月「早くこの時間が過ぎないかなー」と思っていたように覚えています。

そんな自分がこの本を手に取ったかというと、近親者の葬儀がキリスト教形式で行われたこととか、好きな作家である佐藤優さんがキリスト教であるとか、そんなことが記憶に残っていたからです。
また最近ではISに関する報道も多く、宗教に対してあまりにも知識が無いことへの危機感を感じていたのかもしれません。

”旧約、新約のあらすじから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教まで”

というキャッチコピーを見て、よし読んでみるかと思ったのでしょう。


さて、読後の感想としては、これは読んで良かったということを強く思いました。

まず歴史としての重みがあるのだなあと感じたこと。
紀元前2000年程前から続く民族の話として「なんと壮大なんだ」と素直に思いました。

次に、これまで聖書の中で読んだこと、聞いたことがある内容にしても、ただ聞くだけでは駄目で、書かれた時代背景や、使われている単語の意味を知った上で向かい合わないと理解が出来ないのだなあということ。
愛とか、貧しいとか、一つ一つの言葉についてキリスト教の解釈があり、それを知らないまま聞いても意味がないのだなあと感じました。
例えば「隣人を愛しなさい」という言葉はミサでも聞いたことがありました。
しかし「隣人」は何を指すのか、「愛」とは何を指すのか、それぞれの言葉の意味が分からないと、結局センテンスとしての意味も分からないままで、ぼやっとしたままの状態で終わってしまいます。
これらの言葉ついて本書で解釈されている内容はとても分かりやすく、気付きを得ることができました。

印象的だったのは、次の記載です。
”信仰とは、愛に向けられた疑いのない心なのである。
少なくとも聖書の中では、愛とは何らかの概念ではない。愛という表現で語られているものは、完全なる信頼であり、信頼からの行ないであり、アダムとエバの物語で象徴されるように、各々の人生の中でいつしか自分の自由意志で離れてしまった生命の木なのである。”
意味を理解出来たわけではありませんが、自分の中に積もっているたくさんの事項と結びつく感覚を得たというか・・・。
”琴線に触れた”ということなのかもしれません。

また、単純に、この地球上で多くの人が信じる「キリスト教」「イスラム教」についての知識を持つための教養書としても価値は十分にあると思います。
読み物としても面白いですしね。

少なくとも、「聖書を読んでいる人の中にはこのような考えが共通項として持たれているのだ」ということを知っておくのは、これからの時代を生き抜くためには知っておいて損はないことでしょう。

予想よりも遥かに面白い本でした。
posted by 霧島もとみ at 2015年09月06日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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