2007年05月20日
博士の愛した数式
昨日テレビでやってたので見た。
おとついの天使の卵と違ってしっかりとした細かいツッコミところが気にならない話だった。
原作では悲しい最後を迎えるらしいが、定番が嫌いな俺は死んで感動より生きていて感動の話のほうが好きだ。
誰か殺せば悲しいのは当たり前だし、そこにいない人を思い出すやら何やらで死んだ人間をいつまでも思って一人でいるのが純愛だみたいな雰囲気があるがそれは違うだろう。
結構前の作品だと思うが、映画版のこの結末はよかったと思う。
見ていて数学がちょっと好きになりそうになった。
こんな数学の先生がいたらまじめに数学勉強したかなぁ〜!!なんてさ。あ、博士じゃなくて先生の方ね。
もう、というかかなり前からだが、突然死で誰か死んで悲しいね、可哀想だね、泣けるね、なんて話は飽きた。最初のセカチューと今、会いに行きます位で止めとけばよかったのにね。
俺の中で恋愛小説ブームが過ぎ去ったからあんまり読んでないが、誰かと結ばれるまでが幸せだ、限られた生の時間の恋愛が幸せだ、結ばれてめでたしめでたし、の話はもういいだろ。
アンチ純愛小説。
ないかなぁ??
誰かと付き合うまでの話は多いが、誰かと付き合ってからの話。
逆にその人と別れるまでの話とか。
それを見てこうならないようにお互い気をつけようねと再認識させるようなメッセージのあるような。
最近の恋愛ものは何を考えるって
「この人はどうやって死ぬのかな?」
とヒロインの死に方はなんだろうと考える。
次に、恋敵は二人で会ってるこのタイミングでそろそろ出てくるかな?
あ、ホントに出てきた・・・
この辺でそろそろヤっちゃうのかな?
お、裸で朝を迎えたねぇ・・・
そろそろヒロイン死ぬかな?
あー・・・こういう死に方ね。ちょっと無理ないかい???
あー悲しいね、記憶もよみがえるね。
え?こんな尻切れトンボな終わり方かよっ!?
みたいな流れって多くない?
ありえないドラマや映画ならではの展開。好きじゃない。
一番出始めのセカチューはこの手の手法は新鮮だったし泣けない俺でも泣けたが
ここ最近ではすっかり飽きたせいか、映画の作り方が雑なせいか、ツッコミどころがたくさんありすぎて泣けるも何も話の根本の何がどうなったかってぇのにも疑問すら抱く。
こんなんでも泣ける人が数多くいて名作となるんだからねぇ。
それとも俺が単に理詰め、客観的、冷めてるだけの問題なのか。