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2012年12月08日

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

正月に読んでおきたい本

死の淵を見た男
吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
***************
その時、日本は“三分割"されるところだった――。

「原子炉が最大の危機を迎えたあの時、
私は自分と一緒に“死んでくれる
"人間の顔を思い浮かべていました」。

食道癌の手術を受け、その後、脳内出血で倒れることになる
吉田昌郎・福島第一原発所長(当時)は、
事故から1年4か月を経て、ついに沈黙を破った。
覚悟の証言をおこなった吉田前所長に続いて、
現場の運転員たちは堰を切ったように真実を語り始めた。

2011年3月、暴走する原子炉。
現場の人間はその時、「死の淵」に立った。
それは同時に、故郷福島と日本という国の「死の淵」でもあった。
このままでは故郷は壊滅し、日本は「三分割」される。

使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちは、
なぜ電源が喪失した放射能汚染の暗闇の中へ
突入しつづけることができたのか。

「死」を覚悟した極限の場面に表われる人間の弱さと強さ、
復旧への現場の執念が呼び込む「奇跡」ともいえる幸運、
首相官邸の驚くべき真実……。

吉田昌郎、菅直人、班目春樹、フクシマ・フィフティ、
自衛隊、地元の人々など、90名以上が
赤裸々に語った驚愕の真実とは。

あの時、何が起き、何を思い、人々はどう闘ったのか。
ヴェールに包まれたあの未曾有の大事故を
当事者たちの実名で綴った渾身のノンフィクションが
ついに発刊――。





By 本格派 (東京都小平市)

この本で取り上げられているのは、吉田所長を中心に、
1、2号機の中央制御室(中操)の当直長である井沢氏、
当日は休日だったが、津波の後に現場に駆け付けた
当直長の平野氏、注水作業のために現場で活動した
自衛隊員たちなど、まさにあの地獄の現場を知る人間たちである。

我々が知っている東電幹部たちの無責任で
事故を小さく見せようとする不誠実な自己保身の姿勢とは
正反対に、現場では部下からの信頼の厚い吉田所長の指揮の元、
全電源を喪失した中でできること、やるべきことを、
置かれている状況を一つ一つ地道に把握しながら
臨機応変に考え、本店からの指示など待つことなく、
決死の覚悟で着々と進めていたのである。

それは、巷で思われているのとは異なり、あらゆる知識と経験と、
「事故を何としても収束させる」という強い意思を凝集した、
与えられた条件の中では最善に近い対応であったのだ。

初期の対応で重要だったのは注水ルートの確保であったという。
電源がない中でできるのは消防車を使って注水することであると
早くから考えた吉田所長は、消防車の手配を掛けるとともに、
注水用のバルブを開ける作業を真っ先に進めた。

1号機では事故当日の19時くらいから
燃料のメルトダウンが始まっており、
それに伴って原子炉建屋内の放射線量が
高くなっていったため、この作業が遅れていれば
注水ルートの確保ができなくなっていたという。
現場の必死の作業が辛うじて日本を救ったのである。

Amazonレビューより
posted by ケメ at 09:36 | Comment(0) | 震災
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