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2015年10月31日

神様に働いていただく

わたしはあなたがたのために
立てている計画をよく知っている
からだ。――主の御告げ――
それはわざわいではなくて、
平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を
与えるためのものだ。
(エレミヤ書 29:11)

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何と10月も最後の日を迎えました。
今年も残すところ2ヶ月。
今年は1年で聖書通読が終わりそうな
のが、いつもと違うところでしょうか?

自分の力で何とかしようともがき、
あ、それじゃダメなんだった、と
気づいて神様に委ねる、ということが
多々あり、まだまだ信仰の弱い者です。

一日がむしゃらに働いて、ふと気づくと
神様はどこにいたんだろう?と思う
こともしばしば。特にクリスチャンと
全く関係のない殺伐とした職場で、
雰囲気にのまれてそのようになります。

どこにいても、どんな時も、まず神様に
委ね、働いていただく、ということを
もっと習慣化したいと思いました。



2015年10月30日

神様から与えられた関係

私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。
(ヨブ記 1:21)

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2年間日本語を教えてきた宣教師の
ご夫妻が急に帰国することになり、
昨日が最後のクラスとなりました。

いいお交わりもできるようになり、
日本語もかなり話せるようになってきた
だけに、本当に残念でなりません。

会社を辞めたばかりで途方に暮れていた
私に突然与えられた仕事でもあり、
彼らにとっても新しい先生を探していた
ところへ私が急に現れたことでもあり、
お互いが神様からのプレゼント
と信じている関係でした。

一旦クラスは終わりましたが、これから
別の形で続くお交わりを楽しみに、そして
永遠に兄弟姉妹として持ち続けることの
できる関係に感謝しながら、またお互い
新たな道を歩んでいきたいと思います。

必要な時に必要なものを与えてくださる
神様に感謝を捧げます。






2015年10月29日

久しぶりの友人と

鉄は鉄によってとがれ、
人はその友によってとがれる。
(箴言 27:17)

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ひょんなことから高校時代の同級生に
会うことになりました。

多分卒業以来…だとすると30年ぶりです。
特に仲のいいグループではなかったので、
その後の人生についても全然知りません
でした。

お互いちょっとドキドキしながら会って
1時間ほどお茶をしたのですが、そんな
心配は杞憂で、とても楽しい、懐かしい
時を過ごすことができました。

学生時代の友達って特別だなあと思います。
大人になってから、そんな友達ってなかなか
できないものです。

特に彼女は高校時代、一時期辛い時期を
過ごしたことを覚えているのですが、
その後幸せな結婚をして子供が2人できて
キラキラ輝いているのを見た時、
心からよかったと思いました。

同窓会に出る勇気がないのですが、時々
顔を出してみようかな、と思いました。






2015年10月28日

悔い改めつつ

わたしは、愛する者をしかったり、
懲らしめたりする。だから、
熱心になって、悔い改めなさい。
(ヨハネの黙示録 3:19)

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あまりに試練が多いと、「どうして神様は
ここまでするんだろう?」と思って
しまったりします。

神様の愛を疑ったり、御心がわからなく
なってしまったりすることもあります。

そんな時、この冒頭のみことばに
立ち返ると、ああ、そうだった!
と思い返すことができます。

神様は、私に悔い改めを求めていらっ
しゃるのだ、と。愛されているからこそ、
ご自分の近くに引き寄せてくださるの
だ、と思い出すのです。

今日も神様の御心に委ねて、悔い改めつつ、
従っていきたいと思います。






2015年10月27日

妥協しない信仰

ただ、あなたがたの持っている
ものを、わたしが行くまで、
しっかりと持っていなさい。
(ヨハネの黙示録 2:25)

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最近いろいろなところで「妥協しては
いけない」という話を聞きます。

実は、私のこれまでの信仰の歩みは
「妥協」の連続だった気がします。

この人に言ってもきっとわかってもらえ
ないから…。
ここは日本だからしょうがない…。
ここでは祈れない…。

自分の中で最後の最後、これだけは
妥協できない、という部分はもちろん
あります。でも、本当は妥協すべきで
ないところで妥協してきたことも
確かです。

不信仰な、弱い者です。でもイエス様と
ともに歩めば、強くしていただけるのです。

これからは、少しでも妥協しないで
信仰を保っていけるように、歩んで
いきたいです。




2015年10月26日

創立20周年

心を尽くし、精神を尽くし、
力を尽くして、あなたの神、
主を愛しなさい。
(申命記 6:5)

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昨日は私の教会の創立20周年の礼拝、
それに続いて感謝会が行われました。

20年前に開拓伝道をしてくださった
宣教師の先生方、開拓チームを送り
出してくださった母教会の方々、今まで
私の教会に関わってくださった方々など
たくさんの方々が来てくださり、神様の
守り導いてくださったこの20年を思い
出して感謝する時となりました。

教会は主のからだとも言われます。
一人ひとりがキリストのからだとして、
これからも愛し合い、補い合い、祈り合い
ながら成長していきたいと思います。



2015年10月25日

十分な恵み

しかし、主は、「わたしの恵みは、
あなたに十分である。というのは、
わたしの力は、弱さのうちに
完全に現れるからである」と
言われたのです。ですから、
私は、キリストの力が私をおおう
ために、むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
(コリント人への手紙第二 12:9)

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土曜日も一日仕事でしたが、全然
疲れを感じませんでした。

宣教師の方に日本語を教えるクラスでは
いかに神様の愛を日本人に伝えるか、
そのための日本語を教え、クリスチャンの
方に英語を教える仕事では、いかに
神様が素晴らしいか、お互い恵みを
英語で伝え合う祝福の時となりました。

駅で偶然、伝道をする別の宣教師2人に
バッタリ出会い、信仰を分かち合い
ました。

賛美の練習に行った教会では、牧師先生
ご夫妻、宣教師のご夫妻とともにお祈りを
捧げ、送っていただく車の中でも恵まれ
ました。

帰りの電車の中で、冒頭のみことばが
響いてきました。

私に十分な恵みを与えてくださる神様に
感謝を捧げます。





2015年10月24日

神様の恵みによって

すべての良い贈り物、また、すべての
完全な賜物は上から来るのであって、
光を造られた父から下るのです。
父には移り変わりや、移り行く影は
ありません。
(ヤコブの手紙 1:17)

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大変な一週間が終わりました。
特に大学の非常勤になってからは、
準備と採点で余裕のない生活がまた
始まってしまいました。

少しでも安定を…と思うと、やはり仕方が
ないのです。精神的にかなりキツいの
ですが、週に何回か与えられている祝福の
仕事のお陰で、何とか癒やされています。

組織で働くのは、何であっても大変です。
しかも、どんどん世間は厳しくなっている
ように思います。

そんな中で、細々とでも生きている自分を
たまには褒めてあげたいなと思います。

いえいえ、栄光は全て神様にお返ししたいです。
神様の恵みによって生かされている
ことを感謝します。


2015年10月23日

神様に寄り頼んで

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、
あなたに答え、あなたの知らない、
理解を越えた大いなる事を、
あなたに告げよう。
(エレミヤ書 33:3)

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毎日毎日飛ぶように過ぎていきます。
ついつい神様から離れてしまって、
自分の力でがむしゃらに突き進んで
いる自分を発見したりします。

神様に寄り頼んで、日々力をいただいて
進んでいきたいです。





2015年10月22日

弟子であることを忘れずに

主に信頼し、
主を頼みとする者に
祝福があるように。
その人は、水のほとりに
植わった木のように、
流れのほとりに根を伸ばし、
暑さが来ても暑さを知らず、
葉は茂って、
日照りの年にも心配なく、
いつまでも実をみのらせる。
(エレミヤ書 17:7-8)

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昔、クリスチャンになって間もない頃の
話ですが、どうしても自分の教会へ
行けなくて、仕方なく近所の教会へ
行ってみたことがありました。

そこは同じような教派の教会で、大きな
立派な会堂を持ち、人もたくさん出席
しているようなところでした。

礼拝に出て、帰る時にものすごく違和感が
ありました。何なのだろう…?と考えて
みると、礼拝中に「イエス様」という言葉を
一度も聞かなかったことに気づきました。

その時はたまたまだったのかもしれません。
政治的に大きな動きがあり、牧師先生は
礼拝中ずっと政治批判をされていたのです。

もちろんそれは正論で、神様の目から見て
正しい意見だったのかもしれません。ただ、
イエス様のことについて触れない礼拝って、
キリスト教の礼拝でなくてもできることなの
ではないか、とその時思いました。

私たちも同じように、正論を言うあまり、
神様、イエス様、をそこから排除して
しまう瞬間があるのではないでしょうか?

常にイエス様の弟子であることを忘れずに、
意見を言えたらいいな、と思う者です。







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