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2015年05月24日

プロフィール2

 大学を卒業する頃には、自分で塾もやっていたので、その噂をきいて、ある大手の塾からうちの看板で塾をしませんかという話もいただいてたのですが、塾をやめて、中学校の数学の講師をすることにしました。
 ちょうどTT授業が始まった年で、ベテランの厳しい女の先生と組むことになりました。
 厳しいけれど、厳しさの中に優しさがある先生で、あらゆることを教えてもらいました。
 仕事も遊びも、教職員の人間関係など、学びました。
 そのときの校長先生は、「お前等 女でも1年目から仕事をさせてもらえる仕事は他にない。ほんまやったら、コピーとって、お茶汲みや」という先生で、教頭先生は、いろいろと気にかけて下さる先生で、校長先生になってから何度も声をかけてもらって、仕事をしました。
 翌年は、校長先生からの申し出を断り、採用試験の勉強をしようと、毎日、図書館へ行って勉強していました。
 その頃、いろいろと本も読んで、教師というのは、大学をでて、学校に勤めるので、学校以外の世界を知らない、そんな人たちが子どもの進路決定に大きく影響している・・・という本を読んで、自分の見聞を広めてみたいと思いました。
 その年は、6月から常勤講師をしましたが、翌年からは、昼間は非常勤講師をして、夜は会社の事務員をしました。
 翌年は、非常勤講師ですが、新しく始まる制度で 病弱教育巡回訪問指導教員をしました。
 院内学級のない病院で入院する子どもたちに学習支援をするという仕事で、約10年やりました。
 最初は、制度ができて、予算が決まり、とりあえず人だけ確保というずさんなもので、仕事もなく、給料もなくというひどい有様でした。
 あまりにも仕事がないので、学校や病院に啓発にいく仕事を作ってもらったぐらいです。
 その後、非常勤講師とバイト生活で、建設関係の会社、電気量販店の下請け会社、スポーツクラブ、高齢者向けの健康づくりセンター、塾、家庭教師など、多い時は、3つ4つの仕事をかけもちしながらやってました。

 子ども相手の仕事は楽しかったけど、先生の集団の中に入るのが嫌だったし、サラリーマンという、枠の決まったものに興味がなく、決められた予算で生きるのではなく、時間やお金の制限なく自分の思い通りに生きるということに興味をもち始めました。

 どこに行ってもたたかってたと思います。
 何かとたたかってた。
 次第に、自分の思いとは違い、こんなに頑張ってるのに、人のためにやってるのに・・・といろんなことが空回りし始め、肉体的にも精神的にも追いつめられていきました。
 体の限界もあり、全ての仕事を辞めて、リセットしようと思いました。

 自分探し、自分を変えたいと、笑顔の教室、ウォーキング教室、セルフリンパの教室に行きました。
 もしかして、このまま死んでしまうかも?と思うぐらいの体で、パンパンにむくんで破裂寸前という体で、教室に通ってました。
 そんなときに、気功の先生に出会い、みるみる体調がよくなり、歩いていても足の悪いおばあさんにぬかされるぐらい遅かった歩きも、普通の歩きになりました。
 むくみがなくなり、体が軽くなりました。

 今度は、自分の思う塾が作りたくて、先生と一緒に施術と教育のコラボレーションと一緒にお店を始め、あした。
 最初は、一緒にやれば経費も半分だし、何よりも誰とも話が合わなかったのに、これからの社会のこととか、理想に思っていることが同じだったので、一緒に始めました。

 塾に通う子どもと施術に通う大人が、同じ空間を共有することによって、お互いにいい効果があるのではないか?
核家族化によって、子どもたちにいろいろなことを教えるおじいさん、おばあさんたちの存在は大きくなるのではないか?新しいコミュニティを作りたいと始めました。

 当初の思い描いていたものとは少し違うかもしれないけれど、生き方や健康を追求していく中で、2つあって1つのものだなあと、今は実感します。

 なちゅらる ばらんすを始めてから、教師や保護者の方に教えることも多くなり、教育とは、学問だけではないとわかりました。
 施術と教育のコラボレーションによって、これからの生き方を提案していけると思っています。

 これで満足と立ち止まることなく、追求し続けているので、まだまだ途中ではありますが、起こった全ての事から導いていった全てのことを気ままに書き綴っていきます。














2015年05月23日

プロフィール1(学生時代)

 子どもの頃は、おとなしかったです。
 教師をしているというと、みんなが驚きます。

 私自身も驚いていますが、楽しいだけでやってきたかもしれません。
 おとなしかったからこそ、自分自身をどんどん変えてきたのかもしれません。
 自分の成長を楽しめたのかもしれません。
 
 高校生までは、親の言う通りに、近くの高校に行き、就職して結婚という敷かれたレールの上を歩いていました。
 今思い返すと、高校1年生の冬、友だちが間違って誘った補習に行ったことから、人生が変わりました。
 分からない子がいく補習だと思って、お付き合いで行った補習が進学補習でした。
 そこで、数学の先生にすすめられ、補習を受けていると、すぐに真ん中当たりの200番前後だった成績が、上位10位以内に入ってしまったのです。
 進学率の悪い普通科で、先生が力を入れようとしていたところなので、数学だけでなく、受験に必要な教科を教えてもらい、毎日、特別教室を用意してもらって、数人で勉強をすることになりました。
 女の子に学問はいらんという父の考えでしたが、塾に行く事もないので、親に迷惑をかけずに、進学するための勉強が始まりました。
 いくら勉強してもその高校からは大学に行けるはずがないと、受験を許してもらい、大学に合格しました。

 それまで、虚弱体質で、病気がちだったのですが、片道3時間近くかけて大学に通うことになりました。
 最初は、朝5時半に家を出て、帰ってきたら夜7時でバテバテ。
 弱音をはいて、前期が終わったら大学を辞めると言ってたのですが、夏休みに無理矢理 父に決められたバイトに行ったのをきっかけに変わりました。
 プールの受付だったのですが、体育会系の男性ばかりの職場で、運動音痴で、おとなしかった私が、スポーツ大好きな活発な、好奇心旺盛な性格が開花しました。

 結局、大学も辞めず、1回生の後期からは、苦手だった派手なグループに入り、大学生活も一変しました。
 通学に1日の4分の1を費やし、帰ってきたら、毎日、家庭教師をし、土日は、プールのある運動公園で受付のバイトをするというハードな生活をしました。
 体が弱いし、バイトもどうせ休むやろと親は思っていたようですが、本当に元気になりました。
 つきものが落ちたかのように、もともと持っていた好奇心旺盛なところがでました。

 体が弱い、運動はできないと言って育てられてきて、自分でもそう思いこんでいたのですが、サークルには入ってなかったけど、バイト先で、テニス、ボーリング、卓球、グランドゴルフなどを教えてもらったら、すぐにうまくなり、今までの人生は何だったのだろう?と思うぐらいです。
 この体験も今の教育に生かされています。
 思いこんでそうなっていることが多いということです。
 スキーは、大学の友人でインストラクターしてる子が多かったので、教えてもらってかなり上達しました。

 というわけで、教育学部には行くけど、到底無理と思っていた教師になることになりました。







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